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3.「生きることを諦めるっていうのは、なしだからね」

 翌日、 学校に二十時半に着いた。昨日と同様、多くの生徒たちが夜空を仰ぎながら校門をくぐっていた。やはり昼夜逆転生活リズムには、大半の町の住民たちも新鮮に感じるようだ。しかし思いのほか、夜の学校生活に関して極端についていけない者はいないみたいだった。それも恐らく、神への信仰心が人々の支えになっているのだろう。閃助は生徒たちに紛れて、自分と同じように新緑町の現状に隔意を示している生徒がいないか探してみた。だが当然、見回すだけでわかるはずもない。閃助は肩を落としながら教室へ入った。

 そして授業を受けていたのだが、二限の英語の授業で再度神への狂信ムードに寒気がしてしまい、トイレに飛び込んだ。昼休みまで保健室で休んでいたが、早退させてもらった。

 学校を出ると、相変わらず外は真夜中だった。都会からいくらか引っ込んだ田舎町の夜空に、星屑が瞬いている。目の中にいっぱいいっぱい溢れ出るほど満天の夜空ではなくとも、見惚れるほどには輝き満ちている。真夜中の十三時、家に帰って宿題をやって早めに寝ようかと考えていた閃助は、ふと旋風塾のことを思い出す。アーケード街の出口付近で立ち止まり、暫し考えあぐねる。本来、閃助の自宅は右を曲がった先にあるが、逆の左へ曲がった。新緑町駅へ向かった。

 駅構内を抜け、西口から東口へ出る。すれ違う人々は誰も彼も平凡に見える。とても得体の知れない神などの信仰者とは思えない。到底思えなかった。恐らく、二日後の日曜日の神の演説で、真相ははっきりわかるはずだ。

 相変わらず寂れた道路に佇む、こじんまりした旋風塾。昨晩、いや、昨朝は日が差していたおかげで周りの光景がよく見えたが、真っ暗な時間帯では、旋風塾の窓から洩れる光がよく目立つ。逆に不気味だった。平日の真昼間、ではなく真夜中にも関わらず(閃助はまだ昼夜逆転生活に慣れていない)、時たま犬の散歩をする老人や自転車を漕ぐ主婦が通っていくのが妙な光景だった。だが、もうこの生活リズムが普通なんだよな、と思う。現に、昨日旋風塾から帰ったあとの正午、閃助は急激な眠気に襲われた。今までは夜の零時に眠くなるのが当たり前だったのに、まったく真逆の生活リズムが自身にも染み付いていた。何故身体や脳が昼夜逆転した世界にきちんと適応出来るようになったのか、閃助にもわからない。ただ、眠かったら寝た。そうしたら夕方の十八時に目が覚めた。

