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6.「俺らはマジの神に見放されちまってるのかもな」

 翌日は二十二時に旋風塾に集合となった。講師三人と、生徒が四人揃った。夏星だけが来なかった。

 泉澄によると、結局昨日、夏星は見つからなかったらしい。つまり一昨日からずっと彼は塾に顔を見せていない。しかし、それは嘘だと蒼矢は小声でぼやいているのを閃助は聞いた。何故そこまで意地でも戻ってこないのか、夏星のことをよく知らない閃助には当然わからない。だが、講師たちも生徒たちも、彼に関してはそれ以上何も言わなかった。泉澄の顔色は優れなかった。

 深夜零時、駅前西口には人が溢れ返っていた。新緑町の住民丸ごと全員が揃っている、と蒼矢から聞いたとき、閃助は呆けてしまった。

 噴水の前に特設ステージが設けられており、ピンク色のカーテンでぐるりと一周囲われている。バスもタクシーも停まり、ロータリーは騒然としていた。

「何でバスもタクシーも動いていないんですか……?」明らかにおかしいと思い、蒼矢に訊ねたが、蒼矢は「次回に授業をお楽しみに」のお決まりの台詞だ。いくら日曜とはいえ、出勤する社会人やバイトの学生はいるはずだし、たかだか週に一度の演説のためだけに駅前の交通機関をすべてストップするなど、常識では考えられない。

 まさかと思い、駅前の店を見渡す。大型百貨店や銀行、ドーナツ屋、いつも見慣れた部屋には閑古鳥が鳴いているどころか、明かりがついてすらいない。営業を停止しているのだ。「どうして!」と思わず叫ばずにはいられなかった。すると声を聞きつけられたか、後ろから肩を叩かれた。振り向いた途端、閃助の喉が干上がった。

「よう、閃助じゃん。やっぱり来たか」

 筋原だ。他にもクラスメートたちが何人かいる。人が密集しすぎて、筋原は閃助の隣にいる苺や蒼矢たちの存在に気付いていない。

「ちょうどよかった、お前一人か? 一緒に演説聴こうぜ。あっちに田町や佐倉もいるんだ」

「えっ、ちょっと」

 腕を強引に引かれて、閃助はつんのめりそうになりながら筋原に手を引かれていく。「蒼矢さん!」思わず振り向いて叫んだが、群衆の中では筋原たちには聞こえなかった。しかし、蒼矢は素早く振り向いた。蒼矢の反応で状況を察した生徒たちや泉澄たちも慌てている。せんちゃん、と苺が叫んで手を伸ばそうとしたが、人ごみに制されて届かない。

 すると、蒼矢の口が微かに動いた。閃助からは聞こえなかったが、泉澄や苺たちは驚いた様子で蒼矢を見る。それから群衆の中に彼らの姿は埋まってしまった。

 閃助はもはや涙目だ。しかし筋原の腕の力は尋常ではない、こんなに強い力で彼に掴まれたことはなかった。やはり変だと再確認した。恐らく、閃助が信者でないことが理由だろう。閃助を自分たち側へ引き入れるためにも、逃がしたくはないのだ。

 しばらく人ごみに流されていると、一瞬静寂が降りた。それはすぐに、テレビのチャンネルを一気に最大まで上げたかのような大歓声に変わり、人々が一斉に諸手を挙げた。神が来たんだ、と閃助は察した。ずっと腕を掴んでいた筋原は呆気なく閃助から離れ、天高く拳を上げて咆哮を上げた。傍から見ていた閃助は、変わり果てたクラスメートたちの姿に怯えていた。ここから早く逃げて、蒼矢たちの下へ帰らなければ。しかし、周囲は文字通り人のビックウェーブ状態だ。所狭しと人が密着していて、波のように蠢くくせにとてつもなく暑い。

 すると、再び腕を引かれた。だが筋原ではないとすぐにわかった。己の肌に食い込む指が細いし、筋原よりも無理やり引っ張られる感じがあったからだ。足元が悪くてあくせくしていると、今度は腰を掴まれて、群衆から引きずり出された。

