白き沙漠のまんなかで、ふたり永遠に幸せを歌おう
僕は森に住んでいた。
どこまでも、いつまでも薄暗い森の中。
それでも光が梢を通り、ぼんやりと差し込むことで、時間のうつろいはよくわかる。
僕は一族とともに生きていた。
果てしなく広がる薄闇の森の深みで、ひそやかに音をたてず、ただうごめきながら。
そう、僕らは音をたてない……。この残酷な生態系環境において、騒がしくすることは致命的になる。捕食者に容易に感知されないよう、消音歩行の技術を習得するまでに、どれだけの先人が苦悩したかしれない。
また僕らは、自分たちのもろさ弱さをよく知っていた。だから高硬度を誇る防御甲殻衣を、常時背部に装着して生活している。それは僕の意思に反応して、身体全体をすきまなく覆う鎧のような衣だ。
森の深淵の中はたいてい静かではあるけれど、危険な他の生きもの……≪巨獣≫が出没することもあるのだ、と年輩者たちは言う。
僕は若すぎて、そういった危険な捕食者に遭遇したことはまだなかった。
けれど褐色の甲殻衣にいく筋もの傷跡を持った壮年者たちは、会うたびいつも忠告を送ってくる。
「いざという時に備えて、一瞬で甲殻衣を全身装着できるよう。日ごろからよくよく鍛錬しておけ」
「触手の使い方を極めろ。敵はどこから来るかわからないんだから、前方だけに範囲をしぼってはだめだ。全方向で察知できるようになりなさい」
まだ知らない≪脅威≫から自らを護るため、僕らは否応なしにこの防御甲殻衣を着なければならなかった。
一族の者すべてに、その身体にあわせた甲殻衣が与えられている。色はさまざまだったけれど、僕のは丸みを帯びた白っぽいやつ。気に入る気に入らないを、口に出すのは許されていない。そもそも暗くてよく見えないのだから、誰かとみばえを話すこともなかった。
とにかく与えられたものを装着して、もっとも安全であると言われている巨樹の下の方にしつらえられた、一族の首邑からそっと外へ出てゆく。
薄闇の中にひっそりと実っている食糧を探して、あるいは自分の時間を使うべき事象をもとめて。
白い甲殻衣の庇の下からのぞき見る世界は、どこまでも暗くてそれが僕の普通だった。
そんな風にして、僕は毎日を過ごしていた。
僕によく似た、防御甲殻衣を着た一族とともに、音をたてず静かに暮らしていたのだ。
・ ・ ・
変化は突然、やってきた。
巨樹のずっとずっと上の方が、がさがさ・ばさばさと激しく揺れたように思えて、僕はきっと上の方を見据える。
日中で一番明るい時間帯だったけれど、急にあたりが真っ暗になって、もう何も見えなくなってしまった。
――飛行体だ! 飛行体がきた!
誰かが悲痛に叫ぶのを、聞いた気がする。飛行体、……≪飛ぶもの≫。
時代ごとにやってきては、一族に多いなる災いをもたらすという。伝承の謎の怪物がまさにその時、僕らの首邑におそいかかってきたのである。
けれど僕には驚く暇も、慌てる余裕も全くなかった。
次の瞬間、ふわりと経験したことのない感覚が全身を包む。かろうじて僕は、防御甲殻衣を全身装着。開口部をすべて閉じて、最大防御体勢をとることだけができた。
そうして一体、……何が起こったのか。
気がついた時、身のまわりは白い砂……砂。終わりの境界線がちっとも見えない、いちめんの砂に、僕はぐるりを囲まれていた。
砂漠の真ん中に生える、たった一本の樹に、僕はすがりついていたのだった。
今までに経験したことのない強い光が、僕の上にじりじりと降り注ぐ。
防御甲殻衣の庇の下から、こわごわと見上げればそこは青かった。
森の中のように、僕を覆いかくす木々の枝はない。砂の地の白と、青い色の他に、何にも見えない。
青の中に白が混じって、そこから強烈な光が僕に向かって刺さってくるのだ。僕は何とかして、その強すぎる光から身を隠そうとした。
しがみついていた樹はあまりに小さく頼りなく、細々とした枝を天に向かって伸ばしているだけ。
僕はその根元の方へと移動してうずくまり、再び甲殻の衣で自分の身を覆った。他にできることなんてなかったから。
夜までの時間は果てしなく長かった。……こんな感覚を、僕はまるで経験したことがない。体中の水分がどんどん抜けて渇ききってゆくような、恐ろしく不愉快な気持ち。
僕はひたすら、元の森に戻ることを考えた。
あの闇の中、目を閉じていたって、近くにいる一族の誰かの気配がよく感じられた場所。
優しい薄闇に満ちたあの懐かしい森へ帰りたい、帰りたい、帰りたい。
……でも、森は一体どこにあるんだろう?
