金色のどんぐり
ひさしぶりに、いもうとから電話がかかってきたのは、出発の前日だった。
「きいたわよ、行くんだって、あの町?」
おやおや。
いったいどこからききつけてきたんだろう。
あの町に用事があるわけじゃない。
でも、せっかく近くまで行くんだ。
なんなら、足をのばしてみるのも、わるくない。
たしかに、それくらいの「つもり」はあったんだ。
「だったら、見てきてよ」
「なにをだよ」
「きまってるじゃない。あれよ、あれ。金色の――」
うっ、と、ぼくはことばにつまった。
こいつ、まだ、いうか。
あんな、ちいさいころの話。
いもうとがコロコロとわらった。
「だましてくれたわよねー、お・に・い・さ・ま」
声にくったくはない。
とっくのむかしに、思い出にかわっている。
ぼくも、冗談めかして応じてやった。
「だまされるほうがわるいんだろう。というか、本気であんなのにだまされるなんて、こっちだって、思わないじゃないか」
「またまたぁ、じゃあ、なんで――ああ、こらこら、じゃましないの――」
電話のむこうで、かんだかい子どもたちの声がきこえて、しばらく、会話がとぎれた。
甥っ子も姪っ子も、三人ともまだちいさい。かまってほしいさかりなんだろう。
(あいつが母親なんてなあ……)
いつもうしろにくっついてきた、子どものころの印象が、いまだにぬけきらない兄としては、ふしぎというか、感慨もひとしおというやつだ。
(こっちは独り身だってのに)
そのうちに、子どもたちをなだめすかして――というより、なだめるのをあきらめて?――いもうとのやつ、一方的に、話をまとめやがった。
「いっしょに行きたいけど、いまは、お聞きのとおりでね。手がはなせなくって。だから、いいでしょ、ついでに、見てきてよ。どれくらい、おおきくなったか。というか、まだ、あるのか。あとで、教えてね」
写真くらい、撮ってきてよ。
そう言い残して、電話は切れた。
さいごにきこえたのは、マーマー、という、ひときわおおきなさけび声だった。
ぼくは苦笑した。
ほんとうに、あいつが、三人もの子どもの、母親だなんてな。
あんなに、ちいさかった、あいつが……
※
もう二十年ちかく前のはなしだ。
あの日、ぼくは、いかにもだいじそうにかくしもった、どんぐりを、こっそり、いもうとに見せてやった。
「おまえにだけ、見せてやる。いいか、ふたりだけの、ひみつだぞ」
そりゃそうだ。あんなウソ、いもうとのほかは、だれも、ひっかかるわけがない。ほかのだれにも、いえやしない。
でも、まだちいさい、うたがうことを知らない(とくに、ぼくのことは)、いもうとなら、きっと、信じてくれるだろう。そう思ったんだ。
あんのじょう、いもうとは、目をかがやかせた。
「おー」
「すごいだろう、兄ちゃんが、みつけたんだぞ」
「きらきらー」
いもうとは、うれしそうに、手をのばした。
ぼくはそっと、にぎらせてやった。
それは、金色のどんぐりだった。
今にして思えば、やすっぽい、ぺかぺかの金色だった。
あたりまえだ。
校庭のすみでひろったどんぐりに、ぼくがじぶんで色をぬったんだもの。
当時から絵を描くのがすきだったぼくは、誕生日にねだって、十五色入りの絵具セットを買ってもらった。
それまで図工でつかっていた十二色入りより、三色もおおくて、そのうちの二色は、金色と銀色だった。
そんな絵具、それまでみたことがなかった。
つかってみたくてしかたなかった。
でも、うかつにその絵の具をつかうと、いかにもわざとらしくて、ほかの色からういてしまった。
金属製のものだからって、絵にするときは、かんがえなしに金や銀でぬればいいってわけじゃなかったんだ。
じゃ、何に、どうやって、つかえばいい?