 熱狂的な空気から脱出した先に見たのは、夏星の姿だった。閃助の腕を痕が残りそうなほど強く握っているのも、彼の白い手だ。

「ついて来い」と夏星は低く呟き、頷く間もなく駅の売店前まで連れていかれた。切符の券売機のすぐ隣に売店はあって、当然店は閉まっている。しかし人々は皆、神の仕切られているカーテンの見える位置に押し流されているので、この辺りには人がいない。しかも、今は群集でまったく前が見えないがロータリーからさほど距離も離れていない。

「ここからでも声ぐらいは聞こえる。奴のマイクの音量は東口まで届くんだぜ」

「あ、ありがとう」

「別に」夏星はつっけんどんに言い放つ。「人が嫌がることを平然とやってのける奴は、俺は嫌いなんだ」

 そのとき、ほっとけと喚く夏星を追いかけようとする泉澄の姿が思い浮かんだ。

「おっ、始まるぞ。よく聴いとけ」

 夏星に顎でさされた方へ顔を向ける。【新緑町の皆さん】と、声が聞こえた。どうやらボイスチェンジャーで人工的な音声に変えているようだが、


【こんばんはぁ! 私の愛する、栄光ある町の住民た・ち!】


 は? と閃助の口が言っていた。

 これが神か、と鳥肌が立った。予想していたのと違う。ボイスチェンジャーで声変わりしている且つやけにハイトーンで、首の裏側をなぞられるような悪寒を感じた。ちなみに女声のボイスチェンジャーのはずであるのに、キンキンするほど高くない。不思議なほどに中性的な人工音声だ。

「相変わらずぶりぶりした挨拶だな」隣の夏星がしかめっ面をする。

【皆さん知っていますかあ? 今日は新月なんですよっ】

 群集がどよめいた。そこまで驚くこととは思えないが。

「確かに今日は晴れた夜空が広がっている割に月が見えないなと思っていたけど」

「お前までつまんねえ情報に関心すんな」

 早速夏星は退屈そうだ。しかし、話によれば神の演説は約二時間かかる。つまり夜中の丑三つ時まで聞いていなければならないのだ。

【んー、今日は一段と、人の気配を感じます。何故でしょうねえ、貴方たち以外にも、何処からか視線や、私の声に耳を澄ませている気配があるんです。隠れてないで出て来て下さいよお、私とお話しましょ】

 閃助は思わず目を見張る。群集の壁があるせいで神の姿は見えなかった。相変わらず神は、神らしい威厳を打ち消すほどの溌剌とした口調で喋る。

【私の話に興味があるというのなら大歓迎ですので、今宵はまず、一つの問いを貴方がたに投げかけましょうかね!】

 群集から拍手が起きた。あまりに盛大すぎる拍手なので、思わず空気に飲まれて閃助も拍手しかけたが、夏星に横目で睨まれたおかげで目が覚めた。

【皆さんの目は、覚めていますか?】

 駅前全体が静まり返った。

 閃助は「え?」と上擦った声を上げる。夏星もピクリと眉を潜めた。「目が覚めているか、だと?」

「神様、それはどういうことでしょうか」

 群集から声が上がった。【ええ、教えて差し上げまっす!】と神は茶目っけたっぷりに答える。

【皆さんは本当に己を取り戻していますかあ?】

 それを聞きたいのはこっちの方だ、と閃助は思わず群集に突っ込みたくなった。すると今まで弾んでいた神の声が、一気に地面に這いずるような低いトーンに激変する。

【――昼と夜が逆転した新緑町。貴方がたは愕然とし、失望され、恐怖や焦りに駆り立てられるがままに己以外のすべてを敵に回そうとした。そんな時代がありましたね】

 地獄の一週間のことだろう。

【それで、貴方がたは今、本当の自分を取り戻せましたか? あの頃の野蛮で暴力的な貴方がたではない、ちゃんと貴方がたの本来の姿を取り戻せましたか?】

 群集が一斉に拳を上げ、口々に肯定の言葉を叫んだ。連なる言葉の嵐の中、閃助は今の神の問いを必死に反芻する――。何かが根本的におかしい。

 神は満足そうに【そうですか、よかった】と言った。心底嬉しそうな様子だ。そしてまた高い声に変わり、【皆さんが優しいおかげで神は今日もげーんきに! 楽しい気持ちで! いっぱいお話出来ちゃいますね!】とはしゃいだ。

