第158話 真夜中のカーニバル2-3
物語が大きく動き始めたのは、その日の夜からだった。
不可解なできごとが、二人を襲い始めたのだ。
初めは、些細な物音から始まった。
誰かの歩く足音。
誰かの立てる、気味の悪い笑い声。
女は、そんな音を聞くたびに、悲鳴を上げて、男に抱きつき、ある時は布団に潜り込んだ。
早くここを辞去しなければ、彼女の心が持たない。
とはいえ嵐は一向に収まる気配がない。
焦る男に、衰弱してゆく女。
そうこうするうちにも、四日目の夜を迎える。
ようやく眠った女の傍らで、めちゃくちゃになった部屋を片付ける、男の様子が映り込む。
おそらくは女がヒステリーでも起こしたのだろう。
女の髪が乱れており、頬に涙の伝った跡があることからも、間違いないはずだ。
見える範囲を片付け終えて、最後に家具の下になにか物が入り込んでいないかとのぞいた時に、男はそこにある物を見つける。
――色あせた写真だ。
写真は夫婦の写真のようで、館の前で手をつないで、笑顔でこちらを見つめている。
男の方は、もしかしたら医者か研究者、そんな類の人なのかもしれない。
白衣を着ているし、はやした口ひげが、フィクションにおいては、なんとなくそれと示す記号のようにも見えたから。
幸せそうな二人の笑顔に、思わずにっこりとする男。
しかしその笑顔も、写真の裏に見つけた年号を見るや否や、嘘のように消えてしまう。
――1940 07 02 郁田源次郎・佳子 別荘の前にて
戦前だ。
四十年代でこの歳ならば、今は一体いくつだ?
というか、生きてはいないだろう。
ということはこの館の前の持ち主か?
いやでも……。
エントランスの肖像画の映像が、男の意識としてカットインする。
写真に映る人物と飾られた肖像画は同一人物。
所有者が変わったならば、普通他人の肖像画なんて取り払ってしまうものではないのか?
困惑する男は、ふと顔を上げる。
……聞こえるのだ。
カシャ……カシャ……という、金属が当たるような、気味の悪い足音が。
確かめないと……。
勇気を振り絞り、男はそっと、暗闇が蔓延る廊下へと、足を踏み出す。
カシャ……カシャ……。
闇の向こうから聞こえる、足音。
カシャ……カシャ……。
その音は、廊下を進めば進むほど、徐々に大きくなってゆく。
カシャ……カシャ……。
そして長い、一本道の廊下にたどり着いたその時、ちょうど向かい側、廊下の端に、時折雷光に照らされる甲胄が、浮かび上がった。
男は思う。
あれはエントランスにあった甲胄の置物。
……どうしてこんな所に置いてあるのだろう。
しかもまるで行く手を阻むように、廊下の真ん中に……。
カシャ……。
え? という男の戸惑いの声。
同時に、甲胄が腕を振り、全速力で男へと向かい走り出す。
「いやあああああああああ!!」
うおおおおおおおお!!
突然の一華の叫びに、またもや俺は心の中で叫び声を上げてしまう。
「いや……もう……いや……怖い…………」
がっつり俺に抱きついた一華が、俺の胸に顔を埋めながらも泣きそうな声で言う。
「まったく。いいところであったのに」
溜息をついた上田さんが、そんな一華の気持ちなどいざ知らずといったていでやれやれと首を横に振る。
「いいところでそう毎回叫ばれては、興ざめしてしまうではないか」
「でも……でも!」
「そうだ、こうしよう」
口元ににっこりと笑みを浮かべた上田さんが、紙とペンを手に取りなにかを書き始める。
一体なにを書いているのだろうか。
気になった俺は、一華の頭をなでなでしながらも、目だけで、確認してみる。
・次映画を再生して、登場人物が一番初めにしたことと同じことをする
・風呂で背中を流す
・キスをする
「うむ。まあこんなところだな」
「ええと……なにそれ?」
嫌な予感を胸に、俺は一応聞く。
正直、大体の予想はついたけれど。
「なにって、分かっているくせにわざわざ聞くでない。罰ゲームだ。一度悲鳴を上げるごとに、小笠原一華には、手前から順番にやっていってもらう」
「ふえ!?」
どうやら一華は、マジで分かっていなかったようだ。
突然話を振られて、紙を手に取り、食い入るように見る。
「み、みみみ、三つ目……。キスって……誰と?」
「誰でもよい。ここにいる誰かとだ。好きな人で構わんぞ」
「好きな人って……そ、それ、実質、告白……」
ぼふんと頭から湯気を立ち上らせると、一華はその場にへなへなとへたり込んでしまう。
「ふうん……キスか」
一華が落とした紙を識さんが拾い上げると、なにを思ったのかにっこりと笑みを浮かべて、俺へと向けて紙をひらひらする。
「なんていうか、面白そうじゃね?」
「面白そうっていうか……」
どちらかというとリア充の悪ノリじゃね?
「ふむ。つまりそれは、我々も参加という意味であるな? 識日和よ」
上田さんが、識さんの遠回しな提案にのっかる。
「まあ、そんな感じ? ていうか、一華一人だけってのは、フェアじゃないし」
「決まりだな。ではさらにゲームを盛り上げるために、こうしようではないか」
言うと上田さんは、何度か紙に折り目をつけて、命令文一つひとつを長方形に切り取り、小さく折りたたんでから、先ほど俺がコンビニにて購入した白いビニール袋に入れた。
そして口の部分を握り、シャカシャカポテトよろしく上下に軽く振ると、俺たちに向かい不敵というか悪巧みに心躍る子供のような笑顔を見せた。
「ま、まさか、くじ引き方式?」
悪ノリだ……と思いつつも、俺は聞く。
「いかにも。故に、貴様たちにも三つ」
指を三本立てて、ピースマークの逆位置を作る。
「命令文を書いて、この中に投入してもらう」
「わ、分かったし」
ごくりと喉を鳴らした識さんが、その挑戦受けて立つとでも言わんばかりに、にいっと白い歯を噛みしめる。
「それと、もう一つ」
中指と薬指の二本を下ろして、鬼ただ! みたいな手にする。
「貴様たちには、己が書いた命令文を、他の人に見せないように、袋の中に投入してもらう」
「面白いじゃん。誰がなにを書いたか分からないから、ドキドキが増幅される……みたいな感じっしょ?」
「うむ。いかにも。我が書いた命令文については、すでに見られてしまってはいるが……まあいいだろう。今さら書き直すのも面倒であるしな」
「決まり決まり! じゃあ京矢も一華も書く書く」
最寄りのスーパーからお気に入りの南部せんべいが消えた…。ショック。