転生
数日後、バイトから帰ると、達彦の家の前に沙耶香がいた。
『沙耶香…』
『達彦…私…』
沙耶香は、すっかり泣き晴らした目をしていた。
あんな風に、一方的に別れを切り出せば、それも当然かもしれない。
『私…達彦が好き…どうしても、頭から離れないよ…』
達彦は、沙耶香を部屋にも入れようとしない。
その事が、沙耶香を堪らなく寂しい気分にさせた。
『お前さぁ…もし俺が、龍に会ったって云ったら…どうする?』
『何それ…私、そんな話しに来たんじゃないんだけど』
沙耶香の目に、軽い怒りの色が浮かんだ。
『いいから、何か云ってみろよ』
達彦に急かされて、沙耶香は明らかに困惑していた。
『……何て云えば、達彦は喜んでくれる?』
達彦は呆れたように、大きな溜め息をついた。
『やっぱりな…だからお前とはもう駄目なんだ。お前は、そうやっていつも計算しないと何も言えないだろ?そーゆーのって、違うと思うんだ…計算しないといけない関係って、意味判んないだろ…』
『でも達彦が好きなんだもん!嫌われたくないって思っちゃいけない?』
『だから…そーゆーんじゃないって云ってるだろ?俺はもっと、本音で付き合いたいんだよ…顔色ばっか気にするようなのは嫌なんだ』
『達彦…』
沙耶香は泣きながら達彦に抱きついた。
『大好きなんだもん…達彦…大好きなんだよ…』
『沙耶香…俺も好きだったよ…でも、もう無理だ』
部屋にも入れてくれず、抱き締めてもくれない達彦に、沙耶香は絶望した。
沙耶香の涙が、達彦のシャツにじんわりと染み込んで行く。
ひんやりとしたその感触に、達彦は少し胸が痛くなった。
別に、沙耶香が嫌いな訳ではない。
でも、別れた方がお互いの為でもある。
遅かれ早かれ、こうなっていた。
我慢して付き合えば、きっといつか、本当に沙耶香が嫌いになる…
『沙耶香…ごめんな…お互い、別な相手探そう…』
泣きやまない沙耶香の体を、達彦はそっと離して部屋に入った。
一人になった沙耶香は、残っているプライドで何とか涙を落ち着かせ、深呼吸をひとつすると、背筋を伸ばして、何事もなかったように帰って行った。
少し云い過ぎてしまったか…
でも、あれでいい…
沙耶香なら、大丈夫だ。
そう自分に云い聞かせていた時、頭の中で声がした。
【それでいい…あの娘には心がない…共に愛を育めない運命なのだ】
『龍神様…俺は…間違ってますか?』
【いいや…間違ってはいない…だが、正しい訳でもない…』
達彦は静かに目を閉じて、龍神の言葉に耳を傾けた。
『気持ちには、形がない…形がないからこそ、人それぞれ違う…あの娘にはあの娘の思う形があり、お前にはお前の形がある…】
龍神の言葉が、達彦の胸にジワジワと染み込んで行く。
【愛は難しい…だが同じ形は、必ず見付かる…お前はただ、それを信じればいい】
そうか…
求めるものも、与えたいものも、人それぞれ違う…
そう云う事か…
達彦は、何となく胸がスッキリしたような気がした。
時が過ぎ、達彦はバイトを辞め、就職する事にした。
大きな会社ではなかったが、将来性のある会社で、何の経験もない達彦を、温かく仲間に加えてくれた。
覚える事は山ほどあるが、今の所は、仕事にやり甲斐を感じている。
龍神は、必要な時に語りかけてくるだけだ。
結局、龍神池での話も、龍神の話も、誰にもしていない。
あの時の龍神の鱗は、達彦の枕元にあるチェストの上に、お守り代わりに置かれ、龍神のネックレスは、龍神が云った通り、常に達彦の首にかけられていた。
特別何かがあると云う訳ではないが、守られていると云う実感はある。
不思議な強い力で支えられ、包まれているような気がしていた。
やっと仕事にも職場にも慣れて来た頃、達彦は同時期に入った契約社員の大崎陽菜が、妙に気になるようになった。
沙耶香と別れてからずっと、恋人がいなかった達彦には、久し振りの恋の予感だった。
特別可愛い訳ではないが、いつも明るくてニコニコしていて、凄くイイコだ。
デートに誘ってみようか…
大崎さんを、もっと知りたいし…
達彦は意を決して、大崎陽菜を食事に誘ってみた。
断られるかとも思ったが、大崎陽菜は『喜んで!』と笑顔を見せた。
話してみると、好みも合うし、一緒にいても苦にならない。
それどころか、もっと一緒にいたいと思ってしまう。
達彦は何度も陽菜をデートに誘い、陽菜の事を真剣に考えるようになった。
『大崎さんが好きだ…』
達彦の胸に、そんな気持ちが芽生えるのに、時間はかからなかった。
陽菜の方も同じ気持ちだったようで、達彦の職場との契約が切れて、次の職場への派遣が決まった時、離れ離れになってしまうと思った二人は、その関係を恋に発展させた。
達彦が、陽菜との未来を考え始めた時、久し振りに龍神の声がした。
【予言が聞きたいか?】
『何の予言?』
『お前が救い、解放したあの娘を覚えているか?
あの娘は、もうすぐお前の近くに行く』
龍神のこの言葉の意味が判ったのは、陽菜からこの言葉を聞いた時だった。
『私…妊娠したかも…』
達彦は、驚きはしたが、陽菜の妊娠を心から喜んだ。
『産んでくれるんだよな?』
『いいの?』
『勿論!結婚しよう、陽菜』
『達ちゃん…』
陽菜の顔が、喜びで輝いた。
陽菜のお腹が大きくなってくる前にと、二人は入籍。
臨月が近付いた頃、龍神はまた予言した。
【娘が最初に恋をする相手を、否定してはならぬ…】
それだけで、達彦には何の事か判った。
【そなたには、判るか?】