【神と呼ばれる私が貴方がたに恵みを与え、貴方がたはそんな私を崇めて下さる。あのね、それがこの新緑町のあるべき姿なんですよお。皆さん、よくわかってらっしゃいます。つまり『光溢れる日』以前の、誰の支配下にもなく傍若無人な振る舞いばかりを行っていた貴方がたは本来の貴方がたの姿じゃないんです! びっくりですね! 普通の生活をして、会社や学校に毎日通って、仏教にもキリスト教にも属さず、輪廻転生を鼻で笑っていた人たちも皆、本当の貴方がたじゃないのでーす! わお! でもそんなこと、一ヶ月間ずっと私の話を聴いてくれた皆さんなら納得ですよねえ?】

「ねえあの人、何言ってるの!」

 閃助はパニック状態になり、頭を抱える。

【わかりますかあ? 『光溢れる日』以前の貴方がたは本当の貴方がたじゃ、ないのです。今こうして神の支配下に置かれ、私の下す命令に従うのが貴方がたの本当の魂の姿。貴方がたは、極端な言い方ですが私からしてみれば『駒』に過ぎません。ですが、気を落とさないで。ただ使い捨てられるのは駒じゃない。貴方がたは私に仕える優秀な武器であり、頭脳であり、私の偉大さを物語る象徴であ・り・ます。貴方がたが私に忠実であり、輝かしい表情で毎日私のことを恋するように考えながら過ごすことが、私の希望ですっ。キラキラ瞬く希望です。貴方がたは私を尊敬してくれているけれど、私からしてみれば、こんなちっぽけな私を心から慕ってくれる皆さんが眩しくて仕方ない! ああ、目が眩んじゃうくらいに!】

 そんなことはない、と群集は一斉に否定する。神を落ち込ませてはいけないと、皆が必死の形相だ。神というより、これはまるで……アイドルだ。

「生憎よ、俺もあいつが何を言ってるかさっぱりわからねえ」夏星は興ざめした様子で肩をすくめた。「つーか、本来の姿を取り戻せたのってぶっちゃけ、俺たちだけじゃね?」

「どういうこと?」

「神なんてふざけた概念に捉われず、何処のカルト教団にも属さない、普通の生活してる奴ら。それって本当は、俺たちのことだろ」

 確かに、と閃助は頷く。

 相変わらず群集は神が発言する度に、面白いくらい一喜一憂している。

【皆さんありがとう。貴方がたのおかげで私は今日も新緑町は平和に包み込むことが出来ます。皆さんの力が私に勇気と希望を与えてくれる!】などと妙に芝居ぶって神が言うと、群集は狂った獣の雄叫びを上げ始めた。これもある意味、地獄みたいだったが、閃助は大分落ち着いてその光景を傍観出来るようになっていた。

 先ほどの演説からの信者たちの反応がこれだ。神が現れる以前の平和な生活が、彼らにとって本当の平和ではなかったのだと刷り込まれているのだ。夏星が言うには、新緑町の住民たちのとっての神は、自分より遥かに大切にすべき宝物らしい。

【神が存在する世界こそ絶対。神を崇拝し、彼の手となり足となり奴の指示通りに働くのが本当の貴方がたの役目なのですよお。仕事や学校、趣味や娯楽は息抜き程度の価値しかありませーん!】

「だから日曜の零時から二時は何処の店も企業も人は空っぽになって、交通機関も止めちまう。全部、神が指示したからだ」

【でも大丈夫、貴方がたは私を守ってくれるサムライさんたちですものね? 私を守ることに生き甲斐を感じてくれるなら、私はもっと堂々としていなきゃ、なーんてねっ】

「そして住民たちが易々とそれに従っちまうからだ。あのぶりっ子神様の言いつけにな」

 夏星の発言を聞いて、閃助は膝から崩れ落ちた。とどのつまり、神が現れる以前の自分たちの生活は――「すべて、嘘みたいなものだったって言いたいの? あの人は?」

「そうだ」

「でもって、自分たちはあの人の駒だって? あの人の言うことを聞くために生きてるんだって?」

「らしいぜ。それが神様のお言葉だ」

 嘘だよ、と閃助はぼやく。そしてきつく目を瞑った。『光溢れた日』のことを何も思い出せない。だけど、それ以前の生活が嘘だなんて信じられない。床に伏しがちで、学校にもまともに通えなくて、それでも今よりずっとずっとまともだった筋原たちや神崎と過ごした日々が、間違っていたはずはないのだ。あれは確かに閃助自身にとって、平凡だけどそれなりに幸せな日々だった。

