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銀の翼は今日も駆け抜ける。(前編)

 東京は世田谷の烏山の閑静な住宅街。

 ここに住む者は地獄を味わうのだ。


 周囲は環八と環七、首都高4号線。

 地図上で見れば「どこにでもすぐいける!」と思う場所。

 しかし実際は……


 渋滞 渋滞 また渋滞!


 どこへ行こうにも渋滞と戦わねばならず、この地域で自動車を趣味にすることは文字通り「地獄の抜け道を知る者」となる。


 その案内人としてなぜか優秀なのが日本国ではなく米国のスマホアプリ式ナビゲートシステムだ。

 このナビゲートシステムは単純にビッグデータを活用しただけの代物。


 「そこを誰かが走った」という記録を頼りに交通ルールに違反しない限り徹底した迂回を指示する。

 最終目的地を決めていない者にとっては、まさに「神のもたらしたツール」であった。


 ただし、そのツールが神たりえるのは――どんな道も走破できる車両のみ――

 なぜならば、このビッグデータは一度誰かが通れば、まともな車両では到底通れないような道を平然と案内するようになるからだ。


 だから、こいつと付き合う時はなるべくまともな道を指示する別の案内人と、そして自分自身の知識を生かさなければつかいこなせない。


 どこにでもいそうで意外といない、何事にも妙な独特の拘りをもつ男、音羽オトハ リツはそれが可能なライダーであった。


 いや、数々の経験ツーリングがそれを可能な者へと成長させていた。


 三連休前の金曜日の夕刻。

 週休2日で土日が休みである律は、火曜まで休みをとり自宅に帰還。

 その足取りは軽く、明日から毎日休日といった面持ちである。


 自宅に到着後すぐさま、準備にとりかかる。

 ワイシャツなどの洗濯物を洗濯カゴにつっこみ


 階段を昇って自室に駆け込むとすぐに着込めるよう準備していたライダージャケットに身を包む。

 まずはアルコールを染み込ませた汗取りウェットペーパーで全身を拭く。


 労働で流した汗の匂いを完全にかき消すのだ。

 そしてその上で速乾性の高いスポーツ向けのTシャツを身に着ける。


 それは無地の紺色で同じものを6着も持っていた。

 次にこれまた同じくドライ性の高いカーゴパンツを履く。


 カーゴパンツも同じく同じものを2着所持。

 この2着を洗いながら着回す。


 カーゴパンツにはすでにツーリングのために使うツールの一部がサイドポケットにつっこんだ状態である。


 便利ゆえ、この細身の若者向けカーゴパンツが手放せない。


 一通り着替えた律はスマホに通知がないか確認する。

 特に誰からもツーリングの誘いはなかった。


 その状況にニヤリとする。


「東海より西でないと誰とも合流はしたくないからねー」


 目的地は決まっていない。

 西へ向かうということだけ頭に入れている。


 すでに中京圏まで視野に入れていたが彼が描くツーリングに決まった目的地などない。


 準備といっても20分もかからなかった。

 すでに殆どの準備は終わっている。


 そういう風に普段からまとめている。

 ライダージャケットを着込み、ジャケットのポケットに財布とキーをつっ込めば変身完了。


 何時もどおり後は着替え一式をまとめたものを持ち込んで自宅のガレージに行くだけだった。


 ヘルメットすらバイクに積んであった。


 ガレージには燃料満タンになった愛車が待っている。

 愛車には常にロングツーリングに必要な道具が積載されている。


 常に積載されている一覧はざっとこんなものである。

 テント、テント用グランドシート、シュラフ、マット、ランタン、CMSゴム引き合羽、レインブーツカバー、洗車用スプレー+シリコンスプレー、マイクロファイバータオル複数、カラビナロック複数、チェーンロック、バイクカバー、歯ブラシ、折りたたみ保冷バッグ。


 意外に少ないと思うかもしれないが、これで十分だ。


 この装備を見た時、キャンプツーリングを嗜む者ならこう言うことだろう。


「テント以外に必要なものがあるのではないか?」―と。


 律にとっては必要なかった。

 通常の野宿を考慮したロングツーリングでここに足してもいいものとしてはコップ+コッヘル+カセットガス+コンパクトカセットバーナーぐらいであろうという考えを持つのが音羽律の達した結論。


