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人生初のレンタルバイク ~加茂レーシング~ ―美濃加茂市内周遊― (後編)

  10分後、律は一連のレンタルバイクに乗るための保険や車両説明を受け、2時間程度という形でクロスカブ110を借り受ける。


 クロスカブ110。

 これを語る前にスーパーカブ全般について語らねばならない。


 ドリーム号と呼ばれるバイクやベンリィで一定の成功を収めたホンダ。


 しかし「次の一手」について藤沢武夫と本田宗一郎は迷うことになる。


 お互い「出すべきは二輪という市場の裾野を大きく広げることができるモビリティ」で一致していたものの、


 当時、その市場には自転車に後付けのエンジンを着けた原動機付自転車こと原付と、そこからややバイク風なスタイルになったペダル付きのモペット、そして125~250cc級のスクーターが主流。


 藤沢はそれに対し「モペット」を強く推していたものの、本田宗一郎は「アレではダメだ」とハッキリ否定し、


 一方で本田宗一郎は欧州の一部の国で展開されていた「スクーター」に目をつけ、「小型スクーターを作りたい」と藤沢に提案する。


 実はスーパーカブが登場する4年前、ホンダは「ジュノオ」と呼ばれるスクーターを登場させ、本田宗一郎はこれに強い開発意欲を示して世に展開していたのだが、


 当時の本田技研による技術力不足が重なったジュノオは「欠陥車両」に近い存在で、スクーターという存在ごと否定されてしまっていた。


 次の一手を生み出すアイディア獲得の為、1956年に行った欧州での視察、および偵察の最中に本田宗一郎は同行中の藤沢に対して何度も「もういちどスクーターを作らせてくれ」と提案していたのである。


 正直に言えば、本田宗一郎が目指す真の原付バイクは現行ベンリィのようなスクーター、もしくはPS250のようなものだったと思われるわけだが、


 当時をしてもやたらデカいボディサイズで世間に拒絶されたジュノオに対しては「これがスクーターの正しい形だと思うんだ」と、189cc(190cc)で当時としては非常に大排気量で、開発時に小型化にも否定的で作った大柄ボディだったりしたわけだが、


 後にこのレベルのサイズが半世紀後に本気で欧州を中心としたスクーターのデファクトスタンダードになってしまうことを考えると、彼の先を見る目というのは尋常なものではなかったと言える。


 実際、晩年にネイキッドバイクの新たな形として示したCB-1も、後に欧州のネイキッドバイクことストリートファイターの雛形などと言われることがある所からも、先を読む力に長けていたのは事実。


 今では、あの手のサイズの150cc~300cc級はアジア、欧州、そして日本でも勢いが出てきているジャンルであり、本田宗一郎はジュノオを出した際に「半世紀後にはこうなる」と藤沢にハッキリ伝えていたが、


 藤沢は本田に対し「もっと中期的な視野で開発してくれないと、会社が潰れてしまう」と彼の能力は否定せず、


 会社経営を行う参謀としての立場から「先の先を見すぎても今のユーザーには受けない」ということをしきり訴えていたりする。


 そんなこんなで1956年に欧州に視察に向かったある日のこと。

 当時、ホンダが特に参考にしていたメーカーNSUのバイク屋に二人の姿があった。


 1956年当時のNSUは月間2万台を生産し、輸出すら行っていた世界一のバイクメーカー。


 この時、日本の二輪市場では「海外含めた全てのメーカーを合算した売り上げが年3万台」という中、この数字は突出していた。


 本田も藤沢も、NSUとまず並ぶことが第一と考えていたためにドイツへの視察機会は多く、今回も「まずはドイツ人の考えた所から何か着想を得よう」と企んでいた。


 実際、初代ベンリィシリーズはNSUのFOXなどといった、世界的名車とされる大衆車を大きく参考にしたバイクだったりしたわけだが、ドイツのバイク屋に訪れた本田は、ふとこんなことを呟いたという。


「ドイツは、この、欧州最高峰ともいえるインフラがあってこそ輝くバイクしか作っていない。我々が作るには、もっと我々日本と日本人に対して今置かれた環境に適したバイクでないとダメなんだ――」といったような言葉だ。


 後に全世界で道路整備がなされることで売れるようになったスポーツバイクについて、その時点での本田は「今の日本では、こういうものを作っても現実という壁があって売れない」と認識していたわけである。


 本田宗一郎の描くバイクは彼の息がかかった旧CBシリーズのようなロードスポーツ車両であったのは事実だ。


 だが、そのロードスポーツ車両が本当の意味で日本で真価を発揮しだしたのは、彼がもはや中排気量バイクすら満足に乗れなくなった年齢に達した時。


 自著にも何度も回想されるが、彼はアメリカやドイツのような延々と続く舗装された道路を走ることを夢みて、それに合わせた最高のバイクを作りたかったものの、


 現実的には、当時まだ国道すら未舗装区間ばかりだった時代で、苦労の末に送り出したドリーム号やベンリィと呼ばれるバイクは、


 テスト走行を重ねたことで、NSUを参考に作ったものは当時の日本の道路事情には合致していなかったことを大変よく理解していたため、より「当時の日本の環境に」合致したバイクが必要だとドイツのバイク店を徘徊しながら考えるようになる。


 その上で、藤沢に対しては改めてモペットを否定する。


 モペットはそのフレーム形状が自転車から大きく進化したわけではなく、非常に中途半端で、本田宗一郎から言わせれば「舗装されたヨーロッパの街をサイクリングするような用途にしか使えない」ものだった。


 荒れた道ではまるで役に立たないが、そんな所をエンジンをかけながら引きずるのは「二輪車として正しくない」と考えていたのである。(本田宗一郎は当時、非常に厳しいと言われた箱根などの主要国道の峠道を、乗車したまま越えられる二輪車しか売りたくなかった)


