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子ウサギさんと羊さん

言うことは、もはや、ない。いつもの通りの日常グダ小話です。

私には目的がある。夢もある。そのための実現手段も心得ている。

今、圧倒的に私に足りないモノは知識、経験、それと外見だ。

ああ力が欲しい。私が、私のままで、誰の前でも立っていられるように。

せめて雇い主の前でくらい目を伏せなくてもいられる程度には、根拠ある自負が。


欲しい。



「ああしまったミルドレッド、あれを忘れてしまったようだ」

「アレ、とは、これから向かう会食のお相手様についての情報をまとめた物のことでよろしいでしょうか。それともこちらのハンカチのことでしょうか」

「……両方だな。すまない、手拭きのことは本気で忘れていた」

「ですから、私が持ってるんです」


言っていて楽しくなってしまい、口角を上げてしまった。頑張って元に戻そうとするが勝手に口元は笑い続ける。仕方がないのでそのまま、会食相手の情報をゴルトに告げた。向こう様が最近になって打ち込んでおられる趣味や周辺の方たちの動向もさらりと耳に入れておく。ゴルトは決して無能ではないのでメモ書きにする必要はない。私のように丸ごと全部を暗記するでなく、自分なりに脳内メモに書き込んでるのだろう。うらやましい能力だ。


「おや、息子さんが進学か」

「少々苦労して入られたようですから、話題にされるときは慎重にお願いします」

「……了解」


とんとんとゴルトが自分の喉元を指先で叩いた。目線の行く先とその仕草の意味するところに気が付いて、つい眉を寄せる。


「……馬車を降りる前に締めます」

「今だ」


うぅぅぅぅ。ちろっとゴルトの目を見ると真面目な色だった。仕方ない。嫌なんだけど。

ゴルトが手回しよく私の書類ばさみ兼カバンを取り上げ小脇に抱える。そこまでされればこれ以上イヤだとあがけるはずもなく、私は渋々と自分の喉元に手を伸ばした。飾りリボンのように見栄えのいいシンプルなノットを作るためには、先にブラウスの一番上のボタンを留める必要がある。これが嫌なんだ。というか、首を絞めつけるのが。


「うぅ。嫌な感じです」

「私にしてみればミルドレッドが襟を開いてる方が嫌なんだよ」

「だらしなく見えるんですよね。ええ、知ってます。だから私も、客先に行く前にはいつも襟元を閉じてます。本当です」

「……ミルの鎖骨は犯罪級だ。たいていの男は君よりも背が高いし、それを言ってる」

「? ええ。この格好でいる限り、開襟は厳禁。承知してます」

「…………うん。キミの理解力の無さが私の伝え方の問題なのか、他の要因か、判断が悩ましいところだね」


はぁ、と息を吐いたゴルトが私にカバンを返してくれたところで商会の玄関に辿りつく。二階から降りてくる途中で喉元のリボンを締め上げることができる私は、我ながら少し器用だと思う。ドレスを着てないから階段を降りながらでも両手を使えるというのが大きいけど、そもそも歩きながら何かをするってことに慣れてるからな。ふふん。

ゴルトは受付の子に軽く手を振って玄関扉を開けた。そのままスタスタと歩いて行かれそうになったので慌てて彼を呼び止め、馬車に乗るように指示する。帽子とステッキを装備したゴルトが片眉だけを跳ねあげた。目線だけで聞いてくるのに、私も頷きだけで返す。

一拍、二拍。

……ゴルトが馬車寄せの方に体の向きを変えた隙をついて、私は受付に近づいた。今日の予定を彼女たちが把握してるのか、確認しておきたい。


「今から出ます。私たちの帰りの予定は?」

「夕刻と聞いております。客先で会食ですので」

「内容はリンデン子爵との昼食会ですね。帰社時間は余裕を見ております」

「正解です。ありがとう。行ってきます」

「「行ってらっしゃいませ」」


受付の子には無理を言って、才色兼備の子を探してもらった。ゴルトには面倒がられたが、見ろ、自画自賛してもいい出来じゃないか。ブルネットと赤毛の見栄えする子たち。難を言えば女の子じゃなくて男性が良かったんだがな。クレームを付けられた時にはどうしても、男の方が通りがいい場合が多い。

