ハイブリッドは省エネ?
四 ハイブリッドは省エネ?
ホームとホームの間を、待避用の線路が駅を貫いている。京都駅に進入したカートレインはポイントをいくつか渡り、利用客の目を惹きつけながらその待避線に導かれた。
深夜帯を除いて、すべての列車が停車する京都駅を、あたかも花道を行く千両役者のように通り抜けてゆく。
『きょうと』と書かれた駅名表示がゆっくりと後方にすぎさり、煌々と照明をともした駅を背に、再びいくつものポイントを経て一番外れの線路に移って速度を上げた。
案内放送を終えた車掌は、帽子の顎紐をかけて窓から顔を出し、駅員にかるく会釈する。車掌としての仕事をすませて三人の元に戻る車掌の背後に子供連れが近づいてきて展望室に陣取った
「さて、どこまで話が進んだのでしたっけ?」
『こっとい』が話を再開させる。
「発電機関車から人件費に話が発展しました。だけど車掌さん、鉄道の車両は値段が半端じゃないですよ。それでも省エネなんですか?」
肥後が意地悪そうな眼で車掌を見やったが、車掌はへいきな顔をしている。
「おっしゃるとおり、車両の値段が馬鹿みたいに高いです」
言いながら、車掌は土産の包みを開いて手羽先の唐揚げを皆に薦めた。
「車掌さん、それ土産に買ったんじゃないの? 奥さんに叱られるよ」
肥後と島原はビールのつまみがあらわれたのでほくほく顔である。
「そんな心配せずにつまんでください。えーっと、車両の値段でしたね。たしかに高額には違いないですが、耐用年数が長いのですよ。つい最近まで最強の機関車といわれていたものでも三十年はたっています。古いのだと四十年、五十年というのもあるくらいです。それに、たとえばこの列車を牽いている機関車でも、明朝下関に着いて、夕方まで待機なんてさせてもらえません。あくまで想像ですが、下関から岡山へ引き返し、広島、岡山、下関という具合に走り続けるよう予定されているでしょう。ですから、走行距離はすごいですよ。ですから、そうして考えると案外安くなるのです。車両を購入して、整備して、保線やら駅やら一切の仕事をして、それでも利益をあげるのですから」
「赤字路線は?」
島原が意地悪く言うと、車掌が唐揚げをさっと差し出した。
「それはだめ! 禁句なんです。どうかこの場は穏便に……」
「車掌さん、客あしらいがうまい! なるほどなぁ、これも営業センスだよな」
島原はにこにこして唐揚げを一つ取った。
「しかしね、省エネというのならハイブリッド車はどうでしょうね。電気自動車もできているし、燃料電池車というのも開発されましたよ」
袋にはいったピーナッツをポリポリかじりながら肥後が元気をだした。
「肥後さん、急に元気になったけど何か訳があるのですか?」
三本目の缶ビールを一口飲んだ島原がからかった。
「ちょっと待ってくださいよ、その理由ってのを当ててみせますから」
更に一口飲む。
「わかった! きっと肥後さんはハイブリッド車に乗っているんだ。そうじゃないですか?」
「わかりますか? 省エネというのならハイブリッドですよ」
肥後が子供のような表情をみせた。
「いい車に乗っているんですね。私なんか、ディーゼル車だったから車検がとれなくなって、泣く泣くガソリン車に乗り換えたんですよ。仕事で使うものですから、どうしても長い荷物を積む必要があってワゴンに乗っているんですが、燃費が悪くて困っていますよ」
『こっとい』が羨ましそうに言った。
「前に乗っていたのとくらべると、燃費が倍くらいになりました。普段でも二十二くらいですかね。長距離を走ったらどれくらいになるか楽しみです」
「あれ? そうすると長距離を走っても三十前後という程度なんですか?」
『こっとい』が不思議そうな声で訊ねた。
「そうですが、……それがどうかしましたか?」
「私が車の運転を始めた頃ですから、もう四十年ほど昔のことですがね、千二百ccのスポーツタイプに乗っていました。その車で私にとって一番の燃費を記録したのですが、名古屋から京都を通って松江にむかうときに二十六キロ走ったのですよ。当時は高速道路なんか東名と名神しかなかったので、国道一号と九号を走りまして、若かったから速度も上げていましたよ。その後、次々出てくる新型車は室内装備ばかりが豪華になって、燃費は悪化するばかりになってしまいました。途中で排気ガス規制が強化されたのも原因の一つでしょうが、燃費を悪くしたのでは意味がないですよ。燃費が半分になってしまえば距離当りの有害物質が二倍になるんじゃないかと疑問を感じたものです」
