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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

パパが死んで、みんな幸せ

作者: 京本葉一

 ママがバカラの灰皿で、パパの後頭部を殴った。


 パパは絨毯の上に倒れている。ピクリとも動いていない。あんなに口うるさくて、寝ているときでもイビキがひどくて、歩くときも、座るときも、何をするときでも、わざと騒々しく大きな音をたてる人だったのに、とても静かになった。


 たった一撃で、パパは死んでしまったらしい。


 ママは呼吸を荒げたまま、パパの血で汚れたパパの愛用品を、ていねいに元の位置にもどした。自分でもおかしいと思ったのか、顔をしかめて、それから、汚らわしいものを見る目でパパを見おろした。


 ママの犯行は、計画したものではなかった。

 とりあえず、パパの遺体を始末する必要があると考えたのだろう。

 ママは混乱したまま、パパを抱え上げようとした。ひとりでは無理だと感じて、わたしに協力をもとめた。


「……手伝ってくれるかしら」


 わたしとママは、パパの遺体を敷地内の山林へ埋めることにした。解体する技術もない、非力な母娘の力だけでは、それが限界だと思ったからだ。最低でも、遺体を乗せて運ぶ台車と、穴を掘る道具がいる。敷地内のどこかにあるはずだけど、管理する者に相談するわけにはいかない。


 コンコン、コンコン。


 扉をノックする音がきこえて、わたしたちは会話を中断した。ママが扉に近づきながら、用件をたずねた。相手は女性使用人であり、パパに業務の報告があるという。拒絶するのは難しい。わたしはとっさに決断して、扉を開けはなった。


「お嬢さま……」


 メイド姿の使用人が、わたしの行為に驚き、部屋のなかをみて表情を固めた。


「こういうわけだから、手伝ってくれない?」


 説明はしない。

 共犯者になってほしいことを、彼女が理解できないはずがない。


「……わかりました。お手伝いさせていただきます、いえ、私にも、ぜひ、お手伝いさせてください。よろしいでしょうか、奥さま」


 ママはしばらく口をつぐんだあと、うなずき、感謝の言葉を述べた。

 ママの許可をもらった彼女は、柔らかく笑みを浮かべ、礼儀ただしく、深々と頭を下げたけれど、すぐに厳しい顔になった。


「女ふたり、そしてお嬢さまの三人では、やはり困難であると考えます。力仕事をこなせる男手が必要となりましょう」

「しかし、それでは」

「ご安心ください、奥さま……いえ、どうかお願い申し上げます。その者にも、協力させてください」


 話がまとまると展開は早かった。彼女が連れてきた、敷地の庭園を管理する者が、ひとりでパパを台車にのせて運び、シャベルで穴を掘り、パパを埋めた。


 彼が作業するところを、わたしとママはずっと眺めていた。彼らは遠慮してほしいと訴えていたけれど、わたしもママも譲らなかった。これはわたしたちがはじめたことであり、わたしたちが責任をとるべきこと。彼らはただ、わたしたち母娘の強権的な命令に従ったにすぎない。

 わたしたちの説得に肯かざるおえない共犯者たちをみて、わたしとママは、真犯人として勝利の笑みを見せあっていた。けれどそれは、部屋にもどるまでの話だ。血のついた絨毯や灰皿が、集まっていた使用人たちの手によって処理されていた。


「出すぎた真似を致しましたことを、心よりお詫び申しあげます」


 礼儀ただしく頭をさげる共犯者たちをみて、わたしもママも、ふたりの問題で片付けることが難しいと理解した。ママが冷静さを取り戻せば、いずれば自首することも視野にいれていたけれど、犯行が明るみに出たとき、彼女たちはきっと、自らの意志で行ったと告げるだろう。


 就寝時間を過ぎたころ、自分の部屋に入った。


 習慣となった日記をつづり、これからのことに想いを馳せる。パパの会社はどうなる? パパがいなくなって、不自然におもわない人間はいないだろう。自首することになっても、可能な限り、使用人たちに被害が及ばないようにしたい。


