表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
瓊音のつまごひ  作者: 相宮祐紀
(一) 神言の夜
5/40

五   毛並み

 では、と若者は即座に言った。

「まいりましょう。お立ちになれますか」

 問われて、実緒みおはまたうなずいた。そのあと、立てそうにないと気づいた。なんだかひどく重たくて、うまく身体が動かない。雨水が染みているだろうかと、思わず小さく笑ってしまう。そのとき、若者の静かなおもてが、かすかにゆがんだように感じた。指先を紙で切ったみたいに。それはすぐさま掻き消えて、若者はつと上を向く。

すまる

 なんだろうかと思い、実緒も仰向けのまま空を見た。雨の降り注いでくるようすが、つぶさにわかってなんだかふしぎ。なにかを呼んだように聞こえた。ふんわりとそう思っていると、空をなにかが横切った。そして真上に影が差し、それがそのまま舞い降りてくる。

「え……」

 実緒は、目をしばたいた。すとんと、かろやかに地に降りたのは、白くて立派な馬だった。雨粒をはじきひかって見えて、秘密のようにうるわしい。だから、と言うべきなのか。この馬は空からやってきた。馬は空飛ぶものではないはず。そして翼があるのでもない。

「こちら、神使しんしすまるです」

 若者は表情も変えないけれど、実緒はひたすら呆然として、その馬を眺めることしかできない。馬は、すこし首をかしげて、実緒のほうに顔を向けている。その目がふかく、あかい色だと、ふと気がついたときだった。若者が実緒に言い放つ。

「では、失礼いたします」

 なにが、と思うひまもなく、半身を抱え起こされる。ふわりと身体が持ちあがり、気がつけば馬の背の上にいた。すごい早業に実緒は固まり、同時に、きゅっと締めつけられる。父に抱きあげてもらったころが、おぼろげに思い起こされて。でも。

「あ、あの、これは」

 実緒は急いで声をあげた。馬は動じていないけれども、こんなにきれいな背に乗るなんて、あまりにもおそれおおかった。馬具もついていないから、なめらかにひかる白い毛並みに、身体がじかにふれている。

「あの、でもこれは、いけないと……」

 ほとんど意味をなさないことをもごもごと口にする実緒に、若者は淡白に返した。

「いいえ。これが早いのです」

 少々お待ちくださいと言いつけ、若者は馬から離れていく。実緒はどうしてよいかわからず、息を詰めながらじっと固まる。ほどなくもどってきた若者は、白い小袿こうちきを持っていた。さきほど実緒が脱ぎ捨てたものだ。泥をほとんど払ってあるそれを、若者は実緒の頭にかぶせた。

 すると、雨の音と冷たさが、ふわりと遠くなってやわらぐ。それなのにお礼も言えずにいると、小袿を透かし声が聞こえた。

美護みもりやしきがございますので、これよりお連れいたします。うしろへ乗らせていただきます」

 一本調子にそう言われ、実緒は思わずうなずいた。横向きに座る実緒のうしろに、若者は慣れたようすでまたがる。その手がすいと伸ばされて、馬の首筋を静かに撫でた。実緒は身体を縮こまらせた。

「はじめはすこしゆれますが、どうかお楽になさってください。もしご気分がすぐれなければ、こらえずすぐに教えてください」

 若者の声が頭に降って、そのとき、実緒はようやく気づく。このひとはなにもかぶっておらず、ずっと雨垂れを浴びている。

「あのっ……」

「これより動きます。あまり下を見ないほうがよいかと」

 若者が低くつぶやいて、とたんに馬が駆けだした。ぐらりと、身体がうしろへかしぎ、若者の胸に受けとめられる。確かにふれたところはやはり、ひんやりとして、こわばっている。実緒はもうなにも言えなくなった。

 馬は、はずんだ足どりで、空へと駆けあがっていく。宙に足場でもあるようだけれど、若者の言ったとおりにゆれる。実緒はその冷えた身体から、離れることができなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