第137話 激おこ!?
リビングに入ると、俺たちはそれぞれ先ほどと同じ場所に腰を下ろして、さっそく、くるみの捜索に取りかかった。
「それで、妹さんのツイッターの方はどうだった? なにか場所につながる手がかりみたいなのはあった?」
人差し指で眼鏡を持ち上げつつも、細谷が俺に聞く。
「いや、特には」
「なんにも?」
「ああ。なにも……」
俺が女装をして、一華としてくるみに会ったことは言えない。
その後に書いてあったらしい、俺を思いながらオナニーをしているとか、こっそり持ってきた俺のパンツをくんかくんかしているとか、そこら辺もやっぱり言えない。
「あったのは、そうだな……」
――え?
腕を組み、思い出すように天井を仰ぐ上田さんが、まるで独り言を言うように、おもむろに答える。
「夏木京矢……つまりは実の兄のことを思いながらオナニーをしていますとか、こっそり持ってきた夏木京矢、ようは実の兄のパンツを鼻に押し当てて、くんかくんかしていますとか、そんなところであったぞ」
――って、わざわざ言うなよおおお~!
しかもやたらに『実の兄』を強調するし!
「うわあ」
微苦笑を浮かべた細谷が、哀れみをも思わせる眼差しで俺を見る。
「夏木……お前妹に愛されすぎだろ。……うらやましい」
哀れみではなくて憧憬だったようです。
細谷……お前もそっち側の人間なのか? そうなのか!?
「あと一つ」
小さく手を挙げた細谷が、質問を続ける。
「結局家出の原因はなんだったの? 妹さんと小笠原さんの関係は?」
「ええと……それは……」
答えに窮して考えあぐねていると、「うむ」と言い相槌を打った上田さんが、俺の代わりに細谷の質問に答える。
「夏木くるみと小笠原一華の関係だが、端的に言えば、ご近所さんということみたいだ。ツイッター内にあったオフ会の件については、二人とも会うまで、本当にリアルの知り合いであると知らなかったらしい」
これは嘘偽りのない事実。……でも、家出の原因はなんて説明する?
当然の流れとして、細谷が質問を重ねる。
「家出の原因は?」
「それは……」
握った手をあごに当てて、数瞬黙考する。
そして手を離すと、同じ口調、同じトーンで、飄々と答える。
「それはだな、いわゆる痴情のもつれというやつだな」
うんうん痴情のもつれ……ん?
「痴情のもつれ? というと?」
「ようは、小笠原一華は、夏木京矢のことが好きなのだ。だから、同じく夏木京矢のことを好いている夏木くるみと衝突が起こった……そういうことだ」
そうそう一華は俺のことが好き……って、はいいい!?
「ちょっ! 上田さ――ングゴッ」
がしっと肩に腕を回されて、そのまま口を押さえられる。
上田さんの目は明らかに語っていた。
話を合わせろ。でないとこの場をやり過ごせないぞ……と。
俺は小さく首を縦に振って答えると、まるでギブアップをしたプロレスの選手のように、上田さんの太ももを軽くぽんぽんする。
ようやく解放された俺は、はあはあと息を吸い、呼吸を整えてから、上田さんの話により信憑性を持たせるためにも、もう一人の当事者である一華へと、正直気まずかったが、同意を求めるためにも語りかける。
「だ、だよな? 一華。だからさっき、ツイッターでお前のことが出てきた時に、あんなに焦ったんだよな?」
しかし反応がない。
一体どうしたのだろうか?
気になった俺は、すぐ隣にうつむきかげんに座る一華を、下から見上げるようにしてのぞき込む。
――え?
一華は、目に涙を浮かべて、顔を真っ赤にしていた。
よく見るとすくめた肩を小刻みに震わせている。
胸の内で感情が爆発しているのか、一切の言葉も出てこない様子だ。
……こ、これって…………。
俺は自分の予想を確かめるべく、一華の肩へと手をやる。
すると一華は、俺の手が触れると同時に、肩をびくんとさせて、そのままゆっくりと、俺に対して背を向けてしまう。
こ、この反応……ま、間違いない。
一華は俺のことを……俺のことを…………。
本当は言いたくなかった。言葉にしたくなかった。
この世には『言霊』という概念が存在しており、あるいは言葉にしてしまうことにより、予感が、思いが、本当になってしまうかもしれないと思ったから。
でも、そういうわけにはいかない。
いかないというよりはむしろ、もう確実に、目の前で起こってしまっていることに対して、無理やりにでも目を背けたって意味がない。
それは単なる現実逃避だし、さらに言えば、問題の先送りでしかないのだから。
俺は歯を噛みしめると、強く目をつむり、心の中で、まるで叫ぶように言った。
――一華……超怒っている!
秘密を守るが故とはいえ、こんなしがない俺なんかを、一方的に好きなことにされて……。
「い、一華……」
もう一度、今度は優しく一華の肩に手をのせると、俺は耳打ちをする。
「ご、ごめんな」
「ふえ?」
肩越しに俺を見る。潤んだ瞳で。
「なんというか……本当にごめん」
本当は大嫌いな俺なんかを、好きなんだということにさせてしまって。
「わ、わたしこそ……ごめん……」
ん? どうして一華が謝るんだ?
「あ、あのその、だって……ごめん…………」
俺が一華に謝るのは当然だよな?
でもどうして一華が俺に謝る?
ん?
なにか行き違いみたいなことが起こっている?
「リア充爆発しろ」
唐突なる暴言に、俺の思考は急速に現実へと引き戻される。
声の主へと顔を向けると、そこには眼鏡を白く光らせる、細谷の姿があった。
「え、ええと……」
「あっ、すまん。ついな」
「お、おう」
「でも、大体の事情は分かったよ。ようは、夏木の妹さんと小笠原さんが会った時に、好きな人の話題になって、夏木、お前の名前が挙がった。偶然にも好きな人が同じだったから、両者一歩も引かず、喧嘩になった。そんな感じだろ?」
「うむ。付け加えるのならば……」
細谷の推察に、上田さんが補足する。
「小笠原一華は夏木くるみに対して現実を突きつけた。兄妹で恋愛などちゃんちゃらおかしいと。二親等以内での結婚など不可能であると。その言葉が夏木くるみを深く傷つけて、最終的には家出という衝動的な行動に走らせたのであろう」
なるほどそうだったのかと、俺は思わず納得しかけてしまう。
だってそうだろう。兄とセックスしたいと、その兄本人の前で宣言してしまい、家に居られなくなったというよりも、今上田さんが言ったでまかせの方が、どこまでも真実味があるのだから。
現実は小説よりも奇なりとは、よく言ったものだぜまったく。