 だが、もし『光溢れる日』以前の出来事がすべて間違っていたのだとしたら。母に捨てられた事実も、父が亡くなった事実も、事実としての真実味が薄くなる。あれらの過去は自分にとって正しい過去じゃないということだ。


「――ふざけた考えだけは発展させんじゃねえぞ」

 夏星の低い声音が耳に突き刺さる。はっとして顔を上げると、閃助より幾分背の低い夏星が睨め上げてきた。

「いいか、期待は持つな。俺は今日のあいつの話を聞いて完全に思い知らされたよ、神のところに寝返った方が実は得なんじゃないか、なんて思ったら終わりだ。あー無理無理、マジ人間として終わっちまうぜ」

 夏星は苛立っているみたいだった。大股で売店から離れると、群集の後姿にガン垂れた。群集にも気づかれない憤怒の表情は、追いかけてきた閃助だけが知っている。思わず飛び退いてしまうほど胸糞悪そうな顔だった。その顔のまま閃助を見て「おい」と言うものだから、閃助はどぎまぎしてしまう。

「俺たちってさあ、ツイてねえよな」

「え?」

「空気読まないでこんな薄暗い駅の屋根の下にいてよ、この町を統括するお偉いさんの言葉に頷くことすら出来ねえ。あいつについていけば、俺たちの幸せは約束されたも同然だぜ? しかも毎日二十四時間、へらへら顔を緩めながら能天気な気分でいられるっつーオプション付きだ」

「でも、僕たちは何故だか彼の言葉に共感するどころか、恐れをなしている」

「だな。癒しなんて、昼夜が逆転する世界になってからまともに与えてもらってない」

 月のない夜空を仰ぎながら夏星が笑った。彼の笑みを見るのは、閃助は初めてだった。

「俺らはマジの神に見放されちまってるのかもな」まだ神の演説は続いていたが、夏星は踵を返した。「上等じゃねえか」

 ひょっとしたら彼は、神の演説で自分の心が何か変わるかもしれないと期待して、演説を聴きに来たのかもしれない。だが、やはり夏星の中に神の言葉は染み込んでこなかったようだ。確かに、神のマインドコントロールっぷりは狂気じみていたが、閃助も無事、神に恋することはなかった。神が何か言う度に、群集は歓声を上げている。

【あっそうそう、いいですか皆さん、申し訳ないんですけど、また貴方がたに命じたいことがあるんです。聴いてくれますか?】

 はい神様、勿論です神様、と群集が口々に叫ぶ。

【よかったあ! では申し上げますね。何度も仰ったとおり、何とまだ新緑町の住民全員が私の言葉に感銘を受けた訳ではありません。僅かな人数ですが、まだ私を信じてくれない人たちも残念ながら存在します。ううっ、寂しいことですねえ】

 群集は皆同じように嘆き悲しむ。

【そこでお願いです。そんな哀れな彼らを、まだ駒としての自覚を持たず自分勝手な生活をしている彼らを、どうか、私の元へ連れてきてあげて下さい。もう何度もお願いしてることですが、そろそろ私も耐え切れなくなってきたので急ピッチで、急ピッチで至急お願いします。私の思想を受け入れてもらうのは、彼らを救うことに他なりませんのです! このままでは彼らは何の目的も未来もないまま、彷徨い歩くハメになっちゃう。そんな人たちを私は! 放っておけない! 王の思想に支配され、それに則って生きていくことが、彼らの幸せに繋がるのですから!】

 それでは独裁国家だ。

 閃助は背筋に冷たいものを感じたが、反対側の東口へと抜けていく夏星の背中を追った。彼の隣に並んだとき、ふと、蒼矢が昨日「神に心酔してしまうのは哀れ」と言ったのを思い出した。反対に神は閃助たちを「哀れな者たち」と言った。しかし神の言葉は、とうとう二人の少年の心に響かなかった。

 そしてその翌日から、神に従わない所謂「哀れな者たち」を捕まえようと、新緑町の住民の大半が町中で目を光らせるようになった。


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