 そのため、その視察の最中もイタリアのランブレッタやベスパなどのスクーターなどを指しては「こういうのはどうか」と提案していたのだが、藤沢は、この形状に非常に難色を示していた。


 この当時、藤沢はあくまでコストや免許制度などを考慮し「50cc」に拘っており、125cc以上が当たり前のイタリアのスクーターはエンジン出力にモノを言わせて低重心化を目指した末に、あのような形になっているのを理解しており、


 あの形状を模倣しても「重すぎてパワー不足」になるのを理解していたのである。


 技術者ではない生粋の経営者としての副社長である藤沢だが、彼は「一般市民代表」の視点を常に持ち続けた男であり、


 ランブレッタやベスパなどを紹介される度に跨って左右にゆすってみたりしては「重すぎる」と、100kgをオーバーするスクーターを模倣して50ccエンジンを搭載しても絶対に成功しないことを、経営者として、そして一般市民的な視点から理解していた。


 だが本田宗一郎という技術屋から言わせればモペットのフレーム剛性がまるで足りていないのは一目瞭然で、


 いわば藤沢が構想する「50cc級」で、かつ「本田宗一郎納得の新たなるバイクの形」を作るには、まずここの部分で攻めて行かないと話にならない。


 しかし、藤沢の割と厳しい要求を聞いていた本田宗一郎もまた、「50ccエンジン」の非力さについては理解しており、


 頑丈なフレームにすれば重量増大を招き、まともに日本の道を走れなくなるので軽量化が必須であることなどわかってはいた。


 それに対し、最悪ペダルを漕げば辛い坂道をどうにかなると藤沢が主張する「モペット」を作ること、というか元より「50ccでバイクを作る」ことすら嫌だったものの、


「50ccでないとダメなんだ」という藤沢の言葉に段々と何か見えてきたのか、バイク店でスケッチをとったり、見たことない小型バイクを運転しているツーリング中の若者に声をかけてみたりと、ドイツ内で心変わりのようなものを起こしていた。


 余談だが、藤沢が50ccに拘ったのは、当時14歳から乗れる排気量帯であったためである。


 二輪の裾野を広げると考えた時「子供が大型バイクを夢みることが出来るような架け橋となる存在」こそ理想と考えており、(新聞配達運用などもこの時点で視野に入れている)


 また免許取得の容易さからも「主婦層だって買うかもしれない」ことを考えたら、50ccは絶対条件だったのだ。


 エンジン性能に対する現実を見て「将来的に絶対50ccはありえない」と主張した技術屋の本田宗一郎に対し、「50ccで出さなければその前に市場が滅びる」と意見的には対立した藤沢。


 結果的に「中期的に見た藤沢」と「長期的に見すぎていた本田」の違いしかなかったのは現在の状況を見て見ればハッキリわかる。


 最終的にドイツの視察によって本田宗一郎は「今の日本のメーカーによる、日本のためのバイク」を目指そうと心がけ、


 他のバイクと平行して50ccの新型バイクも開発することになったのだった。


 そして、手始めに作ったのがホンダドリームC70である。

 この250ccのバイクはドリームシリーズの新型として、スーパーカブの1年前に世に送り出されたものだが、


 このバイクこそ、本田宗一郎が認める「スーパーカブのある種プロトタイプ的存在」だ。

 スーパーカブがジムなら、このC70は量産されたRX-78-2ガンダムと言っていい。 


 日本の荒れた道でも通れるよう、そしてそれでいてコストを抑えるために導入されたプレス成型のバックボーンフレーム、乗り心地を考慮したボトムリンク式フロントサスペンション、扱いやすいロータリー式のシフトチェンジ機構。


 燃料タンクこそ一般的な配置ではあったが、全体像を見ると1年後に登場するスーパーカブにも使われた技術がこれでもかとばかりに導入されている。



 C70はスーパーカブを出すにあたっての土台としてカブに導入したい基礎技術を確立するために開発したバイクという側面もあったわけだが、


 一連のドリームシリーズはNSUの模倣でしかなかった存在だったのが、このC70から一気に転換されて実用車両となったことから「真のドリーム号はC70から」と主張する者も少なくない。


 実際、不整地の走破性能でもC70は突出していた。

 そしてこのバイクが出た1年後に出るのがスーパーカブだった。


 カブが目指したのは「モペットにすら劣る原動機付きエンジン搭載の自転車を駆逐して、二輪市場を日本に根付かせる」ことと、本田本人はは不本意で仕方なかったが、「スクーターを駆逐する」こと。


 後にカブシリーズの影響で商用スクーター開発に本田本人が大苦戦したのだから、ある種、本田宗一郎の本意ではない部分があったのは間違いない。


 ただ、じゃあ手を抜いたのかといえばそうではなく、全力を注いで当時のクラッチすらあったようなスクーターを駆逐できうるものを開発した。


 それこそ、スクーターに全力投球して失敗した本田宗一郎だからこそ、現状のスクーターの弱点の多くを知り尽くしており、


 だからこそ、日本版スクーターの礎ともいえるようなスーパーカブが作ることができたのだ。


 スーパーカブC100はそんな流れに乗って登場し、当時としては凄まじいパワーを誇る50cc4.5馬力という「本田宗一郎」納得のエンジンを心臓部としながら、車両重量は藤沢が要求した100kgを大きく下回る装備重量60kgとなった。


 いわば軽量な車体など、一連の「藤沢の厳しい要求」をすべて満たしながらも「本田宗一郎が納得できる二輪車としてのパワー」を誇る車両が誕生したのである。


 そんなスーパーカブは、1966年にそれまで判明した弱点をすべて洗い出してマイナーチェンジさせたモデルを登場させると、以降はそこから大きく形を変えることなく2012年まで作られ続ける。


 ただし、当初フレームと別体タンクだったデザインが、1970年代に入るとフレーム一体型タンクとなり、以降もそのスタイルを現在まで一貫していることが一部では大きく批判されていることはあまり知られていない。


