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10.「ああ、姉さん、何処」

 店の中に入った途端、閃助は懐かしくも愛おしい思いになった。

 キャロット店内は色とりどりのタイルが壁一面に敷き詰められた構造である。タイルは派手な色合いでなく、少しばかり煤けた赤や青、黄色からオレンジ、水色などのパステルカラーで揃えられていた。反して、床は落ち着きのあるキャラメルブラウン一色のフローリング。店内には外国のポップスやR&Bが流れ、十代後半の色気づいた若者の気持ちを弾ませるムードに溢れていた。

 閃助はふらふらと向かったのはレディースファッションのコーナーだった。おかっぱ頭で華奢な体格、且つ童顔の閃助なら、見た目だけなら女子に間違われてもおかしくない。だが、閃助は今高校の男子用制服を着用している。ネクタイをきっちり締めた男子高校生が、目を輝かせて花柄のプリッツスカートやラメの入ったキャミソールに見入っているのだ。普通ではない。若い女性店員は最初閃助の顔を見ても特に驚きはしなかったが、彼が男子の制服を着ているのに気付くと、目を白黒させた。

 初夏の今は、薄い生地の七部袖のシャツやモモンガカーディガン、半そでと長袖の重ね着スタイルのトップスを推しているらしく、また真夏に向けてパンツや丈の短いワンピースも出ていた。そうした、所謂「女子力」たっぷりの服装に身を包んだマネキンを見上げて、閃助は楽しくなる。こんな可愛いお洋服を着てみたい。この淡いピンクのワンピースを着て都会の街に出かけてみたい。こっちの白いレギンスパンツも着こなせたら綺麗に見えるだろうな。鎖骨の辺りや素足を出したちょっと露出度の高い格好も憧れる。

 なんて考えながら服を見るのは、とにかく飽きなかった。あれも欲しいこれも欲しいなんて我がままは言わない、ただ気に入った服を自分が着用してみるところを想像すると、非常に興奮する。女の子らしい、可愛らしい格好をして、鏡の前で一人ファッションショーをしたい。いや、閃助はもう既に、何度もこっそり女装を楽しんでいたのだ。

 思い出してしまった――閃助が失った記憶のうちの一つ、それは、閃助が女装癖を持っていたことだ。だから髪の毛も男らしい短髪にせず、あえて中性的なおかっぱ頭で統一していたのだ。

 今の閃助には、恥ずかしいなどという気持ちは微塵もなかった。久しぶりに趣味の洋服を眺めるのを満喫した。服だけでなく、帽子や靴も見た。アクセサリーも手に取ってまじまじ見つめた。メンズファッションには目もくれず、女性用のファッショングッズばかり目移りしていた。遠巻きに眺めてくる蒼矢と香梨の目など眼中にない。ここから閃助の狂気の再発だった。

 正気に戻ったのは、閉店間際になって香梨に肩を叩かれたときだ。ずっとかじりつくように店内を見て回っていたら、あっという間に一時間半も経過していたらしい。香梨の真顔と、蒼矢の苛立ちを露わにした表情を見て、自分のとんでもない趣味が赤裸々にバレてしまったのをようやく実感し、真っ青になって、発狂しそうになった。







 閃助の趣味はわかったがあいつはいつまで店内を徘徊しているつもりなのだ、と一秒でも自分の時間を無駄にしたくない蒼矢はそう言って何度も閃助に怒鳴りつけようとしていたらしい。香梨はその度に止めたそうだ。にしても、蒼矢も我慢して一時間半ずっと閃助を観察していたということは、やはり店に向かう前の香梨の言葉を吟味していたのだろう。あるいは、閃助が洋服に夢中になっている間に、二人でさらに話を発展させていたのかもしれない。どちらにしろ、閃助にはどうでもよかった。自分はとうとう失われた記憶の片燐を思い出せたが、まさかそれを蒼矢と香梨に知られてしまうなんて。穴があったら入りたいどころじゃない、いっそ死んでしまいたい衝動に駆られた。

 だが、一度蘇ってしまった熱意は冷めなかった。恐らく、自宅の下駄箱にあった女性用の靴を見た際に感じた熱意の正体は、閃助の心の奥底に眠っていた女装への欲求だったのだ。それが叩き起こされそうになっていたのだ。

