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瓊音のつまごひ  作者: 相宮祐紀
(五) 瓊玉の音
39/40

三十九 共鳴り

 




**** ****





 天空からのひかりとともに、すまるまでが降ってきた。呼んでおらず、神言かむごともないのに。瓊音ぬなとが唖然としていると、御統はふんと鼻を鳴らして、いいから背に乗れとのたまった。御妻みめのひとも一緒にだといった。なにか微妙な威圧を感じ、瓊音はそれに従った。


 さわやかな空の青に照らされ、あまける白馬の背に乗っている。眼下には朝を迎えた都。すこし遠くへ視線を投げると、濃やかな緑の連なりが見える。そちらのほうから吹き寄せてくる、澄みわたる風になびく黒髪。瓊音の頬をやわくくすぐる。

「やっぱり、たかい、高いのですね……」

 前に座っている実緒(みお)は、下を向いたり上を向いたり、さっきから繰り返している。瓊音は、頬がゆるむのを感じる。

「でも、こんなふう、なのですね……」

 実緒は噛みしめるようにつぶやく。瓊音もおなじほうを見やった。

 西から東へ、北から南へ。まっすぐに続き交わる通りが、格子模様をなしており、そのきっちりした区画の中に、建物が多く寄りあっている。大路おおじはやはりひときわ太く、遠目にもそのにぎわいがわかる。屋根も車も牛馬も、ひとも、色とりどりに、まぶしいほどだ。美護みもりの都は朝を浴び、いきいきとひかりかがやいている。

「きれい……」

 そう言う、実緒を見つめる。深紅こきくれないの袖からのぞく、ほそやかに白い手足には、古傷がいくつも刻まれている。まだ、なにも知らないのだった。いつかふれてもよいのだろうか。いつかと、ねがったその瞬間、がくんと御統の背がゆれた。

 瓊音はとっさに手を伸ばし、実緒の身体を引き寄せる。ほわりと、ぬくもりが伝わってきて、そして御統はすずしい顔してゆうゆうと空を飛んでいた。わざとだ。無言で睨みつけても、神使しんしさまからのお返事はない。

 実緒の身じろぎがあまりに近い。やるせないような、なにかがこみあげ、瓊音は実緒を見られなくなる。御統のほうへ視線を逃がし、するとまたもや、がくんとなった。そして御統は、おりていく。おおげさにしているわけではないが、いつものとおり確実にゆれる。実緒の身体がすこしこわばる。

 のぼるときと、おりるときには、すこしばかり背がゆれるのだ。前進のときは滑るようなので、そのゆれがかえって目立つのだった。落ちることなど決してないが、不慣れではこころもとないだろう。もうすこし実緒を引き寄せるべきかと、一瞬、ためらったときだった。


 ────この意気地なし。へっぽこの神子みこ


 それきり、御統は黙ってしまった。突然ぐんと高くのぼって、またなめらかに飛んでいく。真白い毛並みが朝日をはじき、きらきらとゆれてうるわしい。この神使が用もないのに現れ、背中に乗れといってきたのは。

 これは、叱咤されているのだ。しっかり伝えていないだろう、なんとなくではいけないだろう、いまここからは逃げられないと。瓊音は口を引き結ぶ。

 大神おおかみの力をよく受けとめて、太刀や、舞に色がついても。よく神言を聞けたとしても、神になれるというわけではない。神でさえすべてすくえない。だから、あの子の言うとおり、しょうもない。つまらないしいらない。だれかを、すくうことなどできない。いまそばにいる、このひとさえも。それでも、ねがってしまうのだから、それなら。腹をくくれというのだ。

 いま、神使たる天馬の背に乗り、共鳴ともなりの神の広前ひろまえに。瓊音はゆっくり息を吸いこみ、問いかけるようになまえを呼んだ。

 はい、とすぐにこたえが返る。目が合い、瓊音はついたじろいだ。それでも、離れることはできない。ともに、音を聞いたひとから。聞いてなみだを流したひとから。

 いままですべて、捨て置いていた。そばにあるもの、内にあるもの。ふれることなく捨て置いていた。ないものとして扱っていた。ふれられないし、ふれてはならない、そんなことばかり思いこんでいた。

