第114話 山崎鈴が怒る理由
ビスクドールのように白い肌に、ほのかに香るローズの香り。
さらさらとした整えられたボブカットに、アクセントとなる、かわいらしい黒のチョーカー。
一つ上の先輩であり、同じ生徒会のメンバーである、山崎鈴さんだった。
「え? ちょっ……なんで山崎さんがここに??」
「決まっているのです。ボクと夏木くんは、運命の赤い糸で結ばれているのですから」
今日の山崎さんは、ふりふりのついたゴシック調の白のブラウスに、くびれの部分がコルセットのようになった、黒のスカートをはいている。
どうなっているのかスカートは、まるで花束をひっくり返したように、地面に対してきれいに広がっており、裾は清らかな春の風にでもなびくレースのカーテンのように、優雅に波打っている。
もしかしたらスカートの下に、スカートの形をよくする、なにかふわふわした下着のようなものをはいているのかもしれない。
もしそうでないのならば、スカートは物理法則に従って、すとんと、萎れた百合の花よろしく、ただただ下に垂れるのみのはずだから。
ボブカットの頭の上には、リボンの巻かれた、黒のシルクハットがのっているが、これは強い日差しから頭を守るとか、そういった実用的な意味合いでの帽子ではないのだろう。
おそらくは飾りだ。
より山崎さんに寄り添った言い方をしたならば、ファッション小物だ。
サイズが一回りも二回りも小さくて、頭頂ではなくて斜め横で、ピンかなにかで固定されていることからも、間違いないだろう。
というかローズの匂いとその中世ヨーロッパ風の雰囲気とが相まってか、なんだか回りの風景さえも変わったような、そんな錯覚にとらわれる。
目の前に広がる、星の砂をまいたようにきらきらと輝く池なんて、もはやエーゲ海のそれだ。
「山崎さん。杖とか持たないの? なんか杖とかで、めっちゃバトルしそうだし」
「杖? いいですね。では今度、伯爵とかが持ちそうな、洋風のステッキを買ってくるのです」
いやいや杖とかはどうでもいい。
自分で言っておいてなんだけど、今は杖とかはマジでどうでもいい。
「というか、なんで山崎さんがここにいるの?」
「ですから、赤い糸で……」
「赤い糸とか、そういうのは今は置いといて、実際的な意味で」
「っもう」
ぷくっと両頬を膨らませると、山崎さんは脚をブラブラさせながらも言う。
「もうしおんさんから聞いているとは思いますが、この夏に持ち込みをする、漫画のシナリオを持ってきたのです」
「ああ、上田さんと組んで、夏休み中に出版社に持ち込むっていう。じゃあ、シナリオ完成したんだ」
「はいなのです。しおんさんからのオッケーが出れば、あとは作画をするだけなのです。その時は夏木くんも、手伝ってくれるのですよね?」
「もちろん。そういう約束だから」
「小笠原さんも」
一華に顔を向ける。なぜかふてくされたようにしてからになったいちごミルクのストローをちゅーちゅーと吸う、そんな一華へと。
「お手伝いにきていただけるのですよね?」
「う、うん……」
「それは助かるのです。その代わりと言ってはなんですが、夏木くんの妹さんを捜す手伝いは、しっかりとしますので」
「上田さんから聞いたのか?」
俺が漫画の原稿を手伝うという話が伝わっている以上、くるみ捜索の話も伝わっているだろうなあと予想はしていたが、改めて本人の口から言われると、身構えていたにもかかわらず、なんだか一瞬焦ってしまう。
「はいなのです。家出をした妹さんの捜索に協力する代わりに、原稿制作の手伝いをしてもらう……そう聞いていますです。原稿は、ボクとしおんさんの二人のものです。であるならば、妹さんの捜索に、ボクも協力するのは当然ですよね?」
「まあ、確かに」
「ということですので……はいっ」
俺の方に身体を向けた山崎さんが、まるでなにかを待つように目を閉じる。
「はいって……なにが?」
「分かりませんか? キスなのです。償いの、キスなのです」
――全然分かりませぬが!?
「早くしてほしいのです。こんなボクにも、恥じらいぐらいはありますので」
恥じらいがあるんならこんな所でキスとか言うな!
「わ、分かったのです……」
俺に身体を寄せると、下からそっと肩に手をのせて、ゆっくりとゆっくりと顔を寄せる。
え? ちょっ、まずくね?
逃げないと……逃げないと…………逃げれねえええ!
なんかしらんけど体が動かねえええ!
これはあれだ!
本能だ!
男の異性に対する本能だ!
こんな美少女に迫られて、理性のままに逃げるなんて、本能が許すわけがない!
