第136話 『バレる=死』レベル
「おかえりなさい。遅かったじゃない」
上田さんの家の前に着くと、そこには吹き抜ける夏の風にしなやかな黒髪をなびかせる、一ノ瀬さんの姿があった。
彼女は俺と上田さんの姿を確認するや否や、組んでいた腕をそっとといて、どこか非難がましい口調で言った。
「たかがお昼休みに、一体全体どこの地の果てまでいっていたのかしら?」
「ごめん。くるみのツイッターを確認していたものだから、ちょっと時間がかかっちゃって」
言いつつも、俺はズボンのポケットからスマホを出して、軽く視線を落とすようにしてちらりと時刻を確認する。
時刻は十三時二十分。
休憩は一時間ということだったので、普通に二十分の遅刻だ。
「それで、どうだったの? やっぱり……」
一旦言葉を切り、俺の隣に立つ上田さんへと視線を送ってから、もう一度俺に戻す。
「ばれてしまったの?」
「うん。ばれた」
「ええと、どこまで?」
「女装から……なんというか、全部」
「全部?」
人差し指を頬に当てて、怪訝そうな顔で首を傾げる。
「全部って……ええと、全部?」
「つまり、女装をすると一華に似るところから……試験の替え玉、女子身体測定への侵入……その他諸々」
「ちょ、ちょっと待って」
俺の言葉を遮るように、一ノ瀬さんが開いた手を俺にかざす。
そしてもう一方の手の指を額に当てて強く目を閉じると、まるで混乱した思考を頭蓋から外界へと追い払うように、小さく首を横に振る。
「女装すると一華さんに似ること以外は、妹さん知らないわよね? だったら、ツイッターにそのことが書いてあるはずがないわよね? どうしてその他諸々……ようは全てを、上田さんに知られてしまったということになるのかしら。まさか口が滑ったとか、そんな理由ではないわよね?」
「いや……その……」
思わず口ごもってしまう。
口が滑ったで大体あっているし、よくよく考えてみれば、上田さんのあんな単純な罠に、いともたやすく引っかかってしまった自分自身があまりにも間抜けすぎて、恥ずかしくなってしまったから。
「まあそう夏木京矢を責めるでない」
腰に手を当てた上田さんが、口元に笑みを浮かべながらも言う。
「なにを隠そうこの我が、夏木京矢を嵌めたというのも、また事実だからな」
「夏木くんを嵌めた?」
「俗に言う、『鎌をかける』というやつだな。傑作であったぞ。次から次へとべらべらと」
「ようは上田さんのでまかせに、夏木くんがまんまと反応してしまったということね。そんなことで……」
ため息をついた一ノ瀬さんが、まるでばかを見下すような眼差しで俺を見る。
俺はというと、そんな一ノ瀬さんの追い詰めるような眼差しから逃げるように、中空にふらふらと視線を漂わせてから、まるで墜落する飛行機のように、すとんと自分の足元へと落とす。
「事情は分かったわ。それで、なんていうか……言うの?」
顔を戻した一ノ瀬さんが、どこか探るような言い回しで、上田さんへと聞く。
「安心しろ。誰にも言うつもりはない」
「本当に?」
「本当だ」
「そう。それはよかったわ」
胸に手を当てて安堵の表情を浮かべると、一ノ瀬さんは俺へと近寄り、肩にそっと手をのせる。
い、一体なにを、言われるのだろうか……。
俺はごくりと喉を鳴らすと、一ノ瀬さんの目の少し下辺りを見つめながらも、無言の内に次の彼女の言葉を待つ。
「夏木くん。この際だからはっきりと言っておくけれども、あなた、自分の秘密に対して、少々認識が甘いのではないかしら?」
「認識が……甘い?」
「なんていうか、女装をすると一華さんに似るというのは、確かに秘密なのかもしれないけれども、正直それは、ばれても大したことないわよね? ただびっくりされるだけというか、あるいは話のネタになるだけというか。でも、それ以外のしでかしたことについては、決して許されることじゃあない。もしもばれたならば、最悪学校からの追放――社会的な抹殺。ようは、本当にどこまでもシャレにならない事態に陥る可能性がある……分かるわよね」
「はい……分かります」
一ノ瀬さんの言う通りだ。
女装して試験の替え玉をしました。
女装して女子身体測定に侵入しました。
女装して女子更衣室に侵入しました。
女装して男とラブホにいきました。
もしも俺が別の立場で、こんなことをしでかした男子生徒が同じ教室内にいると知ったならば、おそらく……いや絶対に、圧倒的な嫌悪感と共に、即しかるべき機関に通報するだろう。
つまりはそういうレベルの話なのだ。
だからこそ俺は、自分の秘密に対して、もっと慎重にならなければならない。
言うなれば、『バレる=死』レベルの緊張感を持って、細心の注意を払わなければならない。
一ノ瀬さんは俺に、そのことを再認識させてくれた。
本当に……本当に本当に、感謝以外のなにものでもない。
「一ノ瀬さん……ありがとう」
「なにがよ?」
「俺のことを気にかけてくれて」
「別に」
俺の肩からさっと手を離すと、一ノ瀬さんはくるりと玄関の方に体を向けて腕を組む。
そして肩越しに振り返り横目で俺を見ると、なんでもないような素っ気ない口調で言う。
「夏木くんは私のパートナーであり生徒会の右腕よ。それに、せっかくの友達が、不本意にも学校を去るなんて、なんだか後味が悪いじゃない。それだけ」