 カブを知り尽くすものから言わせると「今の日本では、田舎にはまともにスタンドがなけりゃ、当時のような手押し車によるガソリンの量り売りもない」ので、ツーリング用途には非常に厳しくなっているのだ。


 また、2012年以降はプレス成型式バックボーンフレームを改め、角パイプ型溶接式フレームへ。

 これまで金属だった部分の多くがプラスチックになったが、


 現在の「劣化したホンダクオリティ」によって国産に戻ってもすぐ錆びることから非常に不評である。


 それでいてまだ生産が続く旧来のパーツは変わらぬクオリティなのだから「手を抜くんじゃねぇ」と言われるほどだ。


 今、律の目の前にある新型クロスカブ110の場合、前述するフレームなどは大幅に見直された極太角パイプフレームなどに変更され、実は「外装パーツは殆ど使いまわせるが、骨格は別物」になってたりする。


 現在展開される現行スーパーカブ一族の中で、「最も頑強なフレーム」を搭載し、「これまカブシリーズの弱点とされてきたパーツ」を以前説明したようにすべて「塗装化」し、


 他のスーパーカブシリーズでは剥き出しだった金属部分は「すべてプラスチックなどのカバー」で覆ってしまい、錆などに対しても非常に強くなった、耐久性こそスーパーカブの証明といわれたものを満たした、


 いわば「スーパーカブとしてはこれが正しいだろ」といわんばかりの存在だったりする。


 実は普通にスーパーカブとして重要な要素である「前カゴ」や「レッグシールド」は装着可能なので、


 これを装着した状態が真の現行スーパーカブともいえなくはないのだが……価格を見れば、ただでさえ価格が上昇したスーパーカブ110+7万円(スーパーカブ状態にしたら+6万で40万円オーバー)と、


 PCXとの値段差が殆どなくなってしまう状態に陥っている。


 そんなクロスカブだが、このバイクはかつて存在した、ある車種をイメージした後継車的な立場で出したのは有名だ。


 CT110ハンターカブ。

 それまで低排気量は売れないとされてきた欧米諸国などにカブシリーズを売り込もうと展開したシリーズの後継車種。


 実は有名なCT110は初代ではなく、初代にあたる存在はC105Tと呼ばれるコンセプトモデルを経て、1961年に登場したC105Hと呼ばれる存在だったりする。


 だがそれは「ハンターカブ」としての初代であり、実際にハンターカブの基となった、いわば郵政カブの基となったニュースカブのような存在があるのだ。


 1950年代後半から1960年代初頭にかけて、

 世界各国に進出するようになり、各国ではスーパーカブ含めた車両も販売していた。


 しかし一連のスーパーカブシリーズは米国では不評ならびに売上不振。


 当時、オーストラリアやアメリカ合衆国においては街乗りならスクーターで十分であるし、長い距離を走るならそれに適したバイクが別にあるとされ、カブの居場所は無いと思われていた中での勝負ではあったが、現実は非情とばかりに赤字を出す。


 しかし、そんな中でなぜかアイダホ州だけが高い売り上げを出していた。


 アメリカホンダの中でも高い売り上げを出す、普通に考えれば、米国の中でもただの田舎に分類されるアイダホ州の状況に「どうしてこの地域だけカブが売れているんだ?」と気になったホンダは、


 そこに何か米国でカブシリーズを売るためのヒントがあるだろうと考え、スーパーカブ開発チームを派遣する。


 そこで目撃したのは、現地の整備士が、現地の顧客ニーズに合わせて不整地用に魔改造したスーパーカブの姿であり、


 レッグシールドなど一連の装備はすべて外され、その上で「ファームバイク」「トレイルバイク」として販売される、


 まるで骨と皮だけのような姿になった開発チームをして「無惨」ともいうべき姿となったスーパーカブの姿。


 しかし、アイダホ州においてこのバイクは凄まじい売り上げを叩き出し、後に「ファーミングバイク」という市場そのものを、米国やオーストラリアを中心とした農耕地域向けとして誕生させることになるほどの勢いがあるほどだったのだ。


 使い方としては「牧草」などを大量に運んだり、羊などを牧羊犬などと共に追い掛け回したり、農地の状況を確認するための「ファームバイク」としての利用と、


 車でキャンプ地まで運んで、そこから短距離の道無き道を走破して川や谷といった場所を目指す「トレイルバイク」としての役割。


 そして、米国が発祥の地の1つだと言われ、当時盛んに行われたアマチュアスポーツである「クロスカントリーレース」にて最強レース車両の1つとして認知され、


 アイダホ州では、上記魔改造カブによるワンメイクレースすら行われていたのを見た開発チームは「これだ!」ということで、


 急遽これと全く同じようなスーパーカブを売り出すのである。

 そっち方面から風呂敷を広げられないかと考えたのだ。


 ただ、彼らのためだけに売れるものを作っても大して売り上げが伸びないのは目に見えていたので、

 トレイル性能を満たしつつ、他の者も惹かれる要素が必要とも感じていた。


 そこで本田技研が着目したのが、ハンティングを嗜む者が使う小型バギーである。


 積載力が必要で、かつ燃費が良くてそれなりにパワーがあり、車で森などに持ち運んでハンティングに使う道具などを運び込む相棒である小型バギー。


 これを「二輪で代替することは出来ないだろうか?」と、考えて登場させたのが1961年に登場した、「C100T、またの名をTRAIL50」と呼ばれる、ハンターカブの前身となるシリーズだ。


 スキッドプレートの装着など、一部魔改造カブから、さらに発展した部分もあったが、バカデカいリアスプロケットなどは基となった魔改造車両を踏襲している。


 実は「日本でも一部需要があるのではないか」ということでC100Tとして売り出したわけだ。(パーツ類はすべて国外仕様でメーターまでマイル表示で使い勝手が悪い)