むずかしかった。
けっきょく、めったにつかわなくなった。
でも、すてきな絵具だった。
クラスのほかのだれも、そんな色はもっていなかった。
だから、どうにかして、つかってみたかった。
そして、思いついたのが、金のどんぐりだったんだ。
校庭のすみで、ありふれたどんぐりをひろいながら、でも、ぼくの空想のなかで、それは特別なたからものに変身していった。
ここから北の、北の北の(どうしたって、北じゃないといけない。南なんてモッテのほかだ)、北のはての裏側に、だれもしらない、森がある。
その森の奥深くに、たった一本、百年に一回、三日のあいだだけ、金色のドングリをみのらせる、魔法の木が生えているんだ。
その実を手に入れれば、どんな願いごとでもかなうんだ。
世界を救うことだってできるんだ。
でも、そこにたどりつくことができるのは、えらばれた、純真な子どもたちだけ。
どんなにえらい魔法つかいでも、どんなにつよい勇者でも、大人ではだめなんだ。
だから、魔法の国のお姫さまが、ぼくに、それを、たのむんだ。
魔法の国の危機をすくうために……。
ぼくはつかのま、その空想に夢中になった。
雲ひとつない、やけに空のきれいな、午後だった。
さえざえとした晩秋の空気が、冬の予感をただよわせていた。
だれもいない校庭の片隅で、しん、とした、明るいひかりにきらめくどんぐりなんか、見つめていると、そのかがやきのなかに、すうっと意識がすいこまれていきそうな気がした。
どんな魔法も、いまなら信じることができる、そんな気がした。
でも、すぐにわれにかえった。
はずかしかった。
だれも見ていないのに、顔がまっ赤になった。
なんて子どもじみた空想だろう。
もう三年生にもなるのに。
でも、もう三年生なのに、まだ三年生だから……
ぼくは、その空想を、完全に捨て去ることができなかった。
幻のどんぐりのきらめきが、わすれられなかった。
だから、いもうとを、まきこんだんだ。
ぼくの信じられなくなった空想を、いもうとなら、まだ、信じることができるだろう。
それだって、つかのまかもしれない。
でも、そのつかのまだけは、ぼくも、その空想を、もういちど、信じているふりができるんじゃないだろうか。
勝手だね、われながら。
でも、ぼくだって、子どもだった。
子どもなりに、ワガママだった。
子どもじみてる、なんて、口ではいいながらね。
とにかく、金色のどんぐりは、そうしてできあがった。
いもうとは夢中になった。
目をきらきらさせて、ほっぺたを上気させて、つぎつぎ、たずねたんだ。
どこにあったの?
あぶなかった?
オバケいた?
お姫さま、きれいだった?
ケッコンするの?
ぼくは、つぎつぎ、こたえてやった。
波乱万丈の空想物語が、いくらでもわいてきた。
いもうとはソンケーのまなざしでぼくを見た。
子どもじみた魔法の国が、そのあいだだけ、ほんものになった。
お姫さまも、金のどんぐりも、いもうとの目がきらきらしている、そのあいだだけは、ほんものだった。
そして、さいごに、ぼくはきいた。
「最後のひとつは、おまえにやるよ。何をお願いする?」
すこしイジワルだったかな?