「女装を始めたのは確か中学二年生のときです」

 夜の公園のブランコに腰かけ、閃助は観念して、自分に女装癖がある事実を二人に打ち明けた。隣のブランコには香梨が座っており、蒼矢はブランコ乗り場を仕切るポールの上に尻を乗せている。二人は黙って聞いていた。

「僕の母は、気弱で妻の尻に敷かれてばかりの夫を嫌っており、彼と性格の似ている僕を忌み嫌っている節がありました。弱い男は嫌いよ、が母の口癖で、今は亡き父と息子の僕は、よく母に嫌みったらしく言われたものです。男らしくない、根性なしで貧弱で、根暗な女みたいにもじもじしてばかり。気色悪いのよ、って。罵倒を浴びせられていくうちに、僕は思いました。なら、自分が女の子なら弱くても許されるのではないか、と。しかし性転換の手術など出来る金はないし、手術したところで、どうせ母に嘲られるに決まっている。男として生を受けたからには、絶対に女の子になれない。それどころか僕は性的嗜好まで女になれませんでした。つまりオカマではなく、同姓に対する恋愛感情は芽生えませんでした。だけど、女装だけは、ハマってしまったのです」

 閃助はあくまで、弱い自分から遁走するために女装に身を委ねていた訳ではない。本来素質があったのか、閃助は女装する度にいつしか快楽を感じるようになった。蒼矢たちには秘密にしておいたが、女の格好をする自分を見て勃起した日も何度かある。女装しているときだけは、自分の姿がひどく好きになれた。可愛い、素敵だ、と思えた。そして彼は女装癖にずぶずぶ嵌っていったのだ。まるで男が定期的にオナニーをするように、閃助はどれだけ具合の悪い日でも女性用のスカートを履き、大きな赤いリボンのついたカチューシャをつけ、鏡の前でそんな自分に惚れ惚れした。むしろ、調子が悪いときほど女装行為をすると癒された。

「気持ち悪いですよね。あんな姿を見せてすみませんでした……」

 店で女性用の洋服を漁っている自分の滑稽さが恥ずかしい。それを見せ付けられていた香梨と蒼矢はどんな気持ちだったろう。閃助は心の底から申し訳なくなり、同時に二人に引かれたのではないかと戦々恐々としていた。

 だが、返答は意外なものだった。

「別に、驚かないし」

 香梨は、にやりとした。思い出し笑いのそれとは違う、しかし作り物の笑みでもない。得意げで、純粋に可愛らしさのある笑い方だった。

「おあいこでしょ。私は自分の思い出し笑いが気持ち悪いってことぐらい、自覚してるし。寝不足のお兄さんなんて病的なほど時間に神経質なんだよ。それに比べたら、女装癖ぐらい大したことない」

 彼女はこんな笑顔も浮かべるのか、と閃助は頬を紅潮させる。朝の日差しの元では淡い赤色さえも浮き彫りになってしまうので、香梨に見られないよう咄嗟に俯いた。

 蒼矢は唐突に口を切る。「俺が病的な神経質だと? 時間に拘ることの何がいけないというのだ。時間は今この瞬間でさえ呆気なく流れて行く、二度と同じ五月――じゃなくて、六月十一日午前十時九分四十八秒は訪れないんだぞ。この世で唯一我々を待ってくれないのは、病魔でも別れた女でもない、時間だけだ」

「ほら、病的すぎて正直私は貴方の方が引きます」

「小娘、お前が生意気な口を叩くせいで今、俺の怒りのボルテージが上がっていく。この怒りはただでは収まらんぞ、少なくとも爆発までに二十五秒はかかるだろう」

「随分ゆっくりですね」

「うるさいうるさいうるさい! お前の余計な一言がなければこの二十五秒で俺は閃助に適当な慰めの言葉を一言二言ぐらい」

「貴方の発言が合計で何秒かかっているか今数えてみたんですけど、何と自分で二十秒も無駄にしていますね」

 蒼矢が発狂したかのように喚き声を上げた。

 そんな二人のやり取りを見ていると、閃助は気恥ずかしくなってしまう。香梨は、自分を貶めたり仕返しするためにわざわざ塾へ赴いて、閃助の謎の行動を打ち明けたのではない。彼の態度から引っかかりを感じ、失われた記憶の鍵を導き出したのだ。それを閃助や蒼矢に教えようとしてくれた。