 スーパーカブ通の中では「トレイルシリーズ」と呼ばれるこの車両は米国で大ヒット。


 特に、当時の新聞を見る限りは地方の保安官など「不整地をパトロールしなければらないような」者達に向けての需要がかなりあった様子で、(ハンターカブ共々、映画でもたびたび保安官が使ってるシーンが出てくるほど)


 元々は前述のハンティング用小型バギーの代替を目指すために用意したオプションでライフルをフロントのハンドル付近に固定できるようなステーなどが販売されていたが、地方の保安官達に大うけしたのである。


 このヒットは「乗用車としてはどこに需要があるか正直わかんないレース車両」と言われていたドリームCL72スクランブラーを米国で展開するきっかけとなったほどだ。


 何しろCL72は日本で1961年に販売開始がされたわけだが、これはスクランブラーレースと呼ばれるレース向け車両として本田が開発したものであり、「実用性なんてどこにある?」と思われていた車両だったわけなのだが、


 それが1962年に米国で販売されて大ヒットする前に、1960年にて、その未知の需要を発掘したのが上記「魔改造スーパーカブ」と1961年に急遽投入された「TRAIL50」だったわけである。


 このTRAIL50の成功を受けて誕生するのが、後のハンターカブというわけだ。


 1961年10月。 

 第8回全日本自動車ショー(後の東京モーターショー)に、2つのスーパーカブのコンセプトモデルが登場する。


 排気量が54ccとなった、スーパーカブC105シリーズをベースに「ハンターカブ」「レジャーカブ」の2つが登場した。


 形式名C105Tである。


 この二種は完全に「日本での売り上げを想定していない」モデルであり、「ハンターカブ」の商標は、この自動車ショーに合わせて獲得されている。


 実際に登場したハンターカブとレジャーカブは、どういうモデルだったかというと、「大型燃料タンク」とブロックパターンのタイヤを装着したC105スーパーカブに、積載能力を爆上げしたモデルで、


 金属のパニアステーを装着して、パニアステーにバッグを括り付けて積載し、ハンターカブはフロントに米国で販売されていた「TRAIL50」のオプションとして存在した「ライフルを装着するためのステー」をさらに発展させた「ライフルホルダー」を装着。


 このライフルホルダー、信じられないことに日本人デザインで日本で製造されてたりする。(まぁスーパーカブ自体、すべて国産で輸出されていたからわからなくはないが、当時ハンターカブをデザインした人間の後輩に、偶然狩猟趣味があるデザイナーがいて作れたという裏エピソードがある)


 レジャーカブには元来「ライフル」を括り付けるために米国でオプションとして販売されていた金属ステーに「釣竿とテニスラケット」を装着し、両者共に「米国」を意識したようなコンセプト車両として成立している。


 注目すべきはセンターキャリア。


 現在、スーパーカブシリーズでは社外品で存在する「通称:ベトナムキャリア」がある位置に純正のキャリアが装着され「HONDA」と書かれた予備燃料タンクが装着されている。(大容量燃料タンクにさらに予備燃料タンクを装着し、航続距離は600kmを想定していたらしい)


 北米で「不足」とされた航続距離を補おうとした様子がコンセプトモデルから伺えた。


 さて、このハンターカブだが、1961年11月からC105Hハンターカブが正式に販売。

 これこそ正真正銘「初代ハンターカブ」である。


 ただ、当時の二輪雑誌ライターは「コンセプトモデルと違い、スーパーカブと殆ど変わらない」と酷評しており、


 当初販売されたハンターカブはどうやら「ブロックパターンのタイヤ」などは装着されておらず、レッグシールドなどが装備された「猟銃用ホルダー」と「センターキャリア」と「パニアステー」ともいうべき両サイドの荷台が取り付けられただけの車両だったらしく、


 巨大なチェーンスプロケットや、剥き出しのチェーン、そして林道のために横向きにされたアリゲーターマフラーすら装備されない「ライフルホルダーが付いて赤くなっただけのスーパーカブ」だったという。


 輸出仕様であるTRAIL50のイメージでもって店に訪れた客もガッカリした様子だというバイク系雑誌の記事が残されている。


 あまりにも不評すぎて1963年にマイナーチェンジされた際にはホンダも展示車両として保管する、1963年に米国でも販売された5.7Lタンクなどを装備しているTRAIL55と全く同じ仕様のC105Hの姿になるのだが、


 マイナーチェンジ前のモデルをホンダが「ツインリンクもてぎ」などで保管していないのも「色が違うだけで猟銃用のホルダー」がなどが着いただけのC105だったからである。


 ここで注目すべきは、ハンターカブ最大の謎車両とされるC100Hハンターカブという存在。


 カタログに出てくるイラストが「すべてバラバラの別物で、まるで実物の存在が確認できない謎のハンターカブ」だ。


 どういう形かまるでわからないのである。


 1963年にテスト販売で数台販売されたとされるC100Hハンターカブは、センターキャリアなどは装備しつつもレッグシールドなどを外し、ブロックパターンのタイヤを装着した国外販売モデルそのまんまの姿で、


 1963年の富士山登山に使われたことがわかっている。(実物の写真がある)


 だが、1961年から販売されているはずのC100Hの写真はまるで存在せず、そもそもが1963年以前の実物すら確認できない。


 販売されていたどうかも非常に怪しいが、そもそもがこの手の「C100ハンターカブ用純正カスタムパーツ」は当時ホンダから販売されていて、「C100ハンターカブ風カスタム」は、割と一部で流行していたので、


 本編中に清川が乗る「CB1300ドリームスペシャル」と同じく、正規販売された台数以上に存在している状態となっているが、


 CB1300ドリームスペシャルと違って「販売台数」すらホンダ自体が記録していないため、正規のC100Hがどれだけ存在しているのか、どういう形状並びに仕様で販売されたのかすらわかっていない。


