第172話 真夜中のカーニバル2-17
「あーんとはなんぞや? 喘ぎ声か?」
「いや。違うでしょ」
俺は思わず微苦笑を浮かべる。
「多分、食べ物を食べさせてあげるの、あーんでしょ」
「そ……そう」
小さく手を挙げた一華が、おずおずとした様子で口を開く。
「それ……私が書いた。だから京矢の解釈で……合ってる」
「ふむ、では間違いないな。して、なにをあーんするのだ?」
「確か……」
ローテーブルの上に置かれたポテチの袋をどけると、そこにとある菓子が姿を現す。
飴だ。
ぐるんぐるんと渦を描いた、漫画とかに出てきそうな、半径三センチはあるだろう、ペロペロキャンディだ。
「これ。これを食べさせてあげる……とか?」
「それは……さっき俺が面白半分でコンビニで買った……」
というかマジですか?
そのでかい飴をあーんとかって、結構労力を使うと思うのですが。
別に一瞬で終わるポテチとかでよかったんじゃあないですか?
今ならまだ変更が――
「うむ! 決まりだな。我の罰ゲームは、そのロリポップを、この中にいる誰かに、しっかりと食べきらせるで!」
ああああー……終わった。
釘を刺された。
確定した未来は……もう変えられない。
アトラクターフィールドの収束だ。
「で、誰にするんだ? 上田さんはその飴を、一体誰に食べさせるんだ?」
「決まっておろう」
不敵な笑みを浮かべると、上田さんがびしっと俺を指さす。
「夏木京矢! 貴様だ!」
「俺!? なんで!?」
「特に意味はない!」
アトラクターフィールドの収束だあああ……。
「では、さっそくやるか」
上田さんはモールを取り、かぶさっていたビニールを外すと、俺の隣に腰を下ろす。
そして表裏と、まるで飴の大きさを確認するように見てから、小首を傾げて言う。
「ほら、体をこちらに向けるのだ。あーんができぬではないか」
「お、おう。……分かった」
俺はつないでいた一華の手を離すと、上田さんに正対する。
するとそこには、当然といえば当然なのだが、ロリポップを手に持った、上田さんの姿がある。
赤髪姫カットの、白人美少女。
水色のかわいらしいワンピースに、手にはロリの象徴とも言えるロリポップ――。
童話の世界だと思った。
童話の世界から飛び出してきた、無垢で純粋な、白人美少女だと思った。
無論現実は、純粋のじゅの字もない、腹黒美少女であるが。
「なにを顔をそらしている。いくぞ」
「お……おう」
「では、あーんだ」
「「あーん」」
ずぼっと、円形の飴が、容赦なく俺の口に入ってくる。
――で、でけえ……。
思ったよりこの飴、でけえ……。
「どうだ? うまいか?」
「ぶばいどいぶが、あべがでがずぎで……」
「ん? なんと言った?」
とか聞きながらも、上田さんが飴を左右にぐりぐりと動かす。
――いてえ!
いてえいてえ!
歯……歯が折れる!
「ちょっ、ちょっとストーップ!」
身を引いて飴を口から出すと、俺は手を突き出すようにして上田さんを制止する。
「どうした? 我は、なにか間違えたか?」
「その飴、でかすぎるから! あごが外れるかと思った! マジで!」
「ふむ。そうか。しかしどうする。割るのはもったいない気もするし……」
そうだ! と声を上げると、なにを思ったのか上田さんは、俺のつばでぬめぬめのてかてかになった飴を、自分の口へと持ってゆき、舌を使い、ぺろぺろとなめ始める。
「え? ちょ、なにを……」
「なにって」
不思議そうな顔をして答える。
「飴をなめて、小さくしているのだ。食べさせてあげるということは、相手に対してそれに相応しい状況を作ってやるのもまた仕事であろう。例えば熱いお粥を、ふうふうと冷ましてから口に運んでやるのと同じように」
筋は通っている。
でもだからって、俺の唾液でべったべたになった飴を、ぺろぺろするのはなんか違くねえか?
