第184話 真夜中のカーニバル2-29
脱衣所にやってくると、服を脱ぐ前に、俺は扉を開けて風呂場をのぞいた。
家の外観・内観と同様に、やはり風呂場も洋風のそれだった。
細かい、石みたいなタイル、レンガのような壁、そして映画とかに出てきそうな、四足のバスタブ。
シャワーは壁際に設置されており、正面には全身が確認できるだろう鏡が取り付けられている。もちろん一般的な家庭にある長方形の物ではない。楕円型の、縁に金色の飾りの施された、額縁みたいな鏡だ。
ああ……この額縁みたいな鏡の前で、いつも女神上田様は、髪を洗い、シャワーを浴びているんだな。まさしく絵画その物じゃないか!
「なにをしている。さっさと服を脱ぐのだ」
「あのー……やっぱり脱がなきゃだめ?」
自ずと前かがみになりつつも、聞く。
「当たり前であろう。服を脱がずに、どうやって背中を流そうか」
「ですよねー」
まあプールとか海だったら、水着を着ているとはいえ、普通に上半身裸のパンツ一丁みたいなもんだし、そう考えたら、上だけなら……。
俺はシャツを脱ぎ、肌着として着ていたタンクトップを脱ぐと、脇に置かれていたかごへと、とりあえず入れる。
「じゃあ、背中を流してもらおうか」
風呂への扉へと手をかけるが、なぜか上田さんは動きを見せない。
ええと……と首を傾げて聞くと、同じように首を傾げた上田さんが、口を開く。
「早く脱がぬか。服を脱ぐのに、夏木京矢は一体どれほどの時間をかけるつもりだ」
「……え?」
「それ」
「それ?」
上田さんの指先には、俺の下半身がある。
「下も……脱ぐんすか?」
「なんだ? 夏木京矢は普段、パンツを履いたまま風呂に入るのか?」
「いや……でも……しかし……」
「ええいじれったい。だったら我が脱がしてやろうぞ」
上田さんは俺のベルトにつかみかかると、かちゃかちゃと音を立てて外し始める。
「ちょっ、まっ、上田さん! 自分でやるから!」
「よいではないか、よいではないか。我に任せるのだ」
「あ、ああーっ!」
勢いが強かったのか、ズボンと一緒に、下着のパンツも、ずるっと床に落ちる。
俺は上田さんに対して脚を『く』の字に上げて、なんとか息子の露呈を回避する。
「ほう。夏木京矢は、着痩せをするタイプなのだな。服を着ている時は華奢に見えるが、脱ぐとやっぱり男子、うっすらと筋肉がついておる」
ピャー! 見ないで見ないで変態! ……って、これは本来女の子であるあんたの反応でしょうが!
上田さんは「ほうほうふむふむ」とか相槌を打ちつつも、ぺたぺたと俺の体に触ってくる。
いや……ほんと……ほんと……なんかあれ。
「さて、ではさっそく、背中を流すとするか」
「せ、せめて、タオルを。下に巻くタオルを」
「タオルは水気と取るものであろう。シャワーを浴びてからの方が効率的だ」
論理的ではあるが、人の気持に寄り添っていない!
背中を押されたので、俺は一歩二歩と風呂場へと足を踏み入れる。
石を模した床のタイルが、夏の気温とか、なんか色々な要因で火照った足の裏に、ひんやりとした感覚を与える。
「そこに座れ」
言われた通りに、俺はシャワーの前に置かれた椅子に座る。
鏡の前には、白い固形の石鹸が一つ置かれているだけで、他は一切見当たらない。
年頃の女の子なら、シャンプー、リンス、メイク落とし、洗顔……この辺りはデフォなのではないだろうか。
「……なんか、すっきりしてるね」
「どういうことだ?」
「いや、石鹸しかおいてないから」
「我は普段、石鹸しか使わんからな。もっとも、汗をかいた時に使う程度ではあるが」
なん……だと……だと……だと……だと……だと……(セルフエコー)。
思わず俺は、石鹸を手に取り匂いを嗅ぐ。
しかしなにも臭わない。
間違いなくこれは、石鹸成分百パーセント、無添加・無香料の、どこまでも純粋なただの石鹸だ。
じゃあどうして、上田さんからは甘いいい匂いがするんだ? てっきりリンスとかコンディショナーとか、なんかそこら辺の残香かと思っていたのだが、違うってことだよな。
「ええと、お風呂上がりは、いつもなにか塗るの? ほら、ボディクリームとか」
「ボディクリーム? あんなの詐欺であろう」
「じゃあアロマとか? ほら、枕に香水を振ったり」
「アロマ? 枕に香水? くだらぬ」
一体全体……どういうことだってばよ。
女の子といえども、所詮は動物。なにもしなければ、甘い匂いがしないどころか、下手をしたら汗臭くなったりもするはずだ。
故に俺は、女の子がいい匂いがするのは、彼女たちが努力をしているからだと、そう思っていた。
しかし違うのか? 毛穴からぷしゅーっと、なんか甘い匂いが出てんのか? そうなのか?
