暗殺一家当主
「今日、親父が帰ってくる」
朝一番にイェナの自室へ呼ばれてそう言われ、アンから聞いていたことを思い出す。
「ご、ご挨拶をしないとですね」
「うん、わかった」
原作では一瞬だけ登場したが、紙面からでも伝わる圧倒的なオーラは思わずゾクゾクしたものだ。
「と、とても厳格な方なんですよね……」
「そうかな。仕事に関しては確かに厳しい人だけど。大丈夫じゃない、オレもいるし」
「イェナ様も……?」
「うん、だってオレの婚約者でしょ。オレが紹介しないと」
「そうでした……」
私は使用人として挨拶しなければと思っていたけれど、そうではないらしい。婚約者として行くならばもっと緊張してしまう。
だけど、イェナがそばにいてくれるのなら少し安心できる。困ったときに助け舟を出してくれるかは、疑問ではあるが。
「──さ、親父の部屋に行こうか」
ベッドから立ち上がってスタスタと扉へと向かう。そしてドアノブに手をかけようとして、ピタリと止まったかと思うとこちらを振り向いた。
「おいで」
手をこちらに差し出して、女子が言われたいセリフランキング上位に食い込んでもおかしくない言葉を平然と言ってのけた。
健全な女子である私の胸が高鳴るのはおかしいことじゃないだろう。顔を真っ赤にさせながら彼の手を取る。
「素直だね」
「イェナ様が大好きだからですよっ」
「そう」
イェナの手は冷たかったけれど、心の中で温かな光が小さく灯った気がした。
オクトーヴの部屋の前に辿り着くと、軽くノックをしたイェナ。緊張して思わず彼の手を握る力をぎゅっと強めてしまった。
「……」
イェナが無言で私の顔を覗き込む。そしてそのまま手のひらを私の頭の上に乗せて、ぽんぽんと優しくたたいた。
「……がんばります」
「うん」
たったそれだけのことだけれど、勇気が出て、いい意味で力が抜けた気がする。そんな私を見て、イェナは扉を開いた。
「──ああ、イェナか」
「おかえり、父さん」
他愛のない親子の会話に少し感激する。暗殺一家であっても、普通の家庭と変わらない風景もあるのだ。
大きなソファにどっしりと腰かけていたのは体格のいい男性。激弱の私にも分かるほどのオーラは想像以上だ。イェナは母親似でノエンは父親似であるのだろう、面影が見える。
「こいつがナツ。婚約者にしたから」
「よ、よろしくお願いします……」
真剣な瞳で射抜かれたらそれだけで体が硬直してしまいそうだ。冷や汗が背中を伝うが、掠れた声で挨拶すると一礼した。
「……話は聞いている、君が」
じっと私を見つめて離さないオクトーヴに思わず目を逸らしかけるが、ぐっと我慢する。
「本当に弱そうだ」
「はい……」
マヴロス家に弱い者はいらない、とでも言われるのだろうか。嘘でも“強い”だなんて言えないからただ頷いておく。
「メイドでもあるそうだね」
「はい……」
意外にも“弱い”という部分はスルーされ、話は進んでいく。マーイスといい、オクトーヴといい、この家に嫁ぐ娘は強さは求められないのだろうか。