「さすが『こっとい』さん、昔のことに詳しい。俺の生まれる前のことだから太刀打ちできないや」
肥後が感心したように囃したてた。
「ところで、皆さんは燃費をよくするために何かしてますか?」
『こっとい』が三人を見やった。
「私は特に何もしていません。半分電気で端っていますから」
肥後は省エネタイプに乗っているだけで十分だという表情をしている。
「私は荷物を軽くしています」
島原は首を捻りながら答えた。
「私はなるべく自転車と鉄道を利用しています。これでは燃費に影響しませんね」
さすがに鉄道員ならではの答えである。それ以上の返事が戻ってこないことを確かめて『こっとい』が話を続けた。
「私の場合、アクセルを踏まないのですよ。アクセルを吹かす時は靴の中で親指を曲げるのです。そうするとジンワリとしか加速しませんが無駄に燃料を燃やすことを防げます。一定の速度になったら速度が落着く程度までジワジワアクセルを戻して、その後はなるべくアクセルを吹かさない。タイヤの空気圧もすごく影響しますよ」
「坂はどうするのです?」
島原が意地の悪い質問をした。
「ゆるい登りならそのままです。当然速度が落ちますけど我慢です。人生といっしょ、登りがあれば必ず下りがあるのだからね。そして、できるだけブレーキで減速しないようにしています。ブレーキを踏んでいる間はエンジンが回っている、つまり燃料を燃やしているんだし、速度のエネルギーを熱にして空気中に捨ててしまうからなんです。エンジンブレーキを多用しますよ」
「エンジンブレーキだって燃料を燃やすのは同じじゃないですか?」
こんどは車掌が質問をした。
「それは昔の自動車ですよ。今の自動車はコンピュータ制御で燃料を供給していますから、エンジンブレーキをかける時は燃料供給を止めているんです。だから何も燃やさない。そのかわり予測運転をしなけりゃいけないし、そのために車間距離をとる必要がありますけどね」
とてものことに肥後ではそんな悠長な運転などできまいとでも言いたげに、『こっとい』はにたりとした。
「そんな教科書通りを実践してるとはね、あんなのデマじゃないの? だいいち、そんなことしたら周りに叱られますよ」
肥後としては、『こっとい』の言ったような模範的な運転では経済的効果など見込めない、机上の空論と思っているらしい。
「騙されたと思って試したらいかがです? 絶対に損しないから。それに、多少速度が遅くたって所要時間にはほとんど影響しませんから。もう一つ付け加えますとね、百キロを越す速度だと疲れやすいですよ。それを九十キロにすると疲れない。現に、私は名古屋から広島までノンストップで走れますよ。それだけ休憩時間が短いのだから、かえって速いかもしれませんよ」
「そんなに言うなら、……この機会に試してみようかな」
島原が呟いた。
「肥後さんはハイブリッドに乗っておられるのですか、なんとも羨ましいことですね。実は、鉄道でもハイブリッド車の研究を進めていまして、もう営業運転を始めたと聞きました。ハイブリッドとは違いますが、電気式ディーゼル機関車というのが働いていますよ。それもかなり昔からです。南極観測船もモーターでスクリューを回す形式だったはずですから、考え方としては同じですね」
今思い出したかのように車掌が鉄道の新技術を披露したものの、鉄道のハイブリッド化にはあまり興味を惹かなかったようである。それよりも、電気式ディーゼル機関車に興味を惹かれたようである。
「電気式ディーゼル機関車ですか? なんか効率が悪そうじゃないですか? 一般的なのは自動車と同じ仕組みでしょ? いったいどっちが効率的なんです?」
『こっとい』は機械物に詳しいようである。肥後がもらしたつぶやきに説明を始めた。
