銀の翼は今日も駆け抜ける。(後編)
そのまま住宅街を抜け、北上して国道20号こと甲州街道へ。
パラツインのエンジンはドルルと軽快な音をたてながら日が沈みかけの甲州街道を走り抜けていく。
しかし、甲州街道に入ったばかりの律はすぐさま北に進行方向を変えた。
理由は簡単だ。
渋滞である。
職場からの帰宅などに下道を使う者によって、この時間帯の甲州街道は最悪の状況。
きっと手前の高井戸あたりでは調布インターまで60分という電光掲示板の表示が出ていることだろう。
追い抜きはするがすり抜けは滅多なことではやらない律にとってこの状況は苛立ちを募らせるだけ。
すぐさまいつものとおり抜け道を使う。
ここでの抜け道は1つ。
東八道路への迂回である。
一旦北に向かい、東八道路を進み、深大寺を過ぎたあたりで再び南下するルート。
これが一番楽なルートの1つ。
再び20号に戻ったらそのまま調布インターで中央道にそのまま乗ってしまう。
中央道を使う理由は、ここから石川PAあたりまでの国道20号も尋常でなく混むため。
下道を使うと八王子駅周辺にて絶望することになる。
そうこうしているうちに大月に到着する頃には現在時刻6時前に対し、状況によっては9時を過ぎてしまう。
そのため、下道はあっさり諦めて一先ず八王子を目指して向かう。
この時間帯の中央道は流れが遅く、80km程度で走ることになる。
(それでも……渋滞するよかマシなんだけどね……)
本当は100km出したい律ではあったが中々出す事ができないでいた。
地獄の案内人こと大先生は「事故ナシ、はよ行け」とばかりにそのまま中央道を案内してくる。
八王子ジャンクションの手前に石川PAがある。
律はいつも通り、一息入れるためここで休憩をとることにした。
この時間帯、基本的に混雑表記が多いがライダーはさほどいない。
よって基本的に二輪駐車場はガラガラなのだ。
ところで余談だが、高速道路が民営化されてからPAやSAでは二輪専用駐車場を設けるようになった。
これは日本国が駐車場を完備すると法的に定めたからだが、高速道路上のSAやPAの二輪専用駐車場の大半は屋根付き。
よって状況によってはここで雨宿りのために長期滞在することもある。
ちなみに道の駅には屋根がある所と無い所があり、高速道のSAと併用している藤岡SAなんかは「道の駅側」には屋根が無く、「SA側」には屋根があるという、なんとも格差社会を体感させてくれる仕様の場所だったりする。
雨はライダーの敵の1つであるため、無料の道の駅で屋根付二輪専用駐車場がある場所はとにかく記録していきたい所だが、今のところ御殿場の道の駅「すばしり」、愛知の「にしお岡ノ山」、鳥取の「きなんせ岩美」、茨城の「道の駅常陸大宮」ぐらいしか律には確認できていなかった。
すでに訪れた道の駅は50は超えているはずなのだが、ヘタをすると二輪駐車場すらない道の駅すらあるのだ。
律が方角だけを決めていつも違う道を進んで違う道の駅に向かいたがる理由の1つがこれだった。
中継地点として優秀な場所を探すこと。
今やそれが律の目的と化していたのだ。
石川PAに入り、専用駐車場に駐車するとバイクが1台停車していた。
貼り付けられたステッカーなどから見慣れた車体であることに目に付く。
「出たわね……ツーリングドランカー……」
ややドスの効いた低めの声の女性が話しかける。
先ほどまでスマホで何か見ていたようで、右手には愛用のスマホが握り締められたままだった。
律からは死角になる状態で腰掛けていたらしく、立ち上がりながらボヤくように言葉を吐いた。
そしてその状態のまま、ヤレヤレといった感じで律の車体を見つめていた。
「またその謎のワードかぁ。飲酒運転なんてしたことが無いのに」
律はヘルメットを脱いでいつものようにタンデムステップにかけ、その上でセッセとカラビナロックとワイヤーをかけた。
トップボックスに空きがある場合はそちらに入れることもあるが、現状のトップボックスに入れる余裕はなかった。
「貴方みたいな運転に酔って休憩もせずに長距離を移動する人間のことを言うの……今に距離ガバ勢という語呂合わせの悪い言葉を塗り替えて浸透させてあげるつもりなのだけれど?」
だけれど―が口癖の女性の名は小早川 美鈴
GSX-S1000Fに乗る女性ライダーである。
金持ちでぼっち。
そして割と残念な美人として律からは認識されている。
顔は彫りが深く日本人らしからぬ顔つきであるが、母親がクオーターであり日本では聞きなれないワンエイスとも言えるが、父がハーフでありもはや何と言うべきか不明な状態であった。
日本人の血は1/6といった程度の比率である。
革のジャケットにライディングパンツを身に付け、GSX-S1000Fのハンドルにはカーボン製のAGV PISTA GP Rがかけられていた。
そのヘルメットを見た律はついつい嫉妬のような感情を吐露してしまう。
「人生勝ち組の人間は高速道を常用できて羨ましいもんだー」
半分本気、半分冗談交じりの発言である。