さっき見回した時、僕の周りは一面の白色で覆われていた。
もしかしたら、あの≪飛行体≫は、僕をとんでもない遠方へと連れてきたのかもしれない。
……まさか。ここはひょっとして、長老が話していた≪砂丘≫というところなのだろうか?
僕はふとそう思った。
それは神話にあった場所だった……。僕たちの一族が、あの森に住み着く前に住んでいた場所の一つ。
強い空気の動きが絶えず轟いて住まいを揺らし、からからと乾かしてゆく恐ろしいところ。
沙漠、とも言うらしい。いま僕がいる場所は丘の盛り上がりがよくわからないから、こっちの方が言葉としては合っているかもしれない。
そこでは天と地の間に身を守るものが何もないのだ、と長老は言っていた。そんな場所で、どうやって生きていけばいいのだろう?
聞いた時はそんな風に思ったものだ、自分に関係のないこととして。
けれど今、僕はその白い砂丘の真っ只中にいる。
今まで全く心配しなかったことが、悪夢みたいに僕の目の前に現れてしまったのだ。あるいは僕自身が、その悪夢の中にはまり込んだのか。
……こんな何もないところで、僕はこの先、どうやって行けば生きていけばいいのだろう?
強い光がようやく和らいで、薄闇が優しく降りてくる。
僕は防御甲殻衣からそっと顔を出して、すがりついている樹の枝に触れてみた。
それはつやっとした表面で、みずみずしくも涼しい。僕は思わず、その表面にかじりついてしまった……甘い!
口の中に溢れる水分が、僕の身体の中にそのまま移って、しみ通ってゆく。
ああ、生き返った……!
長い長い待ち時間の後に、僕はようやくそう思った。
何もかも、おそろしい災厄のことも強すぎる光のことも忘れて、僕は口いっぱいに生命をふくんでうれしかった。
けれど満ち足りてぼうっとした僕の上に、やがて真の闇が落ちてくる。僕はまたしても、いまだ感じたことのない異変を感じた。
寒い。
こんな冷たい寒さ、僕は経験したことがない。森の中には湿気が満ちて、もっとずっと暖かかったのに。
一難去ってまた一難だ。僕は暑さに苛まれた後、今度は凍れるような寒さに立ち向かわなければならなくなった。
仕方ないから樹の根元まで行って、そこで何とか耐えようと思い、そろそろと降りる。しかし実際に行ってみると、木と不思議なつぶつぶの地面の間は、なぜか妙に暖かかった。
僕はそこにうずくまり、ふたたび最大防御体勢をとって、身体じゅうを甲殻衣で覆う。
熱すぎる昼もつらかったけれど、夜は果てしがないように思えた。不安にさいなまれながらも、僕はどうにか夜を生き延びた。
やわらかい朝日が降りてきて、僕は再び甲殻衣の庇の下から顔を出す。
まだ冷やっこい空気のなか、思い切って体をいっぱいに引き伸ばした。
身体の色々なところが痛かったけれど、それでも越えるものを越えたという、へんな達成感が僕の中を席巻していたのだ。
そろそろとのぼっていって、樹の枝に噛みつく。
ああ、おいしい。生き返る……!
樹の生命を少し分けてもらって、朝日にてらされた僕はまた幸せを感じた。
……これを一体、僕はどのくらい繰り返したのだろう?