 上記のパターンでいえばイワタニのカセットバーナーにコッヘルは王道の組み合わせ。

 だが、律は今回キャンプに行きたいわけではないので必要がない。


 彼は寺崎勉と同じく「ただそこで寝るだけ」なので、それで十分なのである。


 さすがにあれこれ現地で生物を食すような寺崎勉のようなサバイバルなことはしないのだが。


 知らない者も多いだろうが、無料のキャンプ場の大半が≪煮炊き禁止≫。

 キャンプ場ではないがテント宿泊が認められている一部の山の山頂も基本≪煮炊き禁止≫。


 律はそういう所を好む男。

 煮炊き禁止の場所を中心に活動する彼にとってこれらは邪魔な道具になる。


 ところでテントやシュラフの内容だが、シュラフについては王道の「モンベル」仕様。

 所有物にはいくつものモンベル製品に溢れていたが、信頼と安心の「モンベル」だ。


 ただし、シュラフはどこぞのインターネット上のまとめサイトなどで評価されるダウン(羽毛)シュラフではない。


 多くのまとめサイトではなぜかダウンを推奨する。


 しかし律はこれに否定的だ。

「――なぜ積載にはある程度余裕のあるライダーが、使いにくいダウンを使わなければならないのか。――」


 律から言わせればライダーにダウンは無駄な買い物だ。


 ではどうしてそう思うのか。


 ここにモンベルムーンライトⅡ型とバロウバッグ#0があったとする。

 モンベルダウンハガーは上記組み合わせの新品とほぼ同額である。


 つまり、ダウンを諦めればツーリングテントの中で王道中の王道が買えるということだ。

 ようは倍の価格がするということ。


 それでいてダウンハガーは使えばわかるが使うとダウンが外に出てくるし、雑に扱えば2年でヘタってくる。


 一方、化学繊維のバロウバッグが劣化を感じるのは雑に扱っても6年後と、3倍以上の耐久性がある。


 そもそもダウンハガーというのは、月に何度かあるかないかの山登山向けのバックパッカーが持ち込む存在であり、とにかく積載容積と積載重量を減らしたい人たちが持つもの。


 荒い使い方は厳禁の代物で、手入れにも余念がない者が使って始めてその効果を発揮する。


 一方でそんなもんはバイクに積載すりゃいいってなライダーにとっては、雑に扱ってもヘタらないバロウバッグの方が優秀だ。


 汚れたら洗濯機に投げ込めるので、旅先でコインランドリーを使い洗うことができるなど利点が多い。


 何よりもこのバロウバッグ、化学繊維系シュラフの中ではその防寒性能に対してもっとも容積が少なく、軽い。


 ようは化学繊維系最強最軽量クラスのシュラフである。


 例えばシュラフの中にはコストコシュラフと呼ばれるコールマンの3980円前後の最強クラスのシュラフがおすすめされていることがある。

 これは確かにコスパで言えば最強で間違いない。


 だがこいつは布団モードにならないし、何よりも巨大すぎる。

 おまけにスタッフバッグに仕舞い込むのに手間取る。

 チャックの開閉も面倒。


 となると、6倍近くの価格だが、こちらの方が選択肢としてライダーに向いていた。

 だからこそ律はこのシュラフを愛用しているのだ。


 こういった代物に手間などというものはなるべくかけたくないのだ。


 ちなみに、今回持ち込むテントはムーンライトⅡだけではない。

 確かにムーライトはある意味で最強候補。

 律も所持していることは所持している。


 ムーライトがなぜ最強候補なのか、これについてはネット上で勝手に「組み立てが早いから」と、適当に書かれているがこれは違う。


 組み立ての早さならもっと早いものがある。


 では何が最強か。

 それは耐久性。


 ムーンライトⅡはなんといっても重い。

 他のテントと比較して2倍近くになる。


 しかしそれは、生地の厚さ、アルミポールの太さによるものであり、とにかく耐久性の高さについてはトップクラスである。


 どれだけ耐久性があるか。

 律の所持するムーンライトⅡは1998年製だが、未だに雨漏り1つしない。

 20年は余裕というのがこの時代を象徴する古き良きテントであり、かつてはブリジストンなどのテントも同様の耐久性を保っていた。


 しかし時代は軽さを求めるようになり、この手の頑丈な製品は殆どが淘汰されている。


 その中でも生き残っているムーンライトは「設営が楽」という理由だけで支持されているように思われるが、圧倒的コストパフォーマンスと耐久性こそ本当に評価すべき点であり、中古で10年落ちを購入しても新品と性能が変わらないというのが最大の魅力なのだ。


