第168話 真夜中のカーニバル2-13
「こう見えても、我だっておなごであるぞ。人並みに恐怖を感じることだって……もちろんある」
「――ご、ごめん!」
俺は急いで上田さんの胸ぐらから手を離すと、混乱した頭を落ち着けるためにも、立ち上がり、くるくるくるくると円を描くように歩き回る。
ど、どうして俺はあんなことを。
一体俺はなにを考えていた。
一体なにを……。
席に戻り、上田さんに正対すると、俺はもう一度、今度は反射的にではなくて、心の底から謝罪の言葉を口にする。
「上田さん。本当に申しわけない。本当にごめん。なんか、頭がごちゃごちゃで、色々交じって、ついやっちゃったっていうか……。本当にごめん」
「まあよい。夏木京矢が、真実心から謝っているのは伝わるからな。それに、わざとではないのだろ?」
「もちろん。そんなわけない。守ることはあっても、襲うなんて絶対にあり得ない」
「ならばこの話はこれでおしまいだ。それに……」
胸元の外れたボタンをしめ直しつつも、上田さんが呟くように言う。
「色々分かったしな」
なにが? とは思ったが、俺は聞かなかった。
聞くという行為は、どちらかといえば詰め寄るの感覚に近くて、相手に負担を強いる嫌いが強いのではないかと、思うではなく思ったから。
今はもうこれ以上は、上田さんに負担をかけたくない。かけてはいけない。
「して、夏木京矢の連続四回負けだ。くじを、引いてもらうぞ」
「もちろん」
俺は床に落ちた一膳の箸を拾い上げると、上田さんが持った袋の中に手を突っ込み、くじを引く。
「罰ゲームは、なんであった?」
「ちょっと待って。今開けるから」
深呼吸をする俺の腕に、一華が絡んでくる。
一華は腕にぎゅっと顔を当ててから、不安そうに俺の手に持たれたくじへと視線を送る。
「一華……あんまりくっつくなよ」
「いや!」
「でもほら……皆いるし」
「きょ、京矢……私のこと、き、嫌い?」
「そんなわけないだろ。なに言ってんだよ」
「じゃあじゃあ……い……言って」
「なにを?」
「あの……その……わ、わたしのこと……どう思ってるか」
「す、好きに決まってんだろ。大好きだ。んったく……わざわざ言わせんなよ」
顔をそらした俺は、ぽりぽりと頬をかく。トレンディードラマの主人公みたいに。
「きょ、きょうや……」
ふと上田さんを見ると、手で八を示している。
八? 八ってなんだ?
……まあいっか。
それよりも、今は早く罰ゲームを確認しないと。
――ブラッシング
書かれた文字に、俺は一瞬首をひねる。
罰ゲームの指示に、単語をぽつーんと書かれても、意味が分からない。
「ええと、これって一体誰が? ちょっと意味が分からないんだけれど」
「そ、それ……私」
腕に抱きついた一華が、囁き声で言う。
なんだ一華か。
確かに、よく考えてみれば一華っぽいかも。
一言ってところとか、なんだか女の子っぽいところとか。
かわいい。あとかわいい。かわいい。
「で、これって一体どんな罰ゲームなんだ?」
「ブ、ブラッシングをするの」
「は?」
「だ、だから! 引いた人はこの中から誰か一人を選んで、ブラッシング……するの」
ああ、そういうことね。
確かに奉仕をするという意味では、罰ゲームだ。
「そ、それで……だ、誰にする?」
不安そうに顔を落として、一華が聞く。
「なにそれわざと聞いてんの? 一華に決まってんだろ」
「ふわーっ。きょ……きょうやー……」
「まあ、そうなるだろうな」
腕を組んで、うんうんと頷いた上田さんが、識さんに指示を出す。
「なにをしておる識日和メイドよ。二階の我の部屋にヘアブラシがある。すぐにいって取ってくるのだ」
「分かったにゃー。……うう。京矢のブラッシングー……」
識さんが持ってきたヘアブラシは、取手の部分が木でできた、高級感のある逸品だった。
ブラシの部分は、おそらくは動物の毛が使われているのだろう。細いが、でもしっかりとしていて、髪の埃を余すことなく取ってくれそうだ。なによりもプラスチックと違って、頭皮や髪を痛めなさそうなところがいい。
おや? よく見たらブラシのところに、赤い毛が絡みついているぞ。
多分……というか間違いなく、上田さんの髪だろうな。
普段はこれを使い、朝晩と、髪をとかしているのだろうし。
気がつけば、俺は上田さんのヘアブラシをくんかくんかしていた。
――くんかくんかすーはーすーはー……うん。甘い匂いがするような気がする。よく分からんけど、そんな気がする。
というかヘアブラシじゃあなくても、美少女ってだけで、風呂に一週間ほど入っていなくても、いい匂いだなーって言っちゃうような気がする。
あれ?
俺ちょっとキモすぎか?
まあいっか。
男なんて大体そんなもんだと思うし。
「して、感想は?」
「感想?」
くんかくんか。
「なんの?」
くんかくんか。
「我のブラシのにおいの感想だ」
「ああ」
くんかくんか。
「うん。すごくいい匂いがすると思うよ」
「そう……なんだ」
音もなく近づいた一華が、上田さんのヘアブラシを、俺の手から取る。
そして俺と同じように軽く嗅いで、まるで使い心地を試すように二三度自分の髪に通してから、今一度俺の手に戻す。
「じゃあ、そろそろやるか」
「う、うん。お願い……」
前で手をもじもじと絡ませてから、一華がこくりと小さく頷く。
「や、優しくして……ね」
「お、おう。任せろ」