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瓊音のつまごひ  作者: 相宮祐紀
(二) 鎮守の舞
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十六  回って





**** ****





 朝餉のすこし前のこと。瓊音ぬなとはひとり居所におり、つとめの支度を整えていた。

 意識せずとも身体が動く。浄衣じょうえを着こみ、佩緒はきおを結ぶ。途中、笑い声が聞こえて、瓊音は思わず手を止めた。くりやからだとすぐにわかった。そこにはいま、比佐ひさだけでなく、透也とうやすいも、実緒みおもいるのだ。

 実緒というひとは、今朝ようやく床払いができたと思えば、朝餉の支度を始めている。家の仕事をさせてくれと言って、譲らなかったと比佐から聞いた。熱がぶり返すなどしなければいい。比佐がよく見ておくと言ったので、きっと心配ないのだろうが。きょうは透也と穂も現れやたら騒がしくなっているものの、ふたりも存外こまやかなので、なにかあればすぐ気がつくだろう。

 瓊音は、軽くまぶたを閉じた。いまはつとめの前なのに、かかわりないことを考えていた。いちど短く息をつき、ゆっくりと目をひらく。腰に佩いた太刀の歪みを直すと、支度は整った。居所を出ていこうとしたとき、ふと文机が目に入る。上に紙を置いたままだった。

 文机の前に片膝をつく。黒い漆塗りの文箱ふばこを開けると、出しっぱなしの紙をしまった。文箱の中に入れてあるのは、障気を鎮めたときの覚書。日に日に記し、残してきた。いま片づけた一枚は、今朝方記したものだった。

 夜半に神言がくだったので、都から離れた国へ赴き、障気を鎮めて帰ってきたのだ。どこであってもすまるにかかれば、ひとっ飛びでたどり着いてしまう。そのため、夜も明けきらないうちにやしきにもどってくることができた。

 今回、障気がわだかまっていたのは、町の片隅の荒屋あばらやだった。だれも気づいていなかったのか、用意がまだだったのか。そばに贄のひとはいなかった。瓊音はその場にあった障気を、粛々と鎮めただけだった。

「おい、瓊音」

 透也の声だ。瓊音ははっと目をあげた。大股で渡殿わたどのを歩き、近づいてくるすがたが見える。いつの間に、どうしてこちらへ来たのか。瓊音はすぐに立ちあがり、御簾みすをくぐって居所を出た。

「もう行く?」

 ひさしに立った透也が、軽い調子で問うてくる。うなずけば、ひょいと肩をすくめた。

「忙しいな」

「そんなことはない」

「あるだろ」

「ない。おまえのほうが」

「そうね、都を守るんだからね、矢面最前線だからね」

「ほんとうにありがたい」

「いやほんとにね、こちらこそだけど」

 透也は大きく伸びをする。

「こっちは昼まで非番だけどさ。瓊音は今日どこまで行くんだ?」

「ぜんぶだ」

「あれま。そりゃそうだろな、でもそれおまえ、あれじゃねぇのか」

 透也は眉を寄せ、瓊音を指差す。

「毎日(しま)じゅう回ってさ、ずっとそういうふうにしてたら、御統さんが疲れるんじゃねぇ」

「御統は神使しんしだから多少酷使しても問題はない」

「いや、ちょっと待てひどすぎる」

「ひとを指差してはならない」

「すまん、けどそれ関係ねぇだろ」

 透也は頭を掻きながら笑った。

「おまえは、神子みこさまだとか言うけど神使さまじゃないんだし、神さまでもねぇんだからさ。ひとだし生身なんだからさ、酷使しちゃまずいんじゃねぇの」

「かまわない。さほどひとでもない」

「そうかもだけど。おまえのことほっとくなよ」

 言ってもしょうがねぇんだけどな、と透也はまた伸びをした。瓊音は口を引き結んだ。

 神言がなくとも洲を回って、鳴詞なすことばと舞を捧げている。ことばと舞には、周辺一帯の障気を落ち着かせる効用もあるのだ。たやすく暴れださないように、多少は抑えることができる。よって、洲じゅうに場所を定め、毎日赴き舞うと決めている。御統がいるので造作ないことだ。神言を受けていないときでも、かわやへ連れていけとかでなければ御統は背に乗せてくれる。

 出かける前の朝いちばんには、邸の庭で舞っている。その前にいつも水汲みをするが、きょうはなぜか水汲みだけ忘れ、透也にやらせることになった。なにか調子が狂っている気がする。

「まあ……、べつにいいけどさ。いつもしてること忘れるぐらい、頭の中いっぱいらしいし。まともに帰ってくる理由らしいし。ここもまたにぎやかになるのかね、いいな、すげぇ楽しみだ」

 透也が妙なことを言っているので、とりあえず聞き流しておく。ただ、確かににぎやかだった。あるじが明るかったので。邸の主夫婦だった父母は、ふたりとも病でなくなっている。瓊音が神言を受けはじめ、真名まなを忘れて瓊音になって、そのすぐあとのことだった。

 おのれが神言を賜るまで、いま負っているつとめのことなど瓊音はすこしも知らなかった。はじめて神言を受けたとき、急にいろいろなことがわかった。

 だれにも教わっていないのに、障気の鎮めかたを知っていたのだ。鳴詞を唱えられたし、舞も身体が勝手に動いた。そしてあるとき勅使が来訪、おつとめご苦労と告げてきた。

 なんでも帝の一族には、神言を受けるようになった者を見守る役目があるのだという。見つけだして世話をして、子孫があれば八代先まで恩典を与え続けるらしい。神言を受ける「神子」というのは血筋で継がれるのではなく、だれがなるかわからないものだ。見守り役も難儀だろう。瓊音も禄をはじめいろいろと、よいものを与えられている。下級官人のつつましい住まいだったところが、広がりこの邸宅になった。美々しい太刀も渡された。

 しかし「神子」は、祀りあげられることはない。むしろそのほうがよいのだが、存在を知っているひとすら少ない。忘れ去られたように暮らす。真名をなくし、血族をなくす。寝食がここちよいものでなくなり、身体が冷たくなっていく。ひとが大神おおかみ御言みことを賜り、力までを宿すのだから、そのくらいは代償とも呼べない。いのちが削れるのでもないのだ。

 ふいに、悪寒が背を走る。風邪を引いているのとはちがうので、たいていがすぐにおさまってしまう。瓊音は押し黙ったまま、透也の横をすり抜けた。するとうしろから投げかけられた。

「実緒さん、元気になってよかったな」

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