第144話 どん詰まり
太陽が沈むと、まるで一日の終りを告げるなんらかの装置のように、空の色が夜の色に染まった。
昼間、あれほどまでに鳴きまくっていたセミたちは、今はその鳴りを完全にひそめている。
その代わりといってはなんだが、現在その音の隙間を埋めているのが、秋をも思わせる、静かで穏やかな虫の協奏だ。
これは、上田さんの家が大きな公園のすぐ隣に位置しているからこその恩恵だろう。
住宅街の真ん中に建つ、俺の自宅ではこうはいかない。
あるいは上田さんの両親が、創作に適した環境を整えるために、わざとこの場所に住宅を購入したとも考えられなくはないが。
肌寒くなってきたのか、タブレットを操作していた一華が、両手で自分自身を抱くようにして、二の腕部分をさすった。
そんな一華を見た上田さんが、テーブルの上にのっていたエアコンのリモコンを手に取り、ピッという電子音を鳴らして、一度電源を落とした。
「だいぶ、涼しくなってきたのう」
返事はない。
今現在涼しくなったという事実は、ある程度時間が経過してしまったという証明でしかないから。
――結果が、なにもでないままに……。
「どうであろうか? ここでひとまず休息を挟むというのは。貴様らも相当に疲れているであろう。疲れは物事に対する意識を散漫にし、また感覚を鈍化させる。なによりも目線を狭窄させるのがよくない。狭まった視野は、気づきをなくし、様々なものを、ひいては見落としてはならない重要なものを、見落とす原因にもなりかねぬからな」
うん。
確かにそうだ。
上田さんはなにも間違っていない。
急がば回れと言う。
休むことも仕事のうちだとも言う。
つまりはそういうことだ。
なによりも今現在皆は、俺の……この俺のためだけに頑張ってくれている。無理をしてくれている。
確かに上田さんに関しては、俺が上田さんの願いを三つ聞くという等価交換的な感じでやってくれているのかもしれないが、一華と識さんはどうだ? ただただ友人を助ける、そんな献身的な思いでやってくれているのではないか? それはあるいはこの俺が、二人の俺に対する気持ちを利用しているとも言えないか?
おそらく一華と識さんは否定するだろう。
そんなんじゃあない。
助けたくてやっているだけだと。
しかし今現在俺が二人の時間を使わせていただいているというのは覆しようのない事実であり、だからこそ俺は、今後二人に対して、二人から受け取った分はもちろんのこと、それ以上を、人生を共にする限られた時間のどこかで返していかなければいけない……いや、返したいと、そう思うのだ。
たとえ今回の騒動が、どんな結果に終わろうとも。
「ありがとう……皆。上田さんの言う通り、休憩にしよう。腹へっただろ? ピザでも取る? 俺がおごるよ」
「ピザ、いいね」
ソファに寝そべり、スマホをいじっていた識さんが応える。
「私もうお腹ぺこぺこだし」
床に直接腰を下ろして、曲げた脚にタブレットを立てかけていた一華も、識さんと同じような反応を示す。
「ピザ。私ピザ大好き」
文頭に『わーい』ってつけてほしかったな。
なにとは言わないけれども。
「うむ。決まりだな。ではさっそく注文をしようぞ」
上田さんは腕を組んで鷹揚に頷くと、ピザ屋のホームページを開いて、さっそく注文の情報を打ち込み始めた。
ピザが届き、オプションでつけたコーラで乾杯をすると、俺たちはさっそく食べ始めた。
ピザはLLサイズが二枚だ。
本当はLサイズを一枚にする予定だったが、上田さんが見た目によらずに大食なので、注文の確定間際で変更を加えた。
というか皆普通に疲れているし、なんといっても俺たちはまだまだ若いので、余裕でぺろっと平らげてしまうことだろう。
サービスでチキンとポテトもついてきたのだが、おそらくはそれでも足りないぐらいだ。
一気に一枚目を食べ終えて、そろそろ二枚目に取りかかろうと蓋に手をかけたところで、冷たいお茶の入った透明でおしゃれなピッチャーを持った上田さんが、キッチンから戻ってきた。
「休憩中に悪いが、今後の作業について軽く打ち合わせをしないか?」
「そうだな。もう時間もないし……」
上田さんの提案に、俺は前向きな雰囲気を醸し出しつつも応えた。
しかし前向きな雰囲気は前面に出た表情の部分だけで、より精神に近しいだろう声音は、尻込み的に、明らかにトーンが下がってしまった。
「そう悲観するでない。もう時間がないというのは、裏を返せばまだ時間が残っているということであろう。しかも今やっている作業は、必ずしも物理的時間が必要という類の問題ではない。運、という要素が絡めば、あるいは一瞬にして解決できるやもしれぬ類の問題だ」
そうかもしれない。
とはいえ必要時間数と運は五分五分ってところか?