いもうとは、うーん、うーん、真剣に悩みだした。
願いがおおすぎて決められないみたいだった(よくばりめ!)。
あげく、こんなことをいったんだ。
「うえる!」
どんぐりをあつめたことのある子どもなら、だれだって、いちどは、考えたことがあるだろう。
植えて、育ててみることを。
いったい、どんな木になるんだろう。
どれだけたくさん、実がなるだろう。
まして、魔法のどんぐりだ。
きらきらした金色の実が、すずなりになるんだろう。
「そしたら、ままのぶんも、ぱぱのぶんも、じいじのぶんも、ばあばのぶんも、みんな、おねがいきいてもらえるでしょー」
純真そのものみたいな顔で、いもうとは、そういった。
さて、困った。
ニセモノの金のどんぐりなんて、植えたって、生えてくるのは、ただの、ふつうのどんぐりの木だけだ。
ぼくは、しどろもどろ、ごまかそうとした。
「あー、でも、うちは魔法の国じゃないからなー。植えたって、金のどんぐりにはならないかもしれないぞ。そもそも、百年に一回って、いっただろう」
でも、このときばかりは、いもうとのほうが、いちまい上手だった。
「だから、それを、おねがいするの」
はやくおおきくなって、まいとし金の実をつけてください、ってね。
一本取られた。
それで、いまさらひっこみがつかなくなった。
ぼくたちは、裏庭のものおきから拝借した植木鉢に、てきとうにそのへんの土をつめこんで、金色のどんぐりを、埋めたんだ。
それから、まいにち、いもうとは、植木鉢のまわりをぐるぐるしながら、ヘンなおどりみたいなのをおどっていたよ。
両手をにぎって、ニンジャみたいに人さし指をたてて、下から上へ、なんどもつきあげるんだ。
おまじないだったらしい。
お気に入りのアニメに、そんな場面があったんだってね。
でも、いもうとがやると、おまじないというより、なんだか「カンチョー」みたいで、わらってしまったよ。
そのおまじないがきいたわけでもないだろうけど、どんぐりは、春になると、芽をだした。
ぼくはすこしおどろいた。
だって、植えてしまってから、気になって、調べてみたんだ。
ほんとにどんぐりを育てるつもりなら、もっとちゃんと下準備をしてやらないといけなかったらしい(そんな準備をしたら、水彩絵具もとけて、あっというまに、バレてしまっただろうけど)。
でも、ぼくもいもうとも、そんなこと知らないから、たんにそのまま、うめてしまった。
土だって、ただの庭のそのへんの土だったし、どんぐりの向きだって、さあ、上下がどうだったか、横向きだったか、さっぱりおぼえていない。
なのに、芽はでたんだ。
いのちって、たくましいね。
それとも、ぐうぜん、よっぽどいい条件がととのっていたのかな。
おじいちゃんは、庭いじりがシュミだったから、そのへんの土っていっても、もしかしたら、それなりにちゃんとした土に、なっていたのかもしれない。
とにかく、いもうとは、おおよろこびだ。
半年もたっていたから、そのころには、もう、おまじないもやめてしまっていたし、植えたことだって、とっくに、わすれていると思っていたのだけれど……
そうじゃなかった。
あいつ、ずっと、待っていたんだ。
ある春の朝、芽がでた芽がでたって、あいつの声で、目をさました。
いもうとのやつ、おおはしゃぎで走りまわって――ふたりだけのひみつ、なんて約束のほうは、すっかりわすれて――とうさんにも、かあさんにも、おじいちゃん、おばあちゃんにも、魔法のどんぐりがどうのこうの、まくしたてていたよ。
おかげで、ぼくはちょっとお小言をくらうはめになったけれど……
おじいちゃんと、そのころはまだ元気だったとうさんが、
「だったら、もっとちゃんと土をつくれ」
なんていって、あらためて、すこし大きめの植木鉢に植えかえてくれたんだ。
それから、その鉢植えのせわをするのが、いもうとの日課になった。
せわといっても、そばにしゃがみこんで、あきずにじっと見ていたり、はなしかけたり、れいのおまじないをしたりくらいのもので……ときどき、土が乾いた日なんかには、おじいちゃんにおしえてもらって、水をやったりもしていたらしい。
芽はすくすく育って、一年で、ちょっとヒョロヒョロはしていたけれど、それなりに苗木っぽいおおきさにまで、成長したよ。
とうさんと、おじいちゃんが、その苗を、植木鉢からとりだして、裏庭のすみに植えたのは、二年目の秋だった。
とうさんも、おじいちゃんも、たのしそうだった。
ぼくもすこし、てつだった。
いもうとが、そのまわりで、はしゃいでいた。
