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瓊音のつまごひ  作者: 相宮祐紀
(一) 神言の夜
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四   言い訳

「申し遅れました。美護みもりの都より、障気しょうきを鎮めにまいりました者です」

 若者の端正な言葉を、実緒みおはぼんやりしながら聞いた。都から、障気を鎮めにきた。都はあまり遠くない。それより、障気を鎮めるすべが、贄を捧げる以外にあるのか。でもいろいろと、目の前に見た。若者はこともなげに続けた。

神言かむごとを賜ってまいりました」

「かむごと……」

「はい。神言です。玉垣たまがきしまをお守りくださる大神おおかみ大御言おおみことを賜り、おそれおおくもお力を借り障気を鎮めていくおつとめを、いまはわたしがいただいております」

 若者は、さらさらとそう説いた。実緒は呆然としているばかりで、なんのこたえも返せなかった。大神の言葉を受けとって、障気を鎮めるつとめをしている。そんなひとがいるということを、実緒はすこしも知らなかった。

 大神に仕えるひとたちならば、この近くにも多くいる。なにか授かったと言うひともいる。けれど、障気を鎮めるためには、贄を捧げるしかないはずだ。だから若者の言うことは、にわかに信じがたかった。

 でも、すべて見てしまっている。あんなにもひかりかがやいていた。うつつのことと思えないけれど、夢であるとも思われない。それは、このひとにふれたから。確かにこの身でふれたから。夢ではない、と思うからこそ言葉の出ない実緒に向かって、若者は淡々として言う。

「こたびは、こちらに溜まった障気を鎮めよという御言を賜り、参上しました次第です。障気は鎮まりましたので、あなたはもはや贄ではない。わたしの妻になってください」

 実緒は、横になったまま、若者の顔をぼうと眺めた。そばにかがんでいる若者も、動こうとしないようだった。黒くつやめく瞳をもって、実緒をひたりととらえたままだ。はめこんだようにゆらがぬ瞳。

「わたしの妻になってください」

 若者は、繰り返したらしい。実緒はゆるりとまばたきをした。目じりからこぼれ落ちたのは、睫毛にのった雨粒だった。こめかみを伝い、どこかへいった。すこしも、話についていけない。はじめから置いていかれていた。ちょっと途方に暮れてしまって、頭がぼやぼや霞んでいって、なんだかなんでもよい気もしてくる。

 贄になることが、できなかったのだ。帰ってもよい場所などはなく、待っているひともひとりもいない。だれに連れられてどこへ行っても、行かなくてもかまわないだろう。けれども、妻、というのはへんだ。神の御言を賜るひとの、妻になどなれるわけがない。

 妻が必要というのであれば、都で探せばよいはずだ。贄にすらなり損なっているもの、それを妻の座に据えるというのは、とてもおかしいと実緒は思った。わけを問うまでもなくおかしい。冗談なのかもしれないけれど、上手な返しは考えつかない。実緒は、ゆっくり息を吸いこむ。濡れた空気が胸を塞いだ。

「おそれおおい、ことでございます。あまりにも、おそれおおいことです」

 実緒は若者の目を見て言った。いままでぼうっとしていたけれど、くっきりした声を出すことができた。

「わたくしには、とてもつとまりません。どうぞおゆるしくださいませ……」

「そのようなことはありません」

 若者は、言下に否むけれども、つとまるように見えるのだろうか。実緒がつい眉をひそめると、若者は平坦な調子で言った。

「妻に迎えると決めましたので」

 なんだか、話が通じない気がする。大神と通じているからなのか。実緒はなんとなく目をそらし、ちょうど若者の太刀を見た。糸を巻かないそのつかは、突起だらけの硬い鮫皮が剥き出しのままになっている。飾り太刀かと思ったけれど、このひとはこれを握りしめていた。てのひらが痛くないのだろうか。慣れてしまっているのだろうか。

「わたしの妻になるならば、暮らしのうえでのご不便などはとくにないかと存じます。あなたはこちらに捧げられており、行くところもないとお見受けしますが」

 やはり、ゆらがぬ平らな声音。実緒は、ゆるゆると首を振る。

「ですが、それは、できません」

「はい。それはなにゆえでしょうか」

「お役に立てることはございません」

「そのようなこと、かまいません」

 ひゅるりと、風が過ぎていく。寒くもないのに身ぶるいがして、衣の湿りを思い出す。雨を吸いあげているらしかった。

「いいえ、とてもいや、なのです……」

 なぜだか、声が弱くなる。すれば若者は淡然と。

「では、つきではいかがでしょうか。これより三月のあいだだけ、あなたはわたしの妻でいる」

「え……」

「三月が経ったときには、わたしがあなたのおのぞみの場所へどこへなりともお連れいたします。障気の溜まり場でもかまいません」

 どくりと、心臓がゆれうごく。実緒はとっさに言葉が出ずに、若者の佩いた太刀を見つめた。鞘を彩る宝玉たちが、うるんでどこかいじらしかった。鮫皮はやはり痛そうだった。だから、おぼえず目をあげて、若者の顔をのぞいてしまう。いちどの重たいまばたきのあと、頬をしずくが撫で落ちる。ぱたりと、実緒の胸もとにふる。

「三月ばかりでかまいません。わたしの妻になってください」

 わたしはあなたがほしいのです。色も、熱も、ないその声に、できないとこたえようとしたのに。はい、と息がこぼれて落ちた。あえぐようにして、言い訳をした。

「三月──、三月のちには、どうか。障気のところへお連れください……」

「はい。承知いたしました」

 若者はごくあっさりとこたえて。

「妻になってくださるのですね」

 平らな口調でたしかめるから、実緒は小さくうなずいた。

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