 また、販売も続けている影響で修繕可能だったり、パーツ単位での購入も可能だからこそムーンライトの戦闘力は高く、技術の発展に合わせて進化する化学繊維に旧来の代物に対抗できている。


 律はとあるキャンパーがいらなくなった代物を貰って使っているが、あまりにも優秀すぎて他のテントを選択するのに困った。


 だが、律にとっては様々な経験により普段はムーンライトを使っていない。

 普段使うテントは極一部で密かにライダーに人気のある「サーカスTC」と呼ばれるもの。


 モノポール式軽量大型テントである。

 なぜこれを彼が使うのか。


 バイクをテント内に収納できるからである。

 それだけではなく、バイクを収納したまま、この中にムーンライトⅡを展開できる。

 唯一の弱点である極寒に弱いムーンライトⅡはこの使い方によりオールシーズン対応可能となる。


 テントカバーならぬ「テントの中に3シーズンテント」

 サーカスTCに許された使い方の1つである。


 なぜサーカスTCを律がここまで好むのかというと。

 雨をバイクごと凌げるため。


 キャンプ場おいて最も怖いものといえば雨と風。

 特にライダーにとって風は気づいたらバイクが倒れて大変なことなる危険性も孕む。


 それを防ぐ事ができる数少ないテントである。

 モノポールテントは頑丈な柱1本を軸として成立するので極めて風に強いのだ。


 一応、バイクカバーは常に常備している。

 朝霜や朝露といったものが故障の原因になるため、それを防ぐ目的がある。


 サーカスTCが常に使えるわけじゃないので場合によってはバイクカバー+ムーンライトⅡである。

 一方、展開できる場所においては優雅にバイクを眺めながら寝る事ができる。


 無料キャンプ場ではとにかく盗難が多く、サーカスTCの強さはここで発揮される。

 締め切ってしまえばバイクごと全てを覆い隠せる。


 盗難の基本はテントの外に配置されたものであり、テントの中まで入る「強盗」をやらかす者は少ない。


 犯行は昼夜問わず、テントの外にあるものを隙を伺って奪うのでチャックを閉めてロックをかける。

 これだけでかなり盗難リスクが減る。


 夏は盛大にグランドシートを敷いてそこにマットとシュラフという状態で十分であり、律はいつもそうやって過ごしている。


 グランドシートはムーンライト専用のものを流用すればいいのである。


 何らかの原因によりあまりに寒い場合はムーンライトをサーカスTCの中に設置。

 つまり、全体的に荷物量が少ないのは、この構成だからこそ簡単に他のものを増やせないという理由もあった。


 ところで、マットについて律はサーマレストを用いているが、

 こいつは耐久性に難があり代替品を模索している。

 が、銀マットより遥かに高性能で代わりがない。


 これもネット上ではなぜかインフレーターマットなどが推奨されているのだが、インフレーターマットなど撤収や展開に時間がかかるものは直ぐに使わなくなる。(というか重い)


 荷物容積よりも重量のほうがよほどリスクとなるツーリングライダーにおいては軽くできるならば軽くできたほうが方が良い。

 ライダー勢にインフレーターマットは人気が低く、銀マットとサーマレストが二強だったりする。


 サーマレストはキャンプ地を第二の故郷とするライダーによって圧倒的に支持されていることは自身もよくキャンプ地に向かう律も理解していたし、同属であった。


 そんな律が評価するサーマレストの製品群の中で最も評価するのが多段折りたたみ式サーマレストZライトソル(レギュラー)であるが、これが本当にすぐヘタってくるので完全に納得してはいない。


 それでも今は十分であった。


 ――60Lのアルミ製トップケースに殆どの荷物を詰め込み、逆に中からヘルメットを取り出す。

 そしてタンデムシートにサーカスTCを積載させた状態で乗り込む。


 いざヘルメットを被り準備万態。


 キーシリンダーON。

 スマホをマウントし、USBケーブルをシュガーソケットチャージャーに接続し、車載カメラの電源を入れ、録画を開始した上でエンジンをかける。


 その姿に黒猫がいってらっしゃいとばかりに声をかける。


「行ってくるよ。またな……ウィラー」


 振り向きざまに黒猫ウィラーに声をかけると、跨った常態のままサイドスタンドを上げ、ガレージから一旦バイクを出し、再びスタンドをかけて一旦その場に停車させ、ガレージのシャッターを閉めてそのまま出発した――

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