しばらく緊張して塾の前に棒立ちしていたが、意を決して閃助はドアに手をかけた。鍵は開いている。


「こんばんは」

 こんにちは、と迷ったが、こんばんはと大声で挨拶した。

 するとまっしぐらに苺が玄関に飛び出してきて、「閃ちゃんだ!」と呼んだ。

「せんちゃんって僕ですか?」

「閃助って言うんでしょ? だから閃ちゃん。あだ名つけた方が呼びやすいじゃん」

 ふわりとした左右のお下げを揺らして苺は可愛らしく笑う。「学校はどうしたの?」

「ちょっと具合悪くて……というか、やっぱり学校が怖くて、早退してきました」

「あーやっぱりやっぱり学校って怖いよね、神信仰者の集会所みたいなものだもんね。閃ちゃん、学校なんて行かないでずっとここにいなよ!」

 靴を脱ぐ前から腕に引っ張られて、困っていると、「はい苺ちゃん、落ち着く」と昨日会った眼鏡の女の子が宥める。確か、苺からみゅうと呼ばれていた少女だ。

「今、私と苺以外は授業中なの。と言っても授業を受けているのは二人しかいないけどね。まあ一応静かにしなさい」

 人差し指を口元に当てる眼鏡少女は、閃助よりも少し年上に見えた。ナチュラルな年上の色気を感じる。うなじから胸の前に垂れる一本の三つ編みが、知性を感じさせた。

「私は美羽。宜しくね、閃助くん」

 スリッパに履き替えて室内に入ると、席の方から声が聞こえた。玄関のすぐ傍に立っているホワイトボードに、ペン書きで時間割が書いてある。縦に授業の開始時間~終了時間、横に講師名が記され、生徒名が指定のコマの欄に書かれている。授業数は最大で一日四回、二十二時~二十三時、一時~二時、三時~四時、五時~六時とある。一コマ六十分で間に一、二時間の大幅な休憩が挟まれている。かなり変則的な時間割だが、思えばこの塾はただの勉強塾ではない。

 昨日、七時半前後から蒼矢の授業を受けたのは、恐らく初回のオリエンテーションも含んでいたために時間をきちんと区切っていなかったのだろう。それでもきっちり己の中で時間を計算しながら蒼矢が話をしていたのだと思うと、さすがとかし言いようがない。

「蒼矢先生はいるけど、事務室で作業中。泉澄先生と涼先生は授業中だから、二時まで適当な席でゆっくりしてれば? あ、お菓子食べる?」

 ホワイトボードの奥へ入っていってしまった美羽は、軽い口調でそう言った。彼女と苺の後に続いて、一番奥の席の列へ行く。右奥からA~Eとアルファベットが振られた五列のうち、A列に入った。一列につき席は三つで、前の二席は既に眼鏡少女と苺に占領されているようだ。机にスナック菓子やジュースが置かれている。

 随分、自由奔放だな、と閃助は思った。A列の三つ目の席に、失礼しますと声をかけて座る。

「そんなに礼儀正しくしなくていいのに。もっと気楽に過ごしていいのよ。私なんて高三だけど、もう学校も行かないで毎日家と塾を行き来してるだけの生活だし」

「わたしはずっとここで寝泊りしてるよ。ところで、みゅう。さっきお昼ご飯だったのに、ちょっと食べすぎじゃない?」

「いーのいーの、どうせやることないんだもの」

 普通の学習塾のような束縛した環境はここにはない。少なくともこの二人は、遊び感覚で塾に入り浸っているのかもしれない。閃助は少し複雑な気持ちになったが、自分はそれに口出し出来る立場ではないなと思い、控えた。

 一時四十五分だ。いつもなら眠くて仕方ない時刻なのに、まるで昼間のように目がぱっちりしている。

「少し見学してみる?」苺が言った。

「授業を?」

「うん。今授業を受けているのはなっちと国っちでね。閃ちゃんより授業が進んでいるから話の内容はちょっとわからないかもしれないけど、残り十五分だから雑談タイムに入ってるかもしれない。授業後半になると雑談が多くなっちゃうんだよね、どうしても」

 確かに、個別指導の塾は講師が一コマに何人かの生徒を受け持つとは言え、席が分かれているので常に講師と生徒は一対一で接する。当然、私情の話に移行してしまっても仕方ないのだろう。

 苺に連れられ、B列へ向かった。一番奥の席で、国定が授業を受けているらしかった。彼の隣に見知らぬ男が座っている。190cmはあるであろう長身で、肩幅が広く、ごつっとした腕がシャツの裾から伸びている。手足も長い。短く刈った短髪も相まって、まるでスポーツマンだ。彼は苺と閃助に気がつくと、特徴的な二本の糸目を向けてきた。

