表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
瓊音のつまごひ  作者: 相宮祐紀
(五) 瓊玉の音
40/40

四十  ふれて

 




********





 しばらくのちの夜のこと、実緒みお北対きたのたいの居所にいた。

 鏡台の前で髪を梳いている。灯台からのしめやかな明かりが、手もとをそっと照らしだす。すこし湿った風はやさしく、虫の歌声を運んで吹いた。

 きょうも、すいがやってきた。祈祷のお客にもらったという、大きな瓜がおみやげだった。前に透也とうやが持ってきたときは、当人がほぼ食べてしまって、穂は悔しい思いをしたので意趣返ししてやろうと言った。そこで、実緒は頭をひねり、瓜におっかない顔でも描いて、それを裏返して渡してみるのはどうだろうかと提案をした。

 穂は、おおよろこびしてくれた。腕によりをかけるのだと言い、はつらつとした黄色の皮に、とてもおそろしい形相を描いた。実緒ちゃんも一筆いれてと頼まれ、実緒は眉をつけ足した。間抜けなつらになってしまった。

 穂と比佐ひさがものすごく笑って、ちょうどそこへやってきた透也も、瓜を見るなりおなかを抱えて転がり回る勢いだった。意趣返しにはならなかったけれど、実緒も一緒に笑ってしまった。

 瓊音ぬなとは、つとめに出かけているので、まだその顔を見ていない。もうすぐ会えるころだろうから、ぜひすっとぼけた瓜を見せたい。どんな顔をするだろう。実緒は、髪に櫛を通しつつ、思わず含み笑いをもらす。

 瓊音は、変わらずつとめに出るし、寝食のいらない身体のままだ。けれど、寝るのも食べるのも、つらくはなくなったと言っている。(やしき)にもどると、食事をとって、休むようになっていた。瓊音の大神おおかみより授かる力を、うまく受けとめているからだという。

 そんなふうになったのは、くりやで向かいあった夜から。約した三月みつきが経った朝には、実緒もこの目でじかに見た。そのあと、すまるが舞い降りてきて、一緒に空を飛んだのだ。うつくしい朝がふとよみがえり、実緒はおぼえず胸を押さえる。

 かがやく朝日と景色の中で、この手を取って、抱きしめてくれた。ここにいてくれと、ねがってくれた。離れてしまうことなど、できない。もう、ふれあってしまったから、まだふれあっていたいから、もっとふれあってみたいから、そんなことばかり、おもってしまう。

 そしてあのとき、御統の背で、つい言いそうになったのだ。思い出すと、こころが濁る。ぐるぐるとして吐きそうになる。香於かおのことはまだ、瓊音に言えない。笑顔をのこしてくれたあのひと。きっと、瓊音をくるしめる。

 でも、ここへ来る前は香於を、ぼやけた夢に見るばかりだった。あざやかに思い出せたのは、ここへ来てからのことだった。ふれないように、していたからだ。香於をくっきりと思い出したら、おかしくなってしまうと思って。香於のくれた、笑みや言葉を、ゆがめたり封じこめたりしていた。それがここへ来て、すこしずつ、とけはじめたからおそろしかった。

 いまは、ちゃんとふれられる。そう言えそうなときもある。それは瓊音に伝えてみたい。聞いてほしいと、思っている。でも、きっとまだちゃんとできない。まだもうすこし時間がほしい。

 櫛を箱の中にしまったとき、実緒は静かな音をとらえた。足音。だんだん近づいてくる。ぱっと立ちあがり、御簾みすをあげると、ひらめく真白の浄衣じょうえが見えた。手からゆがけを外しつつ、渡殿わたどのにさしかかったところだ。

 弽は、掃除をしていて見つけた。瓊音が前に使っていたらしく、ちょっぴり古くなっていたのを、比佐と直してから渡してある。でこぼこのつかに手巾だけではなんだかこころもとなかったけれど、いまは弽があるだけでなく、瓊音が巻いた柄糸つかいともある。だから、長いあいだ舞ったとしても、前ほどは手が痛まないはず。それでも、無理はしてほしくないし心配なのは手だけではない──思いながら渡殿まで来ると、直ぐにまなざしがつながった。瑪瑙めのうの瞳が、ふっとやわらぐ。実緒は両手を握りしめ、瓊音のもとへ駆け寄った。

「おかえりなさいませ、瓊音さま……」

「実緒どの。ただいまもどりました」

 瓊音の声が、染みこんでくる。やわらかく澄んで雪どけみたい、こそばゆいのに、締めつけられる。

「ご無事のおもどり、なによりです。まずは夕餉をお召しあがりください、今宵は豆を煮つけたのです。あと、おもしろい瓜もありますから、ぜひいちどごらんになってください」

「おもしろい瓜」

「はい、おもしろい瓜です」

 自信を持ってうなずけば、瓊音はふわりと笑みをこぼした。つられて小さくふきだしたとき、実緒は、瓊音が見慣れぬ袋を肩からさげていると気づいた。そちらは、とたずねると、瓊音は袋を撫でてこたえた。

