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人を殺してはいけない理由

眠れない夜に初エッセイを書いてみました。

徒然と思うままに書いたので、とても読みづらいかもしれません。ご了承ください

 人を殺してはいけない理由は、なんでしょう?


 私には考えてもある程度しかわかりませんでした。そしてそのなんとなくわかった理由も全部後付けのものでした。

 ただ、後付けだろうがなんだろうが、理由があった方がいいでしょう? 人を殺してはいけない理由は、そっくりそのまま「あの人なら殺してもいい理由」に反転して繋がるのですから。


 なので私が考えた中で、最も適当だと思う人を殺してはいけない理由について書いてみました。

 正しいと思うかどうかはあなた次第です。間違ってる、絶対おかしいと思ってもらっても全く構いません。


 なので人を殺してはいけない理由、ひいては人を殺してもいい理由を私なりに書いてみました。もし宜しければ一読してやってください。




【人を殺してはいけない理由=社会を維持するため】


 役割分担というものがあります。


 人は一人で生きていこうと思ったら、とても大変です。

 火を(おこ)す仕事や食べ物を得る仕事、住居を維持する仕事に安全を確保する仕事、明日に備える仕事に危機管理をする仕事。

 ものすごく大きな括りでもこれだけありますし、細分化すれば星の数ほどの仕事があります。


 しかし、二人以上の人間がお互い役割分担をすれば多少はその負担が減ります。

 例えば私は食料を取ってくるから、あなたは家を維持してほしい。例えば私は肉を取るから、あなたは魚を取ってほしい。例えば私は肉を取る道具を作るから、あなたは獲物を見つけてほしい。

 こうやって役割分担をしていきます。そうするとどんな仕事でも効率的に、そして楽にできるようになります。


 この役割分担こそが、社会の基本です。


 社会にはいろいろな種類があります。

 男女が結婚したら夫婦という社会。学校に行ったらクラスという社会。仕事をし始めたら職場という社会。日本に住んでいたら日本という社会に人は属します。

 そしてその社会の中で役割分担をします。夫婦だったら(一昔前ならば)夫は外へ仕事に出て、妻は家事をします。職場でも中間管理職や雑務をする担当で分かれています。

 またあまり良い話ではありませんが、学校の中では虐めをする役割と虐められる役割なんてのもあります。これも立派な虐め虐められの社会の一つです。


 さて問題です。この中に人殺しが混ざっていた場合、あなたはどうしますか?


 妻が人殺しをするかもしれないと思った夫は、自宅に帰ってこなくなるのではないですか?

 中間管理職が雑務の人間を過労死させようと思っていたら、あなたはその指示に従いますか?

 虐められっ子がナイフを持っていた時、虐めをする役割の人は虐め続けられますか?


 人を殺してはいけない理由はこれです。人殺しを容認してしまうと、社会が成り立たなくなるのです。


 怖い犯罪者同士や頭に「や」のつく自営業の方々(八百屋ではありません)なんかの人も仲間同士での殺人を禁忌としています。むしろ仲間同士の殺し合いはかなり強くご法度にしてるでしょう。

 なぜなら殺人をしてもいいとなると、仲間であっても気を許すことができず、殺される前に先に裏切るしかなくなるからです。怖い話ですね。


 一般の社会でもそうです。隣の人間が人殺しかもしれないと思ったら、すぐさま離れるか先に攻撃して無力化しなければなりません。そうじゃないと自分の命が危ういからです。


 ちなみに最初の役割分担がない世界、一人で全てをやる世界だった場合は人を殺してはいけない理由がなくなります。

 せいぜい攻撃したら反撃されるかもしれないというリスク管理だけで、他人はただの障害物に成り下がりますから。自分一人で全てをやる以上、他人と社会を築く必要がないのです。


 そしてこれは殺人や死刑、戦争への言い訳にも繋がります。

 仲間だと思っているうちは絶対に殺人はしてはいけない。もちろん仲間を死刑にしたり戦争で殺したりしてはいけません。

 でも仲間でない者なら、同じ社会を構成する者でないなら、殺してもいいんです。


 毎日飲んだくれて暴力三昧、挙句に包丁を取り出してきて「お前、逆らったら殺すぞ」と脅してくる夫がいたら殺しても良いとは思いませんか? なぜならその夫婦社会はすでに破綻していて、妻の方が一方的に命の危機を覚えているからです。

 殺人が三度の飯より好きと言っている殺人鬼は死刑にした方がいいと思いませんか? なぜなら人殺しを容認していない社会、つまり隣人は人殺しをしない安全な人だと思い込んでる社会の真ん中にそんな人がいたら危なっかしくて仕方ないでしょう。

