第108話 俺は今、試されている?
「…………京矢よ。夏木京矢よ。起きるのだ」
誰かに呼ばれて、俺は目を覚ました。
目を閉じていたので目の前は真っ暗だったが、意識は確実に、夢の世界から現実に戻ってきていた。
……朝か?
ということは、今のは夢か。
久しぶりに見たな。過去を思い出すような、そんな夢を。
俺はまどろみの中で、今見た夢の、特に印象に残った場面をリプレイする。
澄んだ空、きれいな紅葉、薄暗い小道、展望台、結婚式、くるみとのキス――。
確かあれは、俺が小学校の三、四年生の時だ。
くるみが自律神経系の病気を患ったから、秋の連休を利用して、どこかの田舎に湯治に出かけたんだ。
その最終日に、体調がよくなったくるみをつれて、俺はあの展望台に出かけた。
まくらに頭をあずけたままで、俺はくすりと一人で笑う。
それにしても、結婚式か……。
よく考えたら、兄妹で結婚なんてできるわけがないのに、すげえ幼いよな。
きっと世界に対して、一切、これっぽっちも、疑いの心がなかったんだ。
無垢って、多分そういうことなんだろうな。
「なにをにやにやとしておる。早く起きんか。このねぼすけめが!」
「おはよう、上田さん」
ようやく俺はベッドから身体を起こすと、眠い目をぐりぐりとこすってから、上田さんへと顔を向ける。
「ごめんごめん、ちょっと懐かしい夢を――って、え!?」
目の前にいる上田さんの姿を見て、俺は眠気が一気に吹っ飛んだ。
組んだ腕。
肩幅に開かれた脚。
形のいい胸に、あとはまあ、下の方の……あれ。
平たく言えば、昨夜と同様に、やたらに肌色が目を引く、素っ裸の上田さんが、そこにいた。
「――ちょっ、えっ? えええっ!?」
たじたじになった俺は、どうしていいのか分からずに、とりあえずは上田さんから顔をそらす。
「なんで!? なんで上田さん裸なの!?」
「なんでって、ここが我の部屋だからだ」
我の部屋?
つまりは上田さんの自室?
俺は周囲を見回す。
壁にかけられた女子の学生服に、女の子っぽい雑貨類の数々。
よく見たら今俺が寝ている布団も、白地に花柄と、かわいらしい模様をしている。
なんだか甘い香りがするなとは思ったけれども、どうやらそれは、布団に染み込んだ、上田さんの匂いだったようだ。
「いや! 答えになっていないって! どうして服を着ていないの!?」
「分からぬのか? 一糸まとわぬ姿で寝室にやってきた、その意味が」
あれ? 上田さんはまるで当然という風に言っているけれども、正直全く分からないぞ。
俺がおかしいのか?
俺ってある程度常識を持ち合わせていると勝手に思い込んでいたけれども、もしかして違うのか?
考えても分からなかったので、仕方なく俺はもう一度上田さんに聞いた。
「ごめん。全然分からない。なんで?」
「寝るためなのだ!」
上田さんの言葉を聞き、俺の頭はさらに混乱した。
寝る? 一般的に寝るには、二つの意味があるよな。
一つは単に就寝だ。
もう一つは、歯に衣着せぬ言い方をしたならば、セックスだ。
そしていま現在『寝る』と口にした上田さんは、寝間着などの寝具を、一切まとっていない。
つまりそれって……そういうことですよね?