大体、理不尽な文句をつけられるなんて、女の子がかわいそうじゃないか。その点、男なら私はたとえ目の前で殴り飛ばされても同情しない自信がある。今度にでもリスクの大きいミッションはすべからく野郎どもに投げるべきだと進言するか。ふむ、過保護すぎるか?


「ミルドレッド」

「申し訳ありません、ゴルトハルトさま。ただいま参ります」


ふわふわ笑ってると――ええまぁぶっちゃけ正直に言うと受付嬢に見惚れて笑ってたわけですよ――ゴルトに呼ばれた。そっと薄紙に包まれた菓子を差し出してくれてから控えめに受付嬢たちが手を振る。ありがとうの意味でこっちも手を振り返しつつ馬車寄せに急いだ。ん、もう、会食の時間には余裕を持って商会を出るってのに、何を急ぐんだこの男は。


「何、もらってたの?」

「うわ、ほんと目ざといですよねゴルト。お菓子のこととなると」

「…………うん」


受付嬢たちには時々、『もらった菓子はたいがいゴルトに巻き上げられる』と愚痴をこぼす。そのせいで彼女たちがくれる量は、いつもいささか多い。今回は……おっと、これは貴重なチョコレート菓子だ。すごいな。このパッケージの奴って週一販売で限定数だろ? 良く手に入れたな。愛だな。


「毎回思うけど、ミルはこういうの、気にしないの?」

「え? ゴルトが毎回、私のおやつを半分持ってくことですか?」

「違うよ。自分あてに来た貴重な甘味を勝手に開けられて分配されること、だよ」

「……え?」

「うん? 気が付いてなかったの?」


馬車は緩やかに走り出している。御者はベテランだ。会場を言っておけば混雑を避けて時間通りに着けてくれる。もちろん賄賂としての菓子も渡しますがね。ぐへへ。


「えーと、いいえ。……ゴルト? このお菓子は、受付の彼女たちというか事務方に回ってくる分の配給ですよ?」

「へぇ?! そうなんだ?」

「やけに驚かれてますが、本当に知らなかったんですね。そうです。本来は女性にしか回らないはずのお菓子なのに、ゴルトはいっつも私の分をかすめ取ってるんです。感謝して反省してください」


珍しく強気に出たのは、ただ淡々と消費されるだけではたまらないからだ。ゴルトが会長を務めて私がその秘書をさせてもらってるアナスタシア商会には、普通の小売店よりも勤める女性が少ない。わりと激務だし、ややこしいしきたりがアホみたいに埋まってる業種だから平日にも長時間拘束されるしな。でも、私の独断と偏見によれば職場に良く笑う女性がいるといないとでは働き手どものモチベーションが違う。くっきりはっきりきっぱりと。

というわけで、いつでもにこやかな彼女たちはアナスタシア商会の中では基本的に優遇されて、こうして客先からの土産も分配される。もちろん、ゴルトが吟味して雇った子たちだ。そうやって甘やかされてつけあがるような女性もいないし、お土産をくれる客に会ったときにはお礼を言うように決めたのも彼女たち。


うん。ゴルトに取られたら貴重な私の分が減るだなんて、絶対に思ってるわけじゃない。そんな八つ当たりじゃないとも。

自分で買えるような菓子じゃないことが多いから、まぁな、正直に言えば少しだけもっと食べたいけどな。


「じゃあこの手の差し入れは誰が誰にくれてるのか、ミルは知らないの?」

「いえ、大体は承知してます。でないと、お会いした時に礼が言えませんから。これは……えっと、ほら、ここだ。書いてありますでしょう。『ポートラック男爵より』、ってことは商会の全体か役員宛てですね。誰々宛てにもらったって書いてないってことはそういう意味なんです。ほら、ゴルト宛てに贈り物が届いても特別な意味はなかったりするでしょう? あんな感じで」

