お茶会を3分……は無理だけど、30分で終わらせる方法
「まあ! そちらクッシェの新作ドレスではありませんか?」
「ええ、父のツテで入手致しましたの」
「素敵ですわねえ。順番待ちで、なかなか仕立てていただけませんのに。あら、口紅も綺麗なお色! もしかして、ティネーレの新色ではありませんか?」
「よくお分かりになりましたわね。あ、こちらのイヤリングもティネーレの新作ですわ」
「まあ! なんて素敵!」
「良い物を身に着けるのが、淑女のマナーですからね。安物で自分を飾っている方を見かけると、悲しくなってしまうわ」
「ヴォニータ様はお幸せですわねえ。私達みたいな下級貴族の令嬢にとっては、クッシェもティネーレも滅多に手が届かない特別なお品ですのに。……ねえ、アネリア様?」
突然ふられ、私は熱い紅茶をごくりと飲み込む。
「そうですわね」と機械的に微笑めば、令嬢達は満足気な笑みで頷いた。
はあ、くだらない。
自慢、見下し、チヤホヤ、自慢、見下し、チヤホヤ……
これが延々と繰り返されるお茶会に、今まで何度付き合わされたことだろう。
たまたま金持ちの侯爵令嬢に生まれただけで、何故優越感に浸ることが出来るのか、クッシェとティネーレを持つことの何が幸せで、持っていない令嬢の何が不幸せなのか、自分には全く理解出来なかった。
せっかくこんな心地好いテラスに居るのに。庭の景色を愛でたり、茶葉の香りや甘いお菓子を楽しまないなんてもったいないわ……と思いながら、今日も苦いカップに砂糖をたっぷり落とす。
出来ることなら招待なんか断りたい。だけどこちらは格下の伯爵令嬢。おまけに事業でも繋がりがある侯爵家の令嬢を、無下にするなど出来ない。
平均約3時間。体感30時間の苦行をどう乗り越えるか。毎回憂鬱な気持ちで臨んでいた。
3時間を何とか3分で終わらせられないか。
お菓子を頬張りながら、最近ではそんなことばかりを考えている。
令嬢達が大嫌いな、足が沢山ある虫をテーブルに置く……
ダメ。きっと罪のないお菓子や果物が、全部捨てられてしまうわ。
転んだフリをして、テーブルクロスを引っ張ってみる……
もっとダメ。お菓子どころか、高価なティーセット代を弁償しなければいけなくなるわ。
いっそ毒を盛る? お母様が使っている強力な便秘薬を三倍にして……
はあ、私が一番くだらないわと、吐けないため息を何度も呑み込んできた。
だけど今日は違う。
3分は無理でも、30分で終わらせてみせよう。そしてもう二度と招いてくれるなという期待を胸に、意気揚々とお茶会に参上したのだ。
お茶会開始から約5分。
どうしても食べたかった栗のキャラメルタルトを一切れと、南瓜のプディングを一皿平らげた頃、令嬢達の自慢話も一段落ついたらしい。チヤホヤし合いカラカラになった喉を、冷めきったお茶で一斉に潤している。
令嬢達が上品にカップを置いたタイミングで、私はさらりと爆弾を投入した。
「お兄様ですが……」
令嬢達の耳がピクリと動き、視線がギラリとこちらへ集まる。
社交界に興味がなく、人付き合いも極力避けている研究所勤めの私が、お茶会に頻繁に招待されてしまう理由。
それこそが『兄』だからだ。
艶やかな黒髪に宝石みたいな真紅の瞳。誰もが息を呑む美貌に加え、鍛え上げられた長身は、恋愛小説の挿絵から飛び出したヒーローそのもの。おまけに騎士学校を首席で卒業したエリートで、将来の騎士団長最有力候補でもある。
そんな『兄』の情報を手に入れたいが為に、『妹』の私はこうして度々招かれる羽目になったのだ。
『お兄様の好みのドレスは?』
『次のお休みはいつ?』
『意中の女性はいらっしゃるの?』
いつもなら、自慢話が一段落したこの後に、令嬢達の質問責めに遭う流れだ。
当り障りなく、失礼にならないように、かつ『兄』の尊厳を守る。モテすぎる『兄』を持った可哀想な『妹』が、長年の経験から培った高度な技で対応してきた。