結論を下した俺は、自分の考えに一気に焦りの気持ちが湧き上がり、口の中がからからになった。
「あ、あああ、あの、その……まだそういうのは早いっていうか……俺どうしたらいいのか分かんないっていうか……」
「はあ? 一体夏木京矢はなにを言っておるのだ?」
「いや……だから……その……セッ……は……」
「せ?」
訝しげな顔をしてから、気づいたように手を打ち鳴らす。
「貴様まさか、我がセックスをしにきたとでも思っておるのか?」
「え? 違うの」
「違うに決まっておろう」
「じゃあなんで裸なの?」
「だから寝るためだと言っておるだろうが。我は寝る時、というか家にいる時はいつも、基本的には裸なのだよ。いわゆる裸族なのだ」
なんだそういうことかー解決解決。
俺は安堵に胸を撫で下ろすと、平常心を保っているふりをしつつも、早く上田さんの前から立ち去ろうと、布団に手をかける。
が、その手は、布団を引き剥がす前に、音もなく近寄った上田さんにより、止められてしまう。
目の前に迫るのは、あまりにも均整の取れた、上田さんのご尊顔。
視線を下に転ずれば、白くて張りのある肌が目を引く、艶めかしい体が、ぼんやりと見える。
胸は、今はちょうど横髪がかかり隠れてはいるが、隠れているからこそ、想像力が刺激されて、よりエロく見えてしまう。
「…………」
こ、声が出ねえ……。
相手がこちらを認識している状態で、相手の体をじろじろ見るのは、さすがに失礼に値するだろうと思った俺は、とにかく相手の顔を見ようと、上田さんの瞳へと視線を向ける。
きれいな青い虹彩に、黒い瞳孔。――それは俺に、北欧の森の中に佇む森閑な湖を、連想させた。
「きれい」
思わず俺は、ぽつりと言ってしまう。
「ほめてくれるのか? 嬉しいな」
「どう、いたしまして」
「ところでセックスだが、夏木京矢がしたいなら、我は構わないぞ」
「は?」
なにも考えられない。
文字通り、頭の中が真っ白だ。
「まあ、そこに愛はないがな。ただ、性行為そのものには興味がある」
「え? どういう……」
「あくまでも、創作活動の取材としてだ」
なるほど。
そういうことか。
でも……。
「で、どうする? 夏木京矢がしたいというのならば、我はやぶさかではないぞ」
「いや……だめだ」
「して、その理由は?」
「健全じゃあないからだ。セックスは、好きな人と好きな人が付き合って、そんでするもんだ。愛のない性処理みたいなのは、間違っている」
ぽかんとしたような顔をしてから、上田さんがにやりと口元に笑みを浮かべる。
そしてぐっと身を乗り出して俺の肩に手をのせると、胸を突き出すように背筋をぴんと伸ばす。
やばっ!
やっぱり神々しすぎる!
カーテンを透過する淡い陽の光のせいか、上田さんの体がぼんやりと光って見える!
神か!? 女神か!? それとも!?
「なんだか、断られたら断られたで、嫌な気分がするのだ。まるで我の体に価値がないようで」
「いや! だから! そういうことじゃなくって!」
「普通するであろう。おなごの方から、裸で迫られたら。それともなにか? 我には、そんなに魅力がないというのか?」
魅力の塊みたいな人ですが、なにか!?
「で、どうするのだ?」
上田さんがさらに身を乗り出す。
「するのか?」
俺の顔にぐっと顔を近づける。
「しないのか?」
唇と唇が急接近する。
「どっちなのだ?」
「お……俺は」
「ん?」
その時、上田さんがなにかに気づいたような声を出すと、動きを止めて目を落とした。
なんだろうと思った俺も、上田さんの視線をたどり、こんもりとした布団へと、目を落とした。
なんだ? この膨らみは?
しかもなんか温かいし……。
不審に思った俺は、布団に手をかけると、一度ごくりとつばを飲み込む。
そして確認するように上田さんを見てから、一思いに布団をめくる。
――一華がいた。なぜか服を着ていない、下着姿の一華が。
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なにがなんだかわけが分からない。
分かる人がいたらここにきて教えてほしい。
そして俺が納得して心を落ち着けるまで、辛抱強くなだめてほしい。
できれば精神カウンセリングなんかもしていただけるとなお助かる。
いや、本当に助かる。