第162話 真夜中のカーニバル2-7
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部屋に戻ると、男はベッドに腰を下ろして、溜息をついた。
先ほどまで女が寝ていた辺りをそっと撫でるが、すでに温もりは失われて、冷たくなってしまっている。
メイドに言われた通り、このまま朝まで寝てしまおうか。
男は倦怠感の漂う表情を浮かべると、ベッドに倒れ込み、そっと目を閉じる。
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……しかし。
そんなキャストを見つめながらも、俺は改めて思う。
この俳優、やっぱり俺に似てね?
かっこいいとか男前とかそういうことじゃなくって、なんというか、全体的な雰囲気が。
うん。やっぱり似ているわ。
なんかそう思ったらよけいに、俺自身にしか見えなくなってきたぞ。
主人公の男が目を閉じた演出なのか、画面が真っ暗になる。
そしてかすかにカチャカチャと、スピーカーから金属の当たるような音が聞こえ始める。
え?
なに?
なんの音だ?
……ベルトを外す音?
予感は的中した。
男はベルトを外してズボンを下ろすと、ベッドに体を横たえたままの状態で、下半身のナニをいじり始めた。
――ちょっ……ちょっちょっちょっ……。
スクリーンの中で男は、「ん……ん……ん……」とかキモい声を漏らしている。
体を小刻みに揺らしながらも。
これってオナニーだろ?
なにしてんのこのバカ。
おい……マジでやめろ!
お前は俺に似ているんだから、頼むから最後までイかないでくれ……!
男の顔のアップ。アップからの賢者顔。
男は吐息を漏らしつつも、女の名前を呟く。
――『ハナ』と。
「うわあああああああああああああああああああああ! やめてくれええええええ!!」
立ち上がると、俺は頭をがしがししながらも叫び声を上げる。
なんでよりにもよってヒロインの名前が『ハナ』なんだよ!
読みは違うけれど一華の『華』を連想しちまうに決まっているだろうがあああ!
というかドラペのアカウント名は『ハナ』で、完全に一致だしいいい!
しかもヒロインの雰囲気、一華に超似ているしいいい!
つかなんでこのタイミングでヒロインの名前が明かされるんだ??
マジで最悪だろうがよおおおおお!
「ふむ。夏木京矢よ」
上田さんの呼びかけに、俺は頭をかきむしったままの状態で、そっと顔を向ける。
「上げたな、悲鳴」
……あっ。
「そして識日和メイドよ」
上田さんは識さんにも呼びかけると、悪魔のような笑みを浮かべる。
「決まったな、罰ゲーム」
「……へ?」
識さんは、一体全体なにが起こったのか分からないといった、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしつつも、上田さんに聞く。
「罰ゲーム?」
「自慰だ」
「ジイ?」
「オナニーだ」
「…………」
じわーっと、目に涙が浮かび、ぼたぼたとスカートの上にこぼれる。
自分でも気づいていないのか、涙は流しっぱなしにされている。
うわあ……マジ泣きだ。
これってちょっと、まずくね?
このあと一体どうなるのかなと息を呑んだが、識さんの逆ギレにより、気まずい空気が、なぜか多少は、通常のものに戻ってくる。
「や、ややや、やるかー!!」
猫耳を取ると、床に叩きつける。
「私絶対にやんないし! やるわけがないし! ていうかやんないし!」
「識日和メイドよ、でかい声を出しても一緒であるぞ」
「うるさいし! 私、絶対にやんないから! 文句ある? ないよね!? 文句があるっつんなら、もう私絶交でいいから。ていうか帰るし!」
やれやれといった風に顔を横に振ると、上田さんが識さんの手を取り、ソファに座らせる。
そして涙でべたべたになった目元を手で優しく拭うと、まるで子供をあやすような声音で、言う。
「別に我々の前で自慰行為をしろとまでは言わんよ。当たり前であろう」
嘘だッッ!!
じゃあどうしてさっき罰ゲームが決まったと悪魔のような微笑みを浮かべながらも言ったのかな? かな?