「名古屋港に南極観測船が展示されていますよね。あれを見学したときに知ったのですが、氷海を進む時は船体の目方で氷を圧し割るそうです。その際に、従来の駆動方式では正転と逆転の切り替えが大変辛いそうです。その点、モーターなら電気を逆に流すだけだから機械に無理がかからないそうですよ。ことに氷海では頻繁に前進と後退をすることもあるそうですから、なるほどと納得しましたよ。といっても、モーターの中身は巨大なローターですから慣性力はすさまじく大きいでしょうから、すごい負荷がかかるのでしょうね。ディーゼル機関車の初期の頃は、まだ安定して使える変速機がなかったというようなことを雑誌で読んだ記憶があります。だから苦肉の策として電気を起こして、モーターで走る方式を試験的に取り入れたのですが、これが案外成績が良かったのです。でも、研究を続けていた流体継手が完成すると、発電機というような無駄なものが必要なくなったから車体が小さくできた。それと電気式だと、性能を上げるにはエンジンだけでなく発電機の性能も上げねばなりません。一方で流体式だとエンジンを強力にするだけで性能アップが図れます。たしかそんなところだったと記憶しています」
ほぉ? 肥後はスルメを噛むことを忘れてじっと『こっとい』を見やっていた。
「そこにも問題がありまして、仮にですよ、仮に電気式の方が効率が良かったとしても、全国で使われているのは圧倒的に流体式ですから整備に不利なんです。形式による優劣もさることながら、保守整備を容易にできるかで左右されてしまうこともあるんですね」
車掌が後を引き継いだ。
「それで車掌さん、その電気式の機関車は余った電気をどうしているんです? ディーゼル機関車なんだから非電化区間での運転が基本でしょ? ……つまり、架線がないわけだから、架線に送電することはできないのですが、充電でもしているのですか?」
肥後は、余剰電力をどうしているかにこだわっている。
「それはどうでしょうね。勉強不足でしっかりお答えできませんが、そんな電池を積んでいるとは聞いていませんね」
「そりゃそうだ、あんな重いのを動かすだけの電力を蓄えようとしたら潜水艦みたいな電池が必要かもしれませんよ。そうなりゃ重量オーバーになってしまう」
島原が大笑いを始めた。
「ということは、小型の電池があれば解決するわけですかね? でも、その電気をどうするのです?」
『こっとい』が不満そうに言った。
「まあ、あれですよ。駅で電池を差し替えて、充電した電気を駅で使う。それなら節約になりますよ」
島原は愉快そうに笑ってビールを傾けた。
桂川を渡るとともに左手の新幹線がしだいに離れてゆき、やがて列車は大きく左にカーブして速度を上げた。
「あのう、さっきの放送を聞いて、仲間に加えてもらおうと思ってきたのですが、こちらでいいんですか?」
車掌が島原たち三人に車内放送の巧みさを褒められてシドロモドロになっているところに、新社会人らしい若者が二人と、初老の二人が相次いでやってきた。
「車掌さんの言うような勉強会ではありませんが、時間つぶしを楽しんでいますので、よければご一緒しませんか?」
島原が空いた席にかけるようすすめた。
「島原さん、ついでだから私達の椅子も向きを変えましょうよ。二人掛けを三つと一人掛けを三つで九人分の会議室になりますよ。それと皆さん、自分の源氏名を考えておいてくださいよ」
「肥後さん若いだけあってテキパキしてますね。島原さんは客あしらいが上手いわ」
「『こっとい』さんだって動きが軽いじゃないですか」
車掌も加わって賑やかに椅子の向きを整える様を、新参の四人が呆然と眺めていた。
窓の外には向日市電車区がひろがり、一日の疲れを癒す近郊電車に交じって、花形の特急電車がデンと腰をすえている。それらの見送りを受ける様は、大名行列のようにも感じられる。
この先で再び名神高速をくぐるまでは、途中でゆるく右にカーブすることを除いてほぼ直線区間である。
「席の用意ができましたのでお掛けください。わがまま言って恐縮なんですが、私は勤務中なので車掌室に近い席にさせていただきます。それと、このお三方は行き先にちなんだ名前で呼び合っておられます。あちらから、島原さん肥後さん、珍しい名前の『こっとい』さんです」
車掌が新しい仲間に着席を促した。
