第129話 上田しおんは動じない
「ではでは」
再起動したビスクドール山崎が、恐る恐るといった面持ちで聞く。
「指輪は……結婚指輪は、贈ったのですか?」
「ああ、贈った……いや、贈っていないな。そういえば、贈っていない」
「本当……なのですか?」
「ああ。本当だ」
俺の答えに山崎さんは、胸に手を当ててほっとしたように小さく息をはく。
「では、初めに贈ったと言ったのは、夏木くんの勘違いということで、いいのですね?」
「勘違いというか、結婚式ごっこの時は、一応指輪を送る真似事だけはしたんだよ。でも突然だったから、当然指輪とかそんな物を持参しているわけもなく、今度買ってあげるからと約束をして、その時は納得してもらったんだ」
「して」
親指と人差し指であごをつまむ、いわゆる考えるポーズをしながらも、上田さんが俺を見る。
「その約束は、果たされたのか?」
「いや。買ってあげていない。心のどこかで引っかかってはいたけれど、いつの間にか時間が過ぎて、そのままなあなあになっちゃった感じ」
「ふむ……」
テーブルに目を落としてから、パソコンのディスプレイに表示されたツイッターの画面へと視線を送る。
なんとなく俺も、上田さんの視線をたどり、ツイッター、ようはくるみの呟きへと顔を向ける。
「表面上は仲が悪かった。しかし水面下では、妹は兄のことを世界の誰よりも愛し、求めていた。であるならばおそらく、その丘の上の結婚式については、大切な大切な思い出として、ずっと心の引き出しにしまい、時折出しては、眺めていたに違いない。そうなると約束の結婚指輪についても、兄から贈られるのを、今か今かと待ちわびていたのではないだろうか。それほど本気ではなかった夏木京矢自身が、心のどこかに引っかかっていたほどだ。貴様のことが大好きな妹だったなら、その比ではなかろうに」
「ええとつまり……」
空に視線を漂わせて、上田さんの言いたいだろうことを予想する。
「約束を果たさなかった。ようはくるみに指輪を贈らなかったことが、仲違いの原因ってこと?」
「一因かもということだ。少なくとも夏木くるみの居場所を突き止めたあとに、仲直り……いや、連れ帰るための、なんらかの口実にはなるのではないか?」
なるほど……確かにそうだ。
くるみの本心を知った今だからこそ、当時結婚式ごっこで交わした、指輪を贈る約束の重要性を、再認識することができたんだ。
というかそろそろ、くるみを家に連れ帰るための方法を考えておいた方がいいような気がする。
家出の原因が、兄に自分の気持がばれてしまって、同じ家にいることができなくなってしまったというのであれば、どんな形であれその原因を解消してやらないことには、連れ帰ることは難しいのだから。
「うむ。夏木くるみの、結婚云々についての発言の、大体の事情は分かったな」
区切りをつけるように言うと、上田さんは、これまた区切りをつけるようにこくりと頷いてから、俺へと手を向ける。
「ではツイートの音読を再開しよう。夏木京矢よ、頼む」
「おう。任せとけ……って、次は上田さんだろ!」
あぶねえ。
あまりにも自然だったもんだから、つい流されて読んじまうところだった。
「そうか? わるいわるい。我としたことが。はっはっは。ではまあ、読むとするかな……」
さあ読め!
そして悶え苦しめ!
これまでの流れからしても、今回も、きっと上田さんにとって都合の悪い、ある種予言めいた、おぞましいツイートがくるのは間違いないはずだ!
「『七月二十七日。突然ですが、私今・・・下着をつけていません。服は着ていますが、その下は裸です。たまにします。なんでって思うかもしれませんが、京矢のことを思うとしたくなるんです。見てほしいから。見てほしい! 私の裸を見てほしい! 見て京矢!』
以上だ」
――ごくりんこ。
つばを飲み込むと、俺はすぐ隣に腰を下ろす、碧眼ハーフの赤毛美少女、上田さんへと視線を送る。
「ええとちなみに、今って上田さん……下着つけてる?」
「つけているわけがないであろう! 昨夜言ったであろう! 我はあれらが嫌いだと! つまりこのワンピースの下は、裸であるぞ!」
「自信満々に言うな! というか開き直りとかじゃあなくて平常運転なところがなお悪いわ!」
はああと、膝に肘をついて両手で顔を覆う。
ぶっちゃけちょっと、上田さんが俺に向かって言っているような気がして、どぎまぎしちまった……。
精神的ダメージを受ける俺へと、細谷がまるで死体蹴りのように言う。
「なあもしかして、夏木の妹さんって、変態なの?」
「あああ~?」
「いやだって、下着をつけないって、おかしいし」
「なんだ?」
上田さんが割り入る。
「では我も、変態だと言いたいのか?」
「いや、そうじゃないけど……」
「細谷、勘違いするな」
くるみの尊厳を守るためにも、俺はツイート内の細かな部分を指摘する。
「たまにって、書いてあるだろ。そうくるみは、たまに下着をつけないんだ。だから変態じゃあない」
「つまり常日頃下着をつけない我は」
上田さんが、自分の下半身をびしっと指さす。
「変態ということか?」
「…………」
「どうした? 答えられないのか?」
「ヘンタイジャア……ナイヨ」
「真実心から、そう言っておるのだな?」
「うん。上田さんは、全然これっぽっちも、変態なんかじゃあないヨ」
「……そうか」
安堵のため息をつく……いや、なんかがっかりしていませんか?
変態じゃあないって言われて、なんかがっかりしていませんか?
大丈夫ですよ! 上田さんはれっきとした変態ですから!
変態どころか、立派すぎる変人ですから!
「ではまあ、進めるか。次こそは夏木京矢だ。頼むぞ」
「お、おう……」
俺の、俺に対する話題が出ても、最悪自分のことだ。
別に他の人が読むほどに、精神的ダメージはないはずだ。
だから……きっと大丈夫だ。
自分自身を納得させて心を落ち着けると、俺は前のめりになり、パソコンの画面をのぞき込む。
「『七月二十七日。手前味噌な言い方かもしれないけど、京矢って、超カッコよくない? マジでカッコいい! 世界がうらやむカッコよさだと思う。中学の時は全然モテなかった感じだけど、あれはバカ女共の見る目がなかっただけで、京矢は全く悪くない! 京矢マジでイケメン!』」
――ピッ。
読み終えると、突然なんらかの、電子音が聞こえる。そして俺の声で――
『手前味噌な言い方かもしれないけど、京矢って、超カッコよくない? マジでカッコいい! 世界がうらやむカッコよさだと思う。中学の時は全然モテなかった感じだけど、あれはバカ女共の見る目がなかっただけで、京矢は全く悪くない! 京矢マジでイケメン!』
振り向くとそこには、笑いをこらえる、スマホを手に持った識さんの姿があった。
そう、スマホの録音機能かなにかを使い、日付の部分をしっかりと飛ばして、セリフの部分だけを、録音したのだ。
まるで俺が、自画自賛をする、うぬぼれ屋のように、聞こえるように。
「ちょ、識さん? 一体どういう……」
「ごめんごめん。なにかに使えるかなと思って、つい」
ついじゃあねえよ!
しかもなにかに使うって一体なににだよ!?
というか保健室の写真といい、池での録画といい、識さんには盗撮・録画・録音ぐせでもあるのか!?
「もう消したから。消したから。じゃあ次は一華だね」
スマホを取り上げて本当に消したかどうかまで確認するのもなんかアレだったので、俺は諦めて、ソファに背中を預けた。