「例えば登場人物が人を殺したら、罰ゲームだから同じように人を殺せとは言えんだろ。それと同じだ。ある程度のラインはある。そうであろう?」
「ま、まあ……そりゃー」
「とはいえ、なにもしないというわけにはいかんだろうな。前例を作ってしまっては、今後の罰ゲーム自体、意味のないものになってしまうやもしれぬから。それも分かるな?」
頷いて返事をする。
「そうだな……では我の言うことをなんでも一つ聞いてもらうというのでどうだ?」
「言うことを?」
「そうだ。先日夏木京矢に、我の言うことを三つ、なんでも聞くという条件を出したであろう。あれの一つバージョンと考えてもらって構わない」
「ああ、そういうこと。……まあ、一つなら」
「決まりだな。では識日和の罰ゲームは、とりあえずはこれにて終了だ」
え? いいの?
それでいいの?
なんでもだよ?
場合によっては皆の前でオナニーをしろよりもおぞましい命令が下るかもしれないんだよ?
相手はあの傍若無人を絵に書いたような上田閣下だよ?
よーく考えてから返事をした方がよかったんじゃあないかな。
……まあ、お願いがあと二つも残っている俺が言うのもなんだけれど。
「して、次は夏木京矢だ」
上田さんが、くじの入った袋を俺へと突き出す。
「不正の前例がある。一応貴様も箸でくじを引くのだぞ」
「お、おう。……分かった」
俺は箸を手に取ると、袋の中に突っ込んで、軽くかき回す。
そしてくじを一つつまむと、落とさないようにゆっくりと、袋から取り出す。
さて、一体なにが書かれているのか……。
俺は緊張に胸をどきどきさせつつも、小さく折られた紙片を、一つひとつ開いてゆく。
――牛乳一気飲み
……こ、これは、俺が書いたやつ。
一華のためを思い、かなり難易度を下げて書いたから、罰ゲームの中でも、かなりイージーな部類に入るはずだ。
まさか一華を助けるためと思って書いたくじで、自分が救われるとは……いいことって、するもんだね!
「これを書いたのは誰だ?」
くじを一瞥した上田さんが、どこか倦怠感の漂う口調で聞く。
「あ、俺だけど」
「つまらぬ!」
ええええー……。
「こんなありきたりな罰ゲームしか書けぬようでは、十年後……せいぜいどこかの会社の課長ってのが関の山だぞ!」
それどこかの誰かが同じようなことを言っていたけれど、二十代後半で課長って、普通に結構すごくないっすか!?
「でもまあ、罰ゲームは罰ゲームだ。しかとやってもらおうか」
「お、おう。でも牛乳ってある?」
「はて、どうだったか。いつもであればストックしてあるのだが……」
腕と脚を組むと、上田さんは直接床に座る識さんへと、視線を送る。
「識日和メイドよ」
「は、はいにゃー」
首を傾げた上田さんが、招き猫のように手をくいっとする。
やれ……という意味なのだろう。
識さんは悔しそうに口の奥で歯を噛みしめると、無理やりな笑顔を浮かべつつも、その豊満な胸の前辺りで、かわいらしくも猫の手をする。
「ご主人さま、なんでしょうかにゃー」
「冷蔵庫の中に牛乳があるか見てくるのだ。あったら持ってきてくれ」
あと、と言い、床に転がる、叩きつけた際に片方の耳が曲がってしまった猫耳を、ヒ・ロ・エとでも言わんばかりに、ちょんちょんちょんと三度指をさす。
「承知ですにゃー。すぐにいってくるにゃー」
識さんは猫耳を拾い頭につけると、お尻についた黒のしっぽを左右に振りながらも、軽快にリビングから出てゆく。
その様は、もう完全に某電気街とかにいそうな猫耳メイドだ。
ハイカースト・ハイステータスで、クラスの誰からも羨望の眼差しを受ける彼女の姿は、今や見る影もない。
……なんか、すみません。俺のせいで。
でも、その曲がってたれ耳になった猫耳が、しゅんとした感情を如実に表しているようで、よりかわいいんすよマジでマジで大マジで。
あの花で号泣してからはや十年かー