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瓊音のつまごひ  作者: 相宮祐紀
(二) 鎮守の舞
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十四  晴れ空





 桶を振りかぶったまま固まる実緒みおに、そのひとはふかぶかと頭をさげた。怪しいことはわかっているが絶対怪しい者ではないので、どうかご容赦ねがいたいと言った。そして、透也とうやだとなまえを告げた。

 実緒がまごついていたところ、比佐ひさが駆けつけてきてくれた。透也さん、と親しげに呼ぶので、実緒はようやく桶をおろした。

「実緒さま、このかたはだいじょうぶです。怪しい輩ではなく透也さんですよ。瓊音ぬなとさまのおともだちでいらして、ほら、お話した」

 比佐の言葉に、はっとする。確かに、よく訪ねてくるひとのことは、比佐が教えてくれていた。落ち着いてすがたを見てみると、話に聞いたとおりのひとだ。なまえも。

 すっかり呆然となり、実緒はその場に棒立ちになった。比佐は笑いをこらえるらしく、袖を口もとにあてがっている。透也は、その横で頭を掻きつつ、しぼんだ声で実緒に詫びた。

「すみません、おどかすつもりはなくて。くりやにあいさつに行こうとしてて……」

 実緒は慌てて首を振った。このひとが詫びることはないのだ。案じてくれているとも聞いたのに、勝手に盗人扱いをして、桶を振りあげるのがわるい。実緒は透也に身体を向けると、ふかぶかと頭をさげた。

「もうしわけ、ございません……」

「いやおれのほうが、すみません、気楽に入ってきすぎたんです。慣れてるからってよくなかったです」

 透也は慌てているようだった。でも、どこかしらほがらかで、おかしみがあるようにも聞こえる。

「そりゃびっくりしてあたりまえです。知らん男が邸にいたら、びっくりするしこわかったでしょ、けど」

 勇ましいんですねと言って、ひょいとのぞきこんでくる。おそろしい巨漢に見えた透也は、明るい目をした若者だった。やはり瓊音より骨太だけれど、よわいはおなじくらいに見える。

「でもやっぱり、よしたほうがいいですよ。知らん男に立ち向かおうとか、だめです」

 からりと、透也は笑う。快活な晴れ空の笑みだ。実緒はつい、素直にうなずいていた。

「そう、ほんにそうですよ実緒さま。怪しい輩などが出ましたら、ただちにお逃げくださいませね」

 比佐に肩をゆすぶられ、実緒はまた、こくりとうなずいていた。

「はい、きっとそうします……」

「うん、きっとそうしてください」

 かろやかな返事をくれた透也は、さっと実緒から桶をさらって井筒の内へ投げこんだ。ぼちゃんと、遠く水音がはじける。あまりにも素早い技だった。

「でもよかったですよ、元気になって」

 釣瓶つるべなわをかるがる手繰りつつ、透也はやはりほがらかに言った。

「そろそろ、会えるかもなぁとは思ってたんですけど……、だめだったな。おどかしちゃった」

 比佐が持ってきた大きなたらいに、汲みあげた水を流し入れていく。ぴしゃんと、しぶきがやさしく跳ねた。

「印象よくしたかったんだけどなぁ……」

 透也は大きなため息をつき、もういちど桶を井戸へほうった。またするすると引きあげはじめる。

「急に、女人とか妻とか言うから、天地かえったと思ったけど。すかした顔してすかしやがって、さすがの瓊音さんですよもう、まったくもってうらやましいな」

 井戸へ向かってなにか言いながら、水を汲む手を止めることはない。そんな透也に、比佐がほほえむ。

「あらそうですか? 透也さんでしたら、あこがれていらすような女人も、たくさんおいでかと思いますけれど」

「そう? 比佐さんが言うんならそうかも。けどぜんぜん見つけられないですよ、ちょっと出てきてくれませんかね」

「まあ、なにをおっしゃいますか。目かっぴらいて見つけませんと」

「ひぇ」

 いつ、お礼を言ったものかと、実緒は透也をじっと見ていた。あんまりさりげなく動くので、水を汲んでもらっていることも忘れてしまいそうになる。お礼もすっかり遅くなった、いまさらだろうかとためらっていると、透也がくるっと振り向いた。瓊音とね、と実緒を見て言う。

「まあまあ前からのつきあいなんです。いろいろ、愚痴とか聞いてください」

 いたずらっぽい笑みと口調から、仲がよいのだろうなとわかる。じんわりと、胸があたたかくなり、実緒はすぐに返事をしていた。

「はい、お聞かせいただきたいです、どうぞよろしくおねがいいたします」

「はい、こちらこそおねがいします」

 楽しそうに応じた透也は、すこしだけ声を低めて続けた。

「ばれたら処されるやつもあるんで、おれが喋ったってことは内緒で。瓊音あいつ、すぐ手とか足とか、出してた────」

 そこで、言葉が途切れる。透也は動きを止めてしまって、目だけをぱちぱちさせていた。実緒のうしろを見ているらしい。なんだろうと振り返ってみる。

「ざんねん。処されるかもね、透也」

 その声は澄んだ風に似ていた。実緒のうしろに立っていたのは、小柄で華奢な、ひとりの少女。淡黄うすき水干すいかんと袴をまとい、みどりなす髪を高く結わえて、さらりさらりとなびかせている。わらわのような格好だけれど、少女なのだとすぐにわかった。淡黄からのぞく手や足が、とてもしなやかでたおやかなのだ。実緒は思わず、見惚れてしまう。

 整えられた衿から続く、ほそやかな首と顎の線。珊瑚さんごの色の唇と、黒くきらめく大きな瞳。白磁の肌に、よく映えている。ああ、なんて。

「おはようございます!」

 少女の声がまっすぐとどいて、実緒は、目をしばたいた。まぶしいようなふたつの瞳が、こちらに向けられていると気づく。

「あ、はいっ、おはようございます!」

 ひさしぶりに大きな声が出た。実緒は口を押さえたけれど、少女はおどろくふうでもない。

「やった、なんかうれしいなあ……」

 すこしうつむきかげんに言って、軽快に歩み寄ってくる。

「あのね、わたしすいといいます。そこのあほな透也と一緒で、よくお邸に押しかけてるの、聞いてるかな。よろしくね」

 実緒ちゃんって、呼んでいいかな。穂は、はずむように問う。きらめく風に誘われるここちで、実緒はすぐにうなずいた。

「はい、よろしくおねがいいたします」

「やった、よかった! ありがとう実緒ちゃん!」

 穂は小さくこぶしを握り、もったいないほどいっぱいに笑う。かがやかしいその笑みの向こうの、真白い影に、目がとまる。瓊音がいる、と気づいたとたん、実緒は衿もとを握りしめていた。透也と穂の明るさのためか、瓊音の真白い静けさのためか。きゅっと、胸の奥が痛んだ。

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