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瓊音のつまごひ  作者: 相宮祐紀
(二) 鎮守の舞
10/40

十   春の日





**** ****




 

 日差しが、うららかにほほえみながら、木の葉を透かしてあたりを満たす。緑の新芽がひかりを吸って、ここちよさそうに背伸びしている。おだやかな風が頭を撫でる。さやらさやらとこもれびが舞う。きららきららと、露が散る。

 いま、夢を見ているのだと、実緒みおはよくよくわかっていた。だって、香於かおがいるからだ。実緒の、いまより小さな手を取り、ほがらかに笑っているからだ。うるんだ日差しがゆらゆらとして、はじける笑みをにじませた。

 もう二度と、こんな春の日は来ない。実緒の妹はもういない。いなくなってからすべて変わった。すべては実緒のせいだった。なのに、それなのにどうしてこの子は。香於は、笑っているのだろう。

 夢だからだよと、香於はこたえた。凛としながらもいとけない声。香於は実緒の手を握りしめ、笑みをふかめて繰り返す。これは、あねさまの夢だから。あねさまの夢だからだよ。だからあねさま、これってね。

 あなたの、勝手なのぞみなんだよ。笑っているわけないでしょう。わたしは、いちどもゆるしていないよ。これからもゆるさないよ、けっして。

 けっして、おまえをゆるさない。だって、おまえはわたしをころした。

「香於────」

 指先が宙を引っ掻く。実緒は夢から覚めていた。

 ふすまからはみ出た両腕に、小袖がべたりと張りついている。きちんと息ができていなくて、喉からいやな音がする。でも、香於に、また会えたのだ。底冷えのする笑みにまた会えた。ゆるさない、と、言ってもらえた。

「ありがとう、ね────」

「いいえ、そんな。めっそうもないことにございます」

 横から、こたえが返ってきた。

「お目覚めになりましたか、実緒さま」

 やわらかな声に包みこまれて、勝手にすうっと力が抜ける。枕もとに顔を向けると、小柄な老婦がそこにいた。小袖と(しびら)をすっきりまとい、実緒をのぞきこむその目には、いたわりがにじむようだった。

「おそばに、つかせていただいております。こちらのおやしきにお仕えしております、比佐ひさと申す者にございます」

 ゆったりとしてそう言って、なめらかな所作で頭をさげる。実緒は、いっとき固まったあと、慌ててがばりと身体を起こした。

「お世話をおかけしておりま……」

 言葉が終わらないうちに、ぐにゃりと、まわりの景色がゆがむ。気づくと、比佐に身を寄せられて、しっかりと支えられていた。

「急に起きあがってはいけませんよ。まだまだお熱がありますし、ちゃんとお休みにならないと」

 比佐はおだやかに言い聞かせ、実緒が横になるのを手伝った。実緒は、きつく口を結んだ。まだ本調子ではないようだけれど、ずいぶんと楽になっている。比佐が、水や薬を飲ませて、ずっと世話をしてくれていたから。実緒は比佐の顔を見あげた。

「たいへん、お世話をおかけしていて、ほんとうにもうしわけありません……」

「あら、まあそんな、実緒さまったら」

 比佐は口もとへ手をやって、こぼれるようにほほえんだ。

「もうしわけなんてありますよ。わたくし、よろこんでしまっていまして。もうずいぶんと長いこと、こちらにお仕えしているのですが、近頃すこしさびしくてですね。瓊音ぬなとさまもおとなになられましたから、とくにすることがなくなったのです。ひさしぶりにお世話をさせていただけて、うれしく思ってしまうのですよ」

 比佐は歌うようにそう言った。かたわらにあった水差しを取り、椀にとくとくと水を注いだ。実緒は、口を開けては、閉じた。なにも言葉が出てこない。比佐は、実緒をのぞきこみ、すこしいたずらな顔をした。

「お水を飲みましょうか、実緒さま。しっかりお支えできますからね、ご案じになってはかなしいですよ」

「いえ、あの……」

「はいどうぞ」

 背中にそっと手を添えられて、苦もなく起きあがることができた。実緒は差し出された椀を受けとり、素直に口をつけていた。ひんやりとしてつめたい水は、さらさらと喉を通っていった。あっという間に飲んでしまうと、比佐がおかわりを注いでくれる。実緒は、それも飲み干して、生きているなと、急に思った。そうだ。終わりにならなかった。三月みつき先延ばしになったのだ。ひっそりと御簾みすの向こうを見やる。

「瓊音さまなら、おつとめにお出かけですよ」

 比佐が思いついたように言う。

「いちどお帰りになったのですけど、もういちど行ってしまわれまして。お言葉を賜ったからと……。大神(おおかみ)さまのお言葉があれば、いつでもお出かけになるのです」

 どきりとして、実緒は比佐を見た。

「え……」

「いかがなされましたか?」

神言かむごとは、いつでもあるのですか? いつでも、ずっとなのですか……?」

「ええ、いつになるかわからないのです。お言葉がなくともお出かけになるので、あまりお邸にはいらっしゃらないのですよ」

「そう……、そうだったのですね……」

 実緒は、かくりとうなだれた。いつ動きだすかわからない障気しょうきを、鎮めるつとめをしているのだから忙しいのも当然だろう。思い至るのが遅かっただけ。きのう帰ったのは夜半だった。そのうえ病者などが出たから、あまり眠れていないだろうに。そう思ったとき、はっとした。大神の御言(みこと)を賜って、障気を鎮めるようなひと。たくさんいるとは思えない。

「もしかして、おひとりとかなのですか、どこまでおいでになるのですか……?」

 つい、早口でたずねると、比佐はのどやかにうなずいた。

すまるさまは、おられますけれど。実緒さまもすでにお会いになったと、瓊音さまからお聞きしました。でも、おひとりではありますね。しまじゅうどこでもおいでになります。選ばれてしまわれましたから……」

「選ばれた……?」

「ええ、そうなのですよ。ふつうに暮らしておられたのですけど……」

「そんなの、では……、あのかたは、いつ……」

「はい、八年前ですね……、お歳が十二でいらしたときです。それまでも、このお邸の、だいじな若さまであられたのですけど、急に神言を賜って、神子みこさまになってしまわれました。八年のあいだおつとめばかりで、ずっとおつとめばかりだったのです、でもね」

 比佐のほそやかな手が、やわらかく肩に添えられる。

「実緒さまが来てくださいました。瓊音さまがお連れになったかたです。それだけで、もうわたくしにとっても、だいじな、だいじなおかたなのですよ。ですから、いまはゆっくりとして、ゆっくり、よくなられてくださいね。それだけ、おばばからおねがいいたします……」

 あまりに、あたたかく包みこまれて。実緒は奥歯を噛みしめた。どうしようもなく、くるしくなった。比佐のぬくもりもやさしさも、ここにいて生きていることも、ぼんやりと思い浮かべていたより、重いつとめを負っていることも。まぜこぜになって、かたまりになる。胸いっぱいに重くつかえる。

「──あ、実緒さま」

 実緒さまじゃない。そんなふうには、呼ばないで。絞り出そうとしたときだった。実緒は静かな音をとらえた。足音。だんだん近づいてくる。思わず胸を押さえこむ。

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