「新大阪を通過したら車掌室に戻りますので、先にお断りしておきます」
「車掌さん仕事大丈夫なの?」
『こっとい』が心配気にきいた。
「新大阪までは特に用事はありません。通過駅やら司令室との連絡は四号車で対応してくれるから大丈夫です」
車掌が柔らかな表情で答える。
新たに加わった四人に、鉄道がエネルギー効率に優れた輸送手段だと説明を受けたこと。
機関車が発電すること、余剰電力を無駄にしていることなどを話題にしたことを島原が説明した。
「さて、さっき車掌さんから聞いたように名前を考えましたか?」
島原が人懐っこい表情をみせた。販売を職業としているだけに、卒のない話し方である。
「そちらの青年からどうぞ。私達は待つのに慣れていますし、実のところ後の方が気楽ですから」
初老の男たちは、穏やかな表情で若者を見つめた。
「……そういうことならお言葉に甘えて。……僕のことは、大分に帰省する友達についてきた関サバと呼んでください」
えっ? という表情で先に自己紹介をした仲間を見た若者が、
「そりゃないよ、俺だって狙ってたんだぞ、いまさら関アジなんて言えないじゃないか。それに、地元は俺なんだぞ」
ぶつぶつ不平を言って、
「……すみません、見苦しかったですね。考えていたのを横取りされてしまったので。……そうだな、少し地域が違うけど、河童でいかがですか?」
「細身の方が関サバさんで、体格のよい方が河童さんですね。では年配の方、お願いします」
何の理由からか、島原が名前を確認する間も肥後がクツクツ笑っている。
「白髪と禿のコンビですが、私たち兄弟でして、佐賀に墓参りするのに二家族で利用しました。白髪の私のことは嬉野と呼んでいただけますか」
細身の紳士である。白髪頭なのだが短く刈り込んであるので地肌が透けている。低音で、わりとゆっくり話すようである。
「私のことは響灘の響と呼んでください、弟です。なにか楽しそうな案内放送なので出てきてしまいました」
こちらは小太り。たしかに頭頂部は全滅で、後頭部にほわーっと産毛をまとった男である。
見た感じはまだ五十前、肌の艶がよく、早口である。
「白髪頭が嬉野さん、……が響さんですね」
「あの、ちょっと質問していいですか?」
若者が恐るおそる手をあげた。
「河童さんでしたね、どんなことでも訊ねてくださいよ」
島原は、機嫌よく若者に向き合った。
「そうそう、島原さんの辞書にないものはないですから」
「『こっとい』さん、それ本当ですか?」
『こっとい』は冗談のつもりなのに、肥後にはそれが冗談とは伝わっていない。
「肥後さん、ちゃんと聞かなきゃ詐欺に騙されるよ。島原さんの辞書にないものは、どこを探してもないんですよ。わかる?」
「……つまり、何でも書いてあるのじゃない? ……要するに、開き直り?」
「大正解。それはともかく、どんなことですか?」
『こっとい』が肥後を相手にひと遊びして河童に向き直った。
「はい、電気の話だそうですが、それならハイブリッド車の話をされましたか? バッテリーについての話はありましたか?」
「バッテリーですか? そこまで話が進んでいなかったし、バッテリーには無関心ですよ」
予想だにしなかった質問に島原はきょとんとしている。
「そうですか。ハイブリッド車、電気自動車、燃料電池車というような新しい形式の自動車が開発されて実際に一般道を走っていますが、どの形式も電気が燃料になっているのですからバッテリーが欠かせないと思っただけです」
挨拶もそこそこに話を始めた河童のために、関サバが援護にまわった。
「河童は学生時代……去年までそうだったんですが、電気自動車に狂っていたんです。ろくに授業を受けないで競技用の電気自動車ばかりに惚けていたから、もう少しで単位落とすところだったんですよ。なっ、河童」
関サバの言葉に河童が顔をあかくした。
「電池か、気が付かなかったな。……でもそうだよね。電気がなければ走れないわけだから、電車のように外から電気をもらえない以上、確かに電池が心臓部かもしれませんね。電気の消費が少ないモーターと、放電容量の大きな電池が不可欠ですね」
『こっとい』が頷いた。
