“ちゃん”付けの檻澱
1988年。御茶ノ水の空は、浮き足立つような熱を帯びた桜色に染まっていた。
ビル街の桜並木は、まるでこの国の好景気を象徴するように、こぼれんばかりの重みで枝を撓ませている。駅前聖橋口の通りを歩く、その頃流行りのJOHN CAVENDISHやDKNYのスーツ姿の男たちも、色鮮やかなヴィヴィッドカラーのボディコンシャスなGIANNI VERSACE、Max Maraのワンピース、DCブランドのコムデギャルソンやイッセイミヤケ、キュートなピンクハウスに身を包んだ女子社員たちも、誰もが「明日も今日より良い日が来る」と信じて疑わない、そんな時代の春だった。
東和パッケージ。
父の強い勧めで入社が決まったその巨大組織の門をくぐった時、私は、自分が何かの
「配役」を与えられた役者だとは露ほども思っていなかった。短大を卒業したばかりの
私にとって、就職はただの通過点であり、切実なキャリアアップの階段でもなかった。
「いい人がいれば、お婿さんを見つけて寿退社すればいい」
そんな、当時の女性なら誰もが抱いていた不純で、それゆえに真っ白な動機が私のすべてだった。
研修期間中の私は、不真面目な新人の典型だった。
薄暗い研修室で語られる包装技術や経営理念は、心地よい子守唄にしか聞こえない。
窓の外に見える散り始めた桜の景色に目をやり、時折、隣の席の同僚と目配せをしては、私は公然と居眠りを繰り返した。
けれど、管理者たちは不思議なほどに寛容だった。
私がどれほどあからさまに船を漕いでいても、彼らは苦笑いすら浮かべず、まるで壊れ物を扱うような、あるいは大切に育てている苗木を見守るような、底知れない穏やかさで私を見ていた。
管理者たちは新人の女子社員を“ちゃん”付けで呼んでいた。私も例外ではなかった。私は愚かにも、名前にちゃんを付けて呼ばれることに一つの家庭に居るような、大事に育てられているような心地良さを覚えていた。
穏やかに私を見守るその視線の正体に気づくのは、ずっと先のことになる。
「この人の、何でも望むようにしてやりたい」
誰かが呟いたその言葉は、慈愛の形をした檻澱の設計図だったのだ。




