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第149話 そろそろ終焉の展望を

「可能性……」


 可能性は、言い換えれば希望だ。

 希望は、人にもう一歩を踏み出させる、儚いが強大なパワーになる。

 そしてそんな希望をこの場に引き寄せてくれたのが、他でもない識さんだ。

 識さんが気づき、その気づきに信憑性があると、俺たちに示してくれたから。


 そもそも今日ここにいた一年三組の生徒は、三組に所属しているにもかかわらず、識さん以外は誰もグループラインに入っていなかった。細谷は知らんけれど、まあパソコンオタクだし、多分入っていないだろう。

 つまり識さんがいなかったなら、さらに言えば今日の午前に池の脇のベンチで偶然にも識さんに出会わなかったなら、くるみが家出を決意しただろう金曜日の夜から、純がラインから姿を消したという事実に、どうやってもたどり着くことなんてできなかったのだ。


 識さん……。


 ソファから立ち上がると、俺は次から次へと溢れてくる感情を胸に、一歩、また一歩と、識さんへと近づく。


 コミュニケーションお化けの識さん……。


 識さんの前にたどり着くと、俺は隣に腰を下ろして、彼女の瞳をのぞき込む。


「え? ちょっ……京矢?」


「識さん……」


「うん。なに?」


「識さん!」


 ――言いわけをさせてほしい。

 この時俺は、本当にただ、識さんに感謝を伝えようとだけ思っていた。

『ありがとう』――その一言に思いを込めて、識さんに贈るつもりだった。

 しかし同時に脳裏には、俺と一華は相思相愛とか、結婚式とか、先ほど上田さんが言った言葉が、そしてその後の一華とのやり取りが、映像、なによりも音声として、俺の頭の中でリプレイされて、目の前の状況と重なっていた。

 俺の思考が混線して、本来言おうとしていた言葉と、記憶の音声が、まるでスイッチがかちりかちりと切り替わるように、交互に、ある場合には同時に、俺の頭の中に響いたのはこのためだ。

 それはある種の思考のジャックであり、極端な言い方をしたならば、洗脳に近いものだっただろう。


 だからこそ、言いわけをさせてほしい。

 次の俺の発言は、失言ではあるが、決して冗談ではないと。

 決して――


「識さん! 好きだ! 結婚してくれえええー!」


 大きな声で言うと、俺はそのままがばっと、識さんに抱きついた。


 抱きつかれた識さんはというと、一瞬なにをされたのか分からないといった顔で呆然としてから、ほどなくして、顔を真っ赤にして俺を突き飛ばした。


「い、いてえ……」


「な、ななな、なにするし!」


「…………」


 俺に対してびしっと指をさす、そんな識さんをぽけーっと見上げる。


「と、突然抱きついてくるとか、あ……あり得ないし!」


「……あれ? 俺は今なにをした?」


「こっちだって、心の準備ってもんがあるっしょ??」


「お、俺は今、なにをしたんだあああー!?」


 立ち上がると頭を抱える。

 歯に衣着せぬ言い方をしたならば、完全にキチ●イだ。


「あれだ! あれ! さっき上田さんと一華が結婚結婚ってごちゃごちゃ言うもんだから、なんかこう高揚感とさっきの感情の焦りが変な具合に交ざり合っちゃったっていうか」


 見苦しすぎる俺の言いわけに、見るからにドン引きする識さん。

 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。

 セクハラで訴えられでもしたら、それこそ人生終了のお知らせだ。


 俺は、畳み掛ける。


「気がつけば言っちゃってたっていうか……そんな感じだ! そうだ! だから俺は悪くない!」


 というか識さんのこの反応、なんか新鮮じゃね?

 いつもならにやにやしながらおちょくってくるくせに。


 もしかして、ベクトルが逆だからか?

 いくのはいいけれど、こられるのは苦手とか?

