第130話 小笠原一華の羞恥プレイ
「次……私……」
識さんに言われて、一華は、握った手を自分の胸に当てたままで、パソコンの画面をのぞき込む。
おそらくはきちんと音読ができるかが不安なのだろう。
まるで本番前のリハーサルのように、もごもごと口を動かして、まずは自分の中だけで黙読をし始める。
「へ? ふええ……うう……」
顔を真っ赤にした一華が、両手を自分の頬に当てて、小さく首を横に振る。
一体どうしたというのだろうか。
……まさか。
「ツイートの内容、そんなにやばいのか?」
「う、うん……」
「ちょっといいか?」
俺はパソコンを自分の方にずらして、ツイートの内容にざっと目を通す。
うわあ……これは……。
「なにをしておる? さっさと読まぬか」
しびれを切らした上田さんが、指でテーブルをこんこんしながらも促す。
「いや……さすがにこれは、一華には荷が重すぎるっていうか……」
「なんだ? では読まぬと言うのか?」
俺から一華へと視線を移した上田さんが、細谷を皮切りに、一人、また一人と、名前を呼びながらも指さしてゆく。
「細谷翔平も、山崎鈴も、会長も、識日和も、そしてこの我も、恥ずかしいのを我慢して読み上げたというのに、小笠原一華は荷が重いからという理由で、読まぬと言うのか?」
「うう……」
「はあ……残念だよ。とても残念だ。これでは夏木京矢から見放されるのも、時間の問題やもしれぬな」
「ふぁっ!?」
上田さんの言葉に、一華が強い反応を示す。
そして今にも泣き出しそうな顔で俺にすがりつくと、くいくいと袖を引きながらも聞く。
「み、見放す? ……わ、私のこと……見放す?」
「お、落ち着け。見放さないから。絶対に見放さないから」
すると上田さんが、口元に笑みを浮かべながらも、横槍を入れる。
「絶対に見放すなよ! 絶対だぞ!?」
「いやあああ! 京矢! 見放さないで!!」
腕をつかむと、がくがくと揺する。
「だから! 見放さないって! 絶対に! 絶対に!」
「それフラグ! 分かった! 読むから! 私……読むから!」
一華はノートパソコンを自分の方に手繰り寄せると、かじりつくように画面へと顔を寄せて、くるみのちょっとアレすぎるツイートを、声に出して読み始めた。
「『七月二十七日。京矢・・・愛してる。私、ここにいるよ? 感じるでしょ? 抱きしめて。そんでキスをして押し倒して』」
恥ずかしいのか、一華はここで一度言葉を切ると、小さく肩を震わせながらも強く目を閉じる。
そして俺へとそっと顔を向けると、妙に潤んだ瞳で、はあはあと息を切らしながらも、俺の目を見たり見なかったりを繰り返す。
……え?
……なに?
これはツイートだよ?
あくまでもくるみの書いたツイートだよ?
一華はそれをただ読んでいるだけで、別に他意はないんだよ?
――いや。
他意がないかなんて一華以外の一体誰に分かるというのだろうか!?
じゃあ他意があるのか??
それは一体なんだ!?
ああ俺もなんかよく分かんなくなってきた!
画面へと顔を戻すと、一華が続きを読み上げ始める。
弱々しいけれども、どこか感情がこもったような、そんな声音で。
「『私もう、我慢できないの。おかしくなりそう! 京矢のその●●●で、早く私を●してほしいの!』」
一華の声に、悲痛に満ちた泣き声が交じる。
悲痛に満ちた泣き声だったからこそ、必要以上に感情がこもってしまい、まるで本当に一華が俺に対して言っているような、そんな錯覚に、多分俺以外のここにいる皆も、陥ってゆく。
だって見てみなよ。
識さんも一ノ瀬さんも山崎さんも上田さんも細谷も、皆超気まずそうに身体をもじもじさせていますよ?
もうこれどう落とし前をつけたらいいんですかね?
――あっ。よく見たら上田さんはそうでもないわ。
口元に笑みを浮かべて楽しんでいるわ。
すげーわこの人。
「ううううう…………わ、わたし……これ以上は……ひっく……」
一華の弱音に対して、やっぱりこの人上田さんが、断固たる口調で言う。
「たとえ誤字があったとしても、一言一句しっかりと、意訳とかせずに、最後まで! ……と、先ほど細谷翔平が言っていたぞ。そう、これは細谷翔平が決めたルールなのだ」
うわあ……ただ自分が一華にツイートを読ませたいだけなのに、細谷に責任転嫁しやがった。
まるで政治家みたいだな。
なんていうか……マジでうわあだ。
「わ、分かった……読む……から。……私……読む……から……ううう……」
指で涙を拭うと、一華は最後の力を振り絞って、残りの文章を読み上げる。
「『ああ! もうだめ! 想像するだけで! したくなる! ●れて!』」
●れて!
……●れて!
…………●れて!
………………●れて!
……………………●れ――
聞こえてくる、セミの声。
外ではしゃぐ、夏休みの子供たち。
風に揺れる、風流な風鈴の音。
キラキラと輝く夏の真ん中で、一華のあまりにもハレンチな言葉が、まるで炎天下で揺れる陽炎のように、この手狭なリビングに、響き渡った。
「ふえええん……ぐす……私……私……もう……ふええん……ぐす……」
「一華……あんた……」
ぽたぽたと涙をこぼして泣き出した一華へと、識さんが近づく。
そしてそのままソファから立たせると、優しく肩に手を回して、皆のいないリビングの外へと誘う。
「一華……あんたよく頑張ったよ。だから泣くなし」
「うん……ごめん……日和……ごめん……」
二人が出てゆき、ドアが閉まると、どこまでも気まずい沈黙が、この場を包んだ。
誰もなにも話さない。
誰もなにも次の行動を起こそうとしない。
皆はただただ各々の場所に居座り、このなんともいえない空気を誰かがなんとかしてくれるのを待ち続けているだけだ。
早く誰かなんとかしろよと、目というか空気というか雰囲気で、責任の所在を、押し付け合いながらも。
時が再び動き出したのはそれから間もなく、壁にかけられた時計が、正午を告げる鐘の音を鳴らした時だった。
「うむ。昼だな。腹もへったし、休憩にするか」
「お、おう」
上田さんに応えてから、俺は皆の様子を見回してみる。
倦怠感を漂わせつつも、眼鏡を拭く細谷。
躁と鬱を繰り返して、ぐったりとしてしまった山崎さん。
「さっきの一華さんの言葉、また識さん録音していないかしら。あったらほしいわ。そして『京矢』の部分を『ありさ』に変えるの。そしたら……そしたら……じゅるり」となにやら一人でぶつぶつと言う一ノ瀬さん。
一ノ瀬さんについてはアレすぎてあえて触れないことにするが、ただツイートを読むという行為だけで、まさかこんなにも皆の体力を奪うことになってしまうとは……正直想定外だった。