かあさんが、お茶をいれて、おばあちゃんが、仏壇のなかで笑っていた。
ぼくといもうとのひみつのどんぐりは、家族みんなのどんぐりになった。
それから、また、何年かたった。
いもうとも小学生になって、一年、二年……進級して、もう、とっくに、金色の魔法なんて、卒業していた。
それでも、あの木が、いもうとのお気に入りなのは、かわらなかった。
まいにち世話をしたり、おまじないをしたりは、もうしなかったけれど、庭をながめながら「はやく実がならないかな」なんて、つぶやくことは、ときどきあった。
でも、ももくり三年、かき八年。
どんぐりなんて、なおさらだ。
けっきょく、ぼくたちが、この町にすんでいるあいだは、いちども、実はならなかった。
おじいちゃんが死んで、とうさんも、いなくなって……三人きりになったぼくらは、昔なじみの家を出て、とおくの町に、ひっこすことになった。
それから、二十年。
あいつが、へんな電話なんか、かけてくるせいだ。
ほんとうに、この町まで、足をのばすことになるなんて。
もともと、多少は、そのつもりもあったけどね。
町はずいぶんかわっていた。
二十年もたつのだから、当然だ。
それでもところどころに、おもかげは、残っていた。
小学校、通学路、とっくに閉店していたけれど、近所の駄菓子屋、文房具店……
なにより、ぼくたちの、あの古い家が、いまもまだ健在だったのには、おどろかされた。
リフォームされて、こぎれいにはなっていたけれど、それこそ、おもかげだけは、残っていた。
玄関には、手作り風味の看板に、
古民家カフェ どんぐり
なんて、こじゃれたことが書いてある。
ちょっと苦笑させられた。
(ただ古いだけで、古民家なんて、そんな上等なものじゃないんだけどな……)
でも、まあ、せっかくだ。
コーヒーの一杯もいただいて帰ろう。
そう思って、玄関をくぐった。
※
店は東京から移住してきたというご夫婦が営んでいた。
感じのいい人たちで、われながらひとずきのしない、ぼくなんかでも、いつもよりは口数がおおくなった。
それで、つい、よけいなことまで、はなしてしまったんだ。
むかし、ここに住んでたんです、なんてね。
ご夫婦は、ずいぶんとよろこんでくれた。
珍客到来ってね。
それで、また、話がはずんだ。
「クヌギだか、コナラだか、それともマテバシイか何かなのか、わからないんですけどね。いもうとが、どんぐりを、植えましてね。芽がでたんですよ。それで、家族みんなで、植えたんです。ええ、裏庭に……」
すると、ご夫婦は、目をかがやかせた。
店名の由来が、まさに、その木だっていってね。
移住をきめたのも、その木に一目ぼれしたからだ、とまでいっていたよ。
ぼくといもうとの思いつきも、めぐりめぐって、人さまの人生にずいぶんな影響をあたえていたものだ。
わからないもんだね。
ご夫婦は、よっぽど、あの木を大事にしてくれてるんだろう。
ほんとうに、うれしそうだった。
それで、店の奥にも、声をかけて、あの子たちまで、呼んだんだ。
「おーい、こっち、おいで」
すがたをみせたのは、小学生くらいのおとこの子と、そのいもうとだろう、ちいさなおんなの子だった。
まるで、あのころのぼくたちを見るみたいだった――なんて、つけくわえるのは、よけいかな。
ぼくといもうとより、元気で、利発そうだった、とでも、いっておくよ。
「すごいお客さんが、きてくれたぞ」
マスターがそういって、ひととおり説明してあげると、おとこの子のほうは、目をまるくして、ぼくを見た。
おんなの子のほうは、まだすこしきょとんとしていたけれど、お兄ちゃんが耳打ちしてやると、すぐに顔をかがやかせた。
「あのどんぐり、おじちゃんがうえたの?」
「ぼくと、いもうとがね。ちょうど、きみたちくらいのときにね」
すごい、すごい。おんなの子は、ぴょんぴょんとびはねながら、はしゃぎまわった。
お店であばれるな、と、おとこの子がとめようとして、ちょっとした鬼ごっこに発展して……
ご夫婦は、にこにこ顔でみまもっていたよ。
そのさわぎが、おさまった、あとだった。
子どもたちは、ご両親にうながされて、はにかみながら、それでも自慢そうに、裏庭であつめた、たからものを、見せてくれたんだ。
つやつやした、きれいな、どんぐりのコレクションさ。
ぼくは、そのどんぐりを、ひとつ、指さきでつまむと、ガラス越しの日にかざしてみた。
雲ひとつない、やけに空のきれいな、午後だった。
しん、とした、晩秋のひかりのなかで、ありふれたどんぐりは、きらきら、きれいに、きらめいていたよ。
金色の絵具なんか、塗らなくてもね。




