第135話 運の重要性
「だがしかし」
シュシュを取り、もとの美しくもかわいらしい姫カットの髪型に戻すと、上田さんは手ぐしで髪を整えながらも、俺へと視線を送る。
「実在する人物に完全に似るというのは、やはりというかなんというか、驚くべきことではあるのだろうな」
「う、うん。そうだね。それで……」
それで? とでも言うように、上田さんが首を傾げる。
「女装の件なんだけど、ここだけの秘密にしてほしいんだ」
「ここだけというのは、どこまでだ?」
「つまり、俺と上田さん、あとは一華、識さん、山崎さん、そして一ノ瀬さんまで。細谷は知らないから、できれば言わないでほしい」
「うむ。承知だ。安心しろ。一度した約束は、我は絶対にやぶらぬからな」
上田さんの言葉に、俺はそっと胸を撫で下ろす。
「ありがとう。上田さん……」
「まあ、小笠原一華の姿に女装をして、女子更衣室に侵入した件についても、黙っておいてやろうぞ」
「え!?」
唐突なる上田さんの発言に、俺は思わず漫画みたいに口から心臓が飛び出しそうになる。
「なんで知っているの!? え!? なんで!?」
「あと、女子身体測定に侵入した件も、ここだけの秘密だ」
「そっちも! 知っているんすか……」
額に浮かんだ玉のような冷や汗を手の甲で拭いながらも、俺はがっくりと肩を落とす。
「あとあれだ。定期考査の替え玉も、もちろん他言してはまずいのだろうな」
「他言無用でお願いしゃっす!」
「あとあれだ。あれあれ……ここまで出かかっているのだがな……」
答えを促すように、上田さんがちらりと、俺の目を見る。
「も、もしかして、ラブホの件ですか?」
「そうだそう! ラブホだ! まさか夏木京矢が、女装で援交にまで手を出すとは思わなんだぞ」
……援交?
援交ってあれだよな?
成人男性が、未成年の女の子から、お金を払って性的な行為を買うっていう、いわゆる援助交際だよな?
俺ってそんなことしたっけ?
一華に変装してエロガッパ野郎とデートはしたけれど、あれはあくまでもデートであって、援交ではないよな。
というかラブホの件については、よく考えたら仲間内以外にはばれようがなくないか?
あれ?
なんで?
あれ?
……も、もしかして――
「ええと上田さん、もしかして……もしかする?」
「うむ。我もびっくりなのだ」
腕を組んだ上田さんが、目を伏せた状態でこくりこくりと頷く。
やっぱりだあああー!
こいつ俺に鎌をかけやがった!
しかも一つ秘密を引き出せたら、すぐに明かさずに、演技を続けて、さらに二つ三つと……上田しおん、恐ろしい子!!
「まあ、これが学校側に知れたら、間違いなく退学処分だろうなあ」
「うっ……はい……」
「だが安心しろ。我は別に誰かに言ったりはせん」
「本当に!? マジでありがとうございます!」
本当は土下座をして床に額をこすりつけようかとも思ったが、さすがに店側に迷惑がかかると思い、テーブルに額をこすりつけるにとどめることにする。
「面を上げよ。なに、我と夏木京矢の仲ではないか。それにせっかく知り合えたのに、今ここで貴様が学校からいなくなるというのは、少々もったいない気がするからのう」
「もったいない? ええと……それって」
俺に対する答えとしてか、にんまりと、上田さんが不気味な笑みを浮かべる。
うわあ……これ絶対に悪いことを考えている顔だわ。
少なくとも俺にとって、絶対に不都合なことを考えている顔だわ。
ああ……一体どうなってしまうというのだろうか。今後の俺の学校生活……。
「して、話を戻そうか」
上田さんはシュシュを手首につけると、確認するように何度か手首を返してから、再びノートパソコンの画面へと顔を向ける。
「今ざっと目を通してみたのだが、残りのツイートは二十件ほどだ。どれもこれもとりとめのない、言ってしまえばツイッターらしい呟きばかりで、場所につながる情報は含まれていないみたいだ」
「とりとめのない呟きって?」
とりあえずの懸案事項が解消して、食欲が戻ってきたので、俺はラーメンをかきこみながらも聞く。
「例えば、『京矢を思いながらオナニーしてます』とか、『洗濯物入れからこっそり京矢のパンツを持ち出して部屋でくんかくんかしてます』とか」
――ブーッ!
思わずラーメンを吹き出してしまう。
いやっ! 吹くでしょ!
こんなこと言われたら、絶対に吹くでしょ!
俺は悪くない!