・ ・ ・
白き沙漠の中に、ぽつんと一本生えた樹。
この広大にして荒漠な世界にたったひとつ、僕以外に生きている存在。
厳しい昼と夜とをやり過ごし、その間のあわいの時間に、僕は樹を噛んで生命を分けてもらった。
けれど日に日に、僕の心に不安が大きく育っていく。
ある夕方。
紫色の宵闇の中、とうとう我慢できなくなって、僕は樹に言葉をかけた。
「僕が来てから、きみは小さくやせてきた。このままじゃ、僕はきみを殺してしまうんじゃないか」
「そんなことはないさ」
樹は、静かに通っていった空気に身体をゆらして答える。
その声を聞くのは初めてだったけれど、僕はあまり驚かなかった。自分によく似た声であり、同じ話し方だったからかもしれない。
「いや、でもそのうちにそうなってしまうよ。そしたら、……きみが死んでしまったら。僕はこの白き沙漠に、たったひとりになっちまう。そんなことには耐えられない」
おのれのために樹のいのちを奪っているくせに、僕はどこまでも自分のことしか考えられなかった。
食いつぶした樹の上で、しょんぼり衰え死んでゆく自分の未来を想像し、あわれんでいたのだ。
「耐えられないから、僕はきみのもとを去る。運が良ければ、むかしいた森に帰ることができるかもしれない」
最後にその甘い枝を噛んで、僕はそろそろと地面に降りた。ゆっくり踏み出した脚が、……ずぶずぶと沈んでゆく。
「うわ、うわ、うわぁああ!?」
とたん、体じゅういちめんに、白い砂粒がひっついた。
砂の上を歩いてゆけると思っていたのに、僕は惨めにその中に溺れてゆく。
「つかまれ」
僕は目がわるい。
ごく近くのものと、遠くぼんやりした風景しかわからない。
けれどこの時、自分に向かって少し先からさしのべられたものを、はっきりと僕は見た。
緑の、あの樹の枝だった。
それにすがりつき、必死につたって、僕は何とか砂の中から這い上がる。
身体に食い込んで痛む砂粒を全部とりのぞくのに、長い時間がかかった。
僕は半泣きになりながら、樹に向かってうめく。
「きみを殺したくないんだ」
「わたしは死なないよ」
樹はささやいた。
「あなたがここにいる間、わたしは死なない。それより、わたしをひとりにするな」
つっ、つつっ……!
僕のにじませた涙のような、小さな水滴が降りかかってきた。
「あっ」
やがてつらつらと僕の身体をつたい始めた水分が、いじわるな砂粒を流し落としてゆく。
「雨だ!」
「じきに夜の嵐になる。わたしの根元、一番太い幹の陰に隠れろ」
言われた通りに、僕は樹の陰に移動した。
そこで防御甲殻衣の中に縮こまる。完全に閉じはしなかった……開口部から腕をのばして、僕はひたすら樹を抱きしめる。ぴったりとくっつきあった身体を通して、僕と樹は話をたくさんした。
樹は僕が前にいた場所の話を、一族の話を際限なくねだってくる。
「わたしは生まれた時からここにひとり。風と雨と光の歌しか知らない。はじめて言葉を交わすことのできた存在であるあなたを、心から大切に思いはじめている」
「僕はきみを噛んで食べて、そのうちに食べつくしちまうんだぜ? なのに大切に思うなんて、どうかしてるよ」
「ははは、だからわたしは死なないと言ってるじゃないか。泣きごとを言ってる力があるなら、歌っておくれ。すてきなやつを」
「こんな嵐の轟音の中で、かい!」
「嵐なんて、どこだか知れないほど高いところでがなっているだけじゃないか。わたしはあなたを抱きしめているんだから、あなたの歌のすべてを、もれなく吸い取れるさ」
それもそうだ、小さな樹は正しい。
僕はふ〜と覚悟をきめて、小さな声で歌い始めた。
生まれた時から、身に備わっていた歌。
いつか自分が、この世にあることの意味を知るために奏でるべき歌を、僕は口ずさんでいるうちどんどん声を大きくしていった。
「いいなあ。ほんとにいい歌だ。あなたの歌」
「……なんで聞きたかったんだい?」
「わからない。でも、わたしも歌いたくなってきたな」
樹は優しい低い声で歌い始めた。それを聞くうち、僕も樹にあわせて一緒に歌っていた。
もう、嵐のがなりなんか聞こえない。
僕は樹の根元、樹に抱かれその歌に自分の歌を融かしていた。僕と樹の歌が僕らを包んで、外側にある全ての世界からふたりを守っていた。……
・ ・ ・
「……朝が、来たよ」
そうっと樹に囁かれて、僕は根元から這い出た。
「不思議だな」
薄青の中に金の曙光が混じり合って、白い沙漠をかがやかしている。
昨日までは恐ろしくて仕方なかった世界が、うつくしいものに思えた。
空の青と地の白、その間に……いいや。すべての中心に、僕の小さな樹がある。
「これから僕は、きみと歌を歌いあって楽しく生きるんだ。永遠に」
「そうだ。わたしとあなたで、永遠に歌おう」
「僕はきみと、ここにいるよ」
樹は嬉しそうに、笑い声を上げた。
その心地よい笑みのなか、僕は口いっぱいに緑の枝を噛んだ。これまで食べたどんなものよりも、素晴らしい喜びを身体にとりこむ。
「僕はきみといられて、ほんとに幸せなんだ」
いつかやってくる別れの瞬間まで、きみと一緒に幸せでいよう……。
そう思ったとたんに、その時は来た。
ばさっ、と重い音がして、あたりが暗くなる。
何となく、知った気配だった……ああ、僕をここへ運んできた巨大な飛行体だ。またしても!