「なかなか小さくならんな。これではいくら時間があっても足りない」
ぶつぶつと独り言を言うと、上田さんは棒の部分を両手で持ち、飴をずっぽりと自分の口の中に入れて、上下に、というか前後に、勢いよく動かし始める。
――ジュポ ジュポ ジュポ ジュポ ジュポ ジュポ ジュポ ジュポ。
リビングに響き渡る、上田さんの飴をなめる音。
俺の粘液がべったりとついた、硬い棒の先についた丸い部分をジュポジュポとなめる、白人美少女上田さん。
そう、彼女はあくまでも飴をなめているのだ。飴をなめているのだ。
とても大切なことなので二回言いました。
「うむ。だいぶ小さくなったな」
飴を引き抜くと、まだつばが残っていたのか、つーと糸を引いて、上田さんのあごにたれる。
上田さんはあごにたれた自分のつばを手の甲で拭うと、今度は彼女の唾液でベタベタになった飴を、俺にぐっと差し出してくる。
――うっ、うっわー!
これなめていいの?
本当になめていいの?
このまま真空パックにして、メルカリとかに出品した方がいいんじゃねえの?
「なにをしている。早くなめるのだ」
「え? あっ、ちょっ、ちょっとま――」
否応なく、上田さんが飴を突っ込んでくる。
な、なんか……あったけえ……。
そんでもってさっきよりも甘く感じる。
「どうだ? うまいか?」
声を出せなかったので、頷いて答える。
「そうかそうか。ほらもっと口の奥に」
え? 口の奥って……。
「くぁwせdrftgyふじこlp!!」
「おお……わるい。入れすぎたか?」
「はあ……はあ……」
あ、危ねえ。
……吐くかと思った。
また上田さんにぶっかけてしまうところだった。
「ではもう少し手前だ」
上田さんが飴を手前に引く。
すると勢いが強かったのか、前歯に当たりがちっと嫌な音が鳴る。
――い、いてえ!
マジでいってえ!
もう勘弁してくれ!
「ちょっ! 上田さんへったくそ! マジでへた!」
俺の歯に衣着せぬ物言いに、上田さんがむすっとする。
「我だって、夏木京矢を思い、一生懸命にやっているのだ。そんな言い方はないであろう」
「一生懸命は、誰だってできるだろ。そうじゃなくって、力かげん。上田さんは力みすぎなんだよ」
「そこまで言うなら、夏木京矢は飴を食べさせるのが大層うまいのだろうな」
「ああ。超うまいね」
やったことねえけど。
「では我にやってみるのだ。それを手本にしようではないか」
「任せとけ」
上田さんから、俺と上田さんの唾液でべたべたになった飴を受け取ると、体感をぶれさせないためにも、俺は片方の手で上田さんの肩をつかみ、ゆっくりと慎重に、上田さんの口へと飴を持ってゆく。
もう少しで上田さんの口に飴が届く――そんな絶妙なタイミングで、音もなく立ち上がった一華が、俺たちに向けて言う。
「……時間かかりそうだから、私……お茶淹れてくる」
「お、おう。ありがとう」
手を止めると、俺は一華に応える。
「すまぬな。砂糖で口の中がべたべたするので、温かいものは本当に助かる」
上田さんも、立ち去る一華の背中へと向けて、感謝の言葉を投げかける。
ばたんとドアが閉まると、さっそくレッスン再開だ。
俺が飴のなめさせ方ってもんを、教えてやんよ。
「じゃあ、いくぞ。口……開いて」
「うむ。こうか?」
上田さんが、無防備にも俺に対して大きく口を開く。
なんとなく、人の口の中をのぞくことってあんまりないよなあと思った俺は、興味本位で、上田さんの口の中を観察する。
ピンクの舌に、同じく健康的なピンクの歯茎。
形のいい歯には光沢があり、ムーンストーンのように真っ白で、また同時に美しい。そもそもこの世に、歯の黄ばみなんてものは存在しないと、そう勘違いさせられてしまうほどに。
当然だが、上田さんの口内は粘液で湿っている。
上田さんの粘液に直接手で触れるなんて、神の許しがない限りは叶わないが、おそらくは温かくて、ほんのりとえも言われぬ香りがするのだろう。
ん?
別に匂いぐらいならいいのか?
いいよね?
減るもんでもないし。
俺はそっと上田さんの口に鼻を近づけると、音を立ててくんかくんかする。
「夏木京矢よ」
「ん?」
「貴様は一体全体なにをしている?」
銀座カリー美味すぎ問題。