 ふれられることも、ふれていいことも、ふれると音がなることも。ずっと、ふれていたかったすべてに、ふれてならしてくれたのは。なって、共鳴りしてくれるのは。

 うるむ瞳が朝日を透かし、静かに、まどかにきらめいている。まなじりはいまだ、じんわりあかく、まぶたもすこし腫れており、濡れた睫毛はくせがついたか、くるりと上を向いている。そして、はじめよりまろやかな頬、そこになみだの跡がひとすじ。淡い唇を引き結ぶのは、ふるえを抑えようとするから。なぜ。どうしてこんなにも。なぜこんなにも、このひとは。どうしようもないそのかなしさに、ひかれるように、声がこぼれる。

「おれの妻に、なってください」

 約した三月みつきが終わったあとも。

「これからもっと、もっとあなたに──」

 瓊音は実緒の手にふれた。両手を取って強く握った。かさなり、絡まりあった手と手を、なにも言わずに実緒は見つめる。どこまでも澄んだそのまなざしに、ずきりと、瓊音の胸は疼いた。実緒は力なくうなだれた。その手が、肩が、ふるえはじめる。

 瓊音は内心、度を失った。泣かせた。いま泣かせたのだ。ふるえて、なみだをこぼしつつ、実緒は幾度も首を振る。瓊音はますます混乱するが、実緒がなにかを話そうとして、ためらっていることに気がつく。声を拾おうと顔を寄せると、実緒はふわりと目をあげた。とたん、心の臓が痛んだ。重く、熱く、あつくなる。あつい痛みに満たされていく。香りたつような笑みを浮かべて、言った。ありがとう、ございます。

 そして、握っていた手が抜ける。見えない、傷のためなのか。見える古傷も多くあるのに、きっと、さらに、もっとふかくに、巣くい続ける傷があるから。

 ああいますぐにと、瓊音は思う。このひとに傷をつけたものらを、いますぐこの手で斬って捨てたい。千切り裂き伸して焼き尽くしたい。このひとに、傷をつけたものらを。もちろんこの身も含まれている。ああ壊しきってしまいたい、だいじに抱えていたとしたって、すべて滅してしまいたい。

 おぞましいおもいが湧きあがり、瓊音はそれを飲みくだす。ぬるぬると喉を焼き落ちていく。なかったことに、することはできない。

 この情動も、思い出も、痛苦も傷もかなしみも、すべてなかったことにはできない。確かにあって、ふれられるから。かけがえのない音が鳴るから。それがうるわしいものでなくとも、どうしようもなくたいせつなのだ。それは、このねがいも、おなじだ。捨て置くことなどできないものだ。

 瓊音はもういちど、実緒の手を取った。そしてゆっくり引き寄せて、こわさぬように、そっと抱えた。ちいさく、やわらかくあたたかい。あまくすきとおる香りがくゆる。ふいに目の前がぼんやりかすみ、鼻の奥まで痛くなる。泣くのだけはとこらえながらも、抱きしめたままになまえを呼んで、ねがう。ひたぶるにこいねがう。どうか、ずっと。

「ここにいてくれ」

 ここで、こうしてふれさせて。ここでこうして、ふれていて。

 おびえて、おそれて脈打っている。音にこころを傾ける。ひとすじひかりが吹き抜けていき、ふいに、ひとひらこぼれくる。ぬなとさま、と実緒の呼ぶ声。抱える腕に力がこもると、きゅっと、袂を握られた。

「ここ……、ここに、いたいです……あなたの、妻になりたい、です……」

 声も、身体もひどくふるえた。なにも言葉が出てこなかった。燃え落ちそうなよろこびが、くやしさが湧き、沸き返る。ないまぜになり激浪になる。あふれだすほど烈しく荒れる。

 このひとと、あうことができた。このひとと、ふれあうことができる。それでも、やはり、どうにもならない────

 細い肩先に額を寄せて、瓊音は、強いてこころを鎮めた。しゃなり、やさしい音を鳴らして、御統が地に降り立った。顔をあげて、景色を見れば、邸の池の前だった。

 瓊音は御統の背からおり、続こうとする実緒を抱えた。すると御統は首を巡らせ、ちらりとあかい目を寄越し。しとぎは今度でよいとかいうと、ふいと見えなくなってしまった。かすかに起こった風にのり、聞き慣れた笑い声がとどいた。

 腕の中にいる、実緒を見る。直ぐにまなざしが結びあう。耀かがよう瞳と、ふれあいそうだ。やわらかな笑みがにじんだあとに、ひとしずくだけ、こぼれたなみだが頬の血赤を映してひかる。ぱたり、瓊音の胸もとにふる。

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