「いえ、そうじゃなくて、電池そのものが問題だと思うんです」
河童が慌てて訂正した。
「今言われたように、電気を蓄える能力が電池の性能を左右すると思います。そして、何にでも寿命があるように電池にも寿命があります。ユーザーの立場からは、電池の交換にどれだけの経済的な負担を強いられるかが問題だと思うんです。ただ、電池の値段が安いだけでは廃棄物が山のようになるのですからもう少し視野を広げて、廃棄された電池を再利用できるかが大切だと思うんです。簡単に入手できる材料で作れるのか、再利用しやすいのかが大事ではないでしょうか」
河童は、はるかな年長者ばかりを相手に緊張していた。その証拠に、コーラのキャップを外したまま一度も口に運ぼうとしていない。喉が渇いていないのならキャップを空ける必要はないし、あんなに唇を舐めることもないだろう。
「電池ってそんなに簡単に寿命がくるの? それって安いの? いくら燃費がよくたって電池が高かったら意味ないからね。毎月千キロ走ったとすると、うちの車で五十ℓ、普通の車で百ℓ使うとするでしょ。ガソリン単価が百六十円だとすると差額は八千円、年間九万六千円だよね。十年乗れば九十五万円の燃料代を節約することになるけど、電池がいくらしてどれだけ使えるかで損をするかもしれないの? そんな馬鹿な……。中古のエンジンなんかそんなに高くないし、中古車だってもっと安く買えるじゃないの」
肥後がむきになって河童に食い下がった。
「正確なことは知らないけど、安い車なら買えるらしいですよ。しかも、登録費用込みで」
響が目を丸くして、嬉野の肩を叩きながら言った。
「えーっ? そんなの変でしょ? 省エネだの二酸化炭素削減だのって煽っておいて、ユーザーには何もメリットがないじゃないですか。おまけに電気は苦手だし、電気の知識があってもユーザーが自分で修理できない構造になっているんですよ。それじゃあメーカーが喜ぶだけじゃないですか。税金の種でしかないじゃないですか」
肥後の興奮が収まらないのを見て、嬉野が宥めるために話題を電池に戻した。
「悔しい気持ちはに同情の余地がありますが、製造の面から眺めてみませんか?」
「製造ですか? となると、当然再利用も含めてですね」
『こっとい』が車掌にコーヒーを勧めながら尋ねた。
「勿論です。私たちの国には資源、特に鉱物資源は全くないのが実情ですから、できるだけ使いまわしをしなければいけませんよね。ところで、今話題になっているのはリチウムイオン電池ですが、この電池、再生の面でどうでしょうね?」
嬉野は紙パックの牛乳で喉をしめらせながら難しい表情で語った。
「どうして? 酸に浸けるなり何なりすれば金属を回収できるのじゃないのか?」
響もやはり牛乳を手にしている。
「従来の鉛電池は、鉛板と銅と硫酸でできているから簡単に回収できるさ。硫酸に溶け出した鉛だって回収できるだろう。だけど、リチウム電池は再処理技術が確立していないそうだぞ」
嬉野が返した。
「それなら、寿命がきた電池はどうなるんですか? 使い捨てですか?」
島原が嬉野に尋ねる。
「処理技術が確立するまで、野積みでしょうね」
「……そんな馬鹿な! 自動車が買えるような高価なものを再処理できないまま実用化ですか?」
肥後がなおも食い下がった。
「そうなんです。資源を有効に再処理できないまま実用化しているんです。そりゃあね、乾電池程度の大きさならね、使われているリチウムの量は微々たるものでしょうけど、それでも日本中の電池を集めたら大きいでしょうね。休眠口座の残金と同じですよね。しかし、自動車用のバッテリーとなれば、どれだけ必要か見当もつきません。それに、リチウムというのは世界中で使うほとんど全てを中国で産出しているそうですよ」
まるで世間話のように嬉野が言った。
「だとしたら、中国の思惑一つで電池の製造が不可能になる可能性もあるということですか?」
『こっとい』がテーブルにカップを置いて考え込むような仕草をみせた。
