第167話 真夜中のカーニバル2-12
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気を失っていたのだろう。
目を覚ますと男は、手術台の上に寝かされていた。
周囲へと視線を巡らせる男。
そんな男の視界を表すように、ホルマリン漬けにされたなんらかの臓器、医療器具、血だらけになった手術衣が、ワンカットワンカット映し出される。
はあはあと、徐々に息が上がり始める。
焦りが体中に渦巻いているのか、額には玉のような汗が浮かび始める。
とにかく逃げなくては。男はそう思い立ち上がろうと上体を起こそうとするが――ジャラリ。
硬い、金属音と共に、それ以上の行動を抑制されてしまう。
男は、無骨な鉄の鎖により、完全に拘束されていた。
『なんだ、もう目覚めたのか』。ドアの向こうから現れた白人メイドが言う。
『どうする? 麻酔、もうないんだけど』。同じく現れたやんちゃなメイドが、気だるそうに首をこきこきする。
男が声を荒らげるが、どうしようもない。
むしろ絶対的優位にいる者に対して声を荒らげるなど、愚の骨頂のようにも思える。
『ええと、なんだっけ? あんたの恋人。ハナだっけ?』
メイドの言葉に、男は一瞬息が止まる。
『会いたい? 会いたいよね? 会わせてあげよっか?』
メイドは部屋を隔てるビニールのカーテンへと近づく。
『はい! どうぞ』
カーテンを開けると、そこには同じく手術台の上に寝かされた、ハナの姿があった。
首から上のない、ハナの姿が。
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「があああああああああ! もうやめてくれえええええええ!!」
頭をかきむしると、俺は一華の腰の部分に抱きつき、顔を埋めてぼろぼろと涙を流す。
一華はそんな俺を抱きしめると、まるで女神のように、優しく背中をさする。
――無理だ!
怖いのは平気だが、大切な人が死んでしまうのだけはマジで無理だ! たえられない!
精神がおかしくなりそうだ!
うわあああああああ!
「ふむ。どうやら怖いという感情の在り方は、人によって様々であるようだな」
冷静に分析すんな!
ハゲるぞ!
俺ハゲ散らかすぞ!
「まあ、夏木京矢はあと一回、罰ゲームを免除する権利を持っている。続けるぞ」
鬼か!?
俺は俺の彼女に抱きついたままで、スクリーンへと顔を向ける。
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絶望に、男はただただ叫びまくる。
やんちゃなメイドは、指で髪をくるくるしながらも、きゃはははと、細くて高い笑い声を上げる。
白人メイドは、不敵な笑みを浮かべつつも、血のついたメスをぺろりとなめる。
どうしてこんなことを――!? 男の疑問に答えたのは、メスをなめ続ける、白人メイドの方だった。
当時この館には、郁田夫妻が住んでいた。
郁田源次郎は科学者で、体は脳よりも早く老化するという独自の研究結果から、脳を受け入れる器さえ準備できれば、脳を入れ替えることにより、精神を延命することができると考えた。
そんなある日、妻である佳子が病床に伏した。
ガンだった。
病魔は確実に佳子の体を蝕み、やがては命を奪った。
悲しみに暮れる源次郎が取った行動は、はたから見れば常軌を逸したものだっただろう。
なんと彼は、妻の遺体の頭部から脳を取り出して、来たるべき日に備えて、保存したのだ。
とはいえ、源次郎もそれほど若くはない。
潤沢に時間が残されているとは到底言い難い。
その後彼は、寝る間も惜しんで、研究に明け暮れた。
動物実験に成功したのは、それから数十年後のことだった。
しかし残念ながらその頃の源次郎に、器になる若い人間の体を二体用意する体力は残っていなかった。
彼は養子として引き取った二人の女の子に言った。自分の脳を保管してくれ。そして訪れた客人に親切にして、その代償として体を奪えと。
全ては、若くて健康的な体が狙いだったのだ。
そのためだけに、ハナは殺されて、男はこれから殺されようとしている。
男は叫ぶ。だったらなんでハナの首を落としたんだ!? 体を使わないなら、殺す必要なんてなかっただろ! と。
『それはだな、拒絶反応が出てしまったからだよ。タクロリムスの連用は、肉体にとって致命的になり得るから、避けるべきだと、郁田源次郎はそう言っていた』
だったら……ハナは殺され損じゃあないか。
滂沱のごとく涙を流しながらも、男はハナのことを思い出す。
高校の校舎で初めてハナを見たあの日。
大学に進学して、一緒にキャンパスライフを送ったあの日々。
社会人になり、同棲を初めて、二人で支え合った、あの平和な日常――
男は後悔する。
ハイキングに誘わなければよかったと。
同棲など始めなければよかったと。
別の大学にいけばよかったと。
あの日高校で……出会わなければよかった……と。
