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13.「地獄へ堕ちろ!」


 翌日の夕方、午後八時、閃助は茫然自失のまま登校した。

 廊下で木更津先生に「昨日は無断欠席したんだって? 珍しいな、病弱な優等生が」と肩を叩かれたが、閃助に反応はなかった。木更津先生は不思議そうに首を捻って彼の背中を見ていた。

 香梨の机は昨日以上の惨劇に見舞われていた。机は上下ひっくり返っていたし、椅子も白いペンキがぶっかけられている。美術室から持ってきたものだろう。ロッカーは赤いペンキで「滅びろ」と書かれていた。閃助はそれらを一瞥すると、黙って自分の席についた。

 筋原や森林の挨拶にもロクな反応を返さず、クラスメートたちは皆、閃助の突然の変貌っぷりをただただ怪訝に思っているようだった。

 夕方、起きると、香梨が寝ていたはずのベッドはもぬけの殻だった。蒼矢にも連絡したが、旋風塾にも姿を見せていないと聞いたときは背筋が凍った。二度目の香梨の行方不明に、さすがの蒼矢も怒りを露わにしていたが、ずべこべ言っていられない。万が一同じ学校に通う生徒に見つかりでもしたら、香梨の身の保証はない。

 電話の最中、蒼矢からこんなことを聞かされた。『本当なら昨日の授業で教えてやろうと思っていたが、反逆者の追放処分に使用される拷問部屋は新緑町の中にいくつか存在する。まずは新緑町地域内の各学校内の生徒指導室、それ以外にも公衆電話や公衆トイレ、会社のエレベーター内などだ。今から、こちらで把握している限りの拷問場所をチェックしたリストと地図を送る』

 その後、メールで拷問場所のリストと地図ファイルが転送されてきた。

『閃助』冷淡に蒼矢は忠告してきた。『万が一を思ってお前に今のデータを送ったが、今日はお前は学校へ行け。香梨が学校へ向かっている可能性もゼロじゃない。外部の捜索は我々に任せろ』

「殺されるってわかってるのに、香梨ちゃんが自分から学校へ行くとは思えません」生気のない声が閃助の喉から搾り出される。「だって香梨ちゃん、元信者だったんでしょう」

『聞いたのか』

「はい」

『……閃助、学校が終わったら塾へ来い。お前が四日間寝込んでいる間に、香梨が話してくれた情報をお前にくれてやる』

 意味深な響きがあった。何故だか不安が募る。今まで頑なに塾に入会しようとせず、自分一人で生きていくと主張した香梨が、蒼矢たちに情報を打ち明けるなんて。

 閃助が口をぱくぱくさせているのがあっちにも伝わったのだろうか、『あとで全部話してやる。だから今は、香梨を助けることだけに集中しろ。旋風塾のことも、姉のことも、何も考えるな。香梨だけを守れ』

「それって、いざとなったら僕もみんなを裏切れってことですよね!」

『お前たちが危険に晒されたら、必ず助けに行く』ずしり、と重く響く宣言だった。『泉澄と涼に外部の捜索を任せて、俺は学校に潜入する』

「塾はどうするんですか! 先生まで姿を現してしまったら、旋風塾が神に反乱する者たちの集いの場所だってバレちゃうかもしれませんよ! そうなったら、みんな……!」

『――悪いが、香梨のおかげで時間がなくなった』切迫した蒼矢の声は、閃助の膝を笑わせる。『最初から新緑町の悪夢は、永遠に続くものじゃなかったんだ。いい意味でも、悪い意味でも。香梨の覚悟が、終わりを早めた』

「意味が、わかりません……」閃助は震える両手で携帯電話を握った。「貴方たちは……何なんですか? 一体何を考えているんですか? 生徒を守りたかったんじゃないんですか?」

『正確には守るんじゃない。お前たちを導くんだ』

 そういえば、と通話先が小さく呟いたのが聞こえる。

『もう六月中旬だな』電話を切る前に、彼は思わずこちらの肝が冷えた一言を吐き捨てた。『なのに何故、梅雨が来ないんだろうな』







 二限の現代文の授業に、香梨は堂々と姿を見せた。靴はローファーのままだった。

 教室のドアを開けて香梨が入ってきた瞬間、安穏としていた授業の空気がいきなり殺気立った。皆が皆、香梨を睨んでいる。無論、担当教諭の紺野先生も同様だ。

 閃助は目で、逃げるんだと合図をした。だが香梨は閃助の視線に一瞥くれただけで、相手にしない。構わず教卓の前を横切り、ペンキを被った自分の椅子に座った。ペンキはもうかぴかぴに乾いていたが、誰もが冷ややかにその光景を見ていた。閃助だけが、あっ、と思った。