 なまじスーパーカブには派生車両が多いだけに、そういう事があるわけだ。


 さて、そんなTRAIL55ことC105Hハンターカブだが、米国では各種パーツを追加した重量増加によるパワー不足にクレームがつくようになり、


 ホンダは北米での少なくない売り上げ台数から、ついに大きく舵をとることになった。


 1964年、CT200の登場である。


 この後、一連の不整地向けカブシリーズはCT90、CT110、そして律が乗るバイクの1つ前の世代のCC110、そして律がこれから乗る新型CC110へとシフトしていくことになるわけだが、


 CT200はある種付け焼刃的だったカブの魔改造から、カブのフレームだけを利用した完全な兄弟車種という形で展開される。


 CTというのは「サイクルトレイル」の略称であったが、日本で販売される際にもこの型式がついた。


 特徴的なのは剥き出しのバーハンドルだけでなく、サブフレームとスキッドプレートの装着などであり、カブのフレームだと弱いという主張があったために、新たにサブフレームとスキッドプレートを一体化させたものを装着した。


 燃料タンクは後にCT110にも続く6.5Lへ大型化。(CT110は販売国によって燃料タンクの大きさが異なるが、純正最大容量が前述した通り6.5Lで、米国とオーストラリア向けが純正でコレを装備)


 エンジンはベンリィシリーズ及び、カブCM90に使われたOHV86.7ccのものを搭載。

 2つの大小のチェーンスプロケットを装着し、走行中にチェーンを取り外して変更できるように調整。


 トレイルランするまでは小さいスプロケでツーリングし、トレイルランする際には、大きいスプロケに変更するといったことが可能なように調整。


 これは元々「車で運ぶ」想定で作られたTRAIL50シリーズだったが、TRAIL55で燃料タンクを5.7+オプションで補助燃料タンクを搭載できるようになったことから「すべて1台で完結する」ユーザーが大幅に増加し、


新たに「ツーリング中とそうでない時でスプロケを切り替えたい」という需要が生まれたからである。


 スーパーカブを大幅に北米仕様に近づけたTRAIL55は、CT200となってついに本田宗一郎か考える「二輪」として米国にて羽ばたいたのだ。


 前述するパワー不足も「すべて1台で完結したい」ユーザーの声が最も大きく、ホンダとして「上手くいけばもっと売り上げが伸びる」と考えたゆえのCTシリーズの登場だったわけである。


 ただし、あまりに欧米特価しすぎたために日本では販売不振。

 CTシリーズの殆どはカタログ上出てきても2年程度で消滅を繰り返すようになる。


 CT200はカブの可能性と欧米でのありようを見事に示すが、排ガス規制に飲み込まれて生産終了。

 この間わずか2年である。


 尋常でなくCT200の玉数が少ないのはこのせいであり、CT200はレアカブなんてあっちの国でも言われてたりする。


 しかしCTの血脈はこの程度では途切れない。

 CT90はエンジンをOHCに変更して1968年に登場。


 初期型の基本仕様はCT200を踏襲。エンジンが変わっただけなのだが、

 前期型の途中から副変速機が新たに搭載される。


 ハンターカブというと「副変速機装備」というイメージがあるが、実際にはCT200とCT90の前期型である「チェーンスプロケットを入れ替える」システムが「面倒くさすぎるだろ!」と不評で新たに搭載されたものだったりする。


 つまり初期型はエンジンを変更したCT200と同じ仕様。



 現在市場で売買されるCT200はCT90初期型にベンリィから取り外したモノを搭載して作ったパチモノも多いが、それだけCT200に隠れたファンがいるのと同時に、殆どCT200と変わらないのがCT90初期型なわけだ。


 しかしCT90自体は米国の顧客の高い要求に合わせて何度もマイナーチェンジを繰り返した上、それぞれが初期型を除いて互換性があるので「どれがどの時代のものなのか」フレームナンバーで確認しなければわけわからない状態となっているので、CT200パチモノ以外の存在も「何をもって純正なのか」と言われると割と厳しい。


 何しろCT90は後継機種CT110とも互換性があるので、CT110のパーツを流用して修理されているものも多いが、CT200もCT110のパーツで修理可能と、もはや「汎用性が高すぎてなんでもアリ」な状態。


 完全な純正というのがボヤけているということをここに記しておこう。


 そんな数多くのマイナーチェンジの中でも特徴的なのは中期型以降に登場し、クロスカブシリーズでも標準装備される、リアキャリアに固定された「補助燃料タンク」が日本ではオプションとして、米国仕様などは純正で装着されたこと。


 この補助燃料タンクは当初、設計担当に本田宗一郎が「燃料コックで切り替えて普通にリザーブみたいに使うことはできないか?」と強く訴えていたものの、デザイナーは「構造的に完璧に動作させるにはフレーム構造的に難しすぎる」として難色を示し、


 とりあえず作って試す本田宗一郎は即興で技術者に命令して作って見たものの、走らせてみたら作ったタンクの7割の量、つまり注いだガソリンの3割を残したままタンク内に留まりエンストしてしまった。


 すべての燃料を使い切るには、残りの燃料をエンジンに送るために車体を揺さぶったりしなければならない欠陥品だった。


 これをたった1日で試して納得した本田宗一郎は「俺が悪かった。ただの固定式の補助燃料タンクで行こう」といって謝罪したというエピソードがある。


 後に現行のクロスカブシリーズまでこの方式で純正補助燃料タンクが用意されて続くわけだから、本田宗一郎の判断はこの当時としては間違ってないとても優れたアナログなシステムなわけだが、


 小型電動ポンプがある現在は「かつて本田宗一郎が望んだ形にしろ」と一部のユーザー(筆者含む)からもっぱらよく言われていて、日本や米国でそんなカスタムを行う者が実在する。


