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瓊音のつまごひ  作者: 相宮祐紀
(二) 鎮守の舞
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十九  帳の内

 庭に横たわる池の向こうに、白く、ゆらめく影を見つけた。半分欠けた月の明かりに、くっきりと彫り出されたよう。浄衣じょうえをまとった瓊音(ぬなと)のすがた。玲瓏としてことば(うた)い、唱いつつ、太刀を手に舞っている。身を捧ぐように舞っている。


 かけまくもかしこき

 ぬなともゆらのおほみかみ

 よろづのさはりのやほあひに

 とがまがごとのあらじものをと

 もゆらもゆらになしたまひ

 かきうちみながらたひらけくやすらけく

 まもりたまひさきはへたまへと

 かしこみかしこみもまをす


 はじめて会ったあのときも、この詞は聞いていた。けれど、ひかりに隠されていて、すがたは見えていなかった。いま、はじめて目の前に見る。瓊音は幾度も繰り返し、繰り返し唱い、うたい舞う。

 青ざめた月に照らされている。浄衣はまばゆい真白というより、静かな影を宿してひかる。その広い袖がふうわりふくらみ、天雲あまくものようにたなびいている。ゆうゆうとなびき、流れゆらいで、そのたびに太刀がひかりを放つ。水面みなもを撫でるように薙いでは、鋭く夜の風を切り裂く。はなやかな鞘はそこにはなくて、ただ白刃しらはだけ、凛とひらめく。月にも劣らず冴え冴えひかる。

 実緒みおは両手を握りしめ、瓊音を見つめ、聞いていた。磨きこまれて、澄みきって、すきとおりそうにうつくしかった。うつくしいから、あんまり遠い。きっと指先もふれられぬほど。なんだか、消えてしまいそう、ふとそんなことが頭をよぎり、とたん喉もとへこみあげてくる。それは正体のわからない、重たく熱いかたまりだった。

 おそろしいのか、羨ましいのか、それとも腹立たしいか、むなしい、かなしい。決めることができない。ただ、息をするのがくるしい。どうしてこんなここちがするのか、ひとつもわからずまたくるしくて、ふいに、強く風が吹く。

 木々がいっせいに葉をさざめかせ、藍色の池が波紋を醸す。広袖もゆれて巻きあがり、瓊音はふっと、動きを止める。あたりのひかりがうすらいでいく。ひかりは、月だけと思っていたけど。

 そして風が凪ぎ、降りる静寂。とばりの内にいるようだった。舞も詞もない夜は、こんなにも静かだったのだ。立ちすくむ実緒は、かすかに聞いた。瓊音の息づかいだった。抑えつけているように思えて、はっとした実緒は目をこらす。顎の先からしずくが滴り、胸が動いているのがわかる。ほとんどほうけて見ていると、ふいに瓊音が振り向いた。

 どくりと、心の臓が跳ねあがる。すぐさま逃げてしまいたくなる。けれど、身体が固まっていて、逃げることも動くこともできない。瓊音は、振り返ったまま、池の向こうに佇んでいる。

 そんなすがたを見つめるうちに、だんだんと脈が速まっていく。静けさの中に響きそうだからやはり、ここから離れたいのに。縫い留められたように動けず、やがては、風が流れはじめる。それでようやく、思い出せたのか、瓊音は大きく息をした。流麗な所作で太刀を納めると、実緒のほうへ身体を向ける。すこしぎこちなく、一歩踏み出し、まっすぐに歩み寄ってくる。

 どうしよう。実緒は一歩さがった。月のかけらを宿してひかり、つやめく瞳に映されている。確かに近づいてくるのがわかる。耐えきれなくなり、うつむいた。すると瓊音は、歩みを止めた。すこし離れたところに立って、ただいまもどりましたと告げた。

 実緒は、いちどうなずいた。まぬけな反応しかできなくて、もう身体じゅうが熱くなる。あんまり遠いと、思っていたのに、いまはこんなに近づいて。なんだかわけがわからなくなり、気づけば両手を差し出していた。

 土と、くつのこすれる音で、瓊音が身じろいだのがわかった。実緒は、ふかくうつむいたまま、顔をあげるなど思いもよらない。こうして両手を差し出して、ふれてもいいと許しているのか、ふれてほしいと乞うているのか、おのれのことがわからない。なさけないのに、そのままでいると、静かな音が近づいてくる。額をかすめる冷たい気配、そして指先が、軽くふれあう。そのままするりと、絡みあう。

 なぜだか、おのずとそうなっていた。手と手がやわくつながっていた。瓊音のてのひらは冷たくて、大きくてすこしざわざわとする。ささくれと傷と緊張が、一緒になって伝わってくる。やっぱり。実緒は知らずつぶやく。やっぱり、お手が痛そうです。

 硬くて、ぼこぼこしているつかを、そのまま握って舞っているから。痛そうに見えてしまうのだ。てのひらも、強くなったかもしれない。太刀だけのせいではないかもしれない。もしかして、痛くもないかも、でも、こんなにも傷がある。

「なにか、巻いておくのは、いかがでしょうか……お手のほうでも、よいですし……」

 わたしが巻くとは、言えなかった。たいへん差し出がましいことだし、提案するのもきっとおなじだ。なにも言わないほうがよかっただろうか。考える前に口から出ていた。心の臓が縮みかけたとき、ふっと、瓊音は息をこぼして。

「はい、そうですね……そのほうが、握りやすくなるやもしれません」

 淡々としたその声に、実緒は幾度もうなずいた。ほんのわずかにふるえているのは、どちらなのか、わからなかった。それでよかったと思っていると、あまい香りが鼻先にふれる。うっすらとしてつつましいのに、おぼれるようなここちになった。

 庭に植えられたあせびの花だ。白く可憐な鈴のかたちで、連なりしなだれ咲いている花。香りが夜風に誘われて、ここまでとどいてきたらしい。

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