「……ああ、家長宛ての手紙みたいな扱いなんだ。ふぅん、いいシステムだね。同情はするけど」


同情? どういう意味でだ。


「そろそろ着くね。ミルの分のお菓子も私が食べていいのかな」

「許しません」


おやおや怖いねと笑ったゴルトが自分の分として割り当てられた手の中の菓子の包装を剥く。ちなみに配分は私が目で示しました。えへん。

包み紙から出てきた艶やかなチョコレートをつまみあげ、なぜだか私の唇に当てて、一拍。

……笑ってる目に、仕方ないと私も笑い、ささげられた賄賂を受け取った。


「会食の後で、寄りたいところがおありですね?」

「ばれたか。うん。下町を流したい」

「? 昼下がりですが」


市場が混む時間じゃないことを指摘すると、だからだよ、と返された。目線で促すと答えをくれる。


「平日、真昼の下町で買い物をするとしたらどういうモノなんだろう」

「…………確かにそれは、アナスタシアですね」


目をくるりと回して、私は無言のままにゴルトに対しての尊敬を示した。我がアナスタシア商会は主に若い女性用の小物を扱っている。対象は富裕層の下あたり。男爵家の娘さんが背伸びして買いに来る値段設定だ。

品質とアイデアとたっぷりとした甘さ。もちろん、リボンとレースとフリルを控えめにしてあるタイプも多い。バラエティ豊かな主張は、出来るだけ汲み上げるべきだから。

そういうわけだから、とにかく婦人が好きそうな全てのモノに対してのアンテナを、アナスタシア商会の者なら普段から心がけて張っておくべきだ。私は、ゴルトハルト、つまりアナスタシア商会の雇われ会長の筆頭秘書の立場から、そう思ってる。


「ゴルトがよければ、事前に私も少し見て回りたいです」

「ああ、それは駄目だよミル。隣室にしても一緒にいてくれないと。私がどんなミスをするのか一番先に知りたいでしょ?」

「……ゴルト。今日は、ミスをしなければいいのでは」


形ばかりの許可を取り、うきうきと街を歩く気分だったところに水を差され、私は横目で上司を睨む。会食というものはつまり、要人対要人の根回し事情が大きいものだ。筆頭秘書といえどもプライベート臭が強い時には私は同席できない。したくもない。

そもそも、働く女性として秘書は目立ちすぎるからって、雇われの立場からすればあり得ないことに私は男装している。

性別なんていう、人間の根っこのところで世間様に嘘をついてる身としては、慧眼の持ち主が多い事業主や貴族たちとの個室での食事は避けたいところでもある。

だから、これまでもこれからも、一緒に会食を取るとなっても彼らの隣室が精々で、しかも私の場合はたいがい一人で食べる羽目になることが多かった。御者さんと同じ食事では彼らが大変すぎるし、不思議なことに向こうさまの秘書とか付き人も遠慮してくる。というか、ぶっちゃけると大前提として、ゴルトたちに同席するには私の立ち位置は低すぎる。

それでもこうしてゴルトは会食に私を連れ出すし契約の場にも極力、連れて行きたがるんだよなぁ。ああ、市場の偵察にも同行させたがるか。

なんのかんのと言っては私を彼の監理下から出さない手腕は見事だ。


「そんなに、私が一人で出歩くのが嫌ですか」

「うん。ダメ」

「わ、私だって、もう迷子にはなりませんよ?」

「んー? この間、なったでしょ。商会のすぐ裏手で」


ゴルトは意地悪く、先日のことを持ち出してきた。いやだからアレは、目印にしてた看板が無くなったからだって説明しただろうに。


「わかりました。目立つ場所での買い食いも、今日は我慢します」

「……ええっとね、ミルドレッド。どや顔の妥協よりも君は基本的に間違ってる。私が嫌がってることの本質を理解してないんじゃないか?」

「わかってますとも! アナスタシア商会の筆頭秘書として、恥ずかしい真似をするなと」

「そうじゃないよね?」


喰い気味に被せられて、私は目を瞬かせた。どういう意味かと首をかしげる。

迷子防止でもなく買い食い禁止でもなく? 