「やあ、こんばんは」

 一見頼りなさげな顔立ちだと思ったが、喋り方は割にしっかりしていた。且つ、無表情だった。

「涼くん、遊びに来ちゃった」苺はぱっと顔を輝かせ、涼と呼ばれた講師の太い腕に抱きつく。彼女が真っ先にB列へ向かった理由がわかった気がした。

「苺ちゃん、今授業中なんだけど」

「いーじゃんいーじゃん、どうせもう今日の内容は終わったんでしょ? ね、国っち」

「まあね。ていうかこの頃情報不足って感じらしくて、大した新しい知識も教えてもらわなかった」

 国定が乾いた笑い声を上げる。講師の前でそんなことを言っていいのかと閃助はヒヤヒヤしたが、涼は表情を変えない。

「仕方ないよ、一ヶ月ともなるとさすがに真新しい情報も出て来ないんだ」

「情報って何処から探してくるんですか?」思わず閃助は聞いた。

「僕たち講師が日替わりで町を回るんだよ。新しい生徒を探すついでにね。そこで得た情報を僕らなりに分析し、生徒たちに教える。時には生徒と議論になる。それが旋風塾さ」

「町を回るって、もしかして信者たちに話を聞いたりとか?」

「そうだね、こっちから声をかけて話を聞くこともする。神をどれくらい信仰しているのか、その人の周りはどんな状況なのか、神について何か知っている情報はないのか、あとは貴方の近くにまだ神を信じ切っていない人物はいませんか――とかね。基本は僕たちも信仰者のフリをして訊ねるけど、蒼矢さんはどうかなあ。あの人は気に入らないことがあるとすぐ罵倒したがるから、実は町ではちょっとした有名人になっているんだよ」

「腫れ物扱い、の方の有名人だけどな」

 国定が意地悪く微笑む。

「……あとは、何かするのですか? 情報を得るために」涼が喋らなくなってしまったので、さらに閃助は聞く。

「最近では、集会所の場所を探しているよ。何処かに神の本拠地があるという噂がある。恐らくそこに神もいる。見つけられたら、張り込んでもっと情報を得られるかもしれないんだけど」

「張り込むって、危険すぎやしませんか」

「四の五の言ってられないでしょ」涼はさらりと答える。「第一、この状況で危険だの何だのって理由で調査をやめることは出来ない。僕たちの立場が一番、今の新緑町の状況からして危険極まりないんだから。いつ旋風塾の実態がバレて、襲撃に遭うかわからない」

 閃助は息を飲む。「襲撃って」

「ありえない話じゃないよ。前にうちに通っていた生徒で神に寝返った子が、神に密告している可能性だってある。でもね、どちらにしても今の新緑町で、危険じゃない場所なんてもうないんだ。正常を保っている君ならわかるでしょ?」

 涼の容赦ない言葉に、閃助は何も反論が出てこなかった。苺が「さっすが涼くん、クールだね。そんなところが素敵!」と楽しそうにはしゃいでいる。

 この町は本当に変わってしまったのか。閃助は、心にヒリヒリ焼け付くような痛みを感じた。何処へいたって普通の生活が送れない、旋風塾では常に神に嗅ぎつかれる覚悟を持って授業を受けなければならない。確かに、反乱意思の持つ者たちの集いである旋風塾の存在を、神が知ってしまったら、ただでは済まされないかもしれないのだ。

 それが嫌なら町を放浪するか、また部屋に閉じこもるか、神の信者の仲間入りをするか……少なくとも、三番目は絶対に嫌だった。宗教は母親を狂わせた。勿論すべての信仰宗教が人の人格や人生をも崩壊へ導いてしまうと言っている訳ではない。心を癒し、日々敢然と現実に立ち向える勇気を与えてくれる宗教だってこの世には存在する。宗教だとかカルト全体が悪い訳ではない。

 だが、母親が愛した教祖がいる宗教団体も、新緑町を束ねる神も、閃助から見れば普通ではない。自分もああなりたくない。それだけは、はっきりしている。ならば、やはり旋風塾に身を委ねるしかないのだろうか。

「…………」

 閃助が黙って考え込んでいると、涼は不意に「生きることを諦めるっていうのは、なしだからね」と言った。口調は幾分柔らかかった。

「え?」

 まるで自分の心象を見透かされたようなタイミングだった。閃助は驚きながらも、涼のさり気ない励ましを受け、また沈みかけていた心が少し軽くなった。

(しかし、何を考えてもネガティブな要素を捨て切れない自分が、たまに鬱陶しくなるなあ)