 それはさておき、CT200、CT90は成功。

 米国に「カブ」というイメージを形作るのに貢献した。


 さて、CT110は息の長かったCT90の後継車種として登場。

 エンジンはOHCからMD90の郵政カブに搭載された90ccエンジンをボアアップさせた105ccのものへ。


 その他の仕様はCT90の後期型とほぼ同じ(最も初期のCT110は除く)


 このエンジン、実は旧国産カブでは最強クラス。


 というのも、スーパーカブ90の純正モデルは89cc(または85cc)よりボアアップする場合は、タイカブと呼ばれるタイ向けのスーパーカブ100のシリンダーを用いた97ccが限界なのだが、


 純正で100ccを越えるのはCT110シリーズぐらいしかない。


 CT110の登場理由はOHCエンジンの生産終了に伴うものだが、信じられないことをやって米国では一時期販売不振に陥る。


 それはなぜか当初あのハンターカブの代名詞ともいえる「副変速機」をコスト削減を理由に廃止したこと。


「エンジンパワーアップすりゃいらんやろ」と勝手にホンダが考えてやったことなのだが、米国では「いらねえそんなハンターカブ」とばかりに信じられない販売不振を招き、わずか10ヶ月たらずで次年度モデルを出して副変速機を復活させた。


 問題はここからだ。


 この時、ホンダはどうやら「米国でCT90が1年間売れるであろうある程度の台数の」CT110のベースとなる車両を生産していたらしく、大量の副変速無しCT110が余ったのである。


 そこでホンダが何をやったかと言うと、「日本版は1980年以降もこの仕様でCT110を販売します!」という方法。(つい最近、似たようなことをNC750Sでもやった)


 無論副変速機あってこそのCT110と言われるハンターカブ。


 1983年までにとりあえず売りさばいたホンダはCT110をカタログから抹消したものの、本物のCT110を求めたユーザーは逆輸入で購入。


 そもそも、日本版CT110ハンターカブは米国とは異なり6.5Lタンクも搭載していなかったのだから魅力半減どころではなく、


 逆輸入版の本物に乗ったことがある筆者からしても「普通に高速80km巡航できるし、普通免許枠で高速のせてくんないかな……っていうか130ccとかいって、こいつ復活させて」と思うほど高い完成度を誇るCT110は、


 日本では売り上げが悪かったと言われるが原因は無駄に日本独自仕様にして劣化させたからである。


 当時を知る者は「生産終了から非常に話題になって、逆輸入車を買う者が殺到。なぜか再販売を懇願する者がいた」と回想録に記すバイク雑誌の記事があるが、


 その裏には「国内独自仕様という名の売れ残り」が存在していたため。

 真のCT110はオーストラリアなどで2007年まで販売され続けた副変速機付きビッグタンク搭載モデル。


 筆者はこいつが150ccになって復活したらもう他にバイクはいらないと本気で思ってる。

 100km巡航可能でMAX120km出る、そして高速にも乗れる、そんなハンターカブを求めている者がいるというわけだ。


 さて、話を戻すがハンターカブの事実上の後継車種として登場したのがCC110クロスカブだ。

 2011年、そのコンセプトモデルが出た時は「ハンターカブ? どこが?」と思ったものだ。


 雑誌記事のライダーは1960年代~70年代と異なり、メーカーに不を唱える者はいなくなってしまった2010年代において、おそらくホンダが雑誌記者を通して言わせたの言葉なのであろうが、こいつが「ハンターカブ」と言われても意味不明だった。


 当時はC105H初期型など知らず、CT90とCT110のイメージしかない筆者にとってCC110は「どこが?」の一言しか出なかった。


 しかし今にして思えばこいつは、大失敗したC105Hの再来だったのだろう。

 殆どまんまだ。


 スーパーカブ110との違いと言えば、金属製フロントフェンダー、泥除け、純正フォークブーツ、塗装になったリアキャリアとフロントキャリア。


 まぁなんというか「17インチ」になったスーパーカブプロ110及び、郵政カブなわけだが、郵政カブは確か5.0Lビッグタンクだったのに対してこいつは何でか4.3Lだった。(もしかしたら郵政カブの新型は4.3かもしれないが確か5.0だったと記憶してる)


 現行CC110と比較してみれば、タイヤの違いがあるわけでもなく、泥を防ぐためのプラスチックパーツも少なく、フレームもスーパーカブ110と同一。


 正直言って売れてほしくなかった。


 しかし、17インチの郵政カブもどきという立場は売れるに十分な要素。

 レッグシールドなど一連の装備のおかげで日本では不思議なことにそこそこ売れてしまう。


 筆者は心の中で「爆死しろ!」と願ったものだったが、現実は他のカブユーザーと筆者の趣向がズレていたということなのだろう。


 しかし国産スーパーカブが復活すると言われた2017年。

 満を持して、このクロスカブは新型へと生まれ変わる。


 よりハンターカブを意識しつつもクロスカントリーというトレイルよりは激しい不整地ではないカブシリーズとして国産として蘇り、そのコンセプトモデルが発表。


 その後に市販されたモデルこそ、律の目の前にある2018年に販売された新型CC110クロスカブだ。


 クロスカブについての説明は以前より散々行ったので割愛しておくが、現時点のこいつで一番気に入らない点がたった1つだけある。


 燃料容積4.3Lだ。


 スーパーカブ並びにクロスカブは現行だと大体1L/60kmぐらいは走ってくれる。

 4.3だとつまり260kmぐらい。


 260kmぐらいが大問題である。

 現在、日本では200km以上ガソリンスタンドがない地域が普通に出始めている。


 260kmの航続距離ということは「燃料満タン状態ですら、その区域では一切寄り道できない」ことを意味している。


 以前より筆者は何度か別作品などで350kmですら心許なくて困ると説明しているわけだが、


 350kmでも事前にその領域に突入する前にその区間に最寄のガソリンスタンドに入ってからでないと寄り道できない不安というものがあるのに、60kmだと補助タンクでも持ってないと話にならない。


