今度こそ絶対の別離
離婚条件が折り合わないまま私は帰国し、籍を残した状態で一人暮らしを始めた。姉の住む街、小さなアパート。初めての独り身は当初こそ心細かったが、慣れてしまえば皮肉なほど穏やかだった。心のどこかに、常に「彼」という澱おりを沈めたままではあったけれど。
その静寂が破られたのは、二年が過ぎた頃だ。彼の会社から、彼がうつ病を患って帰国し、入院したという報せが入った。
だが、彼は閉鎖病棟におり、面会すら叶わなかった。籍があるにもかかわらず、私は「家族」として扱われない疎外感を味わった。追い打ちをかけるように、彼の母に呼び出された。
「息子が心を病んだのは、あなたのせいよ」
姑はそう断じた。結婚当初から私に無言の圧力をかけ続けてきた人だった。反論したい思いは山ほどあったが、目の前の姑という厚い壁に、抗う気力すら湧いてこなかった。
やがて彼が退院すると、導かれるように私たちは再び連絡を取り合い、やり直すことになった。かつての傷をなぞるように、また二人での生活が始まった。
しかし、再構築から三年が経ったある日。
それは、あまりに突如として突きつけられた。
「離婚してほしい」
彼の方からの申し出だった。以前の冷戦状態とは違う。彼は、異様なほどに「事」を急いでいた。まるで、今すぐ離婚届を提出しなければ、何かの締め切りに間に合わないとでもいうように。その焦燥に駆られた瞳を見て、私は直感した。
彼は、誰かに背中を押されている。あるいは、何かに操られている――。
なぜ、彼はこれほどまでに離婚を急ぐのか。
考えに考え抜いた末、私はある一つの、そして確実な答えに辿り着いた。
すべては、彼が「東和パッケージ」から与えられていた任務だったのだ。その期限である10年という月日が、すぐそこまで迫っていた。私との結婚も、その破綻さえも、巨大な組織の筋書き通りだったのではないか。その確信は、冷たい現実となって私の思考を支配した。
しかし、理解不能なことが一つだけあった。
彼は、離婚届を市役所に取りに行くのも、記入して提出するのも、すべて「二人一緒に行ってほしい」と執拗に、それこそ泣きつかんばかりに懇願してきたのだ。
なぜ、そこまで「二人一緒」にこだわるのか。
まるで、愛の誓いを交わす結婚式をなぞるような、おぞましい「離婚の儀式」を求めているようだった。あるいは、最後の一瞬まで私を自分の管理下に、つまり「操り人形」として繋ぎ止めておきたかったのか。
「そんな辛いこと、絶対に嫌。一人で行って」
私は断固として拒絶した。彼が抱くその不気味なこだわりに応える義理など、もう一滴も残っていない。
その時の私は、既に気づき始めていたのだ。自分はずっと、精巧に仕組まれた巨大な罠の中にいたのだと。目の前で懇願するこの男は、その罠を動かすための、ただの「部品」に過ぎなかったのだということに。
離婚を急ぐ彼の焦燥に触れた瞬間、点と線がつながった。
――そういうことだったのか。
この十年の結婚生活は、すべて「東和パッケージ」によって緻密に計画され、演出された残酷なおとぎ話だったのだ。
私はすぐさま彼を問い詰めた。だが、返ってきたのは白々しい猿芝居だった。
「え……東和パッケージが……計画……した、って?」
途切れ途切れに、一言ずつ確認するように呟くその言葉。それは、失敗の許されないセリフを必死に思い出す俳優のようだった。そのわざとらしさが、皮肉にも私の疑念を確信へと変えた。
それからの彼は、驚くほど手際が良かった。すぐに離婚届を市役所から持ち帰り、実家へと居を移した。