「汚いのう。我にかかったではないか」
「も、申しわけございません!」
立ち上がり、腰を九十度に曲げて頭を下げると、すぐさまおしぼりで上田さんのご尊顔をふきふきする。
「ぶっかけは、できればもっと人がいない所で、お願いしたいものだな」
言い方っ! ――いや、もはや言い方ですらない!
拭き終わり、俺が席に着くのを確認すると、上田さんはその他のツイートについても、かいつまんで並べ立てる。
「あとは、家出を決意したに始まり、荷物をまとめた、こっそり家を出た、目的地の駅についた、バスに乗った、そして昨日の夕方の写真ツイート、といった感じだ」
「地名とか駅名とか、そういったのは、一切ないんだよね?」
「うむ。残念ながら。そもそも位置情報の設定をしっかりと切ってある時点で、夏木くるみが相当に用心深くSNSを利用しているというのは明白だ。よって、唯一上がっているこの虹の写真も――」
俺からは見えないが、画面に映っているだろう虹の写真を、上田さんは俺の目を見つめたままの状態で、軽く手で示す。
「――これならば場所が特定されないと、そう確信したからこそ、ツイッター上にアップしたと考えて、まず間違いないだろう」
「と、なると、やっぱり最後の手がかりは、細谷の言う、看板にある潰れて読めない文字……」
「まあ、それが最後の手がかりと決めつけるのは、少々気が早いかもしれぬがな」
「というと?」
意味深長な上田さんの発言に対して、俺はすかさず聞く。
「アイデアや他の方法というものは、しばし時間を置き、頭をリセットしたその時に、意外とあっさり出てきたりするものだ。我が漫画やイラストを描く時も、よくそのような場面に出くわす。昼寝をしたり、散歩をしたり、はたまたたまったアニメを観たりした時に、ぽつんと、天から降ってきた……という言い方は少々大げさかもしれないが、引っかかっていたものがなにかの拍子で日陰から日向に倒れてくるように、アイデアが閃くことがある。今回の夏木くるみを捜す方法についても、おそらくは同じであろう。きっとなにか、まだできること、見落としている点があるはずだ。そういう認識を持ちつつも、他方では頭をクリアにしておく。さすれば、あるいは他の鍵を、思いがけぬ形で手にすることができるやもしれぬ」
口角を上げた上田さんが、まるでなにかを試すように、俺を片目で見る。
「そうであろう?」
「うん。そうかもしれない」
すぐに言い直す。
「いや、そうだね。でも……」
でも? とでも言いたげな眼差しで、上田さんが小首を傾げる。
「でもそういう閃きって、結構運によるところが大きいよね? だとしたら俺たちは、結局のところ、あくまでも運は天に任せて、目の前にある今できることに尽力するしかないと思うんだ」
「うむ。そうかもしれぬな」
先ほどの俺と同様に、すぐに言い直す。
「いや、間違いなく、そうであるな。夏木京矢よ、なかなかにいい締めくくりであったぞ」
「どういたしまして」
いい締めくくりか……。
俺はただ、上田さんに影響されて、それっぽい正論を言ったにすぎないんだけどな。
「おや?」
全てのツイートを読み終えて、パソコンの電源を落とそうとキーボードに手をやった上田さんが、寸前で、なにかに気づいたように手を止める。
「つい今しがた、夏木くるみが最新の呟きを行ったようであるぞ」
「え? 本当に?」
いい締めくくりに引き続き、このタイミング……!
間違いなくフラグだ!
くるみ捜しを次の段階に押し進める、そんなツイートに違いない!
「――くるみは、なんて!?」
テーブルに両手をつくと、俺は勢い込んで身を乗り出す。
「『今、こっそり持ってきた京矢のパンツを、部屋で嗅いでます。ああ! 京矢の匂いがする! なんか私……変な気分になってきたかも。もう我慢できないかも! だって、だってだってだって、私京矢が好きなんだもん! 求めちゃうのは、仕方がないよね!? 抱いて!』」
店内に響き渡る上田さんの嬌声に、俺たちを振り向く決して少なくない数の客たち。
彼らの目は明らかに語っている。
やれやれ最近の高校生は色々とことが早いねえ……と。
「夏木くん夏木くん」
例のごとく店主さんが、店の裏の倉庫――否、納屋の方を立てた親指で示しながらも、こちらへと近づいてくる。
そして俺の手を取りなにか長方形の箱を握らせると、白い歯を見せてからびしっとサムズアップをする。
「それ、渡しとくから。予備ね」
キラキラとした派手なパッケージに、『0・02』というでかい文字。
すぐに分かった。
コンドームであると。
やれやれ。サイテーな締めくくりだぜ。
やれやれ。やれやれ…………うっ、今度は箱ごと。