(何故、あんな涼しい顔をしていられるんだ)

 いっそ戦慄した。同級生として、香梨の精神力が恐ろしかった。何食わぬ顔で、痛々しい罵倒が殴り書きされた机に鞄を置くと、香梨は普段通りに教科書を取り出す。紺野先生が授業を中断し、後ろの席でお喋りしていた生徒たちも一斉に黙り、クラスメート三十五人分の視線が香梨に集中していた。閃助の視線は含まれていない。彼女の追放は、クラス内でもう暗黙の了解なのだ。今、誰もがそれを切り出す機会を虎視眈々と狙っている。追放者の拷問を任せられている筋原だけではない、全員が神に見初められるチャンスを掴むため今回の香梨の追放騒動に関わろうとしているのだ。

 閃助が最初に香梨と話したのは、あのスイミングスクールの前。車に轢かれたスズメの死骸を一緒に公園で埋めた。ミステリアスな少女は、学校内では閃助の唯一の理解者であったけども、彼女は彼女自身だけを信じて生きていくと決めていた。

 そんな彼女と仲良くなろうとして、空振ったり、秘密を暴かれたり、彼女の人間性に触れて心がときめいたり。きっと、彼女を好きになれていたら、もっと普通の恋が出来ただろう。単純に焦がれて、溺れて、一喜一憂する、青い恋を経験出来ただろう。閃助は、本当のところ香梨をどういう存在として見ているのか、自分でもわかっていない。

『勇気を見せてよ、閃助くん』

『香梨が話してくれた情報をお前にくれてやる』

『香梨の覚悟が終わりを早めた』

 まさか、と閃助は目を見開く。このまま狂気をコントロール出来なければ旋風塾のスパイなど務まらないと自分を叱った香梨。その彼女は神の元側近で、神に関する情報を旋風塾に売り渡した。旋風塾を助けようと思わなければ、そんな真似はしないはず。そして彼女は学校へ来た。追放を覚悟で。新緑町には学校の生徒指導室以外にも拷問部屋が存在するはずなのに、わざわざ学校へ来たのだ。まるで閃助に見せ付けるかのように。

(香梨ちゃん――君は、僕を信じてくれているの?)

 何故だかわからないが、かつて香梨は「閃助は町を救う鍵」だと言った。それが本当ならば、閃助は狂気的な愛の妄想に身を捧げている場合ではない。そう、香梨は閃助の目を覚まさせようとしている。さらにその香梨の意図を知っている蒼矢が、「香梨を守れ」と閃助の背中を後押しした。

 見事な連携プレーだ。自分が寝込んでいた間に、お話は目まぐるしく進んでいたのだとしたら。

 香梨が命をかけて、閃助を狂気から救い出そうとしているのだとしたら。

「……ッ!」

 彼女はここで犠牲になってはいけない――自ら堂々と死を受け入れにやって来るほど強く逞しい少女を、閃助は失いたくなかった。

 だから。

 がたん、と音を立てて席を立つ。皆の香梨への集中が殺がれ、後ろの席の筋原が「閃助?」と戸惑った。

「僕は、みんなの思想にとやかく言うつもりはない。誰を信じようが、誰を守ろうが、それは人の自由だ。だけど僕は」

 香梨がぎょっとして、閃助を凝視した。閃助のこめかみから汗が垂れる。後ろの筋原の視線を痛いほど感じる。紺野先生が呆然とこちらを見ている。

「僕は……!」

 自分自身を信じる、か――。

「バトンタッチしようか?」

 香梨は、はっきり大きな声で言った。閃助に向けた言葉なのは間違いなかった。かつて蒼矢に女装癖の秘密の糸口を引っ張り出されたとき、香梨にバトンタッチして代弁してもらったのだから。

 結局、香梨ちゃんバトンタッチ、とは言わなかった。

「もう耐えられません。僕は神様なんかについて行くつもりはない。みんな、ごめん……!」

 追放も旋風塾もクソ食らえだ、もう何もかも知らない。信じるものは自分で決める。たとえ旋風塾の講師たちや生徒たちが危険に晒されることになってもいい、蒼矢はそれを許してくれた。結局蒼矢たちが自分たちに何をさせたいのかはわからない、珠姫の居場所だって掴めていない。だけど今は――。


「もう迷わない! 香梨ちゃん、目が覚めたよ!」


「閃助ぇええ!」

 閃助が香梨に向けて手を伸ばしたのと、後ろの筋原が閃助の頭上に拳を振り上げたのはほぼ同時だった。これが本日最大の地獄の幕開けになる。

 筋原の渾身のパンチは不発に終わった。何故なら、いつの間にか教室に現れていた長い足が、それより速く筋原のこめかみを蹴り飛ばしたからだ。教室は大騒ぎになった。漆黒の闇の中に浮かんだ眼光と、閃助の見開かれた目がかち合う。

