表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
瓊音のつまごひ  作者: 相宮祐紀
(二) 鎮守の舞
13/40

十三  釣瓶桶

 三月みつきだけの約束については、瓊音ぬなとが伝えているかも知らず、実緒みおからはなにも言っていない。ゆっくり背筋を伸ばしてみると、比佐ひさがこうべを垂れていた。

「比佐さん……?」

 思わずなまえを呼んだ。比佐は静かに顔をあげ、のどやかな笑みをのぞかせる。なにかを、言いたそうにも見えて、どこかしらさびしそうにも見えて。

「こちらこそ、どうぞあらためまして、よろしくおねがいいたします、実緒さま」

「はい────」

「ところで、瓊音さまはもう、お目覚めになっているはずですよ。お庭にいらっしゃるかと存じます」

 比佐の言葉に、実緒は慌てた。

「あ……あ、そうなのですね……」

「ええ、さようにございます。実緒さま、お会いしにいらしては?」

「えぇと、それは、朝餉のことが」

「あらあら。もう、実緒さまったら」

 それならお支度、はじめましょうか。比佐はにこにこしながら言うと、くりやのほうへもどっていく。実緒は小走りにそれに続いた。ここの厨に入るのは、もちろんはじめてのことだった。板戸の前で一礼をして、実緒はそろりと踏み入った。

 入ってすぐは、かまどのある土間。そこから高めの段を上がると、こぢんまりした板の間がある。囲炉裏が備えつけてあり、奥には、くるくる巻いたむしろがこんもりと積みあがっている。手前の囲炉裏のまわりには、いろいろな道具がありにぎやかだ。

 大きさかたちがとりどりのかご、足つき俎板まないた、研がれた刀子とうす、拭きあげて積んだ折敷おしきわんや、見覚えのあるたらいなど。それでも、雑多な感じはしない。清潔で、あたたかみがあった。

 生家の厨は、もっと広くて、整然としていたけれど。こんなおだやかなぬくもりを、感じることはできなかった。

 実緒は妹がなくなってから、生家で炊事や掃除をしていた。それまではしてもらうばかりだった。いろいろなことがあったけれども、追い出されなかっただけましだった。いや、もっと。もっと、早く、追い出してくれたほうがよかった。

 里の近くの山の中、障気しょうきが溜まり、あふれかけていた。それで、贄となるよう言われ、倒れこみそうにほっとしたのだ。あがなえるのかもしれないと。けっして、そんなはずはないのに。

「ちょっと散らかっておりますけれど……」

 はっと、実緒はわれに返った。比佐の言葉に引きもどされた。すがりつきたくなってしまって、ぎゅうっと袖を握りしめる。笑ってみせて、比佐にこたえる。

「いいえ、とてもすてきなところで、入れてくださってうれしいのです、どうもありがとうございます……」

「まあ、そんなふうにおっしゃいますと、おばばはよろこんでしまいますよ」

 実緒さま、ありがとう存じます、と比佐はほころんでそう言った。あんまりやわらかだったので、実緒は思わず目をそらす。そして、土間の水甕みずがめのそばに、釣瓶つるべおけが置いてあるのを見つけた。

「お水を、汲んでまいります……」

 実緒は釣瓶を取りあげて、するりと厨の外へ出た。井戸は厨の前にある。比佐がなにかを言っているのに、身の入らないこたえを返す。いったい、なにをしているのだろう。

「──あっ」

 短く声が出る。木組みの井筒の向こう側、影がゆらぐのをたったいま見た。実緒はその場に立ちどまり、その影にじっと目を凝らす。どうやら、ひとであるらしい。こちらのほうへ近づいてくる。実緒は動かず、なおも見据えた。

 男のひと、のようだけれども、ちがう。あれは、あのひとじゃない。すらりと細身の瓊音に比べ、なにやらずいぶんたくましい。褪せた緑の水干すいかんを着て、袴の裾は膝丈で絞り、短い髪をきつく束ねてすずめの尻尾のようにしている。

 だれ。やしきのひとではないし、客人にしてはあいさつもなし。まさか、もしかして盗人なのか。実緒は、きつく桶を抱きしめ、そのひとのほうへにじり寄る。

「もし、どちらさまでしょうか────」

 とたん、そのひとが実緒を見る。その目が、大きくみひらかれたとき実緒はとっさに桶を振りあげ、同時に大きな声が響いた。

「えっ、いや待って、怪しくないです!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