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瓊音のつまごひ  作者: 相宮祐紀
(五) 瓊玉の音
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三十六 火の花

 瓊音ぬなとは、小さく息をつく。背中がすこし、丸まっている。結い髪がわずか乱れこぼれて、うなじにまとわりついている。

「まれに、さほど集まっていない障気しょうきが動きだすこともあるのです。誤ってふれてしまうひともいる。そのようなときは、神言かむごともなく、気づくことさえできません──」

 あねさま、と。

 呼んでいた。呼んで、そしてこと切れた。

 あねさま、よかった。わらっていった。

 かばってくれた。守ってくれた。無事でよかったと笑みをのこした。

 香於かおの話は、してはならない。する機会だってもうないけれど、きっと、もっと、くるしめるから。

「残った障気を鎮めるばかりで、『神子みこ』が、なにほどのものかと思う。たびたび浸かってみたくなります。ずっとそうしていればあるいは」

 だめ。

 そんなこと、そんなことだめ。そんなこともう、もう言わないで。

 いま、そう叫んで変わることなら、すでに変わっているだろう。せっかくくれた、こころのかけらを、踏みにじることもしたくなかった。でも、痛いのだ。いたいくるしい。心臓が竦む。激しく疼く。わかる気がして、わからなかった。このひとだけの、くるしみだから。くるしいと、言うこともないから。おぼえず胸を押さえこむとき、ぱしゃんと、水の音がした。

 瓊音はたらいの湯からあがって、そのまま実緒みおに向かいあう。床板が色をふかく濃くして、そしてなにかをたずねる間もなく、つやめく瑪瑙めのうに射抜かれる。その一瞬に、息が止まった。

「だから、あなたがほしかったのです」

 瓊音は、実緒を見据えて言った。

「あなたは障気に囲まれながら、それでも、生きていてくれました。それだけでなく、あたたかかった。とても、あたたかくて、だからほしくて。ほしくて、たまらなかったのです」

 わからない。実緒はわからなかった。けれど、瓊音は繰り返す。

「あなたがほしくて、どうしても、生きていてほしいと思いました。のぞんでいないとわかってしまって、無理やりにここへ連れてきました。あなたの思いは考えていません」

「いいえ──」

「生きて、ほしかったのです。死なせたくなかった、どうしても……、ふれるたびにとても、やすらぎました。あなたが、生きているからです。だから、きっとわたしはあなたで────きっと実緒どのでなくとも、よかった」

 吐き出すようにそう言って、瓊音は大きく息を吸う。

「でも、わからなく、なりました。だんだんわからなくなって、あのときあなたが、すぐにでも、どこかへいってしまうと思った。急におそろしくなりました。つなぎとめたいと思いました。できないことはわかっています、でもそんなことはいやなのです。あなたに生きていてほしいのです。どうか生きていてほしい、でも、それだけではないんです──」

 わからない。なにを、言っているのか。

 聞きまちがいだと、思っていたのに。

「もう、それだけじゃないんです。もうどうしようも、なくなりました。あなたに、そばにいてほしいんです、そばに、ふれさせてほしいんです────もっと、だからあなたに、おれは」

 あなたにふれてほしいんです。

 それきり、瓊音は口をつぐんだ。ふつりと切れてしまったように。厨の中に、静けさが降る。

 ぱちぱち、炎のはじける音や、風がかたかたと戸をたたく音。遠く木の葉のこすれあう音、犬や夜鳥の呼びあう音も。互いの息をする音も、心音さえも、とどいてきそう。

 なにか。なにかを返さなければ。でもだめ、おねがいやめて、だめです。とてもそれほどの値打ちはなくて、なのにどうして、こんなこと。言うべきことは、たくさんあって、でも唇が、わななくだけだ。なぜ。どうしてこんなに弱い。胸の奥底が熱くてあつい。いまにも、あふれだしそうなほど、内からすべてを焼きそうなほど。それなのにちゃんと、出てきてくれない。ひたすらのたうちまわるばかりで、いまにも、はじけ飛びそうなのに。身体じゅうの血が逆巻くようで、ゆらゆらとして気が遠のいて、ゆらゆら、ゆらゆら燃えているのに。喉が爛れて息もできずに、視界がにじんでとけていくのに、なにも。

 なにも、出てこない。掴んで取り出すこともできない。

「もうしわけありませんでした。気色のわるいことばかり」

 ふいに、瓊音がつぶやいた。ひどくかすれた声だった。実緒はなにひとつ、返せなかった。なにも、なにひとつ出てこなかった。膝の上に布が落ちていた。

 実緒は、それを手繰り寄せ、ゆるりと瓊音のうしろに回る。なにをしているか、わからなかった。なにも。なにも、わからなかった。

御髪おぐしが……、まだ濡れていらっしゃいます……」

 まるで、うわごとみたいと思う。瓊音が首を巡らせてくる。

「そのようなこと、かまいません」

「いいえ、だめ……」

 だめなのです。瓊音の肩が、わずかにゆれる。ああ、まだ、さむいのだろう。あたためることが、できればいいのに。実緒はくしゃりと布を握った。濡れ髪をいちど挟んだ布は、しっとりとしてぬるい手ざわり。目の端には火の花が舞い散る。あえかな、ひそかな音が鳴り、なんて、あざやかなのかと思う。あざやかに、熱く刹那に消える。

 瓊音の睫毛が、ふるえまたたく。見たというより、聞いたよう、それがどうにもうつくしかった。だから、狂ってしまうと思った。くるってしまいたいとおもった。実緒は瓊音に覆いかぶさった。

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