彼岸花2
2 西本竜也
俺が花追い同好会を創ると宣言したとき、一瞬クラスの空気が止まった。そして笑いが爆発した。こんなに非常識なことを言い出すのはお前くらいだと誰かは言い、そんな無意味なことに高校生活を使うなと、同じ高校生のくせに偉そうに誰かが言った。こんな第一印象だったから、俺は何かにつけクラスで注目されるようになってしまった。そして、その同好会が本当に結成されてからは、何かにつけクラスで一目置かれるようになった。同じクラスの元井日和もそうだ。彼女は元から学年成績トップという天才ぶりからクラスで一目置かれていたが、そんな天才少女イメージにもかかわらず、笑いが起こるクラスで一人手を挙げ、
「私もやります。」
と宣言し、笑いを沈めたのだった。元井が何を思って同好会結成に尽力してくれたかはまだわからないが、それでも彼女の協力がなければ同好会は出来上がらなかったということは不動の事実だ。感謝しかない。
我が高校で、“花”という存在は未知を究め、皆の恐怖の対象だった。花が何をしたか、誰も詳しいことは知らないのに、ふわふわした不安定な噂だけが、尾がはえ、ひれが付き、立派な姿になりながら広がっていくのだからかなわない。花とは何か、誰も知らないのにその存在を信じ切り、恐れをなすのは、はっきり言って異様な環境だ。この高校はそんな異様な空気の上に成り立っている。そして皆がそれを受け入れている。
ともあれ、無事花追い同好会が結成されてから一か月、五月の暖かい日に、今年度初めてとなる花の噂が盛大に広まったのだった。
「おい、タツ、今日も授業中寝てたのか?馬鹿な奴め。」
「ほっとけ。残って真面目にノート写してるんだから文句ないだろ。」
放課後授業のノートを借り写しているとき、一年の時もクラスが一緒だった奴が久々に絡んできた。
「おうおう。でもな」
そいつは思わせぶりにニヤニヤと笑った。
「なんだよ。気持ち悪い。」
「そう言うなよ。お前の変な部活の初の活動だろ?」
俺は意味など考えずに文字を無心で写していたので、そいつの言ったことがゆっくりと頭の中で処理されて、理解するのに数秒時間がかかった。初の活動…
「花か‼」
俺は椅子がひっくり返る勢いで立ち上がった。
「なかなか部活行かないから、まさかとは思ったが、本当に知らなかったんだな。俺が知ってること全部話すから、ちゃんと覚えろよ。」
俺はそいつが知っている噂を聞き、ノートを閉じた。
「まだ写し終ってないんじゃないか?」
「終わってないけど、きっとあいつら、もう部室で待ってるだろうから、明日にする。」
俺はそいつに礼を言って教室を出た。
特別棟の三階の一番奥、国語研究室が俺たち花追い同好会の部室だ。普段はほとんど誰も使っておらず、初めてその教室に入ったときほこりが舞った。その次の日の土曜日に元井が招集をかけ、一日中掃除をしたおかげで、今ではすっきりと片付いている。俺は初め、どんなに意味の分からない部活だろうと、こんなにマイナーな部屋でなくてもいいだろうとぼやいたのだが、元井も司も人気のないこの部屋を気に入ってしまい、そのぼやきは自分の中で治めなければならなかった。
ノートを写していたせいで(いや、授業中寝てたせいか…)時計は四時半を過ぎていた。外はまだ明るく、教室棟から特別棟への渡り廊下の窓からグランドで部活動に励む生徒の姿が見えた。この時期になると、グランドを囲むように植えられている桜もすっかり散ってしまい、緑の葉が青々と風に揺れている。
部室には、やはりもう既に電気がついていた。
扉を開けると、元井と司が一斉に読んでいた本から顔を上げた。
「遅い。」
「遅いです。」
同時に飛んでくる二人の言葉の針が体を貫く。しかしそんなことで俺は負けない。