「理論上はそうなるでしょうね。自国の産業を保護するために輸出量を減らすことも、値段を操作することも自由自在になりますし、中国にしたって、原料を輸出するより製品のほうが儲かります。うまく世界市場を牛耳ることができたら怖いものなしですからね。もっとも、他の産品との兼ね合いがありますから、極端なことをするとは考えにくいですが、相手は中国です。何を言い出すやら誰にも予想できません。中国が日本との貿易を重視しなくなったら、そうなる可能性は高くなるでしょうね」
嬉野の指摘が続いた。
「他の国では産出しないのですか? 調査してないんですか?」
半ば悲鳴のように肥後が食い下がるが、嬉野にしても自分の責任ではないので、いともあっさりと
「調査は当然していると思いますよ。でも見つからないようです」
「そんな危ういことでは困るじゃないですか」
たまりかねて島原も嬉野に詰め寄る形になった。
「だから、代替金属の研究に夢中だそうですし、もっと効果的な電池の研究を続けているようです」
省エネ減税もあって、思い切って購入した自動車への不安から憮然としていた肥後だったが、いくらか落ち着いたのか一同を見回すと突飛なことを言い出した。
「そんなことなら、いっそ電池式の自動車なんか開発するのをやめて、燃費向上を目指したらどうです? ……そうだな、国策として排気量を規制してしまって、千㏄クラスの車ばかりにすればいい。二千㏄を超えるような車の税金を五十万円くらいにしたらいいんですよ。時間当たりの排気ガスが単純計算で半分になるんでしょ? だったら二酸化炭素だって半分になりませんか?」
「ちょっと乱暴な意見ですよ」
関サバが発言した。
「僕なんか就職したてで、まだ自動車を買うような経済力はないけれど、それでも中古車くらいには乗りたいですよ。駐車場だ保険だ燃料だといって経費ばかり膨らむのに、その上税金ですか? そりゃないよ。年金の掛け金だって若者が負担しなきゃいけないんでしょ? 医療費だって若者が負担させられるのでしょ? どうして若者は負担ばかりなんですか? そんな社会は絶対間違ってる」
関サバも河童も就職したて。これから想い描いていた生活を実現させようという矢先にさまざまな希望を奪われ、尚且つ重い負担を負わされたら。若者ばかりでなく抗議したくなるだろう。
「なぜですか? 私ね、以前ディーゼル車に乗っていたんですよ。音は大きいけどガソリン車より熱効率がいいんです。それがどうです、排出ガスに含まれる微炭塵が問題になって、継続車検が認められなくなったんですよ。全国一律ならともかく、自治体によって対応がまちまちじゃないですか。ガソリン車だって排出ガス規制を触媒で対処したのに、なぜ微炭塵を取り除く努力をしないで個人の財産をスクラップにしてしまうのです? それって器物損壊より悪質な犯罪ですよ。自治体が個人の財産を奪ってしまうのは法律違反にならないのですか? 聞いた話ですけどね、ヨーロッパに輸出するディーゼル車には浄化装置が装備されていてとても優秀だそうじゃないですか。それに燃料だって石油に限ったことはないのでしょ? 天ぷら油とアルコールでも支障ないし、排気ガスだってきれいだそうじゃないですか。それが普及しないのは、揮発油税が取れないからだそうですね。そんなの暴挙ですよ。だったら排気量の規制ぐらい簡単にできるはずですよ」
島原は、自分が受けた仕打ちを引き合いに肥後の肩を持った。
「寝台特急が脚光を浴びた頃の機関車は出力が二千五百kwでした。しかし、コンテナ輸送が盛んになると、列車の総重量が必然的に増えたのと、列車の高速化が要求されて、それより大出力の機関車に置き換えられました。これが三千九百kwです。その後、国鉄が分割民営化されて新型機関車が登場しまして、なんと出力6千kwという化け物が登場しました。でも、機関車ばかり高出力になっても変電施設の関係で三千五百kwで運転しているのです。その機関車が全力運転すると、他の電車が使う電力が足らないのです。力がありすぎても他の列車に電気を使わせないでは鉄道として用をなさないから仕方ないですね。それに、レールを含めた軌道が重量に耐えられるか、私は知りません。いろんな要素が絡み合っているのですね。……さて、新大阪です。五分ほどで大阪ですので車掌室に戻らせていただきます」
車掌は機関車の更新を例にして大出力化、大排気量化を暗に批判して席を立った。