律が彼女と出会うのは基本的にSAかPAでのみ。
というより、そもそも彼女自体がSAかPAにしか出没しないレアキャラのような人間だった。
美鈴のツーリングスタイルは長距離をかっ飛ばして目的地でゆっくり過ごすブルジョアスタイル。
よって、過程などどうでもよいという信条を自ら掲げていた。
目的地でゆっくり過ごすとはいうが、有名どころを避けている様子であり、
一人で引きこもれる場所を見つけては引き篭もってしまうのでSAやPAでしか出会うことが出来ないのだ。
そんな彼女はとある事情により10代で全てを手に入れた洋服デザイナー。
自身の立ち上げた洋服やバッグなどのブランドは世界をまたにかけヒットし、欲しいものは金で買えるものならほぼなんでも手に入る。
元々はファッションモデルであり、そこからデザイナーとしての才能を開花させた。
ファッションも出るによくある人生コースである。
父がGSX1100Sカタナに乗るライダーだった関係で、スズキをこよなく愛すいわゆる「保菌者」だが、愛車はカタナシリーズではなくGSX-S1000Fである。
というかGSX1100Sカタナなんて今日日簡単に維持できるものではない。
金を持っていても尚、もてあますぐらい苦労するのがGSX1100Sカタナというもの。
日常的に道志村などでよく見かけるが大半が250カタナである。
今日日400カタナもその維持は車検などのため極めて難しい。
彼女はカタナに拘りはないわけではなかったが、それらの理由よりカタナを上回る存在として評価されるGSX-S1000Fを選んでいたのだった。
実はGSX-S1000。
欧州では「カタナの再来」と称されるスズキの超人気車種。
この時代において電子制御満載でありながら、車重は200kg前後と極めて軽量。
四気筒など売れないと言われる時代に売れる数少ないマシンであり、隼と並び世界に認められる四気筒スポーツバイクである。
GSX-S1000がネイキッドであり、GSX-S1000Fがフルカウルモデル。
こいつの凄さはなんといっても、カウルがついて装備重量214kgの軽量に対し、馬力は148PSで脅威の加速力を持つ点。
それでいてCB1000Rのような回転が低いとトルクが低く加速が辛いということもなく、フラットなトルク特性の心臓部をもつ。
愛称は「牙」
GSX-Sシリーズ共通のイメージであり公式の愛称である。
最大の特徴はブレーキメーカーとしてはトップクラスの知名度を誇るブレンボのキャリパーなど高級装備満載でありながら、乗り出し新車115万という凄まじい価格の低さ。
そのため、「ブレーキだけ盗難されて車体が残された」なんてことが何度かネット上でも報告されている車体だ。
ブレーキのほうが車体より価値があるなどと本気で日本では思われており、「中古価格が込み込み60万円ならその半分がブレーキの価格」なんて本気で言われている。
スズキにいいイメージを持たない心無い者からはブレーキが本体なんて呼ばれる始末。
だが決してそんなことはなく、エンジンもレース用のGSX-Rシリーズの技術をフィードバックしたものだ。
各部分もコストパフォーマンス重視ながら一切手を抜かず、それを高品質な国産で達成している所は欧州から「スズキのGSX-S1000こそ若者の救世主」と言われるほど。
国外ですら他のスポーツバイクと価格面でガチ勝負が出来るため、ホンダやヤマハと違い金の無い若者にも手を出しやすい状況にある。
性能、品質、コスト、3つの面が揃ったコイツは「カタナ以来のスズキ製最強ストリートファイター」として、隼と共に評価されている。
そんな代物を愛車とする彼女に特に気にかけるまでも無く、それじゃまたと手で挨拶しつつ律は食堂に入っていた。
その姿を美鈴は無言のまま手を振り替えして見送る。
そこからは律のいつも通りのルーティーンである。
八王子ラーメンを食し、次にどこへ向かうか考える。
八王子で降りて陣場街道を突き進み、一旦20号に出た後、国道139号線から長野県に入るか。
道志道を突き進み、山中湖から富士の南側を突き抜けて静岡県側から愛知県に入るか。
どちらの方面に向かうにしても経由したい場所があり悩み混む。
「よし決ぃーめた!」
10分ほど悩んだ結果、答えを出した律は段々とテンションが上がってきていた。
スマホを弄りつつ天気予報を確認し、次の道筋を決める。
ラーメンを食べた後は30分休憩し、その後で歯を磨く。
その最中、再び美鈴に声をかけられた。
すでに到着から1時間ほど経過していたがまだ移動していなかった事を律は不思議に思う。
「それで貴方は何処に行くの?」
「んあ? 西だへど?」
愛車のサイドミラーを文字通り鏡として使い、歯を磨きながらのため、滑舌が悪くなっている。
愛車の傍でモソモソと歯を磨くのは防犯を目的としていた。
ライダーに油断などあってはならないというのが律の考え。
「ただ、幻の銘茶がまた飲みたくなっただけは」
「どこ?」
「おくえいへんじー(奥永源寺)」
「えっ……」
美鈴は一瞬戸惑った。