「これは、今朝方お邪魔した先の、里のひとからいただきました。よく熟れておいしそうな桃です」

 すこし、声がかすれている。たまにお礼をされることには、慣れないと前に言っていた。うっすらと影をまとう瓊音に、実緒はそっと笑いかけた。

「そうでしたか、とてもいい香り……すこしお預かりいたしますね」

 肩から荷をおろそうとしたとき、指先どうしがふれあった。それだけで、ゆらりこころがゆらぐ。袋をもらえば済むことなのに、気がつくと実緒は両の手で、瓊音の手を包もうとしていた。やはり、指の長さが足りない。包んでしまうことはできない。でも、ひんやりした肌の奥から、伝わってくるぬくもりがある。

 そのぬくもりを実緒は引き寄せ、だいじに額へ押し戴いた。これでは瓊音が動けないのに、でも、もうすこしと、思ってしまう。もうすこしだけ、このままで。せつにねがってしまうそのとき、背に片腕が回された。そして、すっぽり包みこまれる。

 ふれた胸の奥、脈打っている。どくん、どくんと、強く鳴っては、呼びあうようにかさなっていく。やさしい熱が、指の先までいっぱいに満ち、なまえを呼べば。同時にぽろりと、なみだがこぼれ、ため息のように呼び返される。声が首筋を撫でていく。

「突然、すみません、でも……」

 実緒をやわらかく引き寄せて、あたたかい、と瓊音はささやく。

「とても、あたたかい、やすらぎます──」

 そんなことを、言ったのに。するりと、腕が離れてしまう。とっさに見あげた瓊音の顔が、すこし青ざめているようで。実緒は思わず両手を伸ばし、瓊音の頬を確かめる。親指の先で目もとをなぞると、まぶたがぴくりと小さく動く。またたく睫毛に見え隠れする、瞳は耀かがよう。離さぬように。はなれぬように、ひかれるように。爪先立って隙間を埋めて、かすめるくらいにそっと、ふれた。

 やはりこわれそうに、やわいと思う。けれども、やはり、あたたかい。このぬくもりに、ふれていたい。冷えるときにはあたためたい。きっと、きっと、しあわせだから、どうか、ずっと、ふれていたい────そうねがうのを、とめられなくて。こいねがうのを、とめられなくて。強いねがいがまだ重たくて、実緒はくらりとよろめいた。うしろへ倒れこんでいっても、それでもいいと、思う一瞬、たくましい腕に引きもどされる。そしてもういちど目があったとき、すべて。呑みこむようなくちづけ。

 まばゆい、生血なまちにも似たひかりがまぶたの裏によみがえる。痛いくらいにとうとい色に、真白の浄衣とやいばは照り映え、すべていとおしむ瞳をもって、せつせつとうたい舞っていたひと。実緒はみとれて、ききほれて、息をすることもできないほどで。熱かったのだ。とても、とても。あつかった。とてもあつい、いまも。もうとけあってしまいそうなのに、とけあえないからふれあえていて、ふれあっていて、高鳴っていて。ああ、こんなの。こんなに、どうして────

「実緒さま、瓊音さまお帰りです? あの、おもしろい瓜を……」

 ……と思ったけれど気のせいだったわ、あらちょっと雨が降りそうだわね。比佐のおっとりした声が、あっという間に遠ざかる。

 見られた、らしいと悟って固まり、ぶつかる視線をすぐさまずらす。でも、動けなくなってしまった。離れることも離れないことも、なにもさりげなくなんてできない。幾度もふれあっていたけれど、これははじめてのことだったから。

「……では、おもしろい瓜を見ましょう」

 瓊音が、平らな口調で言った。ずいぶん低まった声だった。ちらりと、目をあげてのぞくと、伏せた睫毛が幾度もまたたき、耳のあたりがうすあかいようで。もう暗いのだし、気のせいだろうか。背に回された両腕が、かすかにふるえているようなのも。

「おもしろい瓜を見せてください。たいへんに気になっていました」

 ふたたび低い声を出すので、実緒は、はいっとこたえたけれど。みごとに裏返っていた。あかくなって、ふるえているのは、おなじだったと気がついた。

「すぐに……、はい、おもしろい瓜、いますぐにお見せいたします……、それから、桃、こちらのすてきな、おいしく、だいじにいただきましょう」

「はい、ぜひに。そういたしましょう」

 お互いまじめな顔をつくって、抑えた声で言いあうけれど、ふるえとゆらぎが伝わってくる。くすぐったくて、息がくるしい。すぐに瓜を見せなければならない。だから、いったん離れよう、だけど。あともうすこしだけ。みずみずしくて、かぐわしい、果実の香りとともに包まれ。

 あたりは、とても静かながらも。それでも音は、確かに響く。蛙や虫の子守歌、葉のささやきに風のほほえみ、梟の遠いひとりごと、夜空のこぼすしずくのあいさつ。こんなにもそばにいるひとの、あたたかな息づかいと心音。

 ぜんぶなにかの、ふれあい鳴る音。かなしい。奥の底からかなしい。









 (結)





 この話を見つけてくださり、おつきあいいただきまして、ほんとうにありがとうございました。 相宮

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