 無論、北米で販売される純正のリアキャリア固定式補助燃料タンクというものがあるが、こんなものでいちいち燃料補給していられるかという話である。


 余談だが、セルフスタンドでは手持ち式のガソリン携行缶へのガソリン給油は禁止されていることを考えると、この純正リアキャリア固定式補助燃料タンクはある意味では使いやすいが、


 いちいち補助燃料タンクを満タンにして、ガス欠時にトクトク入れる作業の面倒臭さは半端じゃない。(余談の余談だが、ガソリン携行缶の使い勝手が悪く筆者が好きではない最大の原因が最近めっきり数が減ってきた通常のスタンドで補給できないこと)


 例えば6.5Lあれば400km近く移動できるわけだが、残念ながらハンターカブは燃費が悪く6.5Lあっても300km程度しか走れない。


 だが、その300kmすら走れないクロスカブの辛さといったら尋常なものではなく、しかも、フレーム一体型の燃料タンクを装備するスーパーカブは実は真上に盛り上げることによって3Lぐらい燃料容積を簡単に増やせ、


 ハンターカブのような別体タンクの場合は8Lとか9Lとか、横幅も利用して容量を増大させられるのだが、(副変速機のない日本版CT110はこの長距離航続性能の影響でコアな人気がある)


 CC110クロスカブはプラスチックカバーで完全に覆っていて、簡単に燃料容積を増やせないのである。


 ならせめて7Lとは言わないまでも6Lぐらいまではタンクを大型化してほしかったが、なぜかそれをしなかった。


 それが現行クロスカブでバイク雑誌などにも書かれる唯一無二といえる弱点であり、カブをツーリングにも使う者からは「どうしてここを見直さずに出したのか」という声は尽きない。


