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瓊音のつまごひ  作者: 相宮祐紀
(二) 鎮守の舞
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十七  いちど

 瓊音ぬなとは、思わず立ちどまった。なにげない口調だったのに。

「おまえ最近しょげてたもんな」

 最近しょげてなどいない。いつもいたって平静である。そうこたえようとして、そうではなかったと思い出す。実緒みおをここへ連れ帰ってから、そのあと実緒が倒れてから、ずっとどことなく落ち着かなかった。

「よかったな、元気になって」

 透也とうやはもういちどそう言った。

 実緒は痩せており顔色もよくなく、まだすこやかとは言えないようすだ。それでも、熱に浮かされてはいない。瓊音は透也を振り返り、よかったとうなずいてみせた。透也はやわらかく目を細めた。

「ただ、ちょっと、心配かもな」

 そう言って歩み寄ってくると、瓊音の背を思いきり叩く。ちゃんと見とけよと忠告するので、瓊音は、見ているとこたえた。目を離すことなど、できないだろう。

 実緒というひとは、そのすがたとようすから、たいせつにはされていなかったとわかる。上等の衣を着てはいたが、障気しょうきの贄として捧げられていたのだ。贄とされ捨て置かれていたのだ。でも、あのひとは生きていた。

 障気は、ひとから生まれ出るもの。大神おおかみとは関係がない。障気に贄を捧げるか、捧げないかということも、ひとが勝手に決めることであり大神のあずかり知らぬところだ。大神はとくべつの情けとして、「神子みこ」に力を授けるのみ。ひとの世に、じかに手をくだしはしない。よって障気の氾濫や、贄を含むひとの死を防げるか否かは、「神子」の力量にかかっている。

 当代の「神子」の瓊音は、大神の御言みことも力もうまく受けとめることができていない。受けとめるためのすべはわかるが、それすらどうにもうまくいかない。そのせいで、いつも間に合わない。贄とされたひとに間に合わない。力不足のために死なせる。

 障気の贄とされたひとたちは、瓊音がたどり着いたときにはすでに障気にふれている。その場はあらかた鎮まっており、そのひとたちはこと切れている。瓊音は残った障気を鎮め、果てには静寂となきがらばかり。日に日に、それの繰り返し。でも、あのひとは、生きていた。

 石舞台の上に座し、ほほえむすがたを目にしたときに。はじめて、間に合ったとふるえた。同時に、瓊音は悟ってしまった。はじめて、生きて出会えたひとは、すべてを捨て去ろうとしていた。

 舞のあとの障気より、あっけなく消えてしまう気がした。だから、逃げろとは言わなかった。いちど、離れろとそれだけ命じた。目の前があかく明滅するほど、必死の思いで障気を鎮めた。

 でも、離れてはくれなかった。いまだ鎮めきらない障気に、駆け寄ってふれようとしていた。その前も障気に乗ろうとしていた。やはり消えてしまうと思った。いやだ。それだけはいやだだめだと、あのとき、全身が絶叫していた。

 わざわざ妻にと言ったのは、相応の扱いをしようと伝えるためのことだった。固辞されるばかりだったので、時の限りを持ち出した。どこへなりとも連れていく、障気のそばでもよいとか言った。そう言えばきっと動かせるだろうと、なんとはなしに思ったからだ。やはりあのひとはうなずいた。やはり、障気のそばをのぞんだ。

 それでも、かまわないと思った。衣も髪も雨に濡れており、高い熱さえ出していたのに、そのまま抱きすくめて、そのまま。もし、あのとき腕の中で、気を失ってしまわなければ。なにをしていたかわからない。

 熱さが、ひどくここちよかった。速い心音に泣きたくなった。このひとは、生きているのだと、こうしてふれていられるのだと、芯からとけていきそうだった。これはあまりにも、勝手な話だ。大神の力を笠に着て、不遜で、姑息で卑劣なことだ。相応の扱い云々も、実際建前でしかなかった。おのれを納得させる建前。本音は、そんなところにはない。

 妻に、などと言ったのは、手に入れてしまいたかったからだ。おまえはおれのものになれ、おれのものだと言いたかったのだ。おれのものだから、消えてはならない。消えないでほしいおねがいだから。あたたかい、やわらかいあつい、あつくてあついままでいて。

 まるで、幼子の我儘だ。どうしても、どうしてもほしかったのだ。だから、妻になってくれと、乞うた。いのちにふれていたくて、それがゆるされる立場を乞うた。どうしようもなくほしかったから。かたちばかりのものだとしても。

 生きたいのちが、ほしかったから。きっとそれだけのことだから、きっと、あのひとでなくともよいのだ。もう気がついているというのに、それでもあのひとにふれようとする。すこしだけ、などと言いつつ、あのぬくもりにふれようとする。もう、手放すことなどできない。はじめから手放すつもりなど、なかった。

 瓊音は奥歯を噛みしめた。ぞわぞわと、虫の這うような悪寒が、いまだ止まらず強まっていく。このようなことを考えているとは、だれにも、透也にも打ち明けていない。

「身体だいじにしなければならない。実緒さんのつまであろうが」

 突然、透也がしかつめらしく、やたらと平らな口調で言った。瓊音ははっとわれに返った。透也は半分笑いながら続ける。

「どうだ。あほほどそっくりだろう。これは、おまえのまねである」

 瓊音が顔をそむけると、透也は小さくため息をつく。

「なあ。なあ、瓊音さんよ。そんなに想ってるんならさ、いますぐ会いに行きゃいいだろ。なんかいろいろ顔に出てんぞ。べつに、そこまで急いで出かけること……」

 言いさして、大口開けてあくびをする。

「出かけること、ねぇだろ。朝餉の支度とかしてるけど、おれらは即刻退散可能よ。いろいろしたってべつにいいんじゃねぇ、だってもう夫婦めおとなんだしさ」

「そのような考えは下衆だ」

 瓊音がきっぱりこたえると、透也はぐるんと首を回した。うん、そういうこと言うと思った。

「けど、ひとめ惚れしちゃったんだろ? 急に連れて帰ってくるし。実緒さんも、いいって言ってくれたんだろが」

「いいとは言ったが言っていない」

「はぁあ?」

 透也はあきれ返った声を発し、なんかよくわかんねぇけどさ、と両方の眉をひん曲げた。

「すでに連れて帰っておきながら、なにをおっしゃっているんでしょうか。あんま、こじらせんほうがいいと思うぞ。かえって悩ませそうだしさぁ……あ、ねみぃ」

「そこに横になれ」

「うん、ありがと。そんな眠くねぇよほんとは」

「そうか」

 瓊音はその場を離れた。あまくきよらかな花の香が、どこかでくゆっているらしい。息を詰め、すまるを呼ぶ。

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