 閃助は内心苦笑する。

 そんなときだった。


「――もうほっとけって言ってんだろ!」

 教室の奥から怒鳴り声が響いた。びっくりして顔を上げると、誰かが玄関を飛び出していくところが見えた。

「あれは夏星くん?」

 追いかけるようにして泉澄が後に続いたが、既に追いつかないと察したのか、泉澄の足音は続かなかった。思わず閃助は駆け寄ろうとしたが、「やめとけよ」と後ろから声をかけられる。国定だった。

「泉澄と夏星はいつもあんなだよ。夏星もほとぼりが冷めたらじきに帰ってくるだろうさ。そっとしときなって。ああいう関係なんだ」

 閃助は、国定のいつも何かに呆れている風な口調を少し苦手に感じた。すると、苺が涼の腕から離れて玄関へ向かった。慌てて閃助も追う。涼はついてこなかった(冷静に考えたら授業中であるので当然かもしれない)。

 玄関で泉澄は棒立ちしていた。悔しそうに俯いている。そういえば昨日も、夏星が夕飯も食べずに教室の奥へ引っ込んでしまったとき、泉澄は夏星を気にかけている素振りを見せていた。彼女は夏星に対して、他の生徒へ向けるのとは違う何か特別な思いを抱いているのだろうとは察知出来た。夏星がやたら痩身だからだろうか、それとも他の生徒と比べて刺々しいからだろうか。

(とは言っても、僕は夏星くんのこと、何も知らないんだよな)

 たとえ見ず知らずの人に対しても、内心ひっそり考察するのが閃助の癖であった。相手に悪いとは思っていながらも、閃助のお人好しな性格がそうさせるのだ。しかし、それを口に出すことは少ない。

「相変わらずのお人好しだな」

 気がつくと、蒼矢が事務室から出てきていた。ちなみに講師専用の事務室はC列辺りの後ろにある。トイレに向かう曲がり角の前に小さなドアがぽつんとあり、そこが事務室となっている。

 泉澄は蒼矢の言葉に答えなかった。「いずみー、大丈夫?」と苺が心配そうに、彼女の背中を擦っている。塾内の事情を何も知らない閃助は、無論、下手に口出しも出来なかった。

「閃助」蒼矢がそんな閃助の背中に声をかける。「明日の一時から二回目の授業を行ってやる」

「え!」

 些か緊張した。いや、その前に、と思う。「あの、僕はもう正式にここの生徒という扱いですか?」

「嫌か? 嫌なら出て行け」

 やはり蒼矢、気持ちいいほどきっぱり言ってくる。閃助は一瞬迷ったが、苺と泉澄の視線を背後に感じ、「いえ、あの……」と口ごもった。

「早く言え!」蒼矢の鋭い一言に、つんのめりそうなほど背中を強く押された気がした。

「受けます!」

 閃助は大声で答えていた。

「ここの生徒になります。正式に、この町で起こっていることを僕に教えて下さい。全部真剣に聞いて、受け止めます。それしか今の僕に――出来ることはありません」

 口に出したあとで、へなへなと脱力してしまい、閃助はフローリングにへたり込んでしまった。宣言してしまった。もう、部屋に閉じこもる生活には戻れない。そして彼らを裏切らないためにも、神に寝返ることは出来ない。

 凍り付いていた空気が、閃助の一言で確かに変わっていた。やがて苺が歓声を上げ、「宜しくね、閃ちゃん!」と後ろから閃助の首に抱きついてきた。押し潰されそうになり、ぐえっと閃助はしゃがれた呻き声を上げる。

「あら、おめでとう」騒ぎを聞きつけてやってきた美羽が、もみくちゃになった苺と閃助を見て苦笑している。国定は寝そべったままの閃助の頭を両手でくしゃくしゃに掻き乱し、顔色の白かった泉澄も少し嬉しそうに微笑んでいた。涼は無表情を貫いていたが、アクビをしながらトイレへ向かう蒼矢の後ろ姿を見据えていた。

 生徒数は五人に増えた。


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