 眠気は訪れないものの、明りを消してベッドに入った。


 目を閉じれば、灰皿を振りおろすママの姿が浮かんだ。アルコール混じりの悪臭も、鈍い音も、パパの短い叫び声も、ママの乱れた息づかいも再生された。犯行の流れを、瞬間を、その後を、わたしはじっと眺めていた。倒れ伏したパパに、わたしはどんな眼差しを向けていたのだろう。


「……パパ」


 目を開けると、ベッドのそばにパパが立っていた。

 頭から血を流したまま、どんよりとした目で、わたしを見おろしていた。

 よだれを垂らす半開きの口で、なにを訴えようというのだろう。


 わたしがベッドから身を起こしたとき、パパの姿はどこにもなかった。

 夢や幻覚じゃない。

 あれはパパだ。

 パパにちがいないと、確信めいたものを感じた。


 わたしはベッドからおりて部屋をでた。駆けるように目指したのは、庭師が暮らす管理小屋。小屋に明りはついていた。わたしはドアを強くたたいた。酒をのんでいたらしい庭師の男が、ドアを開ける。彼がなにかを言う前に、わたしはシャベルの在処を聞きだした。

 わたしはシャベルを手にして走りだした。

 明りをもった庭師がついてくる。

 パパのところに走った。

 パパを埋めた場所。

 そこでは土が盛り上がり、上半身がはい出ていた。

 まだ死んではいなかったのだ。

 ママの一撃でも。

 土に埋めても。

 まだ生きていた。

 息をふき返したパパは、死力を振り絞り、浅い穴からはい出てきた。

 まだ生きているのか、それとも力つきて死んでしまったのかは、わからない。わたしの元にあらわれたのが、生霊だったのか、亡霊だったのかなんて、どうでもよかった。

 わたしは、倒れ伏すパパの後頭部に、おもいっきりシャベルを叩きつけた。

 鈍い音がした。

 反応はなかった。


「しつこいんだよ! とっとと死ねよ! わたしたちの前から消えろ! この世から、消えろ! 未練、たらしく、あらわれるな!!」


 成長途中の女の力で、何度も何度も叩きつけた。絶対に死んだと確信できるまで? もう二度と、わたしのまえに現われないと確信できるまで? そうじゃない。わたしはただ、あふれだす熱情のままに、シャベルを叩きつけていた。叩いて、叩いて、手が痛くなって、シャベルを振り上げることができなくなって、ようやくやめられた。

 気づいたら、わたしは泣いていた。

 声を押し殺して泣いていて、庭師のいうとおり、あとのことは彼に任せた。

 彼は深い穴をほり、そこに遺体を蹴りおとし、唾を吐き捨て、土をかぶせた。

 わたしは彼に背負われて屋敷にもどった。身を清めてベッドに入ると、すぐに眠りは訪れた。夢を見ることもない深い眠りから目覚めて、新たな人生のはじまりをむかえた。


 

 会社のひとがきて、不在理由をたずねた。


「主人はどこかにいってしまいました。経営については、皆さまにお任せするとのことです」


 ママの説明でどこまで察したのかはわからないけれど、帰っていくときの彼らの表情には、隠しきれない喜びがあった。経営者の妻である、ママに相談する形となり、会社はうまく回っている。流れを阻害する邪魔者がいなくなり、過去最高の利益が出ているらしい。


 市長も警察の人をつれてやってきたけれど、ママの説明に納得したふりをして、わざわざ捜索願を出すこともないと言っていた。市長は、本当に晴れやかな表情で帰っていった。


 あの日以来、わたしの周りの人たちは、晴れやかな表情をみせている。

 だからきっと、現われてはいない。

 もちろんわたしのところにも、姿をみせてはいない。


 幽霊が存在するのなら、きっと地獄もあるはずだ。あの男は消えた。この世からいなくなり、地獄へ堕ちたのだろう。あの男が悶え苦しんでいるのかとおもうと、わたしもまた、自然と晴れやかな気持ちになった。

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