 戦争で銃を乱射してくる敵国の兵士は殺しても良いと思いませんか? なぜならどっちに正義があろうと関係なく、相手を殺さなければ自分と仲間のどちらかが殺されてしまい、味方兵士の社会が破綻しかねないからです。


 人の命は何より重いという道徳の言葉があります。私はこれに同意します。

 ただ、言葉が少し足りません。『自分と同じ社会を共にする』人の命は『社会の外にいる人の』何より重い、だと思っています。


 道徳的な理由、宗教的な理由、感情的な理由、理由なき理由。どんな理由でも人を殺してはいけないと口をそろえて言っています。

 私はこれを全て正しいと思っています、ある程度は。


 なぜ全面的に正しいと言えないかと言えば、どの理由も状況やその時の感情、見ている者の視点なんかで簡単に変わってしまうからです。

 例えば、血の繋がった親兄弟で人を殺してはいけないと言っても、一番身近な他人である以上、恨み辛みが重なればあっさり手を血に染めるでしょう。

 例えば、幼い子は殺してはいけないと言っても、その子を殺さなければ100人を殺すと言われたら殺すしかないでしょう。

 例えば、人の命は何よりも重いと言っても、大量に人死にの出る戦争は将来永劫無くならないでしょう。

 

 簡単に変わるうえ、人や状況次第で千差万別に変化する理由なんて信じるのは難しいです。

 そして理由が変わるということは、人を殺して良い理由もその場その場で変わるということです。これは怖いですよね。


 だから私は社会的な理由を推します。これならば同じ社会に属している(・・・・・・・・・・)限り、絶対にブレません。


 ただこの理由には一つだけ致命的な欠点があります。

 それは社会自体が殺人を望むようになったらどうなるか、というところです。

 殺人が日常の生活の中に組み込まれるのか、社会自体が維持できずに崩壊するのか、新しい社会が生まれて今までの価値観が一新されてしまうのか……私には想像できません。


 とにもかくにも、今の社会がミクロにしろマクロにしろ維持されている範囲内では、有効な理由だと思います。

 

 皆さんはどう思いますか? 社会の中で生きている人間でも人を殺してもいい理由はあると思いますか? それとも作者は知らない、もっと明確に人を殺してはいけない理由があるのでしょうか?


 もしよろしければ感想のほどをよろしくお願いします。長文、乱文失礼しました。





【7月6日追記】


 今日ラジオでこんな問題を聞きました。よくある問題です。


『とあるスイッチを押すと1人が死ぬ代わりに5人が助かります。あなたは押しますか? 押しませんか?』


 はい、色々な場面で良く聞かれる問題ですね。ラジオではこの問題分に一言、条件を付け加えるだけで答えが変わるのが不思議ですね、と言う風に話が進んでいました。


 例えば


例A、見知らぬ5人と見知らぬ1人の場合


例B、見知らぬ5人と自分1人の場合


例C、見知らぬ5人と自分の母親1人の場合


 この3つの例で、答えが全て変わると言う物です。

 ちなみにラジオでは、例Aではほぼ全員がボタンを押して5人を助けますが、例Bだとボタンを押すと言う人はほぼいませんでした。

 また例Cでは7:3くらいで「たくさん悩んだ末にボタンを押さない」と言う人がいました。問題はほぼ同じはずなのに結果は見事に全部違いました。


 ですが、これ。もし私が提言した社会に属しているかどうかで判断した場合、全部簡単に答えられますよね。


 例Aの場合、主観である回答者は「人類と言う大きな枠組みの社会の一員」として、少しでも多くの人数が救える5人を選びます。

 この際、死んでしまう1人については、恐らく見ず知らずの他人ということで「人類と言う社会を維持するために必要な犠牲」と回答者は社会の枠組みから勝手に外してしまうのでしょう。だから遠慮なく殺してしまいます。


 それに対し、例Cだと「たくさん悩む」という一工程が付け加えられます。これが非常に興味深いです。

 この条件だと、おそらく回答者は「人類と言う大枠の社会」と「家族という小さな社会」のどちらを優先すべきか考えるのでしょう。家族仲が良く、母親に恩義を感じている人は後者を選びボタンを押せなくなり、逆の人は博愛主義的に人数を優先して、「人類と言う大枠の社会」から感謝されたいという気持ちが働くのではないでしょうか。


 ちなみに例Bの場合、自分が組する社会の必須要員である「自分」という主観が失われてしまうため、よほどの自己犠牲の精神がない人でなければ自分が助かる方を優先します。まあそんな難しく考えずとも、当たり前の行動かもしれませんがね。

ポイントや評価は一切いりません。でもできれば感想が欲しいです。

もし何か思うところがあったらよろしくお願いします。人格否定の罵倒でない限りは、必ず返事をしたいと思っています。

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