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「もうやめてくれええええええええええええ! うわああああああ! オエエエエッ!」
叫ぶと俺は、まるで狂ったように、一華の腹にぐりぐりと頭をこすりつける。
「そんなこと言わないでくれ! 出会わなければよかったなんて言わないでくれ! 一華がいなかったら俺は……俺は――」
「きょ……きょうや……」
「い、一華……」
そっと顔を上げると、俺は一華を見上げる。
目が合う。
一華の瞳が、どこかぼんやりとしているように見える。
「わ、わたし……いるよ? こ、ここに……いるよ? ずっとずっと京矢と一緒……ずっと、一緒。ずーっと……」
罰ゲームの免除の権利があるので、今回も俺はくじを引かなかった。
とはいえ、これで免除の権利はゼロだ。
次にもしも悲鳴を上げてしまったならば、世にも恐ろしいくじを、やはり引かなければならないのだろう。
……恐ろしや恐ろしや。
俺は俺の髪を撫でる彼女の手の温もりを感じながらも、涙に霞む目を、再びスクリーンへと向ける。
辛すぎる虚構の映る、その銀幕の世界へと。
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『ハナの体は、もういらぬ。用無しだ』。白人メイドはそう言うと、口元にうっすらと笑みを浮かべて、持っていたメスをくるりと下向きに持つ。
そして、『こやつは本当に役に立たなかったな。役立たず……役立たず……役立たず……』と大きな声で言いながらも、何度も、何度も何度も何度も、執拗にハナの体をぶすぶすと突き刺す。
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あああああぁぁぁぁあああぁぁぁー……やめてくれえええええ……やめてくれえええぇぇぇー……。
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『汚物は、やはり消毒せねばならんな』
一体なにをするのだろう。
男は涙と鼻水でべたべたになった顔をなんとか上げて、白人メイドにより運ばれてゆくハナの遺体を目で追う。
そこには、ダストボックスを思わせる、分厚い鉄の扉があった。
いや、正確にはダストボックスではない。
焼却炉の扉……それだ。
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ああああーあああーあああああぁー……やめてくれえええ……ああー……。
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白人メイドが鉄の扉を開けると、中の様子として、スクリーンいっぱいに炎の映像が映る。
続いて白人メイドの顔、続いてハルとの記憶……
炎……
白人メイドの顔……
ハルとの記憶……
炎……
アップになった白人メイドの顔……
ハルの笑顔――
『さよならなのだ』
悪魔のような満面の笑みを浮かべると、白人メイドは、間髪を容れずに、ハルの遺体を焼却炉の中に放り込む。
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「くぁwせdrftgyふじこlp!!」
うわああああああぁぁぁぁっ!
焼くぐらいなら俺にくれええええ!
食べたい!
せめて食べることにより、一緒になりたい!
がああががああがあああががあががー……。
「はあ……はあ……はあ……はあ……」
呼吸を繰り返す俺。
「…………」
そんな俺を優しく抱きしめて、背中をさする一華。
言葉なんかいらない。
言葉なんかなくても、肌を通して、触れ合うことにより、気持ちは伝わっているから。
そう、俺と一華は、心と心で、強く強く結びついているのだ!
「なにをしている?」
箸と袋を差し出しながらも、白人メイド(・・・・・)が言う。
「『さっさと引かぬか。この役立たずめ(・・・・・)』」
「きっさまあああああああ! よくも一華を!!」
大きな声を上げると、俺は白人メイドの胸ぐらをつかみ、そのまま押し倒す。
「許さねえ! 許さねえ! 許さねえ! 許さねえ!」
「夏木京矢よ」
「許さ――」
「夏木京矢よ……我を犯したいのか?」
「はあ……はあ……」
何度か肩で息をしてから、俺は数瞬目を閉じる。
そしてもう一度開けて、目の前にいる人物を確認する。
サラリとした赤の姫カットに、白人特有の透き通るような白い肌。
瞳は深くて壮麗なグリーンで、プロジェクタの光を反射して、まるで星を散りばめた水面のようにキラキラと輝いている。
上田しおんだ。
ふと、教室にいる彼女の姿が思い浮かぶ。
開いた窓から吹き込む、初夏の風に髪をなびかせる、そんな日常の中の彼女の姿が。
雨と湿気のせいか、自転車のハンドルがグチュグチュのベットベト。オエエエエ