 それにもう一つわかったことがある。やはり神のマインドコントロールにかかっていない者たちは何処かおかしい。いい意味でだ。曲者ばかりだし、自分の趣味を簡単に受け入れてくれるし、蒼矢でさえ、さり気なく自分を慰めてくれようと台詞を考えていてくれていたのだ。神の思想に染まれば、日々追放されるかもしれない恐怖に怯えずに済むし、毎日へらへら笑ったまま過ごせるし、それもまた一つの幸せの形だろう。だが、信者たちは自分のためでなく神の幸せのために生きている。神が幸せだと主張してくれるから信者たちも幸せな気持ちになっているだけだ。それは、己のための幸せではない。本当の幸せではないと思う。きっと本当の幸せとは、僅かながらも「自分自身」を受け入れてくれる人たちがいること――。こんなの、明らかに受け入れがたい趣味だと思っていたのに。香梨はあおいこだと笑ってくれるし、思ったことははっきり口にするタチの蒼矢さえ何も非難してこない。

(そうだ……今までは理解されなかったんだ……)

 自分の女装癖を思い出して、閃助はさらなる疑問に辿り着いた。自分は何故、女装なんて始めたのだろう。女装にハマったのは予想外だったが、それ以前に女の子の格好をしようと思い立った原因があるはずだ。その原因は何だったのだろうか。

(僕は……どうして女装なんて始めたんだ? いや、そもそもどうして、僕が女装に目覚める前から自宅に女の子の服なんてあったんだ)

 閃助は、これが自分の秘密の底ではないと悟った。女装を始めた原因、そこに本当の自分は隠されている。一ヶ月間の記憶がない閃助。己の女装癖を忘れていた閃助。家の玄関に前はあったはずの白いパンプス。そうだ、あのパンプスは一体誰の――?


「あっ」


 頭の奥底に、記憶の詰まった水晶があることに閃助は気付いた。それは無数の糸が複雑に絡みついている。いや、糸なんて細くて脆いものではない、鈍色の鎖だ。凍結されていた記憶を縛り付けていた鎖が、不気味な音を立てて崩れていく。砂の塊と化して、ガラガラと。破片が落ちていく度に、閃助は頭を切られるような痛みに襲われた。何度も、何度も、終わりのない激痛に襲われる。

 頭を抱えて呻き出した閃助の様子に、さすがに蒼矢と香梨は異変を察して口論を止めた。香梨が「どうしたの」と心配そうに肩を揺さぶってくる。

 何故だかわからないが、閃助の目からぼろっと涙が零れた。そして顔を上げ、泣きっ面のまま香梨を見つめる。彼女は思い出し笑いの気持ち悪さを覗けば、冷静沈着で英明、手厳しい面もあるがスズメの死骸を土に還してあげるくらい優しくて、おまけに見た目も可憐だ。自分の女装癖に嫌悪感を示さず、笑って受け入れてくれた。正確には、彼女からしてみれば閃助の秘密が何かしら神への対抗に役立つと思ったから秘密を暴こうとしただけであって、閃助自身に興味がある訳ではないのだろう。しかし、閃助は、自分の存在が彼女の頭を多少なりと占めていたのだと発覚しただけで、熱っぽいときめきが沸き起こっていた。

「あああ」

 なのに、だ。

 そのときめきは妙な生ぬるさに変わって、閃助は困惑の洪水に溺れそうになっていた。動悸が起こり、玄関で起こした眩暈とそっくりの現象が起こる。

 ふと、脳裏に一人の女の顔が過ぎった。

 それはよく見慣れた顔だった。見慣れすぎた顔だった。香梨とスズメの死骸を埋めたとき、ポケットに潜ませていたハンカチが何故か女物のハンカチだったのを思い出す。あのハンカチは母のではなかったのだ。あのハンカチは――!

