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凍てつく白銀のドイツの冬の風

だが、そんな平穏は、砂の城のように脆く崩れ始める。


ある時期を境に、ふと、奇妙な違和感を覚え始めたのだ。


彼の帰宅が、毎日のように遅くなりだした。


「仕事が忙しい」という彼の言葉を、最初は信じていた。けれど、あまりに度を越した残業の連続。静まり返ったリビングで一人、冷めていく夕食を前に、私は決意した。


今夜、彼が帰ってきたら、思い切って聞いてみよう。

その時の私はまだ、扉の向こうに広がる「地獄」の正体を知る由もなかった。




 ドイツ、デュッセルドルフ近郊、ニーダーカッセルの冬の夜の外気は凍りそうに冷たかった。


窓を全開にした瞬間、その冷気は刃物のように室内へなだれ込み、私の頬を切り裂いた。




先ほどまで彼を包んでいたはずの羽毛布団は私の手によって床に無残に剥がされている。


「女性の友達と、食事をしているだけだ」


彼の表情からは柔らかさが消え失せていた。見たこともないほど冷たく、まるで硬い石のように固まっている。


「食事をしただけっていうのは本当? ……彼女のことが好きなの?」


私の震える問いに、彼は無表情なまま、血の通わない声で答えた。


「……わからない」


絶望のあまり、思考が麻痺していたのかもしれない。私は突拍子もない要求を彼に突きつけていた。


「今から彼女に会ってきて。そして、彼女の本当の気持ちを聞いてきてよ!」


拒絶されるか、あるいは激昂されると思っていた。しかし彼は、どういうわけか、真冬の凍てつく真夜中であるにもかかわらず、黙って起き上がり支度を始めたのだ。




私に促され、彼はその場で彼女に電話をかけた。「今から会えますか?」と。


かつて彼は、私の低めのトーンの声が好きだと言ってくれていた。だが、受話器から漏れ聞こえてきたのは、私のそれとは正反対の、透き通るような高いソプラノの声だった。


男が浮気をする時は、妻とは全く違うタイプに惹かれる――。


巷でよく聞くその説を、私はどこか他人事のように、不思議なほど冷静に分析していた。もちろん、胸の奥では煮えくり返るような嫉妬が渦巻いていたけれど、それ以上に「正解を見せつけられた」という虚無感が勝っていたのだ。


玄関で靴を履き、彼はふと私を振り返った。


その顔に浮かんでいたのは、場違いなほど無垢で、私に縋るような「甘える表情」だった。

そのあまりの異様さに、私は心臓を素手で掴まれたかのように、背筋が凍りつくのを感じた。




彼が出て行った後、静まり返った部屋の寒さに耐えかね、私は時差のある日本の友人に国際電話をかけた。


ことの顛末を吐き出すように話すと、友人は同情を込めてこう言った。


「そんな男、慰謝料をもらって別れなよ。少しゆっくり暮らせばいいじゃない」


その言葉が、暗闇の中の救いのように思えた。高ぶる感情を抑えきれず、私は思わず口にしていた。


「そうね……財産、全部取ってやるわ」


しかし、さっきまで慰謝料を勧めてくれていた友人の声が、急に冷ややかさを帯びた。


「……でも、それって元はご主人のお金でしょう?」


突き放すようなその一言に、私は自分の足元が崩れ落ちるような感覚に陥った。




真夜中に家を出て、彼女と密会し、数時間後に帰宅した彼の姿を、私は今でも鮮明には思い出せない。


ただ、一つだけ覚えていることがある。帰宅した彼の表情は、不貞を責められた男の暗さなど微塵もなかった。それはまるで、休日に趣味や娯楽を存分に楽しみ、心身ともにリフレッシュして帰ってきたかのような、晴れやかで、満ち足りた顔だった。


私を地獄へ突き落としたその足で、彼は極上の癒やしを享受してきたのだ。その事実が、何よりも残酷に私を打ちのめした。


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