3幸福って
今、ぼくのとなりで翅論が歩いている。
水で口をゆすいだときに少しえり元に飛び、四角く連なっている。
ぼくにはなぜかそれがトラックに見えた。
「大丈夫?」
「……」
ぼくが何を聞いても彼女は何とも答えない。
ぼくは、今下校中である。
翅論はあまりにも顔色が悪そうだ。
それが自分をふるい立たせているのを知って、そんな情けないすがたをみられたくないことが痛いほどわかって。
ぼくは失望した。
自分自身に。
あぁ、でも、ぼくの唯一の存在意義、彼女はまだ生きていてくれる。
絶対に、ぼくよりも先に死なせるわけにはいかない。
そのために、ぼくは行動を開始することを強く胸に刻みつける。
その目に宿るのは自分への嫌悪、失望、絶望。
そして、となりでトボトボ歩く彼女への最早狂っているとしか言いようのない責任感。
最後に彼女にこのような仕打ちをしたやからへの復讐。
ぼくは一つ気づいたことがある。
彼女が殴られたのはおそらく今日だけではないだろう。
昨日も、一昨日も、もしかしたら、去年も、一昨年も……。
ぼくは、考える。
・彼女をどうやって守るかを
・彼女へのいじめをどうやって止めるかを
・彼女が本当に笑えるようにするためにはどうすればいいのかを
あごに手を当てながら考える。
となりの彼女は、やはり上の空だった。
ドン
全ては唐突。
全ては虚構。
全ては……偽りの平和。
そこから、ぼくは目を背け続けていた。
翅論が、突き飛ばされた。
ブロロロロロ……!!!……グシャ……!!!……。
ぼくの顔は、それはそれは……無表情だった。
翅論をひいた車。
それは自分が何をしたのかわかっていなかったようで、あろうことか後退した。
〜99%〜
その日、翅論は二つに分かれた。
ちょうど右と左に分かれるかのように。
ぼくが覚えている限り、ぼくはけいさつが来るまでその場で立ち尽くしていたはずだ。
もう、何も考えたくなかった。
〜99%〜
ぼくははしを動かし、米を口に入れる。
あの後、ぼくは狂ったように勉強始めた。
そして、受験に受かった。
はじめた時期は周りよりずっと遅かったが、それでも合格した。
小学校を卒業する日となり、今日はその卒業式だ。
ただ無味乾燥な毎日。
もう終わった人生をなぜか生きている虚無感。
翅論の両親は何も言わず、ただ涙を流していたが……あれが嘘だと、ぼくは知っている。
ぼくは彼らの涙を見て、再度絶望した。
あんなのが悲しみの涙なら、ぼくが流せなかった涙は何だったのか。
彼女の思いは、苦しみは、一体どこに消えたのか。
その日からぼくは完全に心を閉ざした。
目に宿るひとかけらの熱意なぞ存在しないに等しく、ぼくはただ日々を耐え続けた。
人生、ずっと、虚しかった。
……いや違う。ごめん。翅論。君と過ごした生活を虚しいなんて、言えない。
ぼくは靴を履き、家を出る。
何か言ったとしても、彼らはきっと何も返事を返してこないだろう。
しかしぼくはこれを言い続ける。
翅論に向けて。
「いってきます」
〜99%〜
卒業式、というのはそこそこ面倒臭いものであり、手順を覚えるために何度かリハーサルを行う。
・例えば、門をくぐったら左に曲がり、その後右に曲がる。このとき歩く速度を合わせないといけない。
・また、卒業証書を受け取る際、まず左手で証書の左下をつかみ、右手で右下をつかむ。後ろに下がって一礼し、証書は表紙が見えるように右に抱えて進む
このようにいくつかの工程を覚えなくてはならない。
して、今日は本番だ。
まあぼくはこれでも地頭はいい方だと自負しているため、特に滞りもなく進む。
ついに卒業証書を渡される際、校長の顔が目に入った。
ぼくは……にえたぎるマグマ、ふっとうするお湯の如き怒りを前まで抱いていた。
翅論が死んだことは、事件を起こした張本人とそのごく一部の関係者しか知らない。
そして、このように事件をいんぺいしたのが、こいつだ。
許せるわけがない。
誰も許したくなどない。
でも、ぼくには一切の力すら持ち合わせていなかった。
いや、少し違う。
ぼくが持っていたのは、「忍耐力」。
他の人を圧倒するぼくの「忍耐力」。
そして、自分自身を消した「忍耐力」。
かこくな環境で培われるのは、一生消えないであろう大きな傷。
それは自分自身を守るために自分自身をさらに傷つけてしまう。
それは…………なんだろう。
〜99%〜
卒業式が終わったが、この学校を卒業したという実感が全く持って湧かない。
ぼくは、やっぱり翅論と一緒でなければいけなかったのだ。
彼女が死んでいい理由はわからない。
いや、わかりたくもない。
あぁ、もしも、時間が巻き戻せるのなら、神よ
「ぼくに、機会をくれ……っ!」
言の葉が舞う。
電流、いや違う。
何かわけのわからない何かがバチバチと音を鳴らしつつ緑色に発光する。
風を切る爽快な音、嵐が吹き荒れる乱暴な音が同時に鳴る。
始めのための、鐘の音が鳴った。
ゴーン、ゴーン…………ゴーン、ゴーン……。
鐘は鳴り続ける。
今日は何かと風が強い日だったが、一際強い風が吹いた。
ぼくの周りを囲む謎の何かが跳ねた。
バチッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
〜99%〜
んぁ……眠気が覚め、体を起こす、
ん?体が、軽い?
心なしか身長も低い気がする。
「おはよう。よくねれた?」
懐かしい、聞きたくてたまらなかった彼女の声。
「どうしたの?泣いてるけど、こわいゆめでも見た?もう大丈──」
「翅論」
「ひゃっ、どうしたの?櫂」
彼女の腰にしがみつく。決して離さないよう。
「ごめんっっ!会いたかったよぅ!!」
ぼくは涙を流し、感動で胸の高鳴りを抑えられそうになかった。
〜99%〜
「こらぁ、今日は初めて櫂が学校に行く日だよ。早く着替えないと」
「グズッ……うん……」
彼女は、いつだって優しくぼくを導いてくれる。
ぼくはいくらか予想がついていた。
そう──きっとぼくは、ちょうど2年前、ぼくが小学五年生として初めて学校に行く日まで、時間をさかのぼったのだ。
これなら、翅論が受けているといういじめを未然に止めることも、それに協力してくれる友人関係を築くことも可能だ。
ぼくは強く決意した。
「奴ら」に、絶望を見せるまで、ぼくの人生を絶対に終わらせないことを。
翅論に幸福を体験してもらうまで、ぼくの人生を絶対に終わらせないことを。
ぼくは決して学校の奴隷になど成り下がったりはしない。
必ず、助けてみせるから。
待ってて、翅論。
ぼくは確かな意志を持ち、洋服に着替える。
その目に宿るのは──最早消えたと思われていた「灯」。
それは燃料を取り戻し、激情の「火群」へと成長して行く。
この炎がどこへ向かうのか、知るものはただ一人。
ぼくだけの、秘密だ。
これは、ぼくが彼女を死の道から連れ戻すための、物語。
ぼくが、本当の幸せを彼女とかみしみあうまでの、物語。