正直、自慢話より何より苦痛だった時間。
それもきっと今日限りで終わると信じて、私は爽やかに言葉を続ける。
「先日婚約致しました」
朱に染まりゆく木々を、さわさわと撫でる風の音。
いわし雲の下を、ピイと羽ばたく小鳥の歌。
しんと静まり返ったテラスに、そんな素敵な音色が響いた。
侯爵令嬢ヴォニータ様は、尖った顎を震わせながら真っ赤な唇を開く。
「どっ、どなたと……どちらのご令嬢と婚約されたのですか!?」
「突然のことで、私も存じ上げないのです。ただ、親しいご友人とだけ」
「そんな! ご兄妹なのですから、知らない訳がないでしょう!?」
「事情があるのではないのでしょうか? たとえば……お相手が、お名前を明かせないほど高貴な方であるとか」
「高貴……」
令嬢達の顔色がサッと変わる。
「もしかしたら……第三王女殿下では?」
「きっとそうですわ。何度もお噂を耳にしましたもの」
「ふん、王女殿下といっても、所詮ど田舎の子爵家出身の側妃が生んだ方でしょう? 王家の血を引く私と大して変わらない……もしくは私の方が上じゃない」
「まあ、ヴォニータ様! いくら本当でも、そのようなことを仰ってはいけませんわ」
「そうですわ。たとえヴォニータ様が、代々王家の血を受け継いでこられた高貴なご令嬢でも、あちらは一応王女様ですからね」
勝手に想像しては、くすくすと嘲笑う姿に私は呆れる。
代々王家の血を受け継ぐ? まあ侯爵家は近親婚の家系ですからね。それで血が濃いだけ。
国王陛下をお父上に持つ王女様を蔑むなんて……不敬罪もいいところだわ。
カップに残っていたお茶を飲み干すと、私はノーブランドの紅を引いた唇を拭い、にこりと微笑む。
「皆様のご想像にお任せ致しますが、不敬罪にはくれぐれもお気をつけくださいね。いつどこでどなたが聞いていらっしゃるか分かりませんから。あと……つまらないことですが、実は私も、先日幼馴染みと婚約致しまして」
令嬢達は「まあ」と一応驚いた顔を見せてはいるものの、兄の婚約話と比べて、明らかに興味がないことが分かる。その先は特に訊かれないだろうと、自分で淡々と続けた。
「これから結婚式の準備等で忙しくなりますので、社交界にはあまり顔を出せなくなるかもしれません」
……つまり、お茶会に招待されても困る、招待しないで欲しいということを暗に伝える。
『兄』が婚約したと知った今、『妹』である私にもう用はないだろう。令嬢達はすんなりと、「そうですわね。寂しくなりますけど、お式を楽しみにしていますわ」と頷いてくれた。
それからしばらくは、平穏なカトラリーの音が時折鳴っては、涼やかな秋の気配に消えていく。
目論見通り────
お茶会開始から30分ほど経過したところで、「申し訳ありませんが、私少々貧血気味ですの。本日はお開きにしましょう」とヴォニータ様が申し出てくれた。
◇
まだ明るい空の下、馬車は軽やかに伯爵邸へ戻る。
スイーツで膨れた腹を抱えて降りようとする私を、兄と『兄』が出迎えてくれた。
「おかえり、アネリア」
「ただいま、お兄様、ドウェイン様」
差し出された大きな手をすっと取り、石畳に降り立つ。
よく似た黒髪と真紅の瞳。傍からは兄妹に見える私達は……実は兄妹ではない。
ドウェイン様は遠縁の男爵家の令息で、5歳の時に両親を流行り病で亡くし、我が伯爵家に引き取られたのだ。
本人の意思に任せたいと養子縁組はしていない為、家族同然ではあるが、法律上は何の縛りもない関係である。
少し離れた所で、私達をにこにこと見守っている、栗色の髪と瞳を持つふくよかな青年。
全く似ていない彼こそが、私の本当の兄であり、伯爵家の長子であり……先日、第三王女殿下と内密に婚約した張本人だ。
