第177話 真夜中のカーニバル2-22
顔を真っ赤にして叫んだ一華が、俺を両手で突き飛ばす。
突き飛ばされた俺は、すぐ隣に座っていた識さんを押し倒して、そのまま倒れ込むが、豊満なお胸のクッションのおかげで、大事に至らずに済む。
「な、なんだよおっぱい……じゃなくて、なんで突き飛ばすんだよ」
「だ……だって、だってだってだって……」
「だってなんだよ」
「京矢と……キス……うう……」
指と指を絡めると、目をそらしてもじもじする。
「もしかして、俺を選んでくれないのか?」
頬を紅潮させつつも、コクリと頷く。
な……なんでへぇ~…………。
すとんと、俺の身体から、決定的ななにかが抜け落ちる感覚に陥る。
砂漠の真ん中で助けを待つが、とうの昔に救助が打ち切られたことを知ってしまった時のような、希望に対する不審感……絶望を越えた、圧倒的な虚無感。
「きょ……京矢?」
言葉が出てこない。
口の中がからからに乾いていたのもあるが、一体なにを言えばいいのか、全然これっぽっちも分からなかったから。
「ち、違うの!」
俺の気持ちに気づいたのか、一華が慌てたように腕を取る。
「な……なにが?」
「きょ、京矢と、キス……したぃ。でもでも……今は……無理ぃ」
「無理?」
「まだ早いっていうか……は、ははは、恥ずかしぃ……から」
恥ずかしい?
時間が経てば、恥ずかしくなくなるのか?
というか恥ずかしくなくなってからキスをするよりも、恥ずかしい気持ちがある状態でキスをした方が、なんていうかもっと、ときめくんじゃあないのか?
「きょ、京矢には……分かってほしい」
なにを?
「だ、大事に……したいの」
大事……。
「京矢との初めて……」
…………。
「罰ゲームなんて……いや」
――はうわっ!
そうじゃないか!
そうじゃないかそうじゃないか!
これは罰ゲームだ。
どこまでいっても罰ゲームなんだ。
よーく考えてもみろ。
一華とのキスが罰ゲームなわけあるかあああ!
「一華……」
「……うん」
「キスは……また今度にしような」
「う……うん」
「一つひとつゆっくりと、俺たちのペースで、思い出を紡いでいこうな」
「う……嬉しい」
一華は俺の腕に手をのせたままの状態で、そのまま倒れ込むように身体を預ける。
識さんの手を離したい。
(いや離したくない)
そして一華をぎゅっと抱きしめたい。
(識さんのおっぱい)
「ちゅーぐらいさっさとすればよかろうに」
空気を読まない地球代表の上田さんが、やれやれと手を広げつつも首を横に振る。
「どうせ大学生にでもなったら誰彼構わずちゅっちゅちゅっちゅするのだからな。『ファーストキスどうだった?』『なんか口腔内の臭いの味がした』『あー分かるきゃははは』と、最終的には笑い話になるのが目に見えているであろう」
うおおおおい! 上田きっさまー!
ファーストキスをバカにすんな!
一華の純粋な気持ちをバカにすんな!
「ち、違う。ファーストキス……大事」
恐る恐る、一華が上田閣下に反駁する。
「一生に一度。大切な……思い出」
「ふっ。小笠原一華はあれだな。キスがゴールか? キスが最終目的地か? 少女漫画のヒロインじゃああるまいし」
「そ、それを言うなら、ラノベのヒロイン」
確かに、少女漫画は、キスがスタートって感じあるよな。
んでもってセックスが中盤で、ラストが子供。
って、んなもんどうでもいいんだけれど。
「とはいえ、罰ゲームは罰ゲームだ。しないわけにはいかんぞ」
「うう……」
「夏木京矢を選ばないというのならば、小笠原一華……貴様は一体誰を選ぶというのだ?」
聞いてから、上田さんは愚かな質問をしたとでも言うように、一度軽く小首を傾げてから、尋ね直す。
「いや、識日和メイドと我、一体どちらを選ぶというのだ?」
「日和としおん……?」
きょとんとした顔で、まるで独り言を呟くように聞く。
「――ふえっ!? そ、そそそ、それって……どっちも女の子……」
「仕方がないであろう。小笠原一華、貴様が夏木京矢を選ばぬと言うのだから」
「でもでも……でも!」
童女のように首を振ってから、うるうるとした瞳で上田さんを見つめる。
「女の子同士なんて……お、おかしい」
「おかしい? この多様性の世の中で、おかしい?」
「ち、ちがっ……そういう意味じゃ」
「じゃあどういう意味だというのだ?」
「うう……ぐすん……ひっく……」
べそをかき始める一華。
もうやめたげて!
論破なんて、相手を追い詰めるだけの、なんの生産性もない、単なる自己満足よ!
「泣けば済むとでも思っているのか。泣けば許されるとでも思っているのか。断じて否!」
立ち上がると、上田さんはずかずかと一華へと歩み寄り、がしっと両肩をつかむ。
「ひゃっ!」
「もう一度言おう。罰ゲームは絶対だ。何人たりとも逃れることはできない」
「うう……」
「さあ、己の口で言うのだ。罰ゲームは絶対だ! 罰ゲームは絶対だ! 罰ゲームは絶対だ!」
「ば、罰ゲームは絶対。……罰ゲームは……絶対。罰ゲームは絶対……」
「それでいい。肝に銘じるように」
肩から手を離すと、上田さんは元の場所に戻り、ドスンと腰を下ろす。
一華はというと、俺の腰に腕を回して抱きつき、しくしくと、恐怖からくる涙を流している。
なんなんだ。
一体全体どうしてここまで罰ゲームを絶対視するんだ。
ゲームを面白くするため?
あるいは上田さんの性格?
完璧主義とか?
わ、分かんねえ……。
「それで」
一華の頭をなでなでしながらも、俺は優しげな声音で聞く。
「一華は一体誰を選ぶんだ?」
「うう……」
「やっぱ識さんか?」
顔を上げると、小さく首を横に振る。
「ううん。……日和はだめ」
「だめ?」
一華の返事に、識さん本人が反応を示す。
「どうしてだにゃ。お嬢様は、私のことが嫌いなのかにゃ」
「ううん。違う。むしろ逆」
「逆?」
「日和は、大切な……と、ととと……」ともだち。
「え? なんだにゃ? 聞こえないにゃ」
「とも……とも……とも……」ともだち。
「え? 聞こえないにゃ。もう一度頼むにゃ」
「――だっ、から……ともだ……ち」
ぼふんと、顔を真っ赤にしてから、絞り出すように言う。
「キスとかしたら……なんていうか……違う……になっちゃうような……そんな気が……するから」
「ふにゃー……」
頬に指を当てて、天井を仰ぐ。
「つまり、友達だから、大切にしたいってことで、いいのかにゃ?」
「う……うん。……そう」
一華の勇気ある告白に感極まったのか、識さんはがばっと一華の肩に腕を回すと、耳元で囁く。
「一華お嬢様……」
「へ!? ひ、日和……は、恥ずかしい、よぉ……」
「ありがとうだにゃ。嬉しいにゃ。私とお嬢様は、一生親友だにゃ」
無論、現在俺と識さんは、罰ゲームで手をつないでいるので、それらの行為は、俺の目と鼻の先で行われることになる。
うおおおおおおお!
美少女が二人、俺の目の前で抱き合っておられるうううう!
やっば! やっば! これ超やっば!
あとなんか超いい匂いがする!
……いや、気のせいか?
この状態なら、たとえうんこの臭いがしようとも、いい匂いだって言いそうだし。