 ピースがカチッとはまる。

「君に」閃助は壊れそうな笑みを香梨に向けた。

「何?」

「君が思い出させてくれる前に、君を……いればよかった」

「えっ……」

「うわあああ!」

 閃助は公園を飛び出した。蒼矢の呼び止める声が背中に突き刺さったが、構わず走った。走る度に胸のペンダントがバウンドしてひどく邪魔だ。だがこんなペンダント、今はどうだっていい。通り過ぎる人々と何度も肩をぶつけ合って、一度チンピラ風味の中年男にぶつかったときは鬼の形相で怒鳴られたが、適当に謝りながらチンピラの体躯を上手くかわして逃げた。

 運動不足且つ身体の弱い閃助は、僅か五分で呼吸困難になり、電柱にしだれかかって呼吸を整える。そうこうしている間にも、心臓は普通じゃありえないくらい暴れまくっていた。覚束ない足取りで、一歩ずつ前に進んでいく。頬を伝う涙を拭いながらふらふら町を彷徨う姿は、きっと浅ましいことこの上ないだろう。だが、それでもいい。閃助はもう思い出しかけていた。

 彼が失っていたのは『光溢れる日』以降の一ヶ月間の記憶ではない、『光溢れる日』以前の記憶もだったのだ。神が一昨日の演説で話していた、「本当の自分を取り戻せているか」の問い。あれはまさに、自分に対しての問いかけだったのだ。神が住民のほとんどから彼らの記憶の一部を抜き取っている可能性もある。だがどちらにしろ、閃助にとっては、神が現れる以前の生活はまったく平穏なものじゃなかったのだ。むしろ毎日が戦いだった。本当に自分を取り戻せていなかったのは、閃助自身の方だったのだ。



 やがて自宅に戻り、一つの部屋の前に立つ。一部屋だけスペースが余り、客人用の個室と化している六畳半の部屋だ。閃助の部屋の隣だった。そこはしばらく使われていないベッドやちゃぶ台、何も収納されていない本棚があるだけの、がらんとした一室だった。部屋の右奥、窓のすぐ傍に佇むクローゼットを閃助は睨む。早まる鼓動に打ちひしがれそうになりながら、意を決してクローゼットを開けた。

 ハンガーにかかった女性用の、しかも若者向けの洋服がずらりと敷き詰められている。季節で統一されてはおらず、閃助が中身を何度もいじったせいででたらめに並んでいた。春用の赤いカーディガン、フリルが目立つ白いボレロ、桃色のVネックのサマーニット、袖がふわりとたるんだミントグリーンのカットソーシャツ、秋冬物の青いチュニック、ベージュ色のモッズコート……。さらに左側は主にワンピースがあった。淡いオレンジのプリーツワンピースや、白ドット柄の長袖のフレアワンピース、それから花柄のマキシ丈ワンピースは閃助のお気に入りだ。いや、閃助だけでなく、彼女のお気に入りでもあった。

 下にはプラスチック製のタンスがあり、主にボトムや肌着、下着類まであった。一緒に小さな木箱があり、そこにはアクセサリー類やカチューシャなどが乱雑に仕舞いこまれている。タンスから、よく好んで着用していたデニム製のショートパンツを取り出した。さらにミントグリーンのカットソーシャツと、木箱から黄色の花飾りのついたカチューシャを引っ手繰る。それらを抱え込んで自室に戻ると、閃助は制服を脱ぎ去ってパンツ一丁になった。思い出したように再び隣の部屋に戻り、白とピンクのボーダー柄のパンツを持ってきた。そして己のトランクスを足元に落とし、一糸まとわぬ姿で全身鏡の前に立つ。

 閃助が女装を楽しむために使っていたのは、すべて彼の姉の所有物だった。

 双子の姉の名は珠姫という。所謂一卵性双生児で、背は男である閃助の方が若干高いが、珠姫も女子にしては長身なので実際あまり変わらない。顔立ちもそっくりで、筋肉も脂肪分も少ないほっそりした体格をしている閃助と、女性らしいたおやかな身体つきの珠姫は、一見すればどちらがどちらか判断がつかない。また、閃助は男性にしては音域の幅が広いので、珠姫の声真似もしようと思えば出来る。

 唯一違う側面を探せば、性格が正反対という典型的でありがちな違いしかないだろう。

 珠姫の服を着ながら閃助は、姉に関する記憶をゆっくり巡らせていく。そうだ、珠姫は自分の女装癖に嫌悪感に示し、十歳年上の男の家へ転がり込んだのだ。まるで汚らしいものを見るような目で、女装に没頭する閃助を眺めていた珠姫の顔が、くっきりと脳裏に浮き彫りになる。