「すまん。」
素直に謝った俺に対して、司が大きくため息をついた。
「タツさん、四時四十分まで待たされていたら、帰るところでしたよ。」
「四十分⁉あと一分もないぞ⁉」
「そうです。だからあと一分もたたずに俺は帰る予定でした。」
なかなかに厳しい後輩だ。いや、ただ俺をいじって楽しんでいるだけだ。
「花の噂がたったわね。」
元井が早速本題を切り出す。元井は基本的にやることが早い。
「ああ、やっと活動開始だ‼」
「あのー…」
司がいつものやる気のなさそうな声で手を挙げながら言った。
「俺一年なんで、あんまりよく分からないんですけど、花って何なんですか?」
俺と元井は顔を見合わせた。たっぷり五秒間。この五秒のやり取りはこちら。
(私知らないわよ。興味なかったから。)
(俺も詳しくは知らねえぞ。)
(じゃあ何でこの同好会創ったのよ。)
(何となくだ‼)
(胸を張るな。)
(お前は何で入ったんだよ。)
(力のない小動物が一人で虚しくギャーギャーやってるのが、あまりにも哀れでならなかったから。)
(…そんな風に見られてたのか…。)
全く関係のないことで、無言の会話は幕を閉じた。結局代表して元井が口を開く。
「私たちも、よく分かってないの。そのよく分からないものを知るための同好会だから。」
俺がうんうんと頷くと、元井がキッと俺を睨んだ。きっと勝手に同調するなとかなんとか思っているのだろう。…いや!マイナス思考になるな俺‼
「ふーん、そうなんですか。了解っす。」
この唯一の後輩は、本当にいつも寝むそうでやる気がなさそうだ。司が気合を入れる姿が想像できない。
「タツ。」
元井が言う。
「今回の花、見逃すっていうのも視野に入れたほうがいいんじゃない?」
「は?」
思わず間の抜けた返事をしてしまった。見逃す?せっかくの活動なのに…
「私も今日噂を聞いた。興味がなくても、嫌でも耳に入ってくるし。…あんまりにも危険だと思う。だから、手を引くのも考えたほうがいいと思う。」
俺は言葉に詰まった。確かに花の噂は、現実離れした異質の中の異質。危険と隣り合わせというより、むしろ危険の中に存在するといっても過言ではない内容だった。
花の噂は単純明快だった。
『花の傍にいる者が死に至る。』
“死”という言葉に現実味を見いだせず、聞いたとき理解に苦しんだ。情報は一つしかないのに、その一つが大いに俺を混乱させた。
「俺も聞きました。…やっぱり信じられないですよ。花っていうのが仮にいたとして、その噂が本当なら、毎日ぽんぽん死人が出るじゃないですか。」
「…もっと花のことが分かっていれば…。」
花のことが分からない。危険な噂が付きまとう花。…危険だけれど、
「危険だからこそ、じゃないのか。」
クラスの笑ったやつらを見返したいとか、そんなことじゃない。花を徹底して追及すると決めたのだ。どんな奴でも、今目の前の花から逃げていたら一生花に関われない。
「今避けるのは、絶対にだめだ。死ぬのは流石に嫌だけど、できる限りのことはしたい。できればそんな危険な花も倒したい。」
二人は黙って聞いていた。そんなに真面目に話したつもりはなかったが、こんなに真剣に黙って話を聞いてくれていたら、逆に変に恥ずかしくなってしまう。俺は顔が赤くなるのを自覚した。聞いていた元井が、パンと手を打った。
「分かった。やってみましょう。でも、もしも少しでも危険だと感じたら、私は全力で活動を妨害するわよ。それでいいのなら、私もするわ。」
「え、日和先輩マジですか。」
司は明らかに面倒くさそうだが、なんだかんだ言いながら司もその気になってくれている。満更でもなさそうじゃないか。
こんなやり取りから、第一回目の花追い同好会の活動が開始した。