ちらりと、鏡に映る上田さんを見る。彼女はシャワーヘッドを手に取り、床に向かって出しながらも、手で温度を確認している。
いや、あり得るのか? だってこんな美少女だぞ。エルフの女王なんて言われてもなんら遜色のない、女神みたいな見てくれだぞ。むしろこんな御身から、汗の臭いとか動物の臭いがする方が、宇宙法則的には間違いなんじゃあないのか?
そうだよ。そうに決まってる。
お花からは甘い匂いがするように、美少女からは美少女特有の甘い匂いがするんだよ。これは原理原則であり、摂理なんだよ。
いやはや、俺はこんな当たり前のことをどうして勘違いしていたんだが。
人の考えとか価値観ってものは、本当に当てにならないな。
「では、ゆくぞ」
上田さんの言葉に、意識が現実に戻ってくる。
さあこい。
疑問が解消して、スッキリした俺は、背筋を伸ばして、シャワーを受ける体勢を整える。
「おっとその前に」
……ん?
「我も脱がんとな」
……んんんん?
「跳ね返った水しぶきで、服が濡れてしまっては、いかんからな」
鏡に映る上田さんは、ワンピースの肩紐に手をやると、ずらして、そのままストーンと、床に落とす。
当然、下着をつけていないものだから、上田さんは一瞬にして全裸になる。
な、なななななな……なあああああああ――
白くてすべすべの肌。形のいい鎖骨。そして清純派グラドル顔負けの、超絶スタイル。
幸か不幸か、偶然にも胸は、赤い横髪に隠れていたので見えなかったが、もしも見てしまったら、俺は神の嫉妬――神の怒りの鉄槌を受けて、目を失っていたことだろう。
はあよかった目は大事だからな。
「ちょっ、ちょちょちょっ、ちょっと上田さん! 服! 服着て!」
「いやだから、服を着たままだと、濡れてしまうと言っているではないか」
「いや! でも! 二人共裸はまずいって!」
「まずい? なにがだ?」
なにがって……ナニがですね……ほらほらほら! むくむくと!!
のび太が眠るまでに要する時間は、なんと一秒未満、『0.93』秒と言われている。
ああおしい! 俺はナニがああなるのに0.97秒かかってしまった!
つか女神様の裸を見て興奮するなんて、俺はなんて下劣な野郎なんだ! 信仰心はないのか!? 昨夜の憧憬の眼差しは、何処へ!?
これがよかったのかもしれない。俺は自分の状況を隠すためにも、普段以上に、冷静な装いになる。
「どうした? 気分でも悪いのか? 様子が変だぞ」
「別に。うん。大丈夫」
「本当か? 熱でもあるのではないか? どれ……」
上田さんは俺の肩に腕を回すと、額に手をやる。じっくりと測るためなのかなんなのか、うしろから抱きしめるような体勢になったので、その二つの柔らかいあれが、俺の背中にむぎゅっと当たる。
どっぱああああああああああああああ!
もちろん鼻血の出る音の心象表現だ。
他意はない。
「……うむ。熱はないようだな」
「デショ? サアハヤク、セナカヲナガシテ、罰ゲームヲ、オワラセヨウ」
「であるな」
頷くと上田さんは、一度俺の体をさっとシャワーで流してから、鏡の前に置かれた石鹸を取るためにも、俺越しに、ぐっと腕を伸ばす。
当然……と言ってはなんだが、俺の頭の上には、上田さんのその形のいい二つのお山が、むぎゅむぎゅと、当たったり当たらなかったりを繰り返す。
見ちゃダメだ、見ちゃダメだ、見ちゃダメだ、見ちゃダメだ、見ちゃダメだ。
ナムアミ、ホウレン、ソウトー、マクアミ、キークウ、サイケイ、ランソウ、カイテイ…………。
「すまぬな」
「ン? ナニガ?」
「スポンジとか、そういった物がないのだ。手で失礼するぞ」
「ア、ハい。じゃア、お願い」