これからそちらに移動するには現在位置が間違っていると感じたのだ。
奥永源寺は太平洋側で関が原より南側にあり、現在いる所から進むルートだと完全に遠回り。
「私が思い描くコースなら……下道を好む貴方でも……都心部脱出に東名を使うべきだと思うの……本厚木で降りて246を使って――」
「んあ定番コース走っへどうすんの。走りも楽しんだほうあいい思い出になるぁ。塩尻まで上がったらそこから南にくだっへ、きほ(木曽)の方、おんたへさん(御嶽山)の北側から米原の方に向かってだな~」
律の中ですでにコースは出来上がっていた。
ハキハキと、己の中で決めたまだ知らぬ道を6割以上通るルートを説明する。
当然、何があるかわからない。
だがそれがいい。何があるかわからないような道でなければ面白くない。
それが律の考えであり、律のライダーとしての意識である。
彼女に説明する律の目は一切の曇りがなかった。
律の目的は走る事。
向かう先は経由地であり目的地ではない。
求めるのは――奥永源寺の幻の銘茶だった。
一旦うがいをしにトイレにいった律は再び戻ってくる。
石川PAの二輪駐車場はトイレの目の前にあるので行き来は極めて楽だったりする。
うがいをした影響によって先ほどより滑舌が良くなった。
「逆にお前はどこ行くんよ?」
「………都心部が混みすぎてたから、このあたりで一泊したいだけ……」
自慢の愛車と律の愛車に挟まれる形で駐車場との段差を椅子代わり腰掛け、美鈴は溜息を漏らす。
実は本来の目的地は湾岸沿い、豊洲周辺だった。
ナイトツーリングに繰り出す予定だったのだ。
そのため首都高4号からC2に入り、湾岸線へ入って湾岸方面へアプローチしていこうと考えたのだが……連休前の週末、大橋ジャンクション周辺はめちゃくちゃに混むのが普通で普段は1時間かからないルートだが週末はどれだけかかるかわからない。
それだけではなく、事故によってC2もその他も都心は大渋滞という状況だった。
3号渋谷線付近は極めて事故が多いが、一方で事故も多い。
渋滞があまりに酷い場合は4号をそのまま進んでC1すら大渋滞となるので、C2から逆走する形で葛西に行った方が早かったりするほどである。
律もここに来るまでに甲州街道の上りが異様に渋滞しているのを確認していた。
1時間以上経過してもまだ行動を開始していないのは、行動不能に陥っていたからだった。
現在、下りの中央道石川PAにいるのは首都高5号線から渋滞を避けるために首都高4号下り線に入った影響によるものだったのである。
律は実は彼女が逆走して退避してきた事に気づいていなかった。
疲れた表情を見た律は察したように口を開く。
「この時間帯でこれだと……正直なとこ実家に一旦帰還することも考えた方がいいと思う。どこが実家か知らんけどさ」
普段SAやPAで遭遇する位置から、律は間違いなく都心部のど真ん中に美鈴が住んでいることを知っていたため、フフンと苦笑いした。
心中お察しである。
そう、実家に戻るのもまた地獄なのだ。
「……そうする。お風呂入りたい」
スマホを見て全面真っ赤な状態にもはやどうにもならないと判断した美鈴は素直に律の助言に従った。
グローブを嵌めて移動準備を開始する。
「残念だが、こっちだと逆方向だな」
「乗りなおして高井戸で降りて中野長者橋で乗ればいいだけだもん」
「そ、そですか……」
美鈴はせっせと荷物をまとめ、忘れ物がないか辺りをチェックした。
愛車GSX-S1000Fはパニアケースだけ付けたツーリング仕様であるが何か落としていないか確認する。
その姿をチラチラ見つつも、自身の愛車のサイドミラーを使いながら歯を磨きつつ律が口を開く。
「ほんと金もってんな~。そんな高速の使い方して大回りして帰るなんてさー」
「1年の間に3台も新車で乗り継いだ人に言われたくないのだけれど?」
「うっ……それはいろいろ事情があってだな……」
律はまるで心にテント用ペグを打ち込まれた気分である。
彼女に説明していないだけで本当に事情はあったのだが……
「そう……」
彼女がそう答えると、それきり会話する話題もなくなり、律は10分程度かけて歯を磨き終えると愛車に戻ってきて出発準備を整えようとした。
一方、美鈴はそれを待っていた様子でエンジンをかけぬまま愛車に跨っていた。
律の様子を確認するとエンジンをかけて出発しようとする。
それみた律は右手であばよのサインを送り、美鈴は無言で左手を挙げて答えつつそのままどこかへ向かっていった。
友人というほどではないが知人程度の仲で良識のあるライダー同士の挨拶の一例である。
お互い無言なのは特に不機嫌になったわけではなく、何時も通りの遭遇と別れである。
やや根暗で掴みどころのない美鈴とはいつもこんな感じとなってしまう。
律が空を見上げるとすでに日が落ち、辺りは暗くなってきている事に気づく。
(さぁて、ここから行動できる時間は少ないな……いっちょがんばるか)
どこまで向かう事ができるか……ツーリングドランカーと呼ばれるヘビーツーリンガーの本領発揮である――