しがない文官と王女様の恋。結ばれないと覚悟していたが、国王陛下は王女様のお気持ちに寄り添われ、二人を快く認めてくださった。それだけではなく、王女様の降嫁に伴い、なんと我が家は侯爵位を賜ることになっている。
王女様をこれほど大切に想われている陛下が、令嬢達のあの暴言を耳にされたら……と想像するだけで身震いする。うん、私の胸にしまっておこう。
「早かったね。お茶会、3分で終わらせられた?」
悪戯っぽい兄の問いに、私はくすりと笑う。
「さすがに3分は無理でしたわ。30分というところでしょうか」
「令嬢達を泣かせてはいないだろうね?」
「まさか。あの方達はそんなにか弱くありませんわ。まあ、お兄様が婚約すると知って、ショックを受けていたようですけれど」
「ははっ、そのお兄様が冴えない僕の方だと知ったら、怒り狂うんだろうな」
「構いません。私、嘘は吐いていませんもの。容姿だけで、私とドウェイン様を勝手に実の兄妹だと勘違いしているのですから」
ね? と隣を見上げれば、ドウェイン様の綺麗なお顔がぽっと赤らむ。
「私が “ 幼馴染み ” と婚約したことも伝えました。なのでもう、お茶会に招待されることはないでしょう」
「うん……確かに嘘は吐いていないな。結婚式が恐ろしいが」
大げさに腕を擦る兄に、私達はよく似た瞳を交わす。ドウェイン様は、私の肩を抱き寄せ、キッパリと言った。
「大丈夫ですよ、義兄上。たとえ暴動が起ころうと、呪いの言葉を吐かれようと、アネリア嬢は私が必ずお守り致しますから。……騎士の名誉にかけて」
その後、慣れ親しんだ自室のテラスにドウェイン様をお招きし、使い慣れたティーセットでゆっくりと紅茶を淹れている。
茶葉は乾燥林檎を混ぜたもの、お菓子は干しただけのお芋。幼い頃から、私達が一番好きなおやつだ。
よくままごとをした、白木の小さなテーブルに隣り合い、微笑みながら甘いカップに口を付ける。令嬢達と過ごすのとは全然違う、二人きりの大好きなお茶会だ。
神殿に飾る花や参列者への贈り物など。結婚式のことを夢中で話している内に、さっきまで青かった空には、いつの間にか赤い雲が広がっていた。
「……綺麗だね。まるで君の瞳みたいだ」
「ふふっ、貴方もね。……それにしても不思議よね。肖像画すら見たこともない遠いご先祖様から、よく似た容姿を受け継いで」
「そうだね。小さな君に初めて会った時は、本当の妹じゃないかと驚いたよ」
「……でも悔しいわ。貴方は美丈夫だと評判なのに、私は少しも殿方からお声がかからなくて」
「君は恥ずかしがり屋だし、あまり飾らない人だからね。心も外見も、そのままですごく魅力的だ。だから……今日みたいに華やかだと、眩しすぎて心配になる」
ドウェイン様はそう言うと、久しぶりに下ろした私の長い黒髪を優しく掬う。熱い指が頬に触れ、トトッと鼓動が速くなった。
「お化粧もしてるの?」
「ええ……令嬢時代の最後のお茶会だと思って。少し頑張ってみたわ」
ふうんと呟く彼。頬から唇に指がつうっと滑り、くるくると撫で始める。
「あっ、こっ、これね! 私が開発した口紅なの。気軽に買える値段だし落ちにくいけど、成分はティネーレの新色と全く同じなのよ。容器を変えただけで」
すると彼は、熱い指をそのままに、ははっと笑い出す。
「さすがアネリア! 平民の懐には優しく、自慢ばかりの金持ち令嬢からは、がっぽりふんだくる気だな」
「当然でしょ。“ 淑女のマナー ” とやらを、とことん利用させていただかなくちゃ。成分はちゃんと容器に表示してあるのだから、好きな方を買えばいいのよ」
得意気に胸を張る私に、綺麗な顔がすっと近付けられる。紫のベールを纏いゆく空の中、夕陽色の鮮やかな瞳が細められた。
3分……30分……30時間でも足りない。
閉じた瞼の奥で、永遠に今が続けばいいなと、甘い香りに酔いしれていた。
ありがとうございました。