 いやいやそんな古典的なははは……。


 立ち上がり、ポーズとして軽く尻をはたくと、俺は識さんに歩み寄り、隣に座る。

 そして膝に肘をつき、組んだ手の上に顔をのせると、今度は冷静に、感謝の気持ちを伝える。


「ごめん。でもこれだけは分かってほしい。識さんには本当に感謝をしているんだ。本当に、心の底から」


「わ……分かったし。もう、別にいいし」


 髪をくりくりしながらも、識さんが俺から顔をそらす。


「識さんがいなかったなら、俺は、いや俺たちは、もうなにもできずに、絶望に打ちひしがれていたと思う。ありがとう。本当にありがとうけっこん。あ、違う。ありがとう」


「うん。まあ……どういたしまして? でも……」


「でも?」


「ここからっしょ? ありがとうは、しっかりと成果につながってから」


 片目を閉じてウインクすると、俺の鼻頭に人差し指を当てて、弾くように軽く押す。


 色んな意味でびっくりした俺は、しばらくそんな識さんを見つめてから、気づいたように顔をそらす。


 この子…………いや、この女、マジでいい女じゃあねえかっ!


 俺には無理だ。高嶺の花にもほどがある……そう確信した俺は、失礼ながらも若干の前かがみの姿勢を取りつつも、のそのそとゴブリンみたいに、元の席へと退散する。


「してお二方よ」


 席についた俺と、隣に座る識さんへと順に視線を送ってから、上田さんが口を開く。


「いつ結婚するのだ?」


 ……え?

 まだその話するの?

 今区切りついたよね?


「し、しねーし。まあ、京矢がどうしてもって言――」


 識さんが言い終える前に、上田さんがはっはっはと笑い声を上げる。


「まあそうだろうな。あれでは伝わらぬであろうからな」


「あれって?」


 別に聞きたくなかったけど、会話の流れ上仕方なく俺は聞く。


「先ほどのプロポーズだ。あんな冗談みたいな雰囲気では、たとえ本気であったとしても、相手には伝わらんだろ」


 まあ、確かにそれは間違いないと思う。


「つまらぬ言い方かもしれぬが、人になにかを伝えたい時は、ルールや規範にのっとらねばならぬ。ましてやプロポーズ。本気の会話、本気の流れ、本気の状況、それらが揃わなければ、相手は冗談としか受け取れず、流れていってしまうであろう」


 ――本気の会話。

 ――本気の流れ。

 ――本気の状況。


 じゃあ、あの時はどうだっただろう。

 数年前、あの丘の上で、俺とくるみが結婚式ごっこをした、あの時は……。


 俺の気持ちを読んだのかもしれない。

 あるいは上田さんの思考に俺の考えが引っ張られたか。

 ……どちらでもいい。とにかく上田さんがくるみとの結婚式のことについて言及を始める。


「夏木くるみとの結婚式は、おそらくその全てがしっかりと揃っていたのであろう。だからこそ本気にしたし、本気にしてはいけないと気づいた今でさえ、その思いに引っ張られ、気持ちがかき乱されている。であるならば夏木京矢は、過去の結婚式に匹敵する本気の状況、本気の舞台で、婚約破棄を相手に伝えなければならない。それは分かるな?」


「うん……分かっている」


「ならばよろしい。この件がどのような形で終焉を迎えても、結局のところ夏木京矢は、夏木くるみの恋心に対して、終止符を打たねばならぬ。夏木くるみが……いや、二人が、前へと進むためにも」


 ……分かっている。


「もしもまだどのように伝えるべきか考えていないというのであれば、そろそろ、考えておくのだぞ。悔いが、残らぬように」


 分かっている。

 考えてある。

 なにをするかも。なにを言うかも。


 きっと、これをしたら、くるみはショックを受けるだろう。

 あるいは怒り、家での関係は以前よりも冷めてしまうかもしれない。


 でも……それでいいんだ。

 それが普通なんだ。

 それぐらいじゃなきゃだめなんだ。


 だから、俺はするよ。


 期待させて落とす……そんな荒療治を…………。

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