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瓊音のつまごひ  作者: 相宮祐紀
(一) 神言の夜
3/40

三   果ても


 ────もゆら


 やわらかな音のつらなり。聞くと同時に腕を掴まれ、ふわっと身体が持ちあがる。降りたったのは、石の上。目の前にきよい白が広がる。障気しょうきへ踏み出しかけたところを、若者にかばわれ、支えられていた。

 さらに、実緒みおは気がついた。さきほど立っていたところから、いま足をつけたところまで、石の道筋がひらかれている。障気が、ふたつに分かたれている。もしやと思いうしろを見れば、道はまだまだ向こうへ続く。石の舞台の上からおりて、篝火かがりびと木立のあいまを通り、まっすぐに里のほうへ向かって。障気を踏まずに進める道だ。

「あ、あの……」 

「お離れください」

 若者はそう言い放ち、実緒の身体を突き放す。それは、強い力ではなく、軽くよろけただけだった。

「木立のあたりまで一度。いちどいますぐ、お離れください」

 ひんやりとして、落ち着いている。やさしさは感じられないけれど、厭うようにも聞こえない。若者はただ、背中を向ける。ただすきとおる、ひかりを羽織り。

「お離れを」

 有無を言わせない。実緒はすぐさま駆けだした。

 舞台のきざはしを飛ぶようにおり、白い袴の裾を踏みつけ湿った土の上に転がる。起きあがり、白い小袿こうちきの袖にべったりとついた泥を見る。今度は袖に引っかかり、転びかけては脱ぎ捨てる。小袿はしゃらり背中を滑り、実緒はふたたび駆けだした。袴をあげて、地面を蹴って、でも。いちど、と言わなかったか。そのとき、うしろからなにか聞こえた。それは若者の声だった。


 かけまくもかしこき

 ぬなともゆらのおほみかみ

 よろづのさはりのやほあひに

 とがまがごとのあらじものをと

 もゆらもゆらになしたまひ

 かきうちみながらたひらけくやすらけく

 まもりたまひさきはへたまへと

 かしこみかしこみもまをす


 なにかの詞章を、唱えている。あたりに響くというよりも、染みこみ広がる気のする声だ。実緒は、知らず足を止めていた。木立はいまだ遠かった。若者のほうを振り返る。そこに若者の背中は見えず、通った道もなくなっていた。そのかわり、なぜか壁がある。ひかりかがやく壁がある。

 あたり一面を埋めていた障気が、ひかりに包まれ舞台を囲み、木よりも高くそびえているのだ。実緒は思わず目を細め、障気を包むひかりを見つめた。若者がまとっていたのとおなじで、それがことさら強まっている。だから、あんまりまばゆくて、でもどうしてか、ひかれてしまう。すきとおっている気がするけれど、向こうを見通すことはできない。囲われているはずのあのひとは、影もかたちも隠されている。きれい。夜もふかい山奥なのに、朝が訪ねてきたみたい。走り寄りながら手を伸ばす。ふれかけたとき、四散する。

 まばゆいひかりは、ひび割れて、こなごなに砕け散っていた。実緒の視界を埋め尽くし、けれどもふれずに取り巻いていた。砂粒ほどに細かなかけらが、ちらちら、きらきら、ちらちらきらきら、強く激しくはかなくまたたき、煌々かがやく竜巻となり、天上へ吸いこまれていく。ただなかにいる実緒には見えない。ひかりよりほか、なにも見えない。

 きれい。こわい。このままがいい。わからないことを思ったときだ。渦巻くひかりがふたつに分かれ、眼前になにか現れた。ひとのてのひら、白の広袖。実緒はとっさにあとずさり、けれど手首を掴まれる。痛いほど冷えた強い力で、抗いがたく引き寄せられる。ひかりの竜巻の果ても知らずに、実緒は地面に転がった。

 仰向けになって倒れた実緒を、小夜中の空が見おろしていた。枝葉に丸く切り抜かれ、まっくらに見える空だった。ひかりが、なごりが、降ってくる。それは焦燥に駆られるほどに、小さな、ちいさなかけらなのだった。実緒の横たわる地面に向かい、ふわり、ふわりと降りてきた。降りて、落ちて。音もなく。すうっととけて、消えていき、いつの間にやら降りやんでいた。

 かわりのように、だんだんと、実緒の目は闇に慣れてくる。仰向けで見る枝葉も空も、じつはまっくらではなかったらしい。濃いも淡いも併せ持ち、おだやかな星を抱いている。それをぼんやり眺めていると、ふいに空気が、すこしゆらいだ。実緒は頭を動かした。静寂をわずかふるわせたのは、それは小さな声だった。なぜ、と若者が問うたのだった。

 若者は実緒のそばに立ち、いまはひかりを背負っていない。顔のあたりに影がかかって、表情がよくわからない。きちんとした結い髪がするりと、その肩を滑り落ちるのを見る。

「お離れくださいと申しあげたはずです」

 若者が言い、風が吹く。炎の色に染められながら、狩衣かりぎぬの袖がゆらめいた。袖からのぞくその手には、美々しい太刀が握られている。なぞりたいようになめらかに、ゆるやかに反った真白い(やいば)。濡らして伝う澄んだひかりが、その切っ先から滴り落ちる。そんなひかりもやがて薄らぎ、はじめからなかったみたいに消えた。

「障気が……」

 おぼえず、実緒がつぶやくと、若者は太刀を納めて言った。

「はい。障気は鎮まりました」

 実緒は、ゆっくりまばたきをした。ぴちゃんと、どこかで小さく鳴った。なにかせつないような水音。

「なれど、すべて済むまではあやういのです。あなたは障気にさわりたいのですか。それは」

 若者が言いさし、雨垂れ。頬にひとしずく、落ちてきて、湿ったにおいが立ちこめはじめる。寝転んだままの実緒のかたわら、若者がすっとかがみこむ。

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