じゃあ何の理由がある?


「……あぁ」

「わかってくれたかな?」

「はい。女性の社会的位置の向上を目指し、外で男装のまま馬鹿な真似をされては困ると」

「さっきと言ってることが同じだよ?!」

「まさか。かなり違いますよ。遠戚だって理由だけでゴルトが押し付けられた子守り、の話……」

「ははは」


…………ふむ。何かまずったらしい。ゴルトが一気に目を座らせたじゃないか。こうなると拗ねてしまった機嫌を上向かせるのに飴が必要になるんだ。面倒な。


「面倒。面倒ね?」

「……口に出してましたか? ゴルト」

「出してないとも。もちろん、私の筆頭秘書は有能だから」

「でも、駄々漏れだったと」

「……まぁね」


軽やかに揺れていた馬車がゆっくりと速度を落とし止まった。さっと表情を変えたゴルトが会長の顔になり、馬車の扉を開く。ほんとうにこのあたり、変わらない。普通は会長ともなれば周囲の状況を確認してからフットマンなり御者が扉を開けるまで待つんだがな。

流れるような動作で路上に立ったゴルトが私を促す。この手の乗り物に対しての、主人であるゴルトが先に乗り込んで、先に降りるっていう悪い癖を熟知してるから御者さんも馬車だまりの停車位置に苦労するらしい。

まったくもって、普通なら必要のない苦労だろうに。

部下の男に人前で手を差し伸べる不自然さを、私たちは二人とも理解している。私もとっとと馬車を降りた。二歩先を行くゴルトが背中で私の気配を伺ってくる。はいはい、きちんと付いて行ってるでしょう。私は秘書なんだし。


護衛じゃないから、前を歩けない。


ずぐりと鳩尾の辺りで熱を持つのは悔しさだ。

私では秘書の真似事はできても判断は下せない。上司を守りたくとも、体術の心得どころか体力すらもおぼつかない。あげくに壊滅的な方向音痴。


ゴルトが会食先の食事処の扉を開ける。くそ、また間に合わなかったか。いつになったら一歩後ろをキープしつつ障害物を避けてあげられるくらいスムーズにエスコートできるようになるんだ、私は。というか、いつになったらこの、クソ広いストライドの歩速に付いていけたり追い抜かせるんだ。


「……手を引けない私の悔しさとか、上司だって線を引かれることの理不尽さとか、いろいろ言いたいことはあるけどね、ミルドレッド」

「…………はい」


息が少々上がる。なんの意地になってるのか最近、早足なんだよゴルト。意味が分からないよ。


「守られたいなんて思ってない。私が守るんだ。君を。誰でもなく。私が」

「? ……また、駄々漏れでしたか?」

「…………中身はスルー、か。本当に、ミルは手ごわい」


ゴルトは苦笑しながら私の背中を少しだけ押し、店の中へと誘導した。にこやかな店の人間と目が合い、私も笑ってみせる。支配人と話を始めるのは私の仕事だ。数少ない、な。


「有能で、向上心があって、負けず嫌いなミルドレッド。私の手の中でなら、羽ばたくのを許してあげられるのに」


せめて仕事面でだけでも信用が欲しいとばかりに気合を入れた私は脳内の予定メモを繰るのに必死で。

うしろでぼそりと呟いたゴルトの言葉は、だから、耳に入らなかった。



本当は、長い話になりそうなのでぶった切ったという落ちが。言うことあるやん。

続きは気が向いたら、というかリクエストがあれば書きます。

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