 それ以外が完璧で、ホンダドリームですら「クロスカブ110は現行カブシリーズにて最強」というのだが、その弱点が目立ちすぎる。


 ここまでやってツーリングに向く性能にしておいて、どうして肝心の航続距離がないのか!と、常に乗り手を悩ませる。


 そんなツーリング用途として可能性があるのに、自らその可能性を潰してしまったクロスカブ110が律の目の前にあるのだった――


 ~~~~~~~~~~~~~


 一連の乗車説明を受けた律は、山本が「ギアチェンジに手間取るかもしれんぞ」という一言を上田に話したため、急遽上田がギアチェンジの感覚を教えるためにセンタースタンドをかけた状態で少し操作見せてみることになった。


 カブシリーズのギアチェンジ手法はノークラッチ。

 だが、一般的なバイクとは異なり、押し込んで1速、2速と変速していく。


 1速だけ押し込む仕様のリターン式とは異なる。


 問題はこの操作方法、DCTと完全に違うため、この操作に慣れたまま2年ほどMTに乗らなくなるとと「通常のリターン式でしばらくの間エンストを連発」する。


 DCTの場合、ノークラッチでもオプションで装着可能なペダル操作は同じ。


 だからオプション装着などしていた場合は一瞬クラッチの存在に戸惑うが、操作方法を忘れるケースは少ない。


 だが、カブシリーズにはエンストを連発する最大の違いがあるのだ。


「いいかい律くん。カブシリーズのギアは常に1速以上でいい。乗り方のスタイルとしては3速ギアモデルは2速と3速切り替えだけで十分だがこいつは4速ギアモデル。2速あたりに合わせて置いて2速発進でも十分だが、4速でブレーキしてもエンストしないから、完全停止して踏み込めばNニュートラルに入る。2回後ろに踏み込んで2速に入れるか、ローギヤードすぎる1速を使うかは君次第だ」


 上田はガチョンとギアを切り替えながらカブのロータリー式シフトチェンジを説明するが、

 そう、ようは1速に入れたままでエンストしないというのに慣れるとクラッチの必要性を忘れて1速でエンストを連発するというわけだ。(もしくはNのまま1速に入れ忘れて発進ミス)


「注意点としては走行中は絶対にNには入らないことだ。よほど古いカブでない限り完全停止しないとNに入らない。それと、ギアチェンジはアクセルを入れたままだとものすごくガクツク。ギアチェンジの際にスロットルはオフの状態だ。正確に言えばオフにした瞬間にギアを入れ替えるのが安定。タコメーターは見ての通りついていない。エンジン音と感触で経験を得て、その感覚を活かした最適なギアチェンジ法を見出せ。こいつで慣れればギアチェンジが上手くなる。がんばれよ」


 上田は、ヘタにギアダウンするのもカブシリーズはローギヤードなので危険なことを説明した上で、まずはシフトアップだけの操作で乗ることを推奨し、センタースタンドを外した状態で律に座席を譲った。


 律は自分の体より小柄な黄色いクロスカブに跨ると、ふにゃっとした感じでバイクが沈み込む。

 足つきは律にとっては良すぎるぐらいで、ちょっと足を出すとすぐ着地してしまう状態にあった。


「うちのレンタルカブシリーズにはギアポジションメーターが付けてある。上級者は音と加速でわかるが、それが参考になるだろう。じゃあ俺は店に戻るから、ここで練習するかどうかは任せる。がんばってね」



 そう言うと手を振りながら上田は店に戻り、律は一人きりとなる。

 律はまず停止したままでも4速まで上げられるということからそれを試し、そしてNへシフトチェンジした。


「よしよし、停止したままなら、どの速度でもいいんだ……エンストはしない。頭に入れておいて……行くぞッ」


 ガチョン。

 1速に入れた律は少しずつスロットルを開く。


 まるで自転車が動くようにして前に出るクロスカブ110。

 そのまま坂を下り、そして正面の道路へ。


 かつてのモデルと異なり、現在のカブシリーズのウィンカーは左側となっており、操作方法は特段他のバイクと変わらない。


 クラッチはないがギアチェンジは手動のバイク、そういう状態及び感覚であった。


 カチッカチッカチッカチッというウィンカーの音がするのが不思議であると同時に「こんな音なら、わかりやすいし他の車両についててよくない?」などと思いながら、律は1速で道路に入る。


 ドゥオオオオン ガチャァ ドワワワワワ


 単気筒SOHCエンジンはまるで新聞配達員の気分になるような音を奏でながら、スーパーカブはゆっくり加速していく。


 加速感がいまいちな状態と現在なっていて律はそれを気にかける。


 (これ、もしかしてスロットルが足りない? もっと開くか)


 あまりも加速が鈍かったことで、律は思い切ってフルスロットルにしてみるが、2速状態のクロスカブはフルスロットル状態でようやくアフリカツインで下道を加速するより少し速い程度の加速になる。


 そのまま3速、4速へ。


 最初は操作に戸惑い、アクセルを入れながらギアチェンジするためにものすごくガクガクと揺れるクロスカブ110。


 しかし15分ほど周辺の道路を反時計周りにて周回しているうちに慣れていく。


 そして――。


「――うわっ! めっちゃ楽しいんだけど!?」


 小柄で軽い挙動。

 おもちゃみたいにバタンバタン揺れる車体。


 まるで下道なのに冒険をしているような気分になる。


 だが、それも合わせて楽しいのだ。


 その縦にボヨンボヨンと跳ねる揺れ方は、完全に板バネ式の大昔の吊架け駆動の電車のようである。


 それでいてトラクションはまったく失わず、農道でも平気で進んでいけるのがこれまた楽しい。


 例えばCBは跳ね上がるとズドンと衝撃が腕に加わり、その後に一瞬フワッと不快な接地感のロスが発生する。


 アフリカツインは「ふぅわぁ」といって段差をヒョイと乗り越える。


 クロスカブ110は一瞬遅れてボヨンとはねた後、ヨンヨンと振動が続く。

 まさに「昔の乗り物」といったような挙動。


 だが不快というほどではない。


 むしろ楽しい。というか面白い。


 衝撃を吸収させるために何度も跳ねるのは一度に衝撃を吸収しようとして腕に負担をかけるスポーツバイクよりも数段優れている。


 当時の技術者がそう考えて作り、今もそんな乗り味が残ったままなのだろうと推察できるが、割と乗り心地は悪くない。


 そして律は気づく。


 今まで乗ったバイクにおいて「一瞬遅れて跳ね上がる」挙動を示すのは、すべて「スポークホイール」であったことを。


 WR250RやCRF250Rallyなど、すべてそうだった。


 またクロスカブの挙動は微妙にZIIに似ている。

 アフリカツインも、ストローク量でもって何度も跳ねないようにしているだけで一瞬遅れる反応は同じ。


 スポークホイールとはこういうものであり、アルミキャストホイールだと硬い挙動になる。

 今までの経験から律はついにそれを理解し、


 そしてその上で「自分はスポークホイールが好きだ」という結論に至った。


 クロスカブ110はというと、「なんだか普通にどこまでも行けそうな感じ」と、乗り物としては普通に悪くない代物で、


 「俺、当初C125を買おうか迷ってたけど……何が足りないんだろう?」と、一瞬高速などに乗れない欠点を忘れてしまうほどであった。


 実際問題、高速に乗れないばかりか、最近増えてきている125cc未満走行禁止区間にも乗り入れできないわけだが、逆を言えば「乗れるようにしてみたら」非常に優秀なバイクと言えるわけだ。


 足りないのはここぞという時の加速と、坂道で少し加速が鈍ることと、60km巡航をややキツい直線の坂道ではできないなど、それぐらいしか弱点がなかった。


 二人乗り可能なクロスカブは後ろに60kgぐらいの荷物を載せても平気で走れてしまう、カブシリーズの血を受け継ぐ者。


 それが証拠に、実はフロントライトの真上にあるのはフロントキャリアで、ここに寝袋やテントなどを積載できるばかりか、


 国外では普通に「子供を乗せたり」しているぐらいそれなりに重い荷重に耐えられる。


 一見するとフロントライトガードに思えるが、そうではない。

「フロントキャリア」である。


 新型クロスカブになって搭載されたものだが、旧型クロスカブには無かったものだ。

 これが現行カブシリーズの中でも傑作車両といわれる所以である。


 リアキャリアも大型のものを装備。

 なんでも載せられる。


 何でもどころか「人すら」乗せることを考慮している。


 ピリオンシートと呼ばれる、キャリアに人を乗せるための即席シートが純正であったりするわけだが、リアキャリアの対荷重は100kg以上だ。


 10kgなどと情けないことを言っている他のバイクと比較すれば圧倒的である。


 律はそのまま大通りへと入って行き、しばらく美濃加茂市内周辺を車などに混じって走ったが、気になったのは走行中のエンジン回転数が高すぎるぐらいであった。


 しかし、エンジン回転数が高くともまるで問題なく走れてしまうばかりか、60kmを維持するにはそのエンジン回転数が必要なことから「スーパーカブは頑丈と聞いてたし、これで問題なく長年乗り続けられるんだろうな……」と、なぜか不安がなかった。


 単気筒エンジンは振動が強いと言われるが、言われるほど振動は強くなく、アフリカツインの方が振動が強く感じるほどだ。


「1日100km程度下道を走るだけなら、最強の相棒となりうるんだろうか……こいつは」


 律は乗っていてそれを理解すると共に、カブに魅了されてしまったのだった。


 その後、2時間近くほど走ると周囲は暗くなる。


 律は綾華に「買い物とかあるから一旦帰ってきて」と電話で呼び出されたため、帰宅することとなったのだった――

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