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第104話 薄幸修道女と悪役軍曹

「さあ、早く小笠原一華の上に覆いかぶさらんか」


 声を上げると、びしっと一ノ瀬さんに指をさす。


「腹を決めたのだろう。最後までやり通すのが、人の道ではないのか」


「い、いいのかしら?」


「いいのかとはどういう意味だ? 質問の意味が分からんぞ」


「いえ、この私が、たかがこの私が、一華さんのお体に、覆いかぶさるようなまねをしても」


「問題ない。小笠原一華は現在――」


 一ノ瀬さんに向けていた手を、一華へと向ける。


「いじめを受けても拒絶できない、かわいそうで惨めな薄幸修道女だ!」


 かわいそうで惨めな薄幸修道女って……ひでえな。

 本人が目の前にいるっていうのに。


「そして会長は現在――」


 一華をさした手を、再び床に座り込む一ノ瀬さんに戻す。


「そんな修道女の貞操を奪おうとする、サディストで冷徹な、悪役軍曹だ!」


 サディストで冷徹な悪役軍曹って……。

 キレていい! 一ノ瀬さんは今キレていい!

 たとえ設定とはいえ、これはさすがに、正面切って堂々と言っていい言葉ではないはずだ。

 だから一ノ瀬さんは今、キレていい!


「上田さん……」


 低い声音で名前を呼び、音もなく立ち上がると、一ノ瀬さんがふらふらとした足取りで上田さんに歩み寄る。

 そしてがしっと上田さんの両肩をつかむと、はぁはぁと息を荒らげながらも言う。


「そうよね? そうよねそうよね? 今の一華さんは拒絶のできない、かわいそうで惨めな薄幸修道女。そして私はそんな一華さんにいたずらをする、サディストで冷徹な悪役軍曹。これは関係性上当然の成り行き。当然の成り行きだからこそ、今私が一華さんにいたずらをしても、全然全く、これっぽっちも問題ない。むしろ今それをしないと、人としておかしい。そういうことよね? ねっ? ねっ!? そうよねっ!?」


「そうだ! 会長の考え方は正しい! なにも間違っていない! 自信を持て!」


 いやいやおかしいことだらけだろうが!

 なに洗脳しようとしてんだよ!

 ほんとやめたげて!

 一華のことに関しては、一ノ瀬さんマジで単なるばかだから!


「さあ、今こそ立ち上がるのだ!」


 手を取り、一ノ瀬さんを立ち上がらせると、上田さんは一ノ瀬さんを一華の横たわるベッドへと導く。


「そしてやれ! かわいそうで惨めな薄幸修道女を、ねちねちとからかってやるのだ!」


「私は悪役軍曹……私は悪役軍曹……私は悪役軍曹……サディストで冷徹で……サディストで冷徹で……はぁはぁ……」


 気のせいか、一ノ瀬さんの口から、可視化した息が、煙のように立ち上っているように見える。

 気のせいか、一ノ瀬さんの瞳が、まるで正気を失った狂人のように、ぐるぐると渦を描いているようにも見える。


 だ、大丈夫なのか……これ?

 まさか本当に襲ったりしないよな……。


 念のために俺は、なにかあった時にすぐに飛び出せるように、心の準備だけはしておくことにした。


「い、一華さん……それじゃあ……いくわよ」


 ソファに手と膝をついた一ノ瀬さんが、はぁはぁと息を荒らげながらも言う。


「ひいっ!」


 思わず声を上げた一華が、おどおどとした眼差しで、今まさに覆いかぶさろうとしている一ノ瀬さんを見上げる。


「こ、こここ、怖がらなくて大丈夫よ。わ、私……一華さんを大切に思っているから」


「う、うん。優しく……して」


 一華の返事を了と受け取った一ノ瀬さんは、片方の手を一華の体の反対側に回して、四つん這いになる。

 そしてゆっくりと下半身を下ろして一華の下半身に密着させると、上半身を片方の手で支えて、もう一方の手を一華のあごへと持ってゆく。



 ――クイッ。



 一ノ瀬さんが一華のあごをクイッとした瞬間、神々しくも眩い、典雅の光景が、この世界に誕生した。


 それはいうなれば奇跡だった。

 軍服と修道服、相手を蹂躙する側と誰かを救済する側、それらが高次元にも有機的に融合して、まるで世界の構造を表す陰と陽のように、絶妙なバランスと均衡を保って、今目の前に顕現していた。


 もしもこの世に神をも凌駕する美しきものがあるとしたら、それは美少女だろう。

 その神をも凌駕する美少女が、二人で身を寄せ合い、顔を近づけて、互いに心を交わらせていたならば、もうこれは第二宇宙、第三宇宙を含めても、敵うものなどあるはずがない。


 だから、何度でも言おう。何度でも何度でも言おう。

 今俺の目の前に広がっている儚くも確固たる光景は、圧倒的な奇跡であると。


「一華さん……一華さん一華さん一華さん……はぁはぁ」


「あ……ありさ……」


 目を潤ませて、小さく震えながらも一ノ瀬さんを見上げる一華。


 一ノ瀬さんは頷くと、一度あごから手を離して、優しく一華の髪を撫でてから、もう一度、一華の顔の上に指先を滑らせるようにして、あごに戻す。


「あ、ありさ……」


「ん? なあに?」


「わ……わたし……なんか変」


「変って?」


「なんか……変な感じ……する……うう……」


 目を潤ませて、頬を染めた一華が、一ノ瀬さんから目をそらす。


「は……恥ずかしい、よお……」


「夏木」


 二人のやり取りを、先ほどから黙って見守っていた細谷が、小声で俺に言う。


「なんだ?」


「わるい……俺ちょっとトイレいってくるわ」


「は? トイレって、お前……」


 俺が止める間もなく、細谷はそそくさとこの場から去っていった。


 おい! 細谷! てめー!

 このタイミングでトイレって、一体どういうことだ!?

 まさか一華で変なことをするつもりじゃあねえだろうな!? あ!?

 大体どうして俺に断る!?

 きちんと説明してからトイレにいきやがれってんだ!

 …………あーなんか俺も小便したくなってきたしあとでトイレにでもいこうかなー……。


 カメラのシャッター音が聞こえたのは、細谷がリビングのドアを閉めて、束の間の静寂が訪れた、その時だった。


 とっさに顔を向けると、そこにはスマホを横にして持った、上田さんの姿があった。


 どう見ても、盗撮だ。

 いや堂々と撮影したのだから盗撮にはならないのか?

 でも許可を得ずに写真を撮ったのだから、やっぱり盗撮になるのか?

 あれ? 盗撮ってなんだっけ。


 絡まる思考をとりあえず脇に置いておいて、俺はすかさず、上田さんに聞く。


「ちょ、上田さん? 今一華と一ノ瀬さんの写真を撮ったよね?」


 上田さんは、まるで俺の言葉など聞こえていないかのようにスマホをポケットにしまうと、ローテーブルの上に置いてあったスケッチブックと鉛筆を手に取り、画家がよくやる、伸ばした腕の先で鉛筆を立てて、眇めるポーズを取る。


「上田さん? 聞いている? 今カメラで……」


「さて、イラストの作成に取りかかるかのう」


 こいつ……なにごともなかったかのようにスルーしようとしていやがる。

 ……ていうか語尾に『のう』って、そのうち『じゃ』とか言い出すんじゃあないか?

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