「いやだああああ! お願い、そのひとを連れて行かないで……」
樹が悲鳴をあげた。
僕は反射的に手を……触手をのばして大切な樹にまわしたが、巨大なとんがり口が僕に向かって突進してくる。
一挙に暗くなって、全ての感覚が闇に落ちた。
寸前、樹を抱きしめた感触だけが、ふわりと僕の中に満ちていた。
・ ・ ・ ・ ・
……わたしの大切な、あなた。
わたしを決してひとりにするなと頼んだのに、あなたは去ってしまった……。
天から降ってやって来たときと同様、突然に。
あなたをくわえてきた浜鳥が、やはりあなたを連れ去ってしまった……周りめぐる鎖の中へ、食という死のなかへ。
あああ、わたしはまたこの≪白き沙漠≫でひとりきり。
仕方がないから、ひとりで歌う。あなたを恋いながらわたしは歌う。
けれどこれから歌うのは、ひとりで歌っていた頃の歌ではない……。あなたとともに編んだ、ふたりの歌をわたしは歌おう。
その中にあなたがいると、永遠にいると信じて。
だってこの歌は、あなたがいなければ、ありはしなかった歌なのだから。
歌の中にあなたは生きて、生き続けて。
そしてひとり、無限の時を生き続けなければならないわたしを、どうか抱きしめていてください。
地中深くにのばした根の先。そこから水を創り出して、いつか河とせねばならぬ果てしなき遠き未来に、ひとりで挑むのはおそろしかった……。
けれどあなたがいれば、あなたがわたしと歌ってくれるのなら。
わたしは、……わたし達は、立ち向かえる。きっと。
わたしのいとおしい、あなた。
決してあなたを忘れない。
その白く透き通るようだったまるい殻も、やさしく取りすがってきたなめらかな身体も、引っ込み思案なはにかみ笑顔も、ぜんぶ全部おぼえている。
忘れられるわけがない、わたしの小さな蝸牛。
わたしの中にあなたはいる。永遠に在るべきわたしの使命の中に、大切なあなたは永遠にある。
だから、さよならはけっして言わない。
わたしとあなたで、これから生まれる世界を見よう。
ずっと、ふたりで。
【完】
〇 〇 〇 〇 〇
皆さま、こんにちは。作者の門戸でございます。
本作品をお読みいただき、誠にありがとうございました。よろしければページ下部分にて、ご評価やブックマークなどをお願いします。
通常は、ケルトやアイルランド影響のお話を地味に書き続けております。本作品では初めて、音声入力メモを利用してみました。防砂林の小道をぶつぶつ言いながら書きだした話なのです(こわい)。案の定と言うかやっぱりと申しますか、後から見ると意味のはかり知れない怪文章が連なっており、自分でつくったものなのに解読が大変でしたので、現在は手書きに戻っております。
過去にとらわれるなとか、人生のページをめくれとか、そういう潔さをすすめる考え方も多くありますし、それは素晴らしい前の向き方である、と心から思います。ですがわたし自身に取り、現在はどうしても過去に支えられて在るものです。そういった過去は忘れない限り、いま現在の自分に寄り添ってくれるものと、そう信じています。様々なものにすがりついてようやく現在を越えている自分を、どうかこれからも見守っていてください、と小さく願いつつ。
それでは皆様ごきげんよう。重ねて、ありがとうございました。
(門戸)