「蒼矢先生、どうして」

 いつの間に。だが蒼矢は閃助を睨みつけて「ぼさっとするな! 香梨を保護しろ!」と怒鳴る。はっとした閃助は、憤怒の表情で立ち上がってくるクラスメートたちを掻き分けながら、これまでに発揮したことのない素早さで香梨に駆け寄る。火事場の馬鹿力とはちょっと違うが、人はピンチに追いやられると能力のリミッターが外れるというのは本当かもしれない。

 昨日まで和やかに話をしていたクラスメートたちが血相を変えて閃助に掴みかかってくる。後ろから、蒼矢が次々にクラスメートたちをなぎ倒していった。蒼矢にもこんな力があるとは思っていなかった。

 香梨は満足そうに微笑んだあと、閃助に手を伸ばしてくる。森林がカッターを片手に二人の間に立ち塞がった。蒼矢の反応が遅れ、閃助の右手の甲が切りつけられる。それでも、おおお、と閃助は咆え、逆にカッターを払い落とした。森林が絶望したかのような表情になる。ごめんね委員長、と閃助は心の中で彼に謝った。なりふり構わず香梨に血だらけの手を伸ばすと、香梨は閃助の手首を掴んだ。

「逃げるぞ!」蒼矢が親指を後ろに向けながら、左手で男子生徒の顎にアッパーを決める。その声が引き金を下ろさせた。

 重々しい音が弾かれた。

 蒼矢の身体が軽く仰け反る。それに伴って、彼の脇腹から赤色の雫が散った。乱れる青い髪に、混じる赤色は鮮烈すぎた。クラスの女子が悲鳴を上げる。蒼矢は目をぱちぱちさせる。香梨は「ああ」と乾いた声を上げ、閃助の手首を瞬時に強く握った。閃助は、ただ立ち尽くした。

 紺野先生が、銃を向けていた。実戦用のリボルバーだ。恐らく地獄の一週間を共にした相棒だろう――ずっと懐に忍ばせていたのだ。紺野は二発、三発、四発と乱れ撃ちをかました。クラスメートの何人かが血を噴出して倒れる。一発は蒼矢に再度当たった。合計で七発の銃声が轟いたところで、怒りのボルテージが最高潮に達していた一組の教室は、一瞬にして凍り付いていた。

 蒼矢が机にしだれかかって倒れる。お前たちを助けてやる、と力強く宣言した彼の言葉で頭がいっぱいになる。

「先、生……」

 香梨にもらった勇気が萎んでいく。閃助の膝が痺れ始め、香梨の肩にしがみついて立っているのがやっとだ。

「紺野先生、どうしてこんなこと」さすがの香梨も、叫び声こそ上げなかったが動揺しているのが明らかだった。

「ふ、ふふふふふざけるな」紺野は目をひん剥いて声を上げる。「追放者を逃がしたとなったら、その時間の授業を担当していた私にまで、飛び火が来るんだ。逃がす訳にはいかない、神様に背くぐらいならここで全員死んだ方がマシだ。神様に見捨てられたらそれこそ、私たちは、この町では生きて行けない! 神様は私の守護神だぞ! 地獄の一週間のとき、私の娘を悪漢から助けてくれたのだ! あの人こそは本物の神だ!」

 紺野の娘もこの学校の生徒で、確か五組だったはずだ。それに、確かに信者たちにとってはお咎めを食らって死ぬよりも、学校で起きた不幸な事件の被害者となった方が、何の負荷もなく死ねるのかもしれない。

「君たちは間違っている! 君たちが間違ったせいでクラスの子たちが今、死んだんだ!」

「何故、神に従っている時点で、最後は死ぬんだと義務付けられているんだ?」

 閃助と香梨に向けられた銃口を、遮るようにして軽く手を挙げた人物。ワイシャツの脇腹と胸が真っ赤に染まっているのに、彼は平然と立ち上がっていた。

「間違っているのはむしろ貴様の方だ。こいつらのせいで生徒が死んだんじゃない、貴様が自暴自棄になって銃をぶっ放したせいだろうが。貴様の下らない言い訳のせいで」

 蒼矢先生、と閃助は空虚に呟いた。

「時間がガリガリガリガリガリ削られていくんだよ! マヌケな人間風情が、地獄へ堕ちろ!」

 青筋を立てた蒼矢が足を踏み込むと、血飛沫が身体中から飛び散ったが、構わず彼は紺野の鼻骨を蹴り飛ばした。黒板に頭をぶつけた紺野は、白目を剥いて気絶した。


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