つまりは、ここまでくると、ある程度の時間と強烈な運……その二つがいる……。
「イラストや漫画の作画段階だと、もうどこまでも完全に時間の問題になってくるからな。ペン入れ三十一ページに対して一時間しかなければ、もうそれはどうやっても不可能ということになるのだよ」
だからこそ人がいる。
だからこそお願いの一つを、漫画のアシスタントにした。
そういうことですね。
正直言われた時はうええーと思ったけれど、今は感謝しかないから、手伝いたくてしょうがないっす。
なんなら今後も、無償奉仕させていただきたいっす!
……おおっと。
一時の感情の高ぶりで、思わず取り返しのつかないことを口にしてしまうところだったあぶないあぶない。
「じゃあとりあえず、進捗報告とでもいっとく? 問題の洗い出しにもなるだろうし」
識さんが、あごにたれたチーズを指でつまみながらも言う。その後に、つまんだチーズを舌を突き出して絡め取ると、ぺろぺろと、チーズのカスとかがついていないかの確認をするように、口の周りをなめる。
なんだか艶めかしい。
つかエロい。
ピザ、最高。
「じゃあ、私から」
皆からの反応を待たずして、識さんがそのまま続ける。
「結論を言えば、三つの村にある全部の宿泊施設に電話してみたけど、京矢の妹さん、ようは夏木くるみで泊まっている人は見つからなかった。ていうか、なんだかんだで十件ぐらいは答えてくれたけど、そん中にはなかったって感じ。で、今は、上田さんと同じくストリートビューを使って、あの駐車場の場所を捜してる」
「そっか。電話してくれてありがとう。電話代、結構いったよね? 請求金額が分かったら教えて。払うから」
「別にいいって。つか京矢細かすぎ」
「いや、こういうのは大事だから」
「じゃあお金返さなくていいから、今度どこかに連れていってよ。二人で」
「え? ああ……まあ、いいけれど」
「やった。夏休み中ね。楽しみにしてるから」
あれよあれよという間に、識さんとどこかへ出かけることになってしまった。
……というか二人?
それってあれじゃね?
世に言うデートとかいうやつじゃね?
それって都市伝説だろ?
これ以上デート、ではなくて二人で出かけることについて話したくなかったので、俺は早々に一華へと話を振る。
「一華はどう? 掲示板とか、なにか反応はあった?」
むすっとした一華が、俺から顔をそらしたままで答える。
というか、どうして一華は不機嫌そうなんだ?
俺、一華になにかしたか?
また俺、なにかやっちゃいました?
「反応、ない。他の掲示板もためしたけど、だめ」
「……そっか。ちょっとそっちは、望み薄っぽいな」
「うん。……京矢の方は?」
一華に聞かれたので、俺はその流れで進捗の報告を行うことにする。
「俺の方も、ちょっと厳しいかも。一番下の文字を、住所の一文字目で照合していっているんだけど、いかんせんヘッドラインよりも文字が小さすぎて……」
「そうであるか」
皆が満腹になり、七割以上が残った二枚目のピザを、上田さんがばくばくと食らう。
ぷくーっと膨らませた両頬が、なんだか冬眠前のリスみたいでかわいらしい。
「最後は我であるな。残念ながら、結果は無残……ゼロだ。正直映像で直接調べられるのだから一番有効な手段であろうと思ったが、盲点だった」
「盲点?」
「ストリートビューは、比較的大きな道ならば大体どこでも見ることができるが、少しでも細い道になると、データがなくて、見ることができないのだ。そしてそれは田舎ほど顕著になる。群馬という未開の地ならばなおさらだ」
どうして皆群馬をばかにするような言い方をするの?
俺将来住みたいよ?
隠居生活したいよ?
嘘だけど。
「確かに上空写真ならば全ての場所を見ることができるが、いかんせん駐車場というものはどこもかしこも同じようにしか見えんからな。というか、駐車場で他と差別化できたなら、それはもう芸術と言っても差し支えないであろう」
そうだよな。駐車場なんて、だたのだだっ広い、コンクリートの平地でしかないし。
……って、あれ?
もしかして、万策尽きたのか?
これで終わりなのか?
このままなにもできずに、明日のどこかで、親父が警察に捜索願を提出するのか?
そうなるとくるみはどうなる?
……だめだ。
警察沙汰が現実的になればなるほど、どうなるかの予想をしたくなくなる。イメージしたくなくなる。