――迫る唇。
山崎さんの唾液に、陽の光をきらりと反射した、柔らかそうな唇。
キス、口づけ、ちゅー、接吻、ベーゼ……。
ああ……もういいかなと思ったその時、一華が、先ほど山崎さんがしたように、俺と山崎さんの間に手を突っ込み、引き離すように腕を広げた。
「だめー! だめだめだめ、だめー!」
「……一華?」
「京矢も京矢! こんな所で、ハ、ハハハ、ハレンチ!」
いや、男の本能がね……あのね……ごめん。
「まったく。もう少しだったのに」
小さく溜息をつくと、山崎さんは腕を組んでベンチにもたれかかる。
「夏木くん、ボクは怒っているのですよ」
「怒っている?」
先日の、お台場でのできごとが脳裏によぎる。
山崎さんとも、あれ以来会うのはこれが初めてだ。
「やっぱりそれって、あのお台場の……」
「違うのです。あんなのはどうでもいいのです」
「どうでもいい?」
「確かに小学生の時に、小笠原さんと渡辺くんが結ばれて、既成事実の一つでもできてしまえばそれが一番でした」
「きせっ、きせきせきせ……既成事実…………」
両手で頬を押さえて、顔を真赤にする一華。
イメージでもしてしまったのか、その後にぼふんと頭から湯気を立ち上らせてから、気を失ったようにベンチへとへたり込む。
山崎さんが続ける。
「しかしもしも、夏木くんと小笠原さんが今のような関係でなかったならば、そもそもボクと夏木くんが出会うことがなかったかもしれません。それは、最悪です。ごく控えめに言って、死に値します。ですので、結果オーライなのです」
なるほど。そういう考え方か。
なにはともあれ、お台場でのできごとを不問にしてくれるのはありがたいな。
「ん? じゃあ山崎さんは、一体なにに怒っているんだ?」
「分からないのですか?」
分からなかったけれども、なんとなく『分からない』と口にしたくなかったので、黙って続きを待つ。
「夏木くんに大変なことが起こっているというのに、ボクになんの相談もしてくれなかったことに怒っているのです」
「なるほど……分からん。だってそうだろ? 俺の家族のことは、山崎さんにはなにも関係がないし」
「関係がない? なにを言っているのですか? ボクと夏木くんは夫婦の仲なのですよ。つまり夏木くんの妹さんとは、親戚……いや、家族みたいなものじゃあないですか」
……あっ、その設定まだ続いていたんだ。
しらんうちにうやむやのあやふやになっているとかじゃあなかったんだ。
「け、けけけ、結婚!?」
意識を取り戻した一華が、血迷った山崎さんに言う。
「京矢と鈴……結婚してない! ていうか、私たち、まだ結婚できない! 歳が足りない!」
「いいえ。ボクと夏木くんは結婚しているのです。そんな社会制度の、紙切れに文字を書く、文字通りぺらぺらの契約ではないのです。ボクたちにそんな物は必要ありません。ボクたちは、物という証明を超越して、精神と精神で、強く結びついているのです。それが根本であり究極の結婚……そうは思いませんか?」
精神と精神が結びついていたら結婚って、それだったら情熱だけで突っ走る高校生カップルは、皆結婚していることになりませんかね? どうですかね?
「だめ! だめだめ! 京矢は結婚してない! 誰のものでもないの!」
いいぞ一華!
よくぞ言ってくれた!
「京矢は私のものなの!」
なに言っとんじゃー!
お前のものでもねえ!
手を広げて、やれやれと首を振ると、山崎さんは小さく溜息をつく。
「まあそれはさておき、これからはなんでも相談してほしいのです。夫婦以前に、同じ学校の生徒であり、生徒会のメンバーであり、なによりも友達なのですから」
「山崎さん……」
心に、温かい気持ちが広がった。
正直今までは、山崎さんのことを思考がぶっ飛んだやべーやつだと思っていたけれど、すごく友達思いのいいやつじゃあないか。
これからはもっと、親切にしよう。
「ではそろそろ」
スカートのポケットからメモ帳を取り出す。
「これらをボクにもしてもらいましょうか」
「ん? なにそれ?」
山崎さんからメモを受け取ると、俺は書かれた文字を、上から順に一つひとつ読んでゆく。
●パックにストローを挿して差し出す。
●頬についたジャムを指で拭ってぺろりと食べる。
●手に手を重ねる。
●抱きしめる。
●手で涙を拭う。
「なにこれ?」
「これらは、夏木くんたちがこのベンチにやってきてから、夏木くんが小笠原さんにした、一覧です」
ええええー!
パックにストローを挿して云々というのはまああれだけれど、そのあとのは意外と恥ずかしくね?
手に手を重ねるとか、抱きしめるとか、よく考えたらなんのドラマだよって感じだし!
というか、文字で一覧にされると、恥ずかしさが倍増するのですが! ほんとやめて!
「ボクは夏木くんの嫁ですので、さすがにこれらは、看過できないのです。ですから今から、上から順番に、ボクにもやっていってもらいます」
「やっていってもらうって……どうしてそんなことをしないといけないんだよ!」
「簡単な話なのです」
人差し指をぴんと立てる。目を閉じた、したり顔で。
「上書き保存なのです」
だめだこいつ……早くなんとかしないと……。