『こんなキモい弟と二人きりで一つ屋根の下なんて、私、マジで耐えられないわ』

 昔は優しく、弱虫だった閃助をいじめっ子から庇ってくれた珠姫。自分よりも遥かに逞しく、また同級生の男子相手も口論で打ち負かせるほど口が達者だった。閃助は珠姫が大好きで、彼女なしの人生など考えられなかった。

 しかし珠姫は成長するにつれて、男遊びに興ずるようになった。

『ねえ閃助、今日こないだ知り合ったホステスの男連れてくるから、何か料理作っといて。手抜いたもんだったら承知しないから』

 酒やクスリをやっていたかどうかはわからないが、とにかく珠姫はいつも平然とした面持ちで、自宅に男を連れ込んできた。それも同級生や大学生ばかりではない、明らかに年配のおじさんから金髪のチンピラ、時には真面目そうなサラリーマンまで、あらゆる種類のあらゆる世代の男が、彼女の虜になっていた。男と話すときの珠姫は、艶かしい口調で甘え、いつも閃助にキツくあたる怖い面影は一切なかった。そして隣の部屋に男と一緒に引っ込むと、珠姫の淫靡な喘ぎが洩れてくるのだ。

 弟として閃助は、彼女の変わり果てた姿に憤怒する訳でも呆れる訳でもなかった。ただ、ドス黒い嫉妬の渦だけが、閃助の頭を支配したのだ。しかし姉に嫌われたくなくて、姉と男たちの行為を邪魔したことは一度もない。部屋に戻れず、閃助はよく姉の声が聞こえないリビングの隅に蹲って泣いたものだ。

 そんな悔しさと嫉妬は、女装している瞬間だけは忘れられた。同時に、男らしさの欠片もないと母に罵られてきたことも忘れられた。自分で言うのも何だが、閃助は顔立ち自体は決して悪くない。むしろ制服を着ず、普通に男の格好で外出していても、女子に間違われるほど中性的な見た目をしている。女子の珠姫の方が睫毛も長く、胸や尻もちょうどよく出ているためスタイルがいいだろうが、閃助も女の格好とメイクをすれば負けていない。何といっても、美人な姉にそっくりの顔をした弟なのだから。


 デニムパンツを履き、カットソーシャツを着て、カチューシャをつける。カチューシャは姉とお揃いの赤いリボンをあしらったものだ。鏡の前に立つと、閃助は十分女子に見える風貌をしていた。そして同時に、より姉にそっくりになる。そのことが余計に彼を恍惚とさせた。鏡に向かって微笑んでみせると、珠姫が自分に笑いかけている風な錯覚になる。堪らなく気持ちが昂ぶった。


「姉さん――」

 正直言うと、自分は香梨のことが気になっていたのだと思う。だが、閃助は香梨に本気で恋する前に、珠姫への歪んだ愛を思い出してしまった。『光溢れる日』以前ずっと閃助は、実の姉を愛していたのだ。正真正銘の、恋愛感情として。自分にそっくりなようでそっくりではない双子の姉が、気が狂いそうなほど好きだったのだ。

「姉さん、姉さん、ああ、姉さん、何処」

 身体中を弄って、閃助は歪んだ笑みを浮かべる。

 思えば、『光溢れる日』に閃助が助けようとしたのは、珠姫だったのかもしれない。むしろ、そうとしか考えられなかった。母は正直どうでもいいし、父はいない。光が町中を包み込んで以来、一ヶ月間記憶がなかったのは、ひょっとしたら一ヶ月間家の中で気を失っていたからではないだろうか。一ヶ月も意識がないという仮説も突っ込みどころが多い気がするが、一ヵ月後に自分が目覚めた場所も自室のベッドだった。珠姫だったら、何らかの事情で一時的に自宅に踏み込んでくる可能性が一番高い。そうでなければ強盗でも入った可能性しかないが、見ず知らずの強盗を助けようと光の中に飛び込んだとはさすがに考えにくい。

 ならば、珠姫は何故、自宅に舞い戻ってきたのか。だが今は、珠姫への愛を思い出してしまった嬉しさと興奮と絶望が織り交ざって、泣きながら笑うことしか出来なかった。

 ちなみにこのときの閃助は気付いていなかったのだが、どうもこの記憶が抜き取られているなんて都